秋は人が千々に心を揺らす季節………
街路樹の葉が鮮やかな黄金色に色付いてきた季節………
(読書の秋、勉学の秋、スポーツの秋………)
そんな事を考えながら、窓の外の景色を楽しんでいた三日月が、ふっとその視線を紙面から外して横へと向ける。
少し先には同じくリビングでくつろぎながら新聞を読んでいる面影がいた。
その若者の姿を自らの視界の中に留めると、ふ、と男の表情が柔らかく綻ぶ。
自分にとって、最も愛しく大切な存在がすぐ傍にいてくれるという喜びを噛み締める様に…
面影は、現世にて遠くない過去に出会い、ほぼ強制的に…それでも三日月が出来得る限り平和的に自宅の専属家政夫として雇い入れた若者だ。
実は三日月は、前世から面影という存在に執着している。
面影本人はもうその時の記憶は残っていないのだが、彼は前世の頃から三日月とは恋仲の関係にあり、互いが互いを大切に想い合っていた。
二人共、前世では人ではなく刀剣から顕現した付喪神という存在だったが、現世では只の人間として転生を果たし、かつては自分達が守っていた人々の中に混じり、人としての生活を送っている。
そんな人生を送る中で三日月は随分と前から面影を探し続けており、ようやく最近になって再会を果たしたのだった。
相手が前世の記憶を失っていると知った時には確かに落胆したが、それで己の相手への恋慕の情が失われる訳ではない。
千年生きて来た中で唯一執着した存在をそう易々と諦める筈もなく、彼は前世と同じ様に面影に接触し、少しずつ距離を詰め、今はほぼ同棲していると言っても過言ではない関係性だった。
出会った当初は、三日月のあまりにも過剰な優しさに面影が戸惑う事もあったのだが、接している内にそれが偽りの感情ではないという事に気付き、徐々に心を許していった。
そしてようやく最近二人は恋人という関係になったのだが、前世の記憶が失われ、且つ今世でも恋愛慣れしていない面影にはまだまだ不慣れなところも多々あったが、三日月は決して急かす事無く面影の気持ちを最優先に考えていた。
(………恋の秋、というのもあったか)
しかし自分には季節など関係ないがな……と思っているところで、不意に面影が新聞を捲ろうとしていた手を止めた。
『この秋、新しい味覚の新商品!………ーーー』
ちらっ…
「………」
沈黙している三日月の前で、新聞から視線を外した面影は男に見られているとは気づかないままテレビ画面を見つめていたが、その宣伝が終わったら、何事も無かったかの様に新聞へと視線を戻す……が、
『期間限定! 新たな味覚をこの秋、皆と……ーーー』
ちらっ…
「………」
また別バージョンの同商品の宣伝が流れると、再び面影が視線を上げてそちらへと注目する。
普段は世間の雑音にはあまり興味を示さない若者だったが、あのCMには大いに興味をそそられているらしい。
あの宣伝はこれまで三日月も幾度か見かけていたので内容については把握している。
ここ数年、この国で秋の味覚として毎年発表されては小さな騒ぎを起こしているジャンクフードだ。
しかも今年はより一層各社がしのぎを削る大激戦状態で、ネットでも何処の店の商品が美味しいのかと熱の入った論議が交わされているらしい。
(ふむ………)
面影は普段から自分と彼の食事の準備を担当しており、栄養管理もしっかりしてくれている。
そういう立場だからこそ、きっとああいうジャンクを勧めるのは気が引けてしまっている…が、内心気になって仕方ないのだろう。
(相変わらず、誤魔化すのが致命的に下手なのだなぁ………そういうところも好ましいが)
ここは一つ、こちらが水を向けてやろうか……と、三日月は面影に声を掛けた。
「面影、少し良いか? 相談がある」
「っ、う、うん?」
何だ?と平静を装ってこちらへと身体を向けて来る若者に、さも今思いついたという様に、三日月は一つの提案を出した。
「今日は何となく『ジャンク』なものを食べたい気分でな。もしお前さえ良ければ今日の料理は休んで、外で何か食べないか? そら、最近よくCMでもやってる……」
「!! い、良いのか?」
殆ど食い気味に返答を返してきた面影の姿に思わず噴き出しそうになったが、必死に肩を震わせて耐えつつ三日月が頷く。
「うむ、たまには楽をしよう。気分転換に外に出て店で食べるのも良いかもしれんな」
「……!!」
明らかに乗り気になっている面影の瞳がキラキラと輝きだす。
「勿論、俺が奢ろう。さぁ、決まったなら出掛けようか?」
