お手をどうぞ





「三日月、今日の……あれ?」
「む」
 とある日の午後
 リビングに目当ての人物がいると察した面影がそこに足を踏み入れると、珍しくかっちりとしたスーツ姿の彼が立っていた。
 日光を受けた生地は夜を思わせる紺青色でありながら鮮やかな光沢を称え、不思議な視覚効果をもたらし、彼の者の優美さをこれでもかと引き立てている。
 筋肉質とは言えないが華奢でもないすらりとした体型の彼、三日月宗近は、その身に着けたスーツにも負けない程の高貴な風格を漂わせており、同性である面影も思わず見惚れてしまっていた。
 おそらくこの姿で表を歩けば、その場の全ての人の視線を集めてしまうだろう……女性陣に至っては心まで持っていかれそうだ。
(……人ではないみたいだ…)
 人ではない…が、精巧な人形という訳でもない……人形の様に中身が伽藍洞ならばここまで惹かれる筈もない。
 神を見た事は無いが、もしその存在が具現化したなら彼の様になるのではないだろうか……?
「何かあったのか? 面影」
 視線が交わった後も何も言葉を発そうとしない面影に、三日月の方から話しかけた。
 少しだけ首を傾げ、困った様に笑う男の問いかけに、はっと面影は我に返って少しだけ慌てた。
「い、いや…大した用ではなくて……その…」
 確かに三日月に訊きたい事があったので此処に来たのだが、今の面影の興味はその質問内容よりも今の相手の出で立ちに向いていた。
「……珍しいな…三日月がそんな恰好を」
「うむ……まだ仮縫いの状態なのだが、まぁまぁの着心地だ」
 四肢の関節部分を見下ろしながらゆっくりとそれらを動かす三日月に、面影もゆっくりと近づいてゆく。
 確かに、遠目でははっきり見えていなかった細い仮縫い用の糸が要所要所で認められたが、それ以上に肌理細やかな素材の布地とその鮮やかさに目が行った。
 角度を変える度に紺青の空に隠された銀河の帳が見え隠れする様な不思議な光沢は、普段服飾に無頓着な者ですら目を奪われるだろう……今の自分の様に。
「綺麗な色だ……地は昏いのに鮮やかにも見えて…三日月はそういう色がとても似合うな」
 ほう……と溜息にも近い感嘆の吐息を漏らしながら素直に評すると、向こうはそうか、と嬉しそうに微笑みを返してくれた。
「まぁ、馬子にも衣裳というやつだ。たまにはこういう姿も良かろう?」
「別に世辞という訳ではない……本気で、その……神が降りてきたのかと…」
 闇夜を照らす月…しかし満月の様な眩さではなく……彼が名乗る名そのままの三日月の神の様な……
「!………それはそれは」
 一瞬、驚いた表情を見せた三日月だったが、それはすぐにいつもの柔らかな笑みに消える。
 そして、ゆっくりと接近してきた面影にそれを許し、軽く両手を広げて衣装のお披露目をした。
「お前に褒められたら図に乗ってしまいそうだな、しかし、悪くない気分だ」
「お、大袈裟だな…」
 自分に褒められたのが殊の外嬉しかった様子の相手に、面影も逆に照れてしまいそうになる。
 照れを隠す様に視線を泳がせ、そんな面影が目を付けたのは三日月の両の袖口だった。
 こういう服装の場合は無論袖口もきっちりとボタンなりカフスで留められている筈なのに、今のそこは左右共に留められずに大きく開かれている。
「? その袖…ボタンがまだ?」
 指摘を受け、ああ、と三日月も肘を曲げて自らの袖口に注目する。
「これはダブルカフスシャツだからな。ボタンではなくカフリンクスを付ける予定だ。それはまぁ後日適当に見繕う予定だから、今はこのままで良い」
「……随分とフォーマルな装いなんだな。何か催しでもあるのか?」
 これまでのバイト生活の中で培った知識もあったのだろう。
 ボタン留めのシングルカフスシャツより華やかな場所で好まれるそのシャツについて面影が言及すると、三日月はその通りだと頷いた。
「まだ先の話にはなるが、少々堅苦しいパーティーがあってな……行きたくはないが行かねばならん。ここ暫くこういう服も新調していなかったのでこのついでに一式作る事にしたのだ」
