「遠征?」
「うむ、明日より俺を含めた六振で向かうことになる。期間は…少々掛かろうな」
その日、三日月は居間で茶を啜りながら長谷部とそんな会話を交わしていた。
「確かにまた遡行軍の妙な動きがちらほらと聞こえてきていたな…しかし、近侍のお前まで出るのか?」
「油断して小事を大事にする訳にはいかぬだろうという主の意向だ。俺もその判断に否やはない。俺が居ない間の本丸の守護はお前に任せたい」
三日月の判断に、長谷部の肩が小さく動き、その瞳に強い輝きが宿る。
「良いのか? 戻ってきたら俺が近侍に成り代わっているかもしれんぞ?」
「はは、もしそうなれば有り難い。じじいにこの大任は堪える事もあるのでなぁ」
さらりと相手の挑発をいなした後、老獪な刀剣男士はすぅと顔から笑みを消し、真面目な表情で断った。
「連れて行く面々も概ね選んでいる。本丸にも極力支障がない様にと考慮はしたが……頼むぞ」
「任せておけ。俺とて刀剣男士の端くれ、戦の采配には自信はある」
「うむ」
挑発はしたが、へし切長谷部も三日月宗近の実力は認めている。
その相手がそこまで言うという事は、今回の遠征組には相応の実力者達を集めていくのだろう。
「そうなると面影も入るのか?」
大太刀の付喪神の名前を出され、三日月の口元に湯呑みを運んでいた手がぴたりと止まる。
「……いや、今回は奴は留守居役になってもらう」
淡々と質問に否定の形で返された長谷部は、意外だという様に目を軽く見開く。
「そうなのか? 最近の面影の成長振りは一目置くところがある。てっきり連れて行くと思っていたが…」
「俺も面影の実力は認めている……しかし遠征先の地形を鑑みればな……」
言いながら三日月が懐から出した巻物を卓上に広げ、長谷部がその内容に視線を向けると、数秒もしない内に合点がいったと頷いた。
「……確かに、これだけの狭い戦場では、大太刀では寧ろ不利に動くやもしれんな」
「その通り、大太刀にとってこの遠征には地の利が無い。俺としては、突破口を開く戦力としては別の方法を取りたいと考えている」
「………その言い方だと、短期決戦を狙っているということか」
「そうだ。一気に敵を貫き押し通る。既に声をかけて同行には賛同してもらっている。後の要員は……」
それから三日月は一通りの部隊の内容と遠征先での行動予定を相手に説明し、全てを聴き終わった男は大きく頷くに留まった。
「…特に問題は無い…と思う。微に入り細に入り、実に見事な作戦だな」
そんな完璧な近侍振りを発揮していた三日月だったのだが…………
「……み、三日月……ほら、そろそろいい加減機嫌を直してくれ…」
「……………」
その翌日の早朝、面影は同じ布団の中で横になっていた三日月を必死に宥めていた。
しかし、別にこうなったのは面影に責がある訳ではない。
「遠征に行く事は前々から決まっていた事だろう? 今更臍を曲げても仕方ないだろう…」
「………分かっている。これは俺の我儘だ」
そう答えながらも、三日月は腕の中に抱いた相手の事を離そうとしない。
「刀剣男士として、近侍として、その責務は全うする………しかし、お前と離れるのはやはり辛いのだ」
「三日月……らしくもない駄々を捏ねないでくれ…」
独白しながら、優しく額に口付けを落としてくる愛しい男に、面影は激しい動悸を感じながらも心を奮い立たせて説得する。
しかしそれは相手の立場を慮っての事だけではなく、それ以上相手の本心を聞き続けてしまったら自分さえも我儘を口にしてしまいそうだったからだ。
「離れたくない」………と。
そんな内心を察したのかは不明だが、それを聞いた三日月がおや、と皮肉めいた笑みを浮かべて面影の顔を覗き込んできた。
「何だ? お前は俺が居なくなっても寂しがってはくれないのか?」
「そ、そういう話ではなくて……」
「それに………」
他に誰も居ないのに、敢えて小さく囁く様に、三日月が面影の耳元で問い掛ける。
「俺が居なければ、お前の夜の無聊は誰が慰めるのかな…?」
「っ!!」
その一言で、一瞬にして面影の脳裏に昨夜の二人の情事が思い出された。
昨夜は、普段にも増して激しい一夜だった。
明日から遠征に出てしまえば、暫く面影とも会えず肌を重ねる事も叶わなくなるという事もあり、三日月がまるで飢えた獣の様に相手を貪ってきたのだ。
己のことをじじいと評しながら実は性欲に関しては「超」が付く程の絶倫っ振りを発揮する男に、まだ若い面影ですら翻弄されてしまっており、昨夜はそれに一層輪がかかった状態になってしまったのだった。
最後の方などは最早まともな記憶すらない。
唯……そんな貪欲振りを発揮していても、三日月にとって面影は愛すべき、可愛がるべき対象であるという事実は決して揺らぐ事はなかったらしい。
翻弄されながらも、快感は絶えずその身に刻まれ与えられ、朦朧とした意識の中でも、面影は淫らに腰を揺らして相手を求め、啼いて男の耳を愉しませていた………様な情景もまた、ぼんやりと頭の奥に残っていた。
「〜〜〜〜」
見る見るうちに真っ赤になっていく想い人の様子に、きっと昨夜の事を思い出したのだろうと察した三日月が更に笑みを含んだ声で相手に念を押した。
「…寂しいからと言って、浮気は許さぬぞ?」
「おっ…お前は…! 私がそんな不義理を働くとでも!?」
「うん、ないな」
「~~~~~」
毒気を抜かれるとはこういう事か………と、がっくりと面影が脱力する。
信じてくれているのは嬉しい……が、何故か素直に喜べないと言うか、翻弄された分若干悔しい気すらする。
それを責めても詮無い事か、と気を取り直して溜息を一つつき…
「分かっているならいい………そ……そもそも……」
「ん?」
「………わ、私を…あんなに気持ち良くさせられるのは…お前、だけだろう…?」
「!!!!!」
この若者は根が純粋過ぎるが故に、時々こうして無自覚に精神攻撃を繰り出してくる事がある。
男として、これ以上の賛辞は…そして煽り文句はないだろう…!
(本気で遠征を取り止めたい………!!)
遠征さえなければ、このままこの若者を抱き潰して身も心もとろとろに蕩けさせるというのに……!!
「……お前……それは、反則だろう……」
「え?」
せめてもの悪態をついた後、息を大きく吐き出して気を取り直した三日月は、改めて面影に尋ねた。
「………お前の浮気は疑わぬ………が……一人だと辛かろう…? 一日だけならまだしも今回の遠征は結構な期間だぞ」
「! それは………まぁ……けど……」
視線を下へと逸らせた面影が、小さく小さく身を縮こまらせながら答える。
「が、我慢出来なくなれば……一人で…出来る、から………三日月にも、教えてもらった、し……」
「ああ………」
面影の言葉は事実である。
顕現してから日も浅かった面影は、当初は身体だけは成人男性の、しかし戦闘に携わる事以外の面に於いてはまるで純粋無垢な幼子の様だった。
幼子は、実力を推測っていた部隊の男達を認めたところでそのまま連れられて本丸へと辿り着き、そこで保護者となる刀剣男士…三日月宗近に出会った。
本丸の刀剣男士達を束ねる主導者…そして出自が不明なままだった自身を保護し優しく迎えてくれた後見人。
その関係性を持って、三日月宗近は面影にとって最も近しい存在となっていった。
互いが互いに惹かれ合う内に幼子だった面影の意識は急速に大人のそれになっていき、その成長に追随する形で、若者の身体は男性としての機能を発現させていった……三日月の手を借りながら。
そして身と心を繋いで晴れて恋仲になってからも、三日月は優しく面影に性の手解きを行ったのだった。
その中には、三日月が居ない場合での自慰のやり方も含まれていた。
『俺が居ない時に身体が辛ければ、こうするのだぞ…? ほら……』
『ああ……いや……は、ずかしい……っ』
後ろから相手を抱き竦めながら「処理」のやり方を教えている間、当然、面影は大いに恥じらい涙すら浮かべていた。
しかし、三日月の絶妙な「指導」のお陰で、面影は羞恥の中でも快感に後押しされる形でそのやり方を覚え……実践出来るまでに至ったらしい。
「ふむ……?」
確かにそうだったな、と思い出すと同時に、別の事も思い出したらしい三日月がまた質問を重ねる。
「………いつぞやの玩具は使わないのか?」
「っ!! あ、あれは……」
先日…二人で現世にお忍びでデートをした日。
突然の雨に降られて飛び込みで入ったのが、上手い具合にというべきか、とあるラブホテルだった。
無論、恋仲である二人がそんな場所に入って単に雨宿りだけで済む訳もなく、当然の帰結として面影は三日月に美味しく頂かれてしまった訳だが、そこで備え付けられていた大人の玩具も大活躍を果たしたのである。
面影の反応が思いの外良かったのも三日月の気を引いたらしく、ホテルから出る際に彼は幾つかの玩具を購入し、ちゃっかりと本丸に持ち帰るとそれらの一部を面影にも与えたのだが、先程の口振りだと利用している様子はなさそうだ。
「…気に入らなかったか? もしや、あれらでは刺激が物足りなかったとか…」
「そそそ、そういう事をあけすけに訊くな!! 違うからっ!!」
あからさまな問いに激しく狼狽しながら、面影は相手を戒めた後、視線を下へ落としてぽそりと言った。
「ホ、ホテルでもあんな醜態を晒してしまったし……使ったら…どうなってしまうのか……怖い…」
あの日の自身の乱れ振りを思い出してしまったのか、恥じらいに瞳を潤ませ震える若者の姿に、三日月が思わず呟く。
「俺はまた見たいものだがな……玩具で身体を慰めながら俺に懇願する姿……実に愛らしくて…」
「っ!!!!!」
ぽかぽかぽかっ!!!
