月の恋煩い

 

 

 

「ほんっとうに申し訳ありませんでした…」
「弟の不手際、平に御容赦を…」
「…………」

 とある日の昼下がり
 とある本丸の一室にて、鯰尾と一期一振が横に並んで座し、目の前に同じく座している面影に対し深く深く頭を下げて詫びていた。
 しかし当の詫びられている若者は困惑も露わな表情で、どうしたら良いのか分からないといった様子だ。
「その……事態が今ひとつ飲み込めないのだが……つまり、次の現世遠征では私も参加する事になるのか?」
「ええ……それはそうなのですが……」
 頷いた一期はまだ渋い顔で、説明を始めた。
 次の現世遠征は、とある闇取引の捜査とその裏に潜む遡行軍達の壊滅。
 あの夢世界の騒動後にようやく主が戻り、本丸そのものも現に戻って来たが、それで勿論全てが終わった訳でもなく引き続き彼らには遡行軍との戦いが待っていた。
 面影という新しい仲間も無事に本丸へ再び迎え入れられ、彼も徐々に此処の生活に慣れて来たので、いよいよ現世への遠征もさせようという話が持ち上がっていたので、今回の遠征の面子に加わる事はほぼ決定事項となっていた。
 今回の闇取引は、どうやら健全な某オークションの現場に紛れて、とある人間と遡行軍との間で行われるらしい。
 彼らの互いの秤に乗せられるものは…人命と金。
 邪魔になる人物を消したい裕福な者と、活動資金を求める力ある者、その利害が一致したという事だ。
 空想上の鬼の様な存在と取引してでも殺めたい相手がいるとは、人間という生き物もまた恐ろしい。
「その現場になるだろうオークションが、パートナー…つまり妻なり恋人の同伴が必須条件なのです」
「…ああ」
 そこまでを聞いて、面影は何故自分が遠征組に選ばれたのか察した。
「なるほど、現地に潜入したいが非力な女性を連れて行く訳にはいかない。その点、私は擬態出来るから万一の際にも応戦が可能という訳だな。理解した」
「……そのつもりだったのですが…」
「? 何か、問題が?」
 そこまで面影が言ったところで、更に平伏しながら鯰尾が告白した。
「あのっ、俺がうっかりして、面影さんのそのままの姿をオークション参加申し込みに送っちゃったんです! 取り消そうと思った時にはもう認識された後で、下手に改竄したら向こうに気取られる可能性もあるって…!!」
「本来であれば適当な女性の姿を送り、当日はその姿に擬態して頂く予定だったのですが……」
「……………」
 つまり、当日は擬態という方法が取れないまま、自分は登録された姿のままでオークションに参加するらしい。
 ゆっくりゆっくり脳内で噛み砕く様に理解していった面影は……心底困った、という表情で首を傾げた。
「困ったな………私は女装の為の服など持っていないのだが…」 

『あっ、この人、別の意味で面倒臭いタイプだ』

 そう来るとは思っていなかった一期一振と鯰尾は、同様の感想を抱いたのだった………


 オークション当日、結局現地には面影が赴く事になった。
 本人が心配していた着ていく服がない問題については、オークション会場に入る同伴者でもあり、後見人でもある三日月が特急で揃えてくれる事になった。
 面影に謝罪に行ったその日のうちに、鯰尾達は当然筆頭近侍であり、オークションに向かう三日月にも報告に行っていたのだ。
「面影が……そのままの姿で同伴を?」
 報告を受けた直後、三日月は珍しく瞠目し、一瞬、何とも言えない表情を浮かべたが、それはすぐにいつもの穏やかな表情へと戻った。
「それは……過ぎた事を悔やんでも仕方ないが、面影の様子はどうなのだ? その……流石に擬態ではなく女装とは、動揺したり嫌がったりしているのではないか?」
「着ていく服が無いって悩んでます」
「何て?」
 寧ろ三日月の方が動揺していた様子だったが、その後の行動は流石というべきか非常に早かった。
 「仮装パーティーがある」という名目で行きつけの店で誂えさせたのは、身体の線を極力細く見せる様な、しかしやはり女性とは異なる筋肉のつき方は隠せる様に、との事で、大胆なサイドスリットの入ったワンピースに、下はパンツスーツという出立ち。
 これは、本来の面影の戦闘服とも若干形が似通っている事もあるので、本人もそう違和感を抱かずに済むだろうという三日月の気遣いであった。
 細身とは言えがっちりとした肩には、ショールを巻く形でしっかりと誤魔化した。
 化粧は普段から雅にうるさい歌仙がやってくれたが、なかなかの腕前で、元が女顔でもあった面影は見事に傾国の美女へと変貌を遂げたのだった………