「わ、分かった。直ぐに、準備するから…」
外出はほぼ決定した様なものだが、それでも気が逸ってしまうのか、面影はばたばたと急ぎ足で外出の為の準備を始める。
とは言え、せいぜい薄地の上着を羽織る程度だったので準備と言っても殆ど時間を取る事は無かったのだが。
因みに、財布に手を伸ばそうとしたところでそれは三日月に止められた。
「それぐらい、俺に払わせろ。恋人に奢るのも男の楽しみだ」
『恋人』と言われた事で、今更だが面影は照れた様子で顔を片手で隠したが、何度か深呼吸を繰り返して気を取り直し、こくんと頷く。
「……有難う…」
「………」
静かに礼を受け取り、スマートに佇んでいる様に見える男だが、その脳内には途切れる事無く己の恋人を称賛する言葉が響き渡っていた。
(どうしてこんなに可愛いかなこの男は…)
他にも愛しい、抱きたい、独り占めしたい、となかなかに強烈な言葉もあったのだが、それは無論、胸の内のみに留められた。
「さぁ、行こう」
「ああ…」
そして、三日月は相手を連れて、久しぶりの外食へと出掛けていったのである………
「どれでも好きなものを頼むといい」
「わ、わかった…」
二人が出掛けた先は、全国的に有名なジャンクフードのチェーン店だった。
先程面影が見ていたCMを出していた店でもある。
彼らが住んでいる街はそこそこ発展している地域であるためか、店の規模はそれなりに大きい。
三階建ての建物の二階と三階部分がイートインスペースであり、一階は注文とテイクアウトに使用されている。
実はテイクアウトを利用する事も考えなくはなかったが、今日は三日月の希望でイートインで食べる事になった。
「久しぶりに外でこういうのを食べるのも面白い……それに、お前と一緒ならデートの雰囲気も楽しめるしな」
さらっとした物言いだったが、言われた方はさらっと受け止められる筈もなく、メニュー表を持ったまま暫く無意味に動揺してしまったが、断る理由は無かったのでこくこくと首を縦に振って了承する形となった。
「え、ええと……」
どぎまぎする心を必死に抑えながら、面影は注文の列に並びつつメニュー表に注目して、食べる物を吟味していく。
「え、と……折角なら、こっちのダブル仕様で…あ、チーズ入りがいいかも……ナゲットも限定のフレーバーがあるならそれで…ポテトは……」
そんな恋人を、三日月が楽し気に微笑みながら見守る。
(…本当に、楽しそうな顔をするのだなぁ……)
ぶつぶつぶつ…と呟きながらメニューを構築していく若者の瞳は楽し気な色を含みながらも真剣そのものである。
「………?」
ふと自分に注がれている視線を感じてそちらへと目を向けると、優しい、見守る様にこちらを見つめてくる美丈夫の視線と交わった。
「う……っ」
「決まったか?」
にこ、と笑みを深めて尋ねてきた相手に、今まで必死に注文について悩んでいた表情を見られていた事実に気付き、頬を赤く染めながら面影は誤魔化す様に手にしていたメニュー表をがばっと相手へと突き出した。
「きっ、決まったから、次は三日月が見てくれ…!」
「おお、すまんな」
そうして素直にメニュー表を受け取った三日月はそのまま表面をなぞる様に眺めていたが、面影とはまるで異なり、表情がまるで変わらない。
(うっ……何だか…格の違いを見せつけられている様な…)
あんなに余裕のある表情で淡々と対応されると、子供の様にはしゃいで決めていた自分が恥ずかしくなってしまう。
「ご注文をどうぞ」
そんな事を考えている内に二人の順番になり、面影は先に決まった自分から注文を伝える事にした。
「あ、はい。店内でお願いします。この……」
十分悩んで決めただけあって注文時には淀みなく受け答えをし、恙無く希望の品の注文を終えるとそのまま背後の三日月に応対を引き継ぐべくそちらを振り仰いだ。
「以上でお願いします……じゃあ、三日月、注文を」
「うん」
奢ってくれるということで纏めての注文になり、面影はその場で留まって相手の注文の様子を見守る。
(そう言えば、三日月はあまり外に出ないから、こういう場所での注文とか慣れてないと思ってたけど…)
何と言うか……この男は若々しい形にも関わらず、時々、随分と老成した様な事を宣うのだ。
そして同様に世間離れしているというか、世間の常識からちょっと外れている様な反応をしている事を見た事もある。
しかし、この余裕に満ちた態度を見ると、そうでもないのか?と思っている若者の目前で、
「今の注文のやつを二セットで頼む」
(ずるいっ!!!)