「あいたたた」
流石に力一杯ではないものの、三日月の胸元を拳で叩きながら、面影は遂に彼を布団から叩き出す事に成功した。
「こっ、こっ、こっ…このすけべじじいっ! そ、そんな恥ずかしい事ばかり言うお前なんか、遠征中に木のウロに足の小指をぶつけてしまえっ!!」
「地味に嫌だぞその呪いは!」
そんな朝のやりとりのせいで、三日月達の出立の時には面影の表情は実に微妙なものだったのだが……
「…… ぶ、無事に…その…早く、帰ってきてくれ…」
結局、怒りの感情をそう長く維持出来る事もなく、わだかまりも残す事なく言いたい事はしっかり言えた様だ。
それに対して、三日月も既に相手の心情を察していたのか、いつも通りの笑みを浮かべて首肯し、他の男士と共に出立して行ったのであった。
三日月達が出立してから、本丸はほんの少しだけ静かになった様な気がした。
それは果たして面影だけが抱く感傷だったのだろうか……
そんな静けさから敢えて目を逸らすように、その日も面影は全力で内番と向き合っていた。
「面影、まだ仕事をしているのか?」
無心で与えられた畑仕事に従事していたところで、不意に離れた場所からそう声を掛けられ、面影ははっと顔を上げてそちらを向いた。
「長谷部………ああ、もう少しで一区切りつけられそうだから、そこまでは」
「そうか」
鍬を振う手を止めて振り返った先には、書類を挟んだファイルを小脇に抱えた長谷部が廊下を渡るところだった。
呼ばれてから周りに意識を向けた事で、もう夕暮れが迫っている事に初めて気が付いた面影は僅かに動揺しながら周囲を見回した。
薄暗い………改めて彼方を見遣れば、もうすぐ太陽が西の山の向こうに沈もうとしているところだ。
「…もう、こんな時間…?」
「他の奴らはもう屋敷内に戻ったぞ。お前もそろそろ上がれ、農具の片付けもあるだろう」
「……分かった」
声を掛けられなければ本格的に闇が訪れるまで気が付かなかったかもしれない、と思いながら、面影は言われるままに素直に片付けを始め、納屋に収納する農具を抱えてそちらへと足を向ける…と、不意に傍から手を伸ばされ、抱えていた農具の半分を取り上げられていた。
「え……? 長谷部?」
「手伝おう、もののついでだ」
廊下の近場にあった式台から降りて来たらしい彼は、そこに共用で置かれてあったサンダルを履いていた。
戦に赴くには相当心許ない出立だが、納屋に向かうだけの用事ならそれでも十分だろう。
「あ、有難う…」
「気にするな」
礼を述べてくる若者にあっさりと返した後で、改めて長谷部が面影の様子を伺う。
「お前、少し働き過ぎじゃないのか?」
「えっ?」
予想出来なかった長谷部からの指摘に、面影は何とも捻りのない反応を返してしまった。
無論、サボっている自覚は無いが、まさかこの筋金入りのワーカーホリックでもある長谷部にそんなことを言われてしまうとは………
「……お前が考えている事は大体分かるぞ」
「あっ………いや、その」
「俺が好きでやっていることだ、ちゃんと自分の限界は弁えてやっている………しかし最近のお前は、どうもやり過ぎている感があるな」
心中を言い当てられてわたわたと狼狽する面影とは対照的に、長谷部は淡々と自身の見解を披露する。
「やたらと肉体を酷使する作業を進んで引き受けているだろう。確かに本丸にとっては有難い事だが、それに加えて不寝番までかって出ている。俺達刀剣男士は通常の人間より遥かに頑丈には出来ているが、あまり過信すると流石に体調を崩すかもしれんぞ?」
「う………」
反論も出来ない相手の指摘に流石に面影は小さく呻いたが、勿論ここであっさりと「じゃあその役は別の誰かに」等と言える筈も無い。
「その………どうも最近、よく眠れなくて」
「ふむ?」
「………今、不在なのはたった六振りだが、それでも余計に緊張しているのかもしれない……多少なりとも戦力が削がれているのは事実だしな…」
「ああ…」
理由としては非常に納得のいくところだ、と長谷部は頷いた。
今回遠征している六振りは皆の中でもかなりの手練れ達、戰上手の面々だ、彼らが不在という事はその分、本丸の守りは手薄になってしまう。
「お前の懸念は尤もというところもある……が、あまり過剰に不安視する事でもないぞ? 戦闘能力に秀でた奴らが出ているのは事実だが、残った奴らは防衛戦が得意だという事もまた事実だ。一気に戦況を有利にするという一撃を温存するという意味でも……面影、お前が此処にいるのだ」
「……理解している」
自らが振う本体……大太刀は、敏捷性には一歩出遅れるところはある、が、一度刀を振えば周囲の敵を物言わぬ肉塊と化してしまえる程の凶悪な戦闘力を誇る。
本来、面影は非常に優しい性根の男である。
無駄な殺生は忌避しており、周囲の人々にはその性が悪でない限りは優しく接する。
しかし、自らや縁ある者達に害を及ぼそうとする者に対しては、恐ろしい程に容赦がなくなるという一面も持ち合わせていた。
それは過去の持ち主の逸話にすら残る残虐性に起因するものなのか、それとも、一度得た心の拠り所を失いたく無いという希求の反映なのかは分からない。
兎に角、彼が此処に住まう様になって相応の時間が経過したが、その間に若者の存在はしっかりと本丸の守護の一角を担うものとして認知されていた。
「私が此処にいる限り、誰にも無用の血は流させない。主も必ず守り切る」
「ああ、頼りにしている。ま、体調を崩さない程度にな」
念を押す長谷部に苦笑したところで、面影の耳に誰かが呼ぶ声が聞こえてきた。
自分ではないが、長谷部の名を呼ぶのは………視線を向けた先の廊下に佇んでいる日向正宗だった。
単にそこを歩いていて自分達を見つけたから挨拶を、という訳ではなく、明らかな目的を持って長谷部の事を呼んでいる様だ。
少しだけその様子に焦りが見えるのは何故だろうか……?