 当日オークション現地
「うむ、やはりこれが良い」
「…………」
 オークションが行われる会場のフロアの下は有名な貴金属店だったらしく、三日月は面影を連れて会が始まる前からそこに入り浸り、先程から面影に気に入った耳飾りを買い上げて贈ろうとしていた。
 彼の側に控える面影は、周囲の人々の視線を一斉に受けながら無言を守っている。
「良いか面影、姿は誤魔化せても声だけはどうにもなるまい。今日はお前は俺の伴侶という事になっておる故、ただ俺の側にいて無言を守っておれ。良いな?」
 伴侶、という単語に何故か心がざわつく気がしたが、おそらく自身の相手に対する敬意がそうさせているのだろうと思い、現地に赴く前の相手の指示に、面影は素直に頷いた。
 そしてその言いつけの通り、ずっと三日月の側から離れず、頑なに無言を守ってはいたのだが…………
(…私が無言で逆らえないのを良い事に、もしや遊んでいないか?)
 そう疑ってしまいそうな程に今の三日月はこの状況を楽しんでいる様だった。
 今も、ゼロを数えるのが嫌になりそうな程に高価な真珠の耳飾りをあっさりと購入し、自らの手で付けてくれようとしていた。
 優しい仕草で耳朶に触れてくる三日月の指が、細やかな心遣いを示してくれているのが伝わって来る。
「はは、やはり思った通りよく似合う。お前は本当に美しいな」
「〜〜〜」
 ポーズだという事が分かっていても、流石にここまであからさまに言われると気恥ずかしくなり、面影は頬を染めて俯くばかり。
 またそれが、恋人を溺愛する美男が高価な物を相手に贈り、相手も絶世の美女で彼の愛に頬を染めて応えるという絶景となり、周りの人々の注目を集めていた。
 これもまた作戦の一つ。
 周りの人々が何かに注目してくれれば、その裏で別働隊は動きやすくなる。
 敵もまた然りだろうが、刀剣男士が人の目に触れてしまう危険性を考えたら、誰かが囮となって人間達の視線を引き受ける事は非常に都合が良かったのだ。
 まだ此処に居なくてはならないのだろうかと面影が考えていた時、つと三日月が動いて彼の耳元に唇を寄せる。
 それはまるで恋人に接吻を与える恋人の求愛そのものの様で、周囲にいた女性陣が小さな悲鳴を上げ、本人の面影もどくんと一際大きく心の臓が跳ねたのを感じた。
『標的だ』
「!」
 接吻は果たされず、耳元で囁かれたのは愛の言葉などではなく、任務開始の合図。
 相手の視線の先を追うと、遡行軍に狙われていると目されている人物が妻と一緒にタクシーから降りて来ている姿を確認出来た。
「行くぞ」
「………」
 頷きながら己を心の中で叱咤する。
 何を思い上がった事を考えている……そんな事、ある訳がないだろう。
 試作品に過ぎない自分が、強く美しい彼の隣に対等に立てる訳がない、愛される筈がない。
 皆に仲間として認めてもらえた………私はそれだけでもう十分だ。