思わず叫びそうになったのを、何とか心中で留めたのは我ながら偉いと思ったのは内緒の話。
余裕ぶっていたのが、実は決定権を完全にこちらへ丸投げしていたのだという事を知り、思わず眇めた視線で向こうを見つめてしまった
が、向こうも既に予想していた反応だったのか、涼やかな笑みで軽くいなされてしまった。
「何だ? 何やら不満そうだな?」
「不満と言うか………お前の生き方に一抹の不安を感じている」
たかが食事、されど食事……
自分が選択する場面で、その選択権をあっさりと他人に任せるのは如何なものだろうか……いや、本当に些細な場面なのは理解しているが。
「良かったのか? お前が食べたい味とは違うかもしれないのに…」
「なに、お前が選んだ味を俺も楽しみたくなっただけだ。選ぶ楽しみもありだが、お前の好みを知るのもまた楽しいものだぞ」
「……………」
物は言い様なのかもしれないが……本当に狡い男だ。
(…女だったらイチコロだっただろうな)
女でなくてもイチコロになりかけている事に自覚はないらしい。
「では番号でお呼びします」
スタッフに番号票を兼ねたレシートを手渡された三日月がそれを指で挟んでひらりと宙で泳がせつつ、振り返った先の面影に提案した。
「出来たら俺が持って行く。すまんが、席を探しておいてもらえるか?」
「分かった。場所を取れたらスマホに連絡を入れる」
「うむ、頼んだぞ」
二人ならそれぞれで役割分担が出来るから便利だな…と思いながら頷き、先ずは面影は二階のイートインスペースへと足を運んだ。
ぐるりと視線を巡らせると、ちらほらと一人用の椅子は空きがちらほらと認められていたが、二人席は全て埋まっている状態だったのでそのまま三階へと向かう。
幸い、二階ほどに混雑している様子はなく、此処なら二人用のテーブルもちらほらと空きがあったので、その内の一つのスペースを占拠したところで、隣のスペースの客と目が合った。
自分達のスペースと同様の二人用の椅子と小ぶりなテーブルだったが、そこに既に座っていた客は一人らしい。
自分より明らかに若い、学生風の男性だ。
カジュアルな服装に身を包んだ相手は、目を合わせた面影の優しい性根に本能的に気付いたのか、にこ、と笑って彼に話しかけてきた。
「こんにちは、あの………」
一方の三日月サイド……
「お待たせしましたー」
二人分の食事をトレーに乗せて、三日月は面影から連絡を受けた三階へと足を向けていた。
エレベーターを使う事も考えたが、表示盤を確認すると乗れるまで暫く待つだろう事と、トレーが他の乗客の邪魔になる可能性を鑑みてあっさりと足で向かう事を決め、すたすたと階段を上っていく。
面影には密かに老成している印象を抱かれている男だが、見た目と身体の動きは外見以上に闊達であり、あっという間に目的の三階へと到着する。
(ふむ………さて、面影は…)
何処に……と、きょろっと周囲を見回している三日月に、フロアにいたほぼ全ての客達の視線が集中する。
ただ上がって来ただけの客の一人に過ぎないのだが、その美貌が周囲の人々の視線を自由にする事を許さなかったのだ。
『誰…芸能人…?』
『あの人、たまにここ近辺で見た事ある……』
『凄い綺麗……声掛けてみる?』
ひそひそと小さな声も聞こえて来たが、三日月はそれらには全く注意を向ける様子はない。
彼にとって…いや、誰でもそうだろうが、意識が向かない対象はそこに無いものと同義なのだ。
今の三日月にとって己の意識の向く先は面影だけなのだから、他者の言葉は全く意味あるものとしては聞こえてこなかった。
しかしそんな三日月だったが、面影の姿を認めた瞬間、すっと相手以外の存在の声が耳に入ってきた。
『いやぁ、たまには浮気もいいと思うッスよ。毎回同じだと飽きちゃうでしょ?』
『うん……変わり映えがなければ飽きるのは、確かにそうかも』
(は?)