「日向、どうした?」
大声で日向に問うた長谷部に、向こうも声を張って返してくる。
「遠征先の三日月さんから緊急で連絡が入っています! ちょっと予定外の事情が生じたという事で、現在主と対応を協議しています! 長谷部さんにも参加してほしいと主が執務室でお待ちです!」
「何?」
「っ!?」
呼ばれた長谷部本人よりも寧ろ面影の方が過剰な反応を示し、その肩がびくりと小さく跳ねた。
「……三日月…?」
思わず呟いてしまう程に狼狽している面影の隣で、申し訳なさそうに長谷部が詫びた。
「すまん、面影。行かなければならん」
「あ、ああ、大丈夫だ、もう納屋もすぐそこだしな」
一度は預けた農具を再び受け取りながら、面影は努めて冷静に対応した。
主が呼んでいるとなれば、何があっても最優先に駆けつけなければならないだろう、雑用などにかまけている暇はない。
本心では、自分も農具など放り出して長谷部と同行したかったのだが、それは許されない事は理解していた。
予定外のトラブルが原因で主は長谷部だけを呼んだのだ、他の者の同行はおそらくは拒否されるだろう。
よくある話だ。
こういう予定外の事象の中には、多数の者には知られたくない、知らせるべきではない事項が含まれている事が多々ある。
その中で何を伏せておくべきか、何を開示するべきか……主が長谷部を呼び、協議しているのはそういう事なのかもしれない。
無論、何も伏せておく必要がなかった、という場合もある。
出来れば、そういう類のものであってほしいと面影は心から願った。
「結論から先に言えば、俺達の本丸の一行には何ら問題は起こっていない」
「………」
主との協議を終えた長谷部が、夕餉の席に勢揃いした留守居組の前で真っ先に宣言した。
一番欲しかった情報を与えられたことで、一気に安堵した表情を浮かべた面々の中、鯰尾が実に自然な動きで目の前にあった鳥の唐揚げを一欠片摘んでぱくりと口に入れる。
あまりにも自然過ぎて全員がそれを黙して見守り、はっと我に返った一期一振が慌てて嗜めた。
「鯰尾っ!! 『いただきます』の前になんですっ!?」
「ご、ごめんっ!! 安心して思わず食べる方に集中しちゃった!!」
鯰尾本人もどうやら無意識のままに行動した様で、自身の行為に吃驚した様子だった。
「こほん…………まぁ、気持ちは分からんでもないが…続けるぞ」
話の腰を折られそうになった長谷部が無駄に咳払いをして注意を向けさせ、改めて今回の事態について説明を始めた。
「繰り返すが、俺達の本丸側の遠征組には一切の損害は生じていない。皆、問題なく移動を行えていた…が、その道中で、他の本丸の遠征組と遡行軍の交戦に出会してしまったらしい。」
「……あの区域には特に他所の本丸はなかったと記憶しているが?」
「これは事故だ。ほんの僅かな時間差で生じてしまった不幸な事故と言える」
長谷部の説明によると、その近辺には確かに最近まで本丸は存在していなかった…が、実は新参の審神者がほんの数日前にその場に本丸を構えたという。
新参という事もあり、当然、まだ手持ちの刀剣男士達の数は心許ない程度。
それでも任務を全うすべく、少ない中で遠征組を組み、彼らは先ずは近場からという当然のロジックに従い出向したのだ。
ところが。
不幸なことにそこで彼らはかなりの数の遡行軍と鉢合わせの形で遭遇し、当然、戦闘状態となった。
遡行軍の狙いがこちらの本丸の遠征組壊滅だったのか、それとも未熟者の新規の審神者の本丸を落とそうとしていたのかは不明である。
彼らの間に有意義な会話は何一つなされず、ただだた、敵を屠る為だけの血戦のみが繰り広げられたという。
その騒ぎに気づいたこちらの一行が、無論同じ陣営の者達を見捨てる訳もなく乱入という形で割って入ったものだから、それはもう凄まじい現場だったらしい。
新人審神者の管轄の刀剣男士達は少なからず手傷を負っていたものの、不幸中の幸い、こちら側の一行の救援を受け、刀解までには至らなかったという。
それでも自力で帰還するには厳しいという事で、本来の予定からは大幅に外れる形にはなったものの、皆で援護しながら彼らを元の本丸へと連れて行ったのだ。
三日月から主への連絡が入ったのはその騒動にひとまずの片がついた後。
当該の本丸から、向こうの審神者と共に通信映像に映った三日月が、相手の詫びと共に事後報告を行ったという事だ。
この状況下で三日月を責める事が出来る者などこの世にはいないだろう。
『飛んで火に入る夏の虫、というやつだな。周囲の遡行軍は粗方、昼の戦闘で屠ったと思うが油断は出来ぬ。此処の本丸の刀剣男士達が全員手入れ部屋を出るまでは俺達が逗留して警護を行いたいと思うのだが、主の見解としてはどうか?』
短い事後報告だったが、そこにはこちらの隠れた意図が多分に含まれていた。
つまり、偶然だったとはいえ、自分達が相対し戦う筈の敵をこの新本丸の者達が囮のように誘い出してくれたのだ。
お陰でこちらが探す手間も省け、あちらがこの若鳥達に注意を逸らしている間の隙を突き、殲滅させるにまで至った。
これらの経過を考えると、彼らが体勢を立て直せる明日まで自分達が保護するのは至極妥当と言えるだろう。
向こうもこちらの助力で本丸を落とさずに済んで感謝してくれている様だし、win-winの関係である。
主が下した決断は、無論『是』であった。
『少々前倒しにはなったが、明日には皆、遠征から帰還するだろう』
長谷部の宣言でやや空気が柔らかくなった中、皆が良かった良かったと喜びながら夕餉を取り、本丸の夜は静かに穏やかに更けていった。
「………………」
明日には…皆帰ってくるのか………三日月も………
沐浴も済ませて後は寝るだけとなった面影は、久し振りに心の琴線が緩んだ状態で布団の中に潜り込んでいた。
昨日までは遠征組の事が気になってあまり眠れなかったのだが、今日のあの連絡を聞けたタイミングで不寝番を外されているとは、これもまたなかなかの偶然かもしれない。
(不寝番を続けてやっていたから、直ぐに熟睡出来るかと思っていたが……)
てっきり泥の様に眠れるかと思ったのに、存外、気分は自分が考えている以上に高揚しているのか…?
まんじりとも出来ない自分の状態に、面影本人が一番驚いていた。
疲労が過ぎると寧ろ心身は過剰な興奮状態になる事もあるが……今がそうなのだろうか?
いや、違う、と即座に心中で否定する。
こんなに眠気が遠慮して寄って来ないのは、自分が彼の者の事を鮮烈に思い出してしまったからだ。
本丸の中では他の刀剣男士達と共に朗らかな笑顔を浮かべて過ごし、戦場では本体を握り締めながら先陣切って遡行軍の中へと切り込んでいく。
自分も相当だが、あの男にも危険な二面性があるのかもしれない、と感じる事もある。
それは、人の目につく場面でもそうだし……二人以外は決して知る事のない閨の中でも……
「………はぁ」
何気なく吐き出した吐息に、自分でも意識していなかった『熱』と『艶』を感じ取り、思わず掌で口を塞ぐ。
今の吐息は……まるで『あの時』のそれの様だ……
(だめ…だ………意識したら…)
こうならない様に、ずっと不寝番を引き受けていたのに……!
(三日月…………)
眠ろうと思ってきつく目を閉じた…が、浮かんでくるのはあの男の後ろ姿……
その姿がゆっくりと振り返り、穏やかな打ち除けを称えた双眸がこちらを捉える。
優しい………ただただ優しい笑顔だった。
『おいで、面影』
「……っ!!」
どうかしている…!
勝手に自分の中で創り上げた創造の相手がただ呼びかけただけなのに、どうしてそれだけでこんなに……!?
自分以外誰もいない寝所の中で、面影がばふっと掛け布団を頭から被って全身を隠すと、その狭い空間の中でもだもだと身悶えする。
(ああもう…!! 折角これまで我慢…というか、思い出さないようにしてたのに…!)
姿を思い出すと、今度は彼の優しい声までもが聞こえてくる様な……
『面影』
(夜に寝ずの番をして、昼に座位で仮眠を取っていたから、余計な煩悩なんか抱かずに済んでたのに……)
『面影?』
(今も幻聴まで聞こえるようになってきたって…もう末期だぞ!?)
『面影!』
「うわっ!?」
幻聴だと思っていた三日月の声が、はっきりと布団の向こうから聞こえてきて、思わず面影が飛び起きる。
跳ね上げた布団の向こう側には……幻覚ではない、しかし実体でもない三日月宗近の姿が確かにあった。
しかもその姿はいつもの狩衣仕様の戦闘服ではない、此処で纏う藍の軽装姿でもない、春の空の様に爽やかな色合いの薄花色の軽装、浴衣姿だった。
「………」
あまりに珍しい、しかし優美な出立ちに面影の口からほうと溜息が溢れる。
これは現実か…? いつもと違う彼の姿が見たいという自分の都合の良い夢なのではないか…?
「……え? みかづ、き…?」
夢でも幻でもない…けど、彼が今ここに存在している訳でもない。
その姿は確かに本人のそれだと理解は出来るが、立体感に欠けている。
この光景…自分は見たことがある。
「……影見の術?」
『うむ』
付喪神である刀剣男士達の中でも神格が高い者は、人智を越える術を扱う事が出来る、今の三日月の様に。
面影が呟いたのは、現世で人が目にするテレビ電話と同じく、遠方の者と姿を確認しながら言葉を交わす事が出来る術だ。
こうして平時に扱われる事もあるが、この術が専ら重宝されるのは戦場に於いての自軍との緊急時のやり取りだった。
情報の伝達を担うのはその本丸に配属されたこんのすけ達だが、彼らが手に負えない、間に合わない危急の事態の時もあるので、そういう時にはより一層、刀剣男士達のこういう能力が光る。
過去、幾度か三日月と共に戦線に立った事がある面影だからこそ、この術についての知識があったのだった。
立位で軽装であったものの、きちりとした姿勢を保っている相手の前で横になるなど落ち着ける訳もなく、慌てて飛び起きて面影が布団の上で跪坐を取る。
「…話は、長谷部からも聞いた。大変だったみたいだな。しかし、その姿は…?」
『うん。あちらの本丸に滞在を許された際にな、いつまでも狩衣では落ち着かぬだろうとこれを着て寛ぐ様に心遣いを頂いたのだ。薄花色とはなかなか粋な偶然だな』
薄花色とは平安時代からの色名……しかもその由来は月草の花の汁で摺染をしたことに因んでいるという。
確かに、彼という月の麗人が纏うに相応しい色合いだ。
「……似合っている、とても」
相手の耳にも届く様な声量で素直な感想がぽろりと口から零れ落ちたが、それにすら気付かない様子で面影が三日月を見上げた。
身内からならともかくとして、ここまで直接的に賛美の言葉を受けることは一般の人間ではなかなか無いかもしれない。
しかし三日月宗近はこれまで一千年以上、あらゆる人々から同等、いやそれ以上の賛美を受けてきている。
そんな褒め言葉など聞き飽きている筈なのだが、面影の言葉を聞いた男は少しだけ目を見開くと、心底嬉しそうに目尻を下げた。
心を寄せた相手から褒められるというのは、三日月にとっても特別なことの様だ。
『ふむ、お前に褒められるというのは殊の外嬉しいものだな。そちらに帰ったら、この色の浴衣も仕立ててもらおうか』
「そ、そうか?……わ、悪くない、と思う」
もしこういう二次元的な画像ではなく実物で今の彼の出立ちを見てしまったら、自分が平静を装えるのか少し心配になった面影は吃りながらもそう答え、話題を変えるべく続けて疑問に思った事を問いかけた。
「…わざわざ術を使ってまで連絡を取るとは、何かあったのか? もし重要な案件であれば直接主か長谷部にでも伝えた方が良いのでは?」
『いや、特に用は無い』
「?」
『…お前に会えなくなって暫く経つのでな、どうしているのかと思ったら我慢できなくなったのだ』
「!?」
『近侍としての建前もあるのでな、他の者には内緒だぞ?』
悪戯っぽく人差し指を唇の前に立てて笑うお茶目な男に、面影は返事を返す事が出来ずに俯き押し黙る。
自分の顔を見たい為だけに、わざわざ神力を使って術を発動させたのか……
しかし確かに、そんな個人的な事情の為にこんのすけや審神者の力を頼る訳にはいかないだろう。
(この男は本当に……こんな時にそんな事を言われたら、堪らなくなるだろう…!?)