「成程……」
「………はぁ」
 納得する面影のすっきりした表情とは裏腹に、説明を終えた三日月はその内容を思い出したのか陰鬱とした表情で溜息をつく。
「面倒ごとは本当に嫌なのだが………お前を連れて行けたならまだ楽しむ余地もあったのだが、参加の条件が厳しくてな………」
 三日月の辟易とした表情を見るに、本当に堅苦しい仕事の延長のパーティーらしい。
 そんな場所では、どんなに美味しい料理が出て来たとしても味など碌に分からないだろうな、と面影は苦笑しながら首を横に振って辞退する。
「止めてくれ、無理強いなどするべきじゃない。その日は留守番がてらしっかりと掃除でもして、お前が心地良く休める部屋を準備しておこう」
「………………」
 家政夫として百点満点な解答をあっさりと口にする優秀な若者に、少しだけ名残惜しそうな顔を向けた三日月は、ふいっとそれを反対側へと背けてぶつぶつと独り言を呟き始めた。
「………改めて頼んでみても…………札束で駄目なら………金塊……」
「絶対に行かないからな!!!」
 自分が絡むとやたらと暴走しがちな男の厄介な企みを一喝して何とか押し留まらせると、面影は渋い顔をして三日月に注意する。
「…そろそろ脱いだらどうだ? 仮縫いなら生地が傷む前に脱いでおいた方が良い……そもそも仮縫いならフィッターがいるところでやるんじゃないのか?」
「ほう………詳しいな?」
「前に少しだけホテルでボーイのバイトをした事がある。私には合わない世界だとつくづく実感したが、得た知識は役立つ事もあるし、無駄ではない経験だった」
「成程」
 そう言えば、この若者は今でこそ自分の庇護下に入り人並みの…いや、人並み以上の生活を保障しているが、出会う前はかなりの社畜生活を送っていたらしい。
 恐ろしいのは、彼本人が己のそういう生活を苦と思っていなかった節があるということだった。
 自分と電車内で出会った時も、会った瞬間に過労でぶっ倒れてしまっていたし………あそこで出会っていなければ、彼の行きつく先は冗談抜きで過労死だったかもしれない。
 これまでどれほど苦労してきたのか……そう思うと、愛しさも併せてついつい面影に対して甘くなってしまう三日月なのだった。
 それから三日月は面影の疑問に対しても丁寧に答えた。
 元々三日月には行きつけのテーラーがあり、今回頼んだスーツもそこでの仕立て品らしい。
 今回の様に仮縫いしたものを部屋で試着し、また店に戻すというやり方はイレギュラー中のイレギュラーらしいのだが、出不精な三日月の性格と、今の彼の仕事が多忙でなかなか店での仮縫いの時間を取れないという事情を鑑み、店に出向く数を極力抑える形を取ったという事だった。
「大変だな……スーツ一着の為に」
「仕方ない。こういうところを疎かにして舐められる訳にもいかんからな」
「……そんなに他人の服を気にするものか?」
 自分が気にした事がないのでそういう疑問を口にした若者に、三日月は渋い顔で言った。
「…女は己を着飾る為に艶やかな服を纏うが、男は見えぬ牙として服を纏う時もある」
「……聞くんじゃなかった」
「…む、そう言えば」
 面影の「聞く」という言葉に何かを思い出したのか、改まって相手に向き直り、三日月が問う。
「そもそもお前は何故此処に? それこそ俺に訊きたい事があったのではないか?」
「あ……そうだった」
 言われた面影もそれで思い出したとぽんと両掌を軽く叩き合わせた。
「そろそろ夕食の準備をしようと思って……何かリクエストがあるなら訊こうと」
「おお、そうか……ふぅむ」
 もうそういう時間か、と壁に掛けられていた時計を振り返り、三日月は暫し沈黙。
 そして宵闇の美神が望んだものは……
「肉じゃがとだし巻き卵」
(見えぬ牙が台無しだ…)
 別に和食を貶すつもりは毛頭ない、寧ろ自分も大好物だ。
 しかし……今のこの服を纏った男がリクエストするなら、もっとこう……他にあるのでは?