「……説明は以上になります。では改めましてオークション番号十二番。こちら五十万から」
 進行役の司会者が朗々とした声でマイク越しに宣言すると、勢いよく幾つもの声が客席から上がる。
 こんな場所で危険な裏取引が行われているとは信じられない程に健全な会場で、三日月と面影は隣同士で列の末端に座り、進行を見守っていた。
『来たよ、遡行軍!』
『散開し、迎撃に当たる!』
 彼らの耳に届く他の刀剣男士達の声は、一般人には一切聴こえていない。
 審神者特製の札を使用した遠隔通信の成果である。
「敵もさるものだな…結界を発動する」
 ひそりと呟いた三日月の身体から常人には見えない波動が立ち上り、それはオークション会場の全体を覆った。
 万能ではないが遡行軍の気配に対しては接触を拒む壁となるので、時間稼ぎにはなるだろう。
 着実にやるべき事をこなしている三日月の隣では、面影も神経を集中して敵味方の気配を探っている。
 見えない場所で繰り広げられる戦いでも、殺気だけは隠しようもない。
(敵は…予想していたより多いか……一体…いや、三体殲滅…確認…)
 ふと、会場に地響きの様な音が届き、一般人達の幾人かが首を巡らせた。
「おや、雷でしょうか…?」
「おかしいですなぁ、今日の予報は快晴だという事でしたが…」
 そんな呑気な声がちらほら聞こえてきたが、オークションは特に滞りもなく進んでいく。
 勿論、雷などではなく、遡行軍と刀剣男士達のぶつかり合いの中で生じる衝撃波なのだが、結界のお陰でかなり音も抑えられている。
「……」
 無事にオークション品が競り落とされ、拍手が響き出した中、すっと面影が立ち上がった。
 善戦しているが、数体がこちらの包囲網を潜り抜けて向かってきている。
 当然、追いかけている味方の気配も感じてはいるが、間に合うかは五分五分というところ……結界を維持する三日月に代わり、迎え撃たねば。
「……」
 三日月の手が相手のそれを追いかけて名残惜しそうに優しく握るのに対し、伴侶の手もそれに応える様にそっと一度優しく握り返し、そして離れてゆく。
 本当に仲睦まじい二人であるという事を知らしめながら、傾国の美女は会場から扉を抜けて出ていった。
 オークションそのものも終盤であり、残る品には女性が好みそうなものもないので、化粧直しにでも行ったのだろうという好意的な予想を受けながら面影は扉を抜けてそれを静かに後ろ手で閉め……手の中に己の本体を呼び出した。
 扉の外に警備として立っていた者達の姿はないが、これも敵の策だと知っている。
 金を撒いて一時的にでも人払いをしたら、中の獲物を仕留める確率は高くなる。
(大太刀が、二体…こんな奴らまで来たのか)
 席を去り際に三日月が手を握り、そっと指で示してくれた敵の情報に、こちらも了解の意味を示し返した。
 そして僅か数秒後、立ち位置から五メートルも離れていない場所に時空の歪みが生じ、漆黒の鬼達が姿を現したが、面影は一切怯む様子もなく刀を抜き、問答無用で斬りかかった。
 既に三日月や自分の存在も知られたものになっているのだろう、向こうも何事もないようにこちらの一撃を防ぎ、返す刀で反撃してくる。
 身軽な動きで避けた面影だったが、ちかっと反射する何かを目の端に捉え、はっと右の耳元に手をやった…が、無い。
 唖然とする面影の前、敵の大太刀が刃を大きく振りかぶる動作の向こうで、先程光の反射を返した小さな耳飾りがあっけなく風圧で潰される光景がスローモーションで見えた。
「…………」
 僅かに己の心にあった慈悲があっけなく砕かれた音を聞きながら、面影はぎり、と奥歯をきつく噛み締め、己の本体を握る手に力を込めた………



 全てのオークションは無事に終了し、標的となった男の安全も、確保に成功した。
 人間側の取引相手は政府筋から手を回してもらい、然るべき罰が下されるだろう。
 この時代に与える影響は極めて軽微…上々の成果だ。
 遡行軍も殲滅は果たした筈…なのにいつまでも面影が戻ってこない。
 会の終了が告げられると同時に三日月は席を立ち、足早に扉へと向かってそれを抜け、廊下へと踏み出した。
(面影……?)
 きょろ、と視線を動かすと、意外な程にあっさりと相手を見つける事は出来た。
 幸い、怪我などは無い様子で今はもう刀を手にしてもおらず、少し離れた廊下で佇んでいる。
「面影」
 まだオークション会場から誰も出てきていないのを確認しつつ、三日月は小さく呼び掛けながら相手に歩み寄った…が、そこで面影の異変に気付く。
「面影……?」
「……三日月……」
 確かに怪我はない様子…だが、どうやら彼の心に傷を与える何かがあったらしい。
 よく分からないが、今の目の前の若者はどっぷりと自己嫌悪の海に浸っている様に見えた。
「どうした、浮かない顔をして…任務は無事に遂行出来たのだろう?」
「………」
 そんな相手の言葉に少しだけ迷う様子を見せた面影は、やがておず、と握っていた右の掌を開きながら相手に差し出した。
 乗せられていたのは、一つが無残に金具が壊れてしまったあの耳飾り二つ。
「…壊して…しまった……折角、お前が似合うと買ってくれたのに……」
 ぼそぼそと力なくそれだけを言うと、面影は苦痛を感じている様に眉を顰めながら耳飾りを握りしめる。
「…どう、詫びたら良いのか分からない…」
「……ああ」
 面影の愁眉の理由を知った三日月は、寧ろほっとした表情で相手に歩み寄り、そっと頬に優しく手を添える。
「その程度のこと…何も気にする事はない。お前が無事だったのだ、それが一番だ」
「!…しかし…」
「それよりなぁ、待たせ過ぎだぞ。俺がどれだけ心配したか分かっているか?」
 まだ思い詰めている様子の面影に、これ以上思い悩む事が無いように、三日月はわざと戯けた口調で相手を嗜めた。
「お前は俺の伴侶だと言ったろう? 夫君をいつまでも一人にするのは感心出来んな。これからはずっと傍にいるのだぞ?」
「…!」
「良いな? そうでなければ、直ぐに俺は気を病んでしまうぞ。お前が考えているより繊細なのだからな、こう見えて」
 朗らかな笑顔につられて、思わず面影も薄く笑みを零す。
「ふふ…………はい」
 その時の三日月の気遣いは確かに面影の心を軽くしたのだろう、本人が考えている以上に。
 周囲に誰もいなかったのも彼の口を少しだけでも軽くしたのだろうし、三日月の心遣いに自分なりに応えようと思ったのかもしれない。
 そう、性別はどうであれ、今の自分は彼の伴侶なのだから………
 素直な返事を初めて声に乗せて返しながら、面影は小さく首を傾げ…頬に触れてくれる相手の手に自らのそれを重ね、夫君を演じる男に答えた。
「……はい……あなた様」
「!!!!!」