顔が熱を持ってくるのを感じ、動悸が速まってきたのも分かる。
先程の布団の中で自覚した身体の疼きが、またぶり返されてくるのを感じて、若者の身体がぶるっと小さく身震いする。
そんな微かな相手の反応を見抜いた三日月が、くすりと笑いその場に屈み、跪坐を取る相手の耳に唇が近付くようにする。
『…お前を抱きたくて仕方ない』
「あ…っ」
何処にも触れられていない、唯、声だけを耳元で聞かされた、囁かれただけ。
それなのに…まるでその行為が始まる時の様に、肩を抱かれて優しく拘束されたかの様な錯覚を覚えて面影はまたも身を震わせた。
(嘘だ……声だけで、こんなに感じてしまうなんて…)
自分はここまで淫らな、浅ましい男だっただろうか…?
否定の言い訳を頭で考えようとしても、脇から更に紡がれる相手の言葉でそれは悉く砕かれていく。
『お前の唇を吸い、肌に触れ、奥の熱を感じたい……思うだけで、身体が昂ってしまう…なぁ、お前はどうだ…?』
「そっ、そんな事を、そんな声で言うな…ぁ!」
触れられていないのに、耳からもう犯されている様な気すらする……!
更に身体が反応を示してしまいそうになり思わず面影はより深く俯き自身を抱き締めながら訴えたが、その対応は三日月に対して何より彼の…彼の身体の『答え』を示していた。
『面影…こちらを向いて』
誘う様な声に抗おうとするも結局屈服し、そろりと顔を上に向けると、いつの間にか映像が直近まで近づいていたのか、三日月の顔が直前にあった。
「う…」
『なぁ面影……お前も俺を求めてくれていたか? 欲しいと思ってくれていたか?』
「それは……」
羞恥は相手への返答を拒んだが、偽りの言葉はどうしても口には出せなかった。
心から慕っている相手には、嘘偽りを述べる事は出来ない。
そして、その結果導き出された返事の方法は………
「………」
無言のまま、しかしこくりと相手にも分かる様に頷く事だった。
答えを示したという事は、つまり自分の中の肉欲を相手に隠さず曝け出したという事で、面影は俯けていた顔が燃える様に熱くなるのを嫌でも感じてしまっていた。
分かっている、もう幾度も相手と身体を重ねた事があるのだから、今更こんな事で恥じらう必要はないのではないかと。
それでも、どうしても堂々と出来る程に肝は据わっていないのだ…戦闘時はともかく、少なくともこういう状況に於いては。
せめて、この顔の火照りがもう少しだけ治まるまでは顔を上げろなんて言わないでほしい……と面影が心中で必死に念じていると……
『……見せてくれ』
「え…!!?」
予想もしていなかったあちらからの要望に、羞恥も一瞬頭の外に吹き飛んだ面影が思わず顔をがばりと上げると、至極真面目な表情の三日月と目が合った。
「…………」
聞き間違い…ではない………しかも、相手のからかいや冗談ではない……本気も本気の様だ。
「え……え……?」
どうやら自分の想像を遥かに超えた発言をされると、感情というものはその働きを止めてしまうらしい。
今の自分を色で表すと、灰の様に真っ白なのではないか…と、現実逃避の様な考え事をしている間に、更に三日月からの要求が囁かれる。
『お前が俺の目の前で俺を求めて乱れる姿が見たい……その身体を慰める姿が…』
「そそそ…そんな恥ずかしい事、出来る訳がない、だろうっ!!」
『恥ずかしい?』
「当たり前だっ…! お、お前の前で、なんてそんな……」
『では一緒に……というのは、どうだ?』
「は?」
また素っ頓狂な返事を返してしまった…と内心考えてしまう程度には、順応出来る様になっているのだろうか…?
再びの現実逃避から戻ってくるのは二度目は流石に早かった。
「い…っしょ?」
『一人だと恥ずかしいと言うなら、お互いに見せ合えば良いだろう』
「良いわけあるかっ! そんな冗談は…」
何をどう解釈したらそういう結論になるんだ!と全力で否定しようとした面影の前で、三日月が大きく動いた。
それまでは跪坐をとっていた自分の目線に合わせるべく屈んでいた相手がすっくと立ち上がったのだ。
その動きに釣られる様に、面影の目線も相手の表情を追う様に上へと移動する。
離れていく相手の顔には変わらず薄い笑みが刻まれたままだったが、その唇から今の発言が戯れだったという言葉は一向に放たれる様子がない。
それどころか……
『…冗談……だと思うか?』
「……っ」
そろりと面影の頭の高さの位置で何かが揺れるのが見えて、反射的に目がそちらへと動いた瞬間、その瞳が最大まで見開かれた。
(うそ……っ)
軽装の衽の隙間を割るように細い指先を潜り込ませてはらりと捲り、その奥から三日月の楔が顔を出したのだ。
しかもくたリと大人しい状態ではなく、指を添えられていても既に自立が出来ていると分かる程の逞しさを顕示している。
「あ………っ」
思わず声を上げてしまった…ところで、慌てて口を手で塞いだが時既に遅し。
しっかりと聞かれてしまったらしく、おず…と目線を申し訳なさげに上へ向けると、我が意を得たりとばかりに唇を歪めた三日月の顔があった。
嗚呼、悔しい……こんなに意地悪な笑顔を浮かべているのに、それですら瞳を奪われる程に美しくて言葉を封じられてしまう。
……いや、違う、言葉を封じられたのではなく、相手の態度を責める言葉など持てよう筈がないのだ。
こちらも、そもそも相手がこうして会いに来る前に何をしようとしていた?
一人、誰にも知られぬまま布団の中で彼の事を想いながら淫蕩に耽ろうと思っていたのではなかったか?
だからこそ、今の彼の行動に対してあんな声を上げてしまったのだ……驚きだけではない、雄を見つけて悦ぶ様な艶に塗れた声。
術を介していたとしても、その声の艶はきっと彼には伝わってしまっているだろう。
『…ほら…見えるか? 面影よ…』
まるで誘う様に、見せつける様に、三日月の人差し指の指先がゆっくりと己の雄の上部を茎に沿って根元から先端に向かってなぞり、先端に至ると再び根元へと戻っていく……
その動きに視線を縫い留められ、逸らすことが出来ない面影の耳に、爛れた熱を含む男の声がするりと忍び込んで来る。
『お前を想うだけで、俺はこの様だ……元は鋼の身を持ちながら、心は灼熱の炎に炙られた様に蕩けて身体の抑えがまるで効かぬ』
「だ、だめ………見せないで………」
勝手に胸の奥が早鐘を打ち始め、血潮が全身を勢い良く巡り始めた事を自覚し、面影は希いながら両手を伸ばして己の股間を強く押し隠した。
そうしながら瞳も固く閉じたが、直接見なくても、触れる己の雄の証がしっかりと熱く育ちつつあるのが掌越しに分かってしまう。
理由は既に明らかだ。
(だって……し、仕方ない……ずっと、欲しいと思ってたところに……あんな、立派なの……を、間近で見せつけられてしまったら…………)
『面影』
一度は閉じた瞳が勝手に開く………三日月の言葉に抗う事も出来ずに。
『……まだ、恥ずかしいか?』
「う……そ、れは……」
恥ずかしいのは変わりない……が、相手が既に己の劣情を晒しており、こちらの身体もそれに呼応してしまっているので今更清純ぶった言い訳が通らない事も分かっている。
それでも、まだ思い切りがつかないまま俯いたままでいると、少し上から三日月の声が降ってきた。
『ふむ………では少々強引だが、俺の目を見よ、面影』
「?」
さり気無い、特に抵抗する必要性も感じない指示だったので面影は疑いもなく相手を見上げる…と、その三日月の打ち除けが蒼白に輝き、若者はその不思議な力に吸い寄せられてしまった。
(目が………逸らせない……?)