もし今の三日月の姿が漫画の中で表現されていたとしたら、彼の背後にはコマに収まらない程の大きさの「は」の文字がデカデカと載せられていたに違いない。
三日月が上がって来た階段から三階のフロアに入った少し先のスペースに面影はいた。
真っ直ぐに伸びた通路の脇の一番奥のスペースに、こちらに背を向ける形で面影が座っているのが見えていたので、そちらにゆっくりと歩いていた途中でそんな会話が聞こえてきたのだ。
面影が背を向ける形でいたのは、スペースには手前の椅子と奥のソファーがあり、きっと彼が自分にソファーを譲る為に敢えて手前の椅子に座ったのだろうという事が推察できた。
そんな心優しい気遣いが出来る若者が口にするにはあまりに不釣り合いな単語が聞こえて来たのだ、三日月が吃驚するのも無理からぬ事だろう。
男が近づいて来ても、向こうの二人は互いの会話に集中しているのか、気付く様子はない。
(……浮気、だと?)
まさか、と思ったが、自分の耳は間違いなくそんな二人……面影と見知らぬ男性の会話を聞き取っていて、決して聞き間違いなどではない。
元々面影は交友関係はほぼなく、仕事上の知り合いもいなかった。
それは自分と知り合ってからも変わる事は無かった筈であり、今、相手が会話している男も見た事がない。
自分達の会話が聞かれているとは思いもせず、二人は相変わらず会話に興じている。
そうこうしている間に、ふと向こうの若者が思い出した様に、自分の肩から掛けていたバッグから名刺の大きさの紙片を取り出すと気安い仕草で面影の方へと差し出した。
『良かったら俺が勤めてる店にも来て下さいよ、これ、あげますんで』
『良いのか? 有難う、近くに行った時に使わせてもらう。楽しみだ』
その光景を見た三日月の脳裏に浮かんだのは、夜のお店で働くホストの営業。
まさか面影がそんな軽々しく営業に乗る事はないと思っていたのに、当の本人は何も悩む様子はなく、寧ろ嬉々とした様子でその紙片を受け取っていた。
何かの券の様なものにも見えるし、名刺の様にも見える。
三日月の背後に、本日二度目の巨大な『は?』。
面影は決して軽率な人間ではない。
それは前世からもそうだったし、今世出会って以降、自分自身がしっかりと見てきた……筈だ。
それなのに、自分と彼が只の雇い主と家政夫の立場であった時ならまだしも、先日恋人になったばかりで、こちらを裏切る様な事を……?
まさか…と少なからず疑念と焦燥にかられた三日月が、ゆっくりと歩みを遅くしつつ二人に近寄っていくと、それに気が付かないまま向こうの若者が腰を浮かせて面影に暇を告げた。
『あ、そろそろ行かなきゃ。じゃ、いきなり声かけてすみませんっした、お兄さん』
『いや、有難う。仕事、頑張って』
『お兄さん』という呼称に留まり、名前を呼ばなかったという事は、やはりここで初めて出会った人物だというのは間違いないだろう。
若者は三日月が面影の連れだという事実にも気付いていない様子で、完食したトレーを抱えたまま彼の脇を通り過ぎ、トレー置き場へと向かって行った。
「…………」
相手の後姿を暫し見つめていた三日月が、気を取り直して…るつもりだが、あまり取り直せていない状態で面影が待っていたテーブル脇に到着すると、背を向けていた面影が彼に気付いた様にぱっと振り仰いできてにこりと笑いかけてきた。
いつもの若者の笑顔だ。
「おかえり、三日月。沢山持たせてすまなかった。場所は直ぐに分かったか?」
「うむ…」
先程まであの若者と話していたのが信じられないぐらいに屈託ない表情に、あれは自分の下らない妄想ではないか、と一瞬都合の良い考えが脳裏を過ったが、無論、自分をそこまで騙せるほど悪い意味で器用ではない。
(……いきなり問い詰めては反感を生むばかりだろうからな、少しずつ詰めていくか)
今の状態では何の確証もないし…と、三日月は気付かれない様に一つ深呼吸した後に、奥のソファーへと座った。
では先ずは…そう時間が経過していない内に訊くだけ訊いておくか。
「………何やら、隣の客と話していた様だったな」
「見ていたのか? ああ、近くの大学生らしい」
大学生…道理で随分と若く見えた訳だ。
「ほう……面白い話でも聞けたか?」
「そうだな……最近、バイトを始めたとかそういう話を」
「ふむ?」
バイトでホストなどという夜職は出来るものだろうか……?