 数日後…
「あれ? 三日月さんは?」
「ああ…少しだけ外に気分転換に行くと出て行かれましたな」
 日向の声に、側にいた蜻蛉切が答える。
「へぇ…最近、よく外に行かれるよね。何かあったのかな?」
「さて……そう言えば最近、何やら思い悩んでいる様子でしたが……尋ねても何でもないと仰るばかりで」
「そうなんだ……」
 二人が語っていた正にその時、三日月は本丸から少しだけ離れた、桜の巨木の下に佇んでいた。
「…………」
 静かに静かに風に吹かれて、その美しい月の化身は空を眺め……一つ吐息を零した。
 脳裏に浮かんで消えてくれない、藤の色の髪を持つ若者。

『あなた様』

 戯れにと、伴侶と呼んだのは確かに己自身。
 服や耳飾りを買い与えたのも、甘い言葉を紡いだのも…敵を欺く為の戯れ……
 いや…違う、戯れ等ではなかった。
 あの一言を聞いた瞬間、改めて自分の本心を思い知らされてしまった。
 まさかとは思っていた、思い違いだろうと信じ込もうとした…それは無理だと分かっていたのに…………
「ふぅ…………」
 初めて彼が本丸を訪れ、自分達の前で堂々と座した姿を見た時から、きっと恋に落ちていた。
 まさかこの自分が、恋煩いにかかってしまうとは………あんな、何も知らない無垢な若者に………
(……お前が欲しい)
 心の中でだけ、密かに本心を漏らす。
 しかし、この想いを告げたところであの幼子の様な心を持つ男には、まだ理解出来まい。
 少しずつ少しずつその心に寄り添い、いつかこの胸の内を語れるときは来るのだろうか………
 自分にも誰にも問いかけても得られぬ答え。
 それはいつか、見つけることが出来るのだろうか。
 それからも、三日月はただ静かに青空を見つめ続けていた…………



 同時刻………
「…………」
 三日月が恋煩いに悩んでいたその時、面影もまた一つの悩みを抱えて自室に閉じこもっていた。
 書机の上に置かれた小さな小物入れの蓋を開ければ、いつぞや三日月に買ってもらった耳飾りが入っていた。
 物を殆ど持たない面影の数少ない私物となったそれを、若者は無言で見つめる。
 一つは変わらず壊れたままだったが、修理の為にまた金を使わせる事は心苦しく、このままの状態で保管している。
(何故……)
 あの日は流されるままにあの男に同行していたから深く考える事も無かったが、今思えば不思議だった。
 何故三日月は、女でもなく、只の剣士の自分に、こんな高価な物を買い与えたのか。
 敵の目くらましを演じるにしても、あの場所に居るだけで任は果たせただろうし、本当に買い上げる必要も無かった筈だ。
 しかも与えるだけ与えておいて、当日に壊してしまったと申し出た時は、まるで大したことはないと言うようにこちらの身を気遣ってくれた。
(分からない…彼の考えている事が)
 殿上人の手にあり続けた高貴な者ならではの思考なのだろうか…それにしても、彼の庇護は余りに手厚すぎる気がする………
(…私が…未熟だからなのか?)
 そう考えた時に、微かに胸の奥が痛んだ様な気がする。
 顕現したばかりの自分が未熟なのは当たり前の話だ、痛みなど今更感じなくても良い筈…なのに。
「…精進しなければ」
 せめて、彼の人の期待には応えられるように…此処に居る意義を示す為に………
 本丸の為、ではなく、三日月個人の為にと無意識に考えるのは何故なのか…
 その感情から発露するものは何なのか……それはまだ面影本人も知らないことだった………