『そう……そのまま動かぬように…』
視線を固定されてしまった様に動かせなくなり、動揺する中で続け様に三日月の指示……いや、命令が降りてきた。
「え……?」
『お前の身体の自由を少々奪った。これよりお前は俺の言うがまま、為すがままの人型だ。ふむ………折角なら趣向を凝らして…』
すぅと三日月の瞳が眇められ、彼は楽しそうに面影に新たなを下す。
『そうだな、これより俺の事は『ご主人様』と呼ぶがいい。お前は俺の愛しい僕(しもべ)だ………であれば、お前は俺の命に従わねばならん…良いな?』
「!?………それは……!」
『口答えは許さぬぞ? 良・い・な?』
「っ!」
輝きが一際強まり、それを見た面影の身が相手の美しさに竦んでしまう。
動けない………
三日月の言葉の通り、それ以上の言葉が継げなくなってしまった面影が心の中で冷汗をかく。
(え……何か、術を掛けられた……? な、なら、まさか………これからは三日月の言うがまま……?)
心の不安は、あからさまに若者の表情にも表れていた様だ。
『察した様だな…その通り、これよりお前は俺の言うがままに振る舞う事になる。例えお前が望まぬ事であってもな』
嫌な予感を言い当てられ、ぞくっと戦慄が背中を走り抜けるのを自覚する一方で、心の奥でもう一人の自分が安堵の息をついているのを確実に聞く。
嗚呼、良かった、それならば……全てを『命令』の所為にしてしまえば良いのだと。
どんなに恥ずかしい行為をしたとしても、それは三日月が望んだから……自分は彼にそうさせられただけなのだと。
或る意味、逃げ道を相手によって作られたという事になったのか……無論、それをわざわざ相手に知らしめる必要もない。
自身の狡賢さに少しだけ心を痛めはしたが………最初に仕掛けたのは三日月なのだ、この程度の黙秘は許される……筈だ。
しかし、黙秘したからといって向こうが手心を加えてくれる筈もない。
『では、先ずはその袂を開いてみせよ』
早速、三日月から次の指示が下りてくる。
「!?」
『主人の俺ばかりこの様な姿を晒したままという訳にもいかぬだろう……さぁ』
見せてみよ……己の偽り無い欲望を……
「……っ」
いつの間にか三日月の瞳に宿っていた蒼白の光は失せていたが、その眼力は聊かも弱まる事はなく面影を真っ直ぐに見つめ、それをまともに受けてしまった若者は気付いた時には自ら袂に手をかけ、ぐっと強く下へと引き下ろしていた。
ひやりとした空気が肌に触れ、少しだけ頭の中の靄が晴れた様な気がしたが、だからと言って今の状況に何か変化が起こる訳もない。
いや、寧ろ意識がはっきりした事で、自らが犯そうとしている端ない行いを再度認識してしまったのは、面影にとっては不幸だったかもしれない。
『ああ………お前の肌は本当に、絹の様に滑らかで美しい………おや、今宵は胸の蕾も随分と大きく綻んでいる様だな?』
「い、や……やだ……そんなこと、言わないで…」
子供がむずかるように首を左右に振りながら、面影は目を潤ませ訴えたが、生憎その艶めかしい姿は男の欲望を煽動するのみだった。
それに、若者の潤んだ瞳に拒絶よりも寧ろ昏い悦びがある事を見抜いていた三日月は、当然その心に沿う言葉を続ける。
『もう隠し立て出来る事でもなかろう…? ほら、先ずは胸からお前の好きな様に戯れると良い…お前の乱れる姿を、俺も望んでいるのだぞ』
「あ……あ……」
一度ははっきりとした意識がまた朦朧としてくるのは、奥から湧き出る熱の所為なのだろうか…?
夢を見ている様な胡乱な表情で、面影は三日月を見つめる。
彼は今も変わらず自分より遥かに堂々とした出で立ちで、衽を割ったまま己の楔を晒して指遊びの様子を見せつけている。
細くしなやかな指先が、雄々しい肉刀の表面を思わせぶりになぞり、時折指先で先端の窪みをからかい遊ぶ様を見ていると、自身の身体の全性感帯までもがそうされたように疼き出してくる。
(ああ………気持ち、良さそう………)
本当は自分もすぐにでも己の楔に手を伸ばし、思うままに扱き上げて快感を追いかけたい……
衽を割って、もう一人の自分を晒して、彼に見つめられながら高みを目指す浅ましい行為…けれど、間違いなくこの心が求めている刺激…快感はどんなものだろう……?
知りたい………ああ、けれど………
どきどきと激しく打ち鳴らされる動悸を胸に感じながら、面影はそっと手を動かす…が、それが先ず触れたのは楔ではなく、両の胸の蕾だった。
いきなり肉棒に触れるではなく胸へと指を伸ばしたのは、無論、三日月からの指示がそうであったこともあるのだが、面影の中でこの『儀式』が、『そういうもの』だったからだ。
いつもいつも、三日月と交わる時にはゆっくりじっくりと身体を弄られ、焦らされ、そして最後に熱の源に悪戯を施されていた……その記憶が脳髄まで刻み込まれている。
その一方でもしかしたら、いきなり身体の中央の快楽を貪るのが勿体無いという浅ましい気持ちもあったのかもしれない。
「んっ……ん……」
三日月の視線を受けながら両手の指先を使って優しく摘み上げた二つの蕾は、既に質量を増しており、予想以上にしっとりと湿った感触と固い弾力を返してきた。
同時に脳天まで響く快感の波を受け、思わず両肩をびくっと震わせて面影が艶やかに喘ぐ。
「あ……あぁっ……」
違う………これまで一人で慰めていた時とは、まるで快感が違う……
一人の時より遥かに感度が増しており、反応する肉体の震えが止まらない……そしてその快楽に呼応して呼び起こされる肉欲も、一層強く深いものへと変化を遂げている………
(どうして………っ)
その疑問は、彼が前を見た時にすぐに氷解した。
目の前で己を見下ろしている三日月の視線……それが求める答え。
自らの目前に肉楔を晒しながら、上からこちらを見つめてくる三日月の視線に貫かれている事実を認める行為が、この身体を見えない焔で炙っている。
恥ずかしい行為をしているのは承知の上だが、それもお互い様だという様に三日月の瞳には侮蔑の色は一切なく、寧ろ悦びと期待の色が明らかだった。
もっと見せろ…と。
その声なき声に応える様に、面影の心にも彼の奥底に息づく本音が漏れ出してきた。
もっと見たい…と。
この身が相手を求めて疼き悶える様に、彼にももっと自分を欲しがってほしい………その姿が見たい。
ほら…その目が捉えているこの身体はこんなに熱く淫らに踊っている……だからもっと見て……その美しく残酷な瞳で視姦(おか)してほしい……
「みか………あ……」
いつもの様に名を呼ぶ筈が、面影は勝手に口が閉ざされるのを認め…己に課された命令を思い出した。
「ご……主人…さま……」
これまで三日月の事を常に尊敬し、刀剣男士としての立場からも卑屈になる事無く切磋琢磨し、同等の立場になれる様に努力していた若者の心意気は決して嘘偽りではない。
それを考えると、こういう呼び方を強要されるのは若者にとっては屈辱にも等しい筈だったのに、今、果たして実際に呼んでみると、不思議な程に怒りも何も湧いてこなかった。
それどころか………
「あ……ご主人様……」
まるでもう一人の別人の面影が表に出て来た様に、すんなりと相手をそう呼びながら面影はぐいと膝立ちをして相手の虚像に向かって伸び上がる。
実際、面影はこの時、何を考えているのか、何を求めているのか、自分でも分かっていなかった。
彼を衝き動かしていたのは、本能に寄り添う欲望だけであり、そこに理性は介在していなかったのではないだろうか……
そう、今の面影は『刀剣男士』ではなく、相手をひたすらに恋い慕う只の『男』だった。
「はぁ……はぁ…っ……あ、は…っ…」
自らが吐き出す熱い吐息にすら当てられて、煽られて、面影は真っすぐに自らの目線の少し上に見える相手の雄を見つめ、ゆっくりと顔をそちらへと寄せ……
「っん……」
ぴちゃ……っ
『っ…!!』
三日月が目を剝く中、面影は術によって生み出された相手の虚像を映す平面に唇を寄せ、舌先で男の先端に当たる部分を舐め上げた。
無論、虚像越しの行為であり、実物はその場には存在しない。
舌先に感じたのは相手のまろみと淫熱ではなく、乾いた無味無臭の冷えた感触のみだったが、それでも面影はその行為を続けた。
幾度も幾度も、その昂ぶりを解放する様に……
「ん……あぁ…っ……ご主人様……かけて…っ…」
目の前に見えているのにその場には無いもの……それでも欲しくて欲しくて仕方ないものを希求する様に舌を伸ばし、虚像の先端を舐め上げながら胸の二つの淡い色の突起を弄り続ける若者の姿は、三日月の情欲の炎に間違いなく油を注いだ。
戯れに小さな飼い猫の様な立場を与えてほんの少し煽ってやろうと思っていたのに、この上ない淫らな姿で煽り返される事になるとは……
『お前は…本当に、俺を煽るのが上手いな……』
くっとくぐもった笑みを零すと、仕切り直す様に熱い吐息を小さく吐き出し、面影に命じた。
『直に浴びせる事は叶わぬが、せめてお前を穢す事を思いながら放とう……お前はそのまま俺に奉仕し、胸だけで達ってみせよ……』
「あ…っ…だめ、まだ……待って…まっ…て…!」
初々しい桃色に彩られていた二つの蕾は、くりくりと指先で弄ばれ、今は更に鮮やかに色づき大きく膨らみ、敏感になっていた。
三日月に開発された身体はもう乳首だけでも達ける様になっていたが、今、その絶頂に至るにはもう暫しの猶予が必要だと身体の声を聞いた面影に焦りが生じる。
達くのはもう決まった道だが、その時は愛しい男と一緒に迎えたい。
早く……早く………!