当たり障りない話だったが、嘘をついている様には見えない。
己の観察眼には少しだけ自信がある三日月は、それを確認して少しだけ安心すると手でトレー上の品物を示して、先ずは本来の目的を果たそうと促す。
「折角来たのだ、熱いうちに頂こう」
「ああ」
三日月の提案には完全同意の様子で、面影が嬉しそうに頷き、トレー上の三日月の分を少しだけ相手方の方へと寄せてくれる。
「いただきます」
行儀よくそう言うと、いつもの彼にしては珍しくわくわくとした表情でバーガーを持ち、包みを剥がしてぱくりとかぶりつく。
期待以上の味わいだったのか、見る見る内に一層ご機嫌な表情になり、美味しそうに食を進める面影を見つめながら、三日月も同様にバーガーに歯を立てる。
「ふむ……」
いつもはこんなに味が強いものは口にしないのだが、たまに食べると確かに美味しいと感じる。
健康の事を考えて薄味で献立を考えてくれる面影の手料理も絶品だが、これはこれで良いものだな……と思いながら、三日月はそれから暫くは面影と共に無言で外食を楽しんでいた。
やがてメインのバーガーを食べきり、サイドとドリンクが残り僅かとなった辺りで、二人は小休止と言う様に一時手を止めた。
「…お前の勧めるままにこの店に来たが、確かに美味しかった。大手だからよくCMで見ていたが、他の店も似た様なメニューを出していただろう。俺には正直さっぱりだ」
「まぁ……月〇シリーズは、今はもう季節の風物詩の様なものだから……けど、店ごとに違う味を出しているみたいで、変わったところではーーー…」
「ほう」
食べるより話す方へと二人の口が集中し始めた時、不意に面影の視線が床へと向き、ぽつりと小さく彼が呟く。
「……そう言えば、さっきも…」
「うん?」
間髪入れず先を促すような三日月の合いの手に、はっとした面影は続けて思わず口走る。
「いや、たまには浮気も良いだろうって勧められて…」
「は!?」
本日三度目の巨大な『は?』、は、無論、面影の目には見えることは無く……
面影も、あの青年が言った言葉を素直に反芻しただけなのだが、その中のパワーワードがもたらすだろう甚大な影響には一切気が付いていない様子だった。
「うん、たまには気軽に違うやつを味見しても楽しいんじゃないかって話してて……私もそれには賛成なんだ。選ぶのは自由だし」
「賛成!?」
まさかの本人の口からの浮気肯定発言に、いよいよ三日月は動揺を隠せなくなっていく。
もしや本当に、この青年……現世に転生した際に何か人格の改変が行われてしまったのでは!?
「……三日月? どうした?」
「いや……その、お前は……」
「?」
「もっと…一途な性格かと思っていたのだが……ああいや、俺の勝手なイメージを押し付ける訳ではないのだが…」
「そう見えるのか? 私は別に…そんなに拘りがある方ではないかと…選択肢が多いのはいい事だろう?」
「…!?!?」
その時の二人の脳裏に浮かぶ情景を比べてみると………
三日月は、面影が自分以外の誰かと仲睦まじく語り合う光景を思い浮かべていた。
確かにこの若者は見目麗しい姿に加えて、性格も善良且つ温和だ。
街中を歩いているだけでも人目を引くだろうし羨望の目を向けられるだろう事も想像に難くない。
続いて三日月の脳裏に浮かんだのは、彼が次々と別の人々と付き合っている変遷の流れだ。
しかし相手がシルエット状態でその容貌について一切分からない状態で浮かんでくるのは、自身の妄想であったとしても、そういう存在を認めたくない三日月の無意識下での抵抗だった。
目の前にいる面影が、まさか自分の脳裏に浮かんでいる様な浮ついた事をするとは思いたくない。
あの本丸での日々の中…他の何者にも一瞥もくれずひたすらに自分を慕い愛してくれた男の本質が変わっているなど信じられない。
(…本人はああ言うが、やはりどう考えても面影が浮気を許容するなどあり得ないのだが…?)