より早くそこへと至る為に、指の動きを速めながら、うっすらと薄目を開けて三日月の雄を見上げる。
自らの舌を幾度となく差し出していながら、その唾液を塗り付ける事は叶わず、しかし相手の先走りが先端からとろりと溢れて雫を形作っている様を見て、ぞくんと背筋が震えた。
くちゃっ……くちゃっ……
聞こえる…彼の腕が勢い良く動く度に、扱かれる肉刀から響く水音…
見える…あの刀の先端の窪みがぱくぱくと開閉し、淫液を滲ませる様…
嗚呼、嗚呼……昂っていく……ぞくぞくと……
「ん……あ…っ……」
もう少し…もう少しで……
「あぁ……ご、しゅじん…さま……わた、し……は…もうっ……」
薄く開かれた瞳にじわりと歓喜の涙が滲み、それが相手の輪郭をぼやけさせる。
三日月の姿が完全に滲んで原型が留められなくなる間際、彼の唇がにぃと、真の三日月の如く歪んだ様に見えた。
「…っ…」
『そら、俺に飢えながら達け…!』
促しながら、一際強く自らのものを扱き、その先端をしっかりと面影の美しい顔へと向ける。
(あっあっ……射精るっ、射精てくる…っ)
同じ刀剣男士…同じ男の肉体を受肉した者故に理解できる、生理現象……そして幾度も肌を重ねた相手であるが故に分かる肉体の癖………
男の昂りが自ずと震え、先端の窪みが一層大きく開いた様を見て、面影もまたその視覚的な刺激に一気に肩を押された。
押されて踏み出した先には何もない……絶頂という名の奈落へと落ちるだけだ。
「あああ………っ、いっ……!」
「達く」と言いたかったのか、「好い」と言いたかったのか、それを明らかにする前に面影本人はあっさりと快楽の腕に捕えられてしまった。
「〜〜〜〜っ!!」
びくっびくっと上体を逸らしながら小刻みに痙攣を繰り返し、絶頂に至った事を示す身体は、うっすらと汗に濡れて淫靡な色を放つ。
そしてその色にまた新たな色を加えようという様に、三日月の楔から白濁の奔流が勢い良く吹き出した。
しかし………
ぴしゃっ……ぴしゃ……っ
その色は面影に直に加えられる事なく、敢えなく現実という名の境に阻まれた。
男の精の洗礼は若者の麗しい顔に届く前に、互いの姿を映し結ぶ平面に打ち当てられ、飛沫を散らす。
しかし直には肌に触れずとも、二人を分つ透明な面に付着しとろりと下へと流れ落ちる精は、三日月から見るとまるで面影の顔を穢し、濡らしている様に見えていた。
(これは…………なかなか好いな……)
ある意味倒錯的な光景に三日月が満足そうに微笑んでいる一方で、面影は内心では望んでいても得られなかった精の熱を思い、落胆に肩を揺らしていた。
(あぁ………どうして……っ)
理由は十分に分かっている筈なのに、そう思わずにはいられない。
かけてほしかった……熱い肉欲の証で穢してほしかった……そしてその雄の味を確かめたかったのに…………
達したばかりなのに、心の渇望を受けて、依然身体は熱を孕んで治まってくれそうにない。
それに、絶頂には至ったが、射精を伴っていなかったので、こちらの雄の衝動はまだ中央で燻っていた。
「くぅ…………ん…っ」
両膝を付いて相手に対峙したまま、声を殺しつつ腰を揺らす若者は、それがどれだけ相手の劣情を誘うか分かっているのだろうか?
もじもじと内腿を擦り合わせ、無意識に手をその中心に持っていく様子は明らかに其処に刺激を求めていた。
解放を求めながら、それを目の前の自分に晒すのは恥ずかしいと耐えている若者の姿に、三日月が可笑しそうに笑って声を掛ける。
勿論、若者をそのままの姿で放置するつもりなど微塵もないのだから……
『面影……手を離せ』
「っ…!」
久し振りに聞いた『ご主人様』からの命令に、身体が即座に反応し、手が動いてしまう。
『膝も開いて……おお、良い子だなぁ』
手を離した側から命じられた内容にも素直に従い、面影は合わせていた膝頭を大きく分つ形で太腿同士を開いた。
『ご主人様』からの褒め言葉に素直に喜んでしまっているもう一人の自分を心に感じながら、その喜びの傍で面影は羞恥に震える。
(あ……あっ……こんな格好……ばれちゃ、う……)
きっと相手がその様に命じたのは、自分のこの状態を見たかったからなのだろう………
思いながら、顔を朱に染めた面影も三日月が今しているだろうままに、己の両脚の付け根へと視線を向ける。
かろうじて帯で留められているものの、すっかり乱れてしまっていた浴衣の衽の最上部……その頼りない薄い布地がしっかりと下から押し上げられ、立派な屋根を象っている。
そして良く見るとその頂は、布地が「何故か」濡らされ、色味がやや濃く変わった染みを作っていた。
実は……
胸を嬲っている合間から、こっそりと面影は密かな遊びに興じていたのだ。
胸を弄っているので両手は自由にならない……その代わりに既に勃ち上がっていた雄の頭の先端を、身体を微妙に揺らす事で被さる布地に擦り付け、快感を貪っていた。
ばれない様にと、それなりに気を遣っていた筈だが………
『おやおや………粗相をしたのか?』
ばれているぞと言わんばかりに笑みを含んだ声で三日月が指摘し、対し面影は身体を小さく縮こまらせて震えた。
もう、面影の中には完全に三日月に服従するだけの別人格が確立されてしまった様だった。
醜態を晒してひたすらに恥じいるだけの面影と、粗相を優しく責められ、罰を申しつけられる可能性を畏れつつもひそりと悦んでいる、欲情の権化の様な僕の「面影」。
どちらもが表に出てきては引っ込んでしまう様な不可思議な感覚を覚え、ぐるぐると視界が回りそうになる中で、降ってきた三日月の声が彼を現実に連れ戻してくれた。
『そのままではまた汚してしまうなぁ………中の「お前」も息苦しかろう、捲って楽にせよ』
現実に連れ戻してくれた代わりに、また頭を殴られる様な衝撃を受けてしまったが。
捲って楽になれる筈がないだろう………寧ろこれまで受けていた刺激を受けられなくなれば、より強い渇望が生まれるだけだというのに……
それに、捲るという事は、今、明らかに勃起している己の分身を相手の目前に晒す事になる訳で………
(で、でも…………みか……ご主人様、も、していたし…………お、お互い様?、みたいなもの、だし………)
最早、思考の自由が許されている筈の心の中ですら『ご主人様』呼びを遵守する様になってしまった若者は、相手の命令を聞くための言い訳を考えるのに必死だった。
(そうだ、そもそも………)
思い直してみると、この遊びを持ち出したのが目の前の男である訳で、自分は相手に術の様なものを掛けられて半ば操られている様なもの………
今の自分が碌に抵抗も出来ずに彼の言うがままになっているのも、きっと…多分…その所為なのだ………そうだ。
快楽に囚われていた心が、絶頂を迎えて一瞬正気を取り戻した所為か、共に羞恥心も戻ってきたのかもしれないが………今、果たしてそれは必要だろうか……?
持っていたところで、今のこの身体を自由に出来る権利は向こうにある様なものなのだ………ならば、今のひと時、それは忘れるべきなのではないか?