一方……
面影の脳内の情景はというと、チラシチェックを済ませたスーパーで、お買い得の日用品を堅実に買い物カゴの中に放り込んでいた。
彼の言葉の通り、カゴの中の物品のブランドには拘りはない。
これまで苦労の多かった人生を歩んできたが故の習性とも言えるが、それでも彼は単に安物のみを選んでいる訳ではなく、 値段と品質について吟味を重ね、選りすぐったものばかりである。
まぁ、面影だけの一人暮らしだった場合にはもう少しレベルは落としていたかもしれないが、今の雇用主である三日月が生活費については一切の制限を掛けていない事もあって、健康に関わる食事等の拘りたいところについては、結構贅沢をさせてもらっていた。
そういう意味で、面影は自分について『拘りはない』と正直に答えたのだ。
この時点で、既に二人の中のイメージは数億光年レベルでかけ離れていた
(もしかして三日月って、実は気に入った味とかメニューに拘りたいタイプなのか?)
自分は今の三日月の食事も一手に引き受けているが、健康などを考慮し、様々なメニューや味を飽きない様に提供していた。
三日月も、『お前の料理はどれも美味しい』と絶賛してくれていたから気付かなかったが………あれも気遣いだったのだろうか?
(…さっき誘われてた話だけど………ここの味を気に入ったなら三日月は乗り気ではないかも………うーん…でも折角だし、聞くだけ聞いてみようか)
二人の思考が完全に擦れ違っている事に双方とも気付かないまま、面影は三日月に声を掛けた。
「三日月、拘りがあるなら無理強いはしないが……さっき、隣にいた人が働いてる店にお誘いを受けたんだ。今度、その店に一緒に行かないか?」
言いながら、面影があの若者から受け取っていたチケットの様なものをぴらっと三日月に見せる。
「…………お誘い?」
今度こそ、三日月の瞳が死んだ魚のそれになった。
お誘い…? 彼が働いている店?
単語を拾って考えても、いよいよ怪し気な店の勧誘を受けた様にしか思えないのだが…!?
何を自分は見せられている…一体何の誘いを受けているのだ………?
「? 三日月?」
「…お前は…気に入ったらどんな者でも来る者拒まずなのか?」
「はぁ? いや……」
何となく、三日月の声が低くなった気がする……
訝しんだものの、それは自分の気のせいかもしれないと特に問う事もなく、面影は相手から訊かれた内容について自分なりの答えを返した。
「流石に私でも好みで選ぶ事はあるが……好き嫌いはあまり褒められた話ではないから、拒むことはあまり無い…かな…?」
ぴく……っ
微かに…誰にも気付かれないほんの僅かな動きだったが、三日月の肩が揺れ、瞳に酷薄の色が宿った。
「……残念だが、そこはお前とは相容れない様だ…」
その時の三日月の脳内は、面影が覗かずに済んだのは正に僥倖と言える他無かった。
三日月は面影がどれだけ変わっても、穢れても、手放すつもりはない。
しかし、相手が自分ではない誰かに心を奪われるのはどうしても許せないのだ。
だから、どんな事をしてでも自分の傍に彼を置き、独占する事を厭わない……そんな危うい計画が、今正に三日月の脳裏に組み上がろうとしていた。
そんな危険思想を抱いている三日月の心中は露知らず、少し冷たい返し方をされた面影は、目に見えてしゅん…と残念そうに伏し目がちに俯いた。
「そ、そうか………残念だな…こっちの店の月〇バーガーは生姜醤油の和風ソースで、三日月も好みだと思ったんだが…」
「相手がどんな者であれそういう……………え?」
食い気味で反論を試みた三日月の言葉が中途半端なところで止められる。
今、物凄く場違いな単語が聞こえてきた気がしたのだが…?
「…生姜醤油?」
三日月が改めて視線を向けた向こうで、面影がチケットを見つめながらぽつりと呟く。
「丁度、二人分貰ったから…セットのクーポンもあるし、ちょっと勿体ないな…」
「待て、ちょっと待て」
入って来る予想外の情報が多過ぎて、頭がついていかない。
落ち着いて、ゆっくり一つずつ確認していかなければ…と、三日月は居住まいを正して面影に向き直った。
「その………先程の………好き嫌い、というのは……何の話だ?」
「? 好き嫌いと言うなら勿論食べ物についてだろう?」
「隣の男から貰ったと言っていたが…?」
「ああ、このクーポンの店でバイトしているんだそうだ。彼女に誕生日プレゼントを贈りたいから始めたと言ってた」
「…浮気…というのは?」
肝心の、一番聞きたかった事を尋ねると、それに対しても面影はあっけらかんとした様子で素直に答えた。
「元々月〇バーガーはこのチェーン店が元祖で一番人気だが、たまには違う所のも楽しむのもありかと思ったんだ。でも、三日月が此処の味が気に入ったなら、私はかまわ…」
ごん…っ!!!