それに…………愛しい男が……自分のそんな姿を求めているならば………私は…………
「は、い………」
今は従順な子猫にもなろう…………彼にもっと……可愛がってもらえる様に………
面影はそっと衽の端の布地に手を伸ばしてそれを申し訳程度に摘み、ゆっくりと外に向かって捲っていく。
覚悟は決めてもそれで全てを平静に受け止められる訳でもなく、相変わらず動悸は物凄い事になってはいたが……
(……見られて、る……)
刺すような、熱の込められた熱い視線が突き刺さってくるのが分かる………
自らの視線を下に向けているので相手とそれを交わす事は叶わなかったが、それでも相手の目の向く先は痛い程に感じられていた。
(こんな………恥ずかしいことしてるのを見られて…悦ぶなんて……)
もし目の前の存在が三日月とは別の誰かだったら、何かを言う前に聞く前に、自ら腹を割いていただろう。
それ程の恥辱である筈なのに、三日月宗近に見つめられたら、羞恥の裏でぞくぞくと背筋を甘い悦びが駆け抜けていく。
先程も思っていた事だが、この男にだけは見せても良いと感じていた………どんな姿の自分でも………
『はは、随分と元気が有り余っている様だなぁ……俺が留守の間、大人しくし過ぎていたのではないか?』
「っ………だって…」
彼が居ない間……夜の独寝は寂しくて、不寝番を買って出ていた。
昼も内番や見回りを行う事で、余計な欲望を忘れるように仕向けていた。
それは確かにそうだった、が………見ない振りを続けて抱え込み続けた肉欲は消えた訳ではなく日々大きくなり、今日久方ぶりに彼の姿を認めた事で遂に忍耐の鎖が弾けてしまった。
「……寂し、かった……から……」
自身も驚く程に、するんと本音が声になって零れ落ちていた。
『……そうか……』
素直な言葉に三日月も何か感じ入る事があったのか、揶揄う事なくゆっくりと頷きながらその場に膝をつく。
『…俺が恋しくて、そんなになってしまったのか………?』
膝をついた男の顔が局部に間近に迫ってきた事を請け、面影の雄の興奮がいや増し、ぎゅんと内を巡る血潮も猛った様に感じられた。
「う、ん………」
優しく問いかける男の、耳を心地良くくすぐる低音………目の前でいやらしく震えて先走りを零す己の分身………
聴覚も視覚も淫らに犯され、若者の精欲までもがどんどん肥大していき、彼の口の端から涎が溢れだす。
欲しい、欲しい………彼の姿を見てから、欲望がどうしても止まらない………
「みかづき………ごしゅじんさま、に………さわって、ほし…くてっ……」
触れてほしくて、愛してほしくて、こんなにいやらしく勃ち上がって濡れてしまっている………
恥ずかしいのに、相手をこれだけ欲している事を見て貰っているのだと思うと、何故か分からない悦びと触れてほしい欲望が身を灼いてしまいそうだ。
「ん、あ………っ…あぁ……」
『…まこと、愛らしい男だ………お前の側に居れぬこと、口惜しくてならぬ……』
「あっ…」
ふぅっと息を吹きかける様な仕草をされたのを受けて、びくっと両の下肢が戦慄いたが、無論、直接息を感じる事はない。
それでもまるで本当に吐息の愛撫を受けたかの様に、面影の雄は更に悦びに涙を溢した。
「いや………もう……つら……い…」
切ない疼きに腰を揺らしながら懇願する想い人に、主人を名乗る男が優しく諭す。
『ああ、辛かろう………俺もな、お前と同じなのだ………見よ』
「…!!」
再び立ち上がった相手が見せたのは、先程、面影に向けて爆ぜたばかりの彼の楔だった。
精を放ったばかりである筈なのに、もうその事など無かった様に、再び凛々しく勃ち上がっている。
『お前の淫らな姿を見るだけで、我慢も効かずこんなになってしまった……辛いなぁ、お互いに…」
「あ………あ……」
『だから、なぁ面影よ……二人でまた慰め合わぬか…? 互いの手を互いのものと思い…共に……な…?』
「…う…ん………いっしょ、に……っ」
無情にも触れ合えないのなら、せめて三日月の案を受け入れるしかない。
理性で抑え込める様な疼きではない事も悟ってしまっている以上、面影には拒絶の選択肢は無かった。
跪坐から両膝を大きく開いた姿に崩した姿勢を保ちながら、面影は虚像の三日月が見ている前でさわりと楔に手を伸ばし、ゆっくりと扱き始める。
しかしその視線は己のものではなく、三日月のそれへと惹き付けられていた。
そして三日月もまた、同じ様に己を扱きながらも視線は相手の若者にのみ向けていた。
「は……っ……はぁ…っ……」
半ば開かれた口から艶かしい舌が覗き、その先端に唾液の滴が光っている面影の媚態は何より強く激しく三日月を欲情させた。
『本当に…………今、お前に直に触れられないとは……』
そう小さく独白しながら、三日月も面影に見せつけるように己の腰を心持ち前へと突き出しながら分身を扱く。
『ああ、だが…今の俺なら我慢出来ずにお前を抱き壊してしまったかもしれんな……』
手の中でどくどくと血潮の流れを伝えてくる凶器が、今、面影の内へと埋まる事が出来たなら、己でも制御出来たかどうか分からない……
そんな事を呟く男の言葉に、視線をその凶器に留めていた面影は首を横に振りながら訴えた。
「あっ……だめ……これ、だけじゃ………」
『うん?』
「…ま、前だけじゃ……足りない………奥にも、熱いのが欲しい……っ」
身体の欲求に完全に屈服してしまった形で面影が三日月に訴えると、微かに彼の肩が震えた様に見えた。
『………っ』
実は面影の一言で思わず達してしまいそうになったのをかろうじて耐えたが故の反応だったのだが、何とかそれを押し隠しつつ耐えた「ご主人様」は軽く息を吐き出しつつ相手を見遣る。
『はは……欲張りな奴だ……良い、ならばお前の指で慰める事を許そう……やり方は、教えただろう?』
「う、あぁ……っ」
返事もそこそこに、三日月からの許しを受けた面影は直ぐに左手を楔から離し、そのまま下の深部へと指先を伸ばした。
右手は変わらず楔への愛撫を続けており、加えて左の指が肉蕾を探り当ててつぷりと侵入を果たしたところで、あぁと若者の口から歓喜を含んだ溜息が零れた。
『どうなっている……? 俺にももっと良く見せてくれ…』
「……っ」
相手の指示に逆らうより先に、身体が素直に応じてしまう。
そうだ……これもきっと、相手の掛けた不可思議な術の所為だ……あの瞳で縛られている限り、自分は逆らえない……
それが真実なのか否か判断するのも放棄したのだろう若者は、ぐっと上体を背後に倒しながら両肢を前に投げ出し、大きく開いた。
あられもなく開かれた面影の内股はまるで何者にも穢されていない雪の様に白く滑らかで、その奥では彼の人差し指を呑み込みつつある薄紅色の菊座が、ひくひくといやらしく息づいていた。
その上では別の生き物のように同じく頭を振る肉棒が右手に握られ、透明な涙を先端から流して快感に打ち震えている。
「あ…ああぁ…ん……いい…好いぃ…っ」
ちゅく…っ つちゅ…… くちっ じゅぷ……っ……
この耳にやたら大きな音で聞こえてくる秘部からの二種類の水音は、果たしてどれ程の大きさで向こうに届いているのだろうか…?