「うわっ!!?」
途中でいきなり聞こえた不穏な物音に、思わず面影は小さい声を上げて身体を跳ねさせる。
見ると、目の前の男がこちらに頭を下げてており、その額はテーブルと密着している。
今の音はどうやら、額が強く打ち付けられたものだった様だが……あの大きさは相当勢い良くぶつけられた筈だ。
「み、三日月っ!?」
どうしたのだろう、一体…痛くなかっただろうか…? いや、あれは絶対に、かなり痛かった筈………
何がどうしてそうなったのか理由が分からずはらはらしている若者の前で、男は頭を伏せたまま呻いた。
「…………すまん」
「はい?」
「……俺が愚かだった」
「はいい!?」
間抜けな返事だったが、状況が分からないままいきなりの謝罪を受けて、面影にはそれしか言えなかったのだ。
先程までの会話の中で、自分が相手に謝罪を受けるような理由はまるで無い筈なのだが……!?
いつもは物静かで声を張る事など滅多にない若者だったが、流石に今のこの事態に際して声が大きくなってしまっている。
「ど、どういう、事だ…? 愚かって…お前らしくもない」
「いや………正直、俺はお前に酷い事をした……お前の尊厳を踏み躙った様なものだ」
「深刻!!」
相手が普段と異なる行動を取っているのが伝染したのか、面影も彼らしくなく端的な言葉しか出せなかった。
しかし面影の困惑も尤もな話である。
自分としては単に月〇バーガーの話をしていただけなのに、それが何故人の尊厳という仰々しい話題に繋がるのか……!?
「あの……先ずは顔を上げて……分かる様に話してくれないか?」
当然、面影側としてはそういう要望を出す事になる…出さざるを得なかった。
「………」
ここまで言ったらそこも説明しない訳にはいかないと、問われた本人も腹を括ったのだろう。
ゆっくりと顔を上げる三日月の表情は眉が顰められ、自己嫌悪にどっぷり浸かっているのが明らかだったが、それ以上に赤くなってしまった額が痛々しいのが気になった。
帰るまでに赤いままだったら氷嚢を当ててあげなければ……と思う面影の前で、三日月は正直に自分の勘違いを含め、面影に誤った印象を抱いてしまっていた事を洗いざらい話したのだった。
「………………」
「………………」
話した後、暫くは二人ともが沈黙を守るだけだった。
自宅のリビング等でなく人の出入りが激しい飲食店の一角だったので、周りの喧騒がより二人の沈黙を際立たせている様だったが、周囲の人々は勿論それに気付く様子はなく、各々の会話等を楽しんでいる。
「…………ふぅ」
久し振りに面影が口から放ったのは、怒声でも侮蔑の言葉でもなく、溜息を一つ。
しかし、それは三日月の肩を揺らせる程には効果があった様だ。
「……つまり、お前は私の事を信じてくれてなかったと」
「違う!」
少し拗ねた口調で糾弾してきた若者に、咄嗟に三日月は否定の声を上げた…が、その勢いは瞬く間に失われ、視線をテーブルに落としながら弱々しい声で続けた。
「……いや…信じられなかったのは……事実、かもしれない。お前は自覚がないかもしれないが、本当に素晴らしい、魅力溢れる男なんだ………そんなお前が、俺などの傍に居続けてくれるのか……不安になっていた」
「………………」
「それも、言い訳か……結局、俺が信じられなかったのは、俺自身だったのかもしれん。お前に脇見などさせない様な存在になる事を考えず、安易にお前を捕まえて力ずくで傍に置く事を考えてしまった……馬鹿だ、今もその望みを捨てられない」
「………………」
「すまん……お前の怒りは尤もだ、と思う…が、どうか俺の傍から離れないでくれ……俺の持てるものは全て与える、俺の出来ることは全て叶える……だから」
「ストップ」
ぴしっと掌を三日月の方へ向けて突き出してそれ以上の発言を封じ、面影はそこで再びはぁ~と溜息を吐き出す……その顔が明らかに赤くなっていたが、その理由は語らず若者は続けて発言した。
「……なら遠慮なく、私からの和解案を伝えさせてもらう。今年の全ての種類の月〇バーガーを、私と一緒に制覇すること。その時に掛かる代金は全額三日月が持つこと。出掛けるタイミングは私の希望で決めること。以上だ」
「……………は?」
今度は三日月が間抜けな声を出す番だった。
「不満か?」
「そう、ではなくて…………そんな事で…」
「そんな事? キッチンを預かる者としては、新しい味の開拓は大事なんだ。私の技術向上の為にも、絶対に呑んでもらう。いいな?」
「…分かった」
最後の念押しは一際強い口調で半ば強引に認めさせると、面影は一旦口を閉じる。
相変わらずその顔は赤く、唇は怒りを表す様にきゅっと引き結ばれている……が、実は面影には怒りの感情は無く、見た目がそうだったというだけだ。
(……だ・か・ら、そういう熱烈な告白みたいな事を恥ずかしげもなくするんじゃない…!!)
確かに、三日月に浮気を疑われたのは甚だ心外ではある。
しかし怒りを覚えるより先に、頭を強かにテーブルに打ち付けられ、今から首でも刎ねられるのかとばかりに悲壮な表情で懺悔……いや、実際は愛の告白をぶつけられたのだ。
これで完全に面影は怒るタイミングを失してしまった。
それに、三日月の語った彼の不安については、面影もそれを抱く相手の気持ちが分かる気がした。
自分だって完璧な人間だとは思っていない、寧ろ、三日月こそ評価されるべき優れた人物だと思っている。
恋人にはなったが、面白みがなくて脇見され、捨てられると言うなら…自分の方かもしれない、と。
(なのに、どうしてそんなあり得ない不安を三日月が抱くんだか………)
ちらっと相手の様子を窺い見れば、和解案を呑んで解決とはなったものの、三日月は依然どんよりと暗雲を背負った様に激しく落ち込んでいた。
流石にここまで酷い状態の相手を見ると、甘いと言われるかもしれないが何とかしてやりたくなってくる………
「………なぁ、三日月」
「…ん?」
「……こういう事を…自分で言うのもあれだが、な」
聞こえるか聞こえないか、そのぎりぎりの声で面影は視線を逸らしながら告白する。
「…味の好みについては確かに浮気性かもしれないが……恋愛に関しては、私は、その………一途な方、だぞ?」
「!!」
ああ、もう、恥ずかしい…!!
再び顔の赤みが増しているのが分かる…が、流石に向こうもそれが怒りのそれではないというぐらいは察してくれるだろう。
「お前は私の恋人…だから……お前が、そんなに心配する必要は…無い、んじゃないか…?」
何とかそこまで言ったものの、恥ずかしさに面影は自身の額を手で覆う形で顔を隠す。
誤魔化しきれてはいないだろうが、それでも今は相手の顔を見るのは恥ずかし過ぎた。
相手の罪悪感を払拭する為に行った事だが、代わりにそれ以上の羞恥感を背負ってしまった気がする……
「…………」
そんな若者の思惑は想像以上に上手くいった様で、先程まで地の底にいた筈の三日月が、今は一転、心は天に昇らんとしていた。
(俺は、何という果報者か…!!!)
狭量な自分を優しく許容し、それだけではなくこうして惜しげもなく愛を語ってくれる……
そんな愛しい相手にはこちらも最大の愛で応えねば……しかし……
「…分かった……しかし…一つ、だけ…」
「?」
「…お前の愛を信じる……が、お前を独り占めしたい気持ちは……どうにも諦めきれんのだ。だから多分これからも…俺は我儘を言うと、思う」
面影もここであっさりと陥落。
(この男は私の心臓を止めないと死ぬ病気にでも罹っているのか!?)
次から次へとよくもまぁここまで熱烈な言葉を紡げるものだ……と呆れながらも、心の奥に湧き上がる歓喜を感じ、面影は口籠る。
拙い……経験が皆無だからよく分からないが、世の恋人というものは皆が皆、こんな気持ちを抱くものなのか?
まるで沼に嵌った様な……抜けるに抜けられない感覚………
しかも肝心の当人が、嵌った事を自覚しているのにそこから逃れる気がない…寧ろもっと深くに嵌っても良いと思う程に…
(けど……引き返すなんて、無理な話だな)
そのつもりも無いのだと気持ちを再確認したところで、面影の口からあっさりと返事が滑り出していた。
「構わない………私も…お互い様だ」
「!!」
再び、三日月が有頂天になったのは言うまでもない。
斯くして、単なる外食に出掛けたはずが、その日は盛大な愛の告白大会になってしまったのだった。
そしてその日から暫く……辺りのチェーン店に睦まじい様子の二人の美丈夫が度々見掛けられるようになったという。