そんな事を考えるまでには至れるのに、その音を小さくするべく指や手の動きを控える事は出来ず、寧ろ音と比例して悪戯の動きは徐々に大きくなっていく。
「うっあぁ…っ! もっと…もっとぉ…おく、ぅ…っ!」
快感は確かに感じている筈なのに、それでも満たされる事のない肉欲の衝動に呑まれ、喉を反らしながら若者が蕾を侵す指を増やしていった。
はっ…はっ…と湯気が立ちそうな程に熱く激しい吐息を零しながら、涙を、涎を、汗を……あらゆる体液を全ての穴から流して悶える身体を持て余しつつも、面影はひたすらその熱を鎮めようと行為に耽る。
「ああぁ……ほし…欲しい……ごしゅじんさまの…オ〇ン〇ン…! あぁ~~っ! やぁ、いやぁ…っ こんな、指なんかじゃなくて…っ…ごしゅじんさまの、熱い、大きいので…奥…きてぇ…!」
『愛い奴だ……だが、残念ながら今のそれは無い物ねだりというもの……聡いお前なら、指が届かぬ場所でも『好い』トコロは分かっているだろう?』
「っ!」
『可愛がってやるといい……いや、多少は激しくしてやった方が、明日までその我儘な身体も我慢してくれるかもしれんな……っ』
面影だけが淫欲に囚われて喘いでいるのかと思いきや、実は三日月の方も既に限界には近かったらしく、発言の所々で息は乱れ、紅い舌が覗いて乾いた唇を舐めていた。
『明日だ……それまでの辛抱…お前なら出来るな…? 浮気せずに良い子で待っていたら、好きなだけ奥まで突いて達かせてやろう。だから、今宵はお前の一人遊びで堪えてくれ……俺の可愛い面影よ……』
「はぁ……あん…ご主人様ぁ…っ!」
三日月の言葉に押される様に面影は三本の指を根元まで蕾に突き入れ、幾度も繰り返し抽送を繰り返しながら指の腹を下腹の方へと向けてぐりぐりと関節を曲げ始めた。
その目的は勿論、最奥ではない別の場所に潜んでいる快感をもたらす『ツボ』を探る為………
「んあぁっ…! あっ、あっ、ここ……好いぃっ!! ひうぅ…っん…!」
これまでの三日月との甘い経験で、既にその場所を把握していた面影は早々に秘密の器官を探り当て、抵抗ある感触を返してくるその場所を激しく指先で捏ね回す。
ぐりっぐりっと指の腹で秘所を虐める度に、示し合わせた様に岐立した雄の先から先走りが噴水の様に繰り返し噴き上がった。
「あ、あ…っ! ご、しゅじんさまぁ……! はやく、帰ってきてぇっ! いい、子にしてる、からぁ…っ! ごしゅじんさまのオ◯ン◯ン、ごほうびにほしいぃっ、ふああぁ…っ!!」
ずっちゅずっちゅと激しい音を指先で立てながら、飼い主の戻りを待つ猫の様に身体をくねらせて甘い声で啼いた。
『ああ、戻るとも……明日、俺に飢えたお前の身体を味わうのが楽しみだ……』
こんな野暮な境界で邪魔されていてもここまで自分を昂らせてくれるのだ、直に触れる事が出来る明日の事を考えるだけで背が震える。
男も限界の訪れをじわじわと感じている傍で、若者は自身の指達の暴走を止める事が出来ず、いや、寧ろ彼自身が暴走を止めるつもりも無かったので、快楽の雪崩の襲来をただただ待ち受けるのみだった。
「ひぃ…っん…! ああぁ、くる…来るぅうっ!! いっちゃ……っ!!」
腰が自ずから激しく痙攣し、目の奥がチカチカと激しい火花を散らす。
「んっ、んん〜〜〜っ!!」
息を詰め、声にならない声を上げながら面影が絶頂の波に呑まれる。
ぴんと両脚を限界まで突っ張らせ、代わりの様に腰を震わせ、身体の中心から一気に全身に広がる悦楽を享受しながらも、貪欲な若者の指達は止まる事なく尚も秘密を暴くように内側で踊っていた。
「あ、あんっ! あ、イク、イク、イクぅぅっ!!」
絶頂の波は一波のみでは終わらず、寧ろそれは始まりに過ぎず、続け様に二波、三波が面影を襲う。
「ひ、うっ、あああああ〜〜!!」
男性器が射精せずに達する「メスイキ」は通常の絶頂とは異なり、繰り返し迎える事が出来てその深度はどんどん深くなる。
「い、ひっ! あ、ああぁ! また、またイグッ! イイとこぐりぐりされてっ、全部見られちゃってるのに…! ああう、っもちいっ、もっともっといじめてぇ…っ! ごしゅじんさまぁぁっ!」
『…っ、名を、呼べ…』
「っ!?」
『俺ももう……お前に名を呼ばれながら達きたいのだ……さぁ、名を…』
「あっ………み、かづき…っ」
「ご主人様」呼びを命じられたのはほんの僅かな時間だった筈なのに、随分久し振りに男の名を呼べた様に感じられて、不可思議な喜びの感情が胸を満たしていった。
「みかづき、みかづきぃっ! 達って、一緒にまた、精液射精してっ!」
懇願しながら、激しく分身を扱き上げつつ前立腺も苛めてひたすら快感の極みを目指し、面影が哀願するのに併せ、三日月も肉刀を相手に向けて再び刺激し始める。
雁と茎の境目の部分を手で作った輪の中で締め付け、手首を捻ってぐっぐっと擦り上げる事で己を敢えて追い詰めていく。
そんな様を、面影は快楽に狂いながらも真っ直ぐに見ていた。
欲しいと願う気持ちは止まる事はないが、明日という期日を思って今は自身の指で耐えよう。
そんな事を思いながら、面影もまた三日月を追い掛ける様に指の動きを一気に速める。
それからは部屋の中にはどちらの声も響くことはなく、代償に彼らの熱くも淫らな吐息だけが絡み合い、互いの耳でそれらを聞いていた。
『……っ、はぁ…っ……は……』
「あ……うあぁ……っ……くぅ…ん……っ』
どれだけ彼らの艶声が二人の性欲を高めていただろう……数秒か、或いは数分か……
ふと、二人の視線が一際強く絡み合った時、互いに言葉にならぬ会話が交わされた。
三日月と面影、双眸の輝きが増した事がその『瞬間』を伝える合図だったのかもしれない。
前以て知らしめていた訳ではない…しかし、その刹那だけで彼らは互いの絶頂を察したのだ。
『く……ぅ…っ!』
「ひぅ…っ!! う、あぁぁぁぁっ!!」
どくどくっ…!! びゅっ…! びゅくっ……!!
びゅるるるっ!! びゅっ…!! どくんっ…!
三日月は二度目の絶頂だったが、それでも放たれた白濁は力強く、幾度も繰り返し天へと向かって噴き上げられていた。
もしこれが面影の肉筒の最奥に放たれていたら、若者は内側から繰り返しの熱の荒波に狂わされていただろう……
そしてその面影は、これまで放たれていなかった肉楔の奥に溜め込まれていた劣情を一気に解放した反動を身体で受け止め、脳髄まで侵される快感に襲われていた。
「~~~っ!!…っ……!!」
声を発したいのに…思い切り叫びたいのに、あまりにも襲い来る波が大き過ぎる為に、息さえ許されないままに潮に呑まれ、波間で蹂躙されるままだ。
(ああぁ…!! だめっ!! 射精す度に達っちゃっ…!! 止めたい…止めたいのにっ、勝手に射精しちゃって……っ!!! こんなの覚えちゃったら……もっ、戻れなく…!!)
止めたいという気持ちが先行し、深く思考する事も出来ずに必死に亀頭を掌で押さえるも、無論それで止められる筈もなく、楔と掌の隙間からどくどくと壊れた蛇口の様に白い精が零れ落ちてきた。
それらが掌や指を濡らしていくのを感じながら、ふっと面影の意識に翳りが生じたのを本人が自覚する。
「あ………」
自覚してからはあっという間……
最後…意識の糸がぷつりと切れる間際、手を三日月の方へと伸ばしていたかもしれない……それすら出来なかったかもしれない。
快感と、身体の脱力感、疲労感を感じながら、面影はあっけなく気を失ってしまった。
小さな小さな呻きと共に面影の瞳が再び開かれた時、既に周囲には障子越しの曙光が射しこんでいた。
「ん………」
いつもと同じ視界…天井を認識した事に続き、己の身体がいつもより重怠い感覚に浸されている事に気付いた面影は、暫く、身体の上に被せられた布団の感触を感じるのみで放心していた。
普段の自分なら、すっきりとした寝覚めと共に快活に布団から出られていたのに……?
「…………」
何故今日はそんな日常と異なっているのか…とぼんやりと霞がかかった頭で考えていた若者の瞳が、は、と一際大きく見開かれ、きょろきょろと忙しなく左右へと揺れた。
昨日……昨日の…夜……?
「…………~~~~~!!! う…っ」
徐々に思い出されてきた昨夜の痴態に、いてもたってもいられずに布団を退かして起きようとしたところで、彼は初めて自分が全裸である事に気付き、出る事を躊躇した。
(これは………つまり…)
今、頭の中に浮かんでいる昨夜の記憶…らしい光景が、やはり夢ではないということ、か…?
寒くはない筈なのに、顔面蒼白になった若者は恐る恐る見えないところで躯幹に手を這わせ、確かに皮膚に乾いた体液が付着している感触を感じ取った。
つまり……夢ではなく、紛うことない事実だったということだ。
「あ、あ……」
今更ながらにとんでもない事をしてしまった…!
起きないまま布団を頭まですっぽりと被り、ごろごろと中で転げ回る。
意識を失ってしまった後の記憶が一切ないにも関わらず布団の中に移動していたのは…せめてもの三日月の神力による心遣いなのだろう。
有難いとは思うが、情けない姿を晒して後始末までさせてしまったという醜態に嫌気がさす。
それに……自分も相手の自慰を確と見届けているのでお互い様と言えばそうなのだが、どう考えてもより激しく乱れていたのはこちらの方だった…!!
(どうしよう……)
こんな千々に乱れた心のまま、あの男を出迎えなければならないのか……いや、本心を隠し平静に振る舞う事も修練の一環と考えたら良い話の筈。
しかし、出来るのか…………?
だが、やらなければ……何故って………いい子にしていなければ……
『これより俺の事は『ご主人様』と呼ぶがいい。お前は俺の愛しい僕(しもべ)だ………』
『俺に飢えたお前の身体を味わうのが楽しみだ……』
(ご主人様…が…………って、え……?)
あまりにも自然にその呼称が頭に浮かんで、思わず硬直し、続けて頭を手で強く押さえる。
何を思った…自分は…彼のことを、何と……?
(まさか……三日月…まだ、術を解いていないのか…!?)
と言うか、あの時に失神したせいで、もしかして術の解除が出来なかった…!?
もしそうだとすれば、下手をしたら他の刀剣男士達の前でとんでもない失態を晒してしまう事になるかもしれない。
皆の前で彼の事を『ご主人様』なんて呼んでしまったら……
(まずい、まずい、まずい……そうなる前に、何とか彼と二人きりになって術を解いてもらわなければ…!)
全裸で布団の中に居た羞恥心も吹き飛んだ様子で、若者はそう心の中で固く決意する………が、その目標は思惑通りに果たされる事は無かった。
三日月を筆頭に結成された遠征組は、確かにその日の午後には無事に帰還した。
しかし………それは三日月宗近を除いての話だったのである………
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