「………ジャガイモの在庫が不安だな」
 心の中に疑問を隠しつつ、面影は現実的な問題をぽつりと呟き、買い物の予定を即座に立てた……ところで、相手が纏っている仮縫いの服に再度注目した。
「…もし、確認が済んで店に戻して良いのなら外出のついでに私が届けてもいいが……あ、やはり着心地については直にお前が話した方が良いだろうか?」
 申し出はしたものの余計な事だったかと考え直した面影に、三日月はいや、と首を横に振り、わくわくとした様子で答えた。
「俺も行こう。買い物ついでにお前にもテーラーの位置を教えておきたいし……」
 最後の一言は面影にも聞こえない程に密やかだった。
『……お前との逢瀬なら俺も大歓迎だ』





 半分は三日月の策略(?)に乗せられた形で、その一時間後には面影は三日月と共に目的のテーラーに居た。
「向こうで少し寸法等について詰めてくるので、店の中を見て回ってくれ」
「分かった」
 初めて訪れたその店は大通りに面しており、店構えからもかなりの格式が窺えた。
 重厚な大理石の床、その上の絨毯を踏みしめながらきょろっと店内を見回す。
 天井から吊り下げられているシャンデリア一つ取っても特注品なのだろう、ガラス一つ一つに見た事もない繊細なカットを施されている。
(……私一人では一生足を踏み入れる事はなかっただろうな…)
 ある程度の身なりを整える事は社会に生きる者としては最低限の礼儀だという事は理解しているが、ここまでの品質を求められる様な世界には生きていない自覚もある。
 ぼんやりとそんな事を考えながら、三日月に請われた通り、面影は店の中の様々な品々を見て回り始めた。
 某西欧の超高級な老舗のテーラー、その日本国内唯一の店舗というだけあり置かれている調度品なども一級品ばかりだ。
(…もし壊したら、と思うと背筋が凍るな……バイト代何年分ぶっ飛ぶのやら)
 触るのも憚られ、面影は内心緊張しながら辺りを見回し、気になった棚を一つ一つ回ってゆく。
(……へぇ、衣服ばかりじゃないのか)
 どうやら此処はスーツだけではなく、男性の数少ないアクセサリー類の取り扱いも行っているらしい。
 少しだけ服飾系は見飽きていた面影は、つい興味を抱いてそちらへも歩を進めて行った。
 女性とは異なり男性が一張羅以外でオリジナリティーを見せる物は多くないが、それでも靴やネクタイ等、見るものは色々とある。
 その中で、ふと、面影が目を留めて歩みを止めたものがあった。
(これ…………)
 珍しく、面影がその品に魅入られ、じっとそれを見つめている。
「何か、お気に召したものがありましたかな?」
 不意に背後から声を掛けられ慌てて振り向くと、そこには店員らしき老紳士が柔和な笑みを湛えながら立っていた。
 銀縁の眼鏡を掛け、艶やかな白髪を後ろに撫でつけたその紳士は、この店で仕立てたであろうスーツを見事に着こなしており、きっとこの店の中でも重要な立ち位置であるスタッフなのだろう事はすぐに察せた。
 どんなに立派な衣服でも、それを着こなせなければ意味はない。
 その点、この紳士は見事にこの店の看板としての役目を果たしている。
 彼を見て、この店の服を纏いたいと望んだ客は、きっと数多くいただろう。
「……これ、少し気になって」
 老紳士に尋ねられ一瞬戸惑った面影だったが、そのまま自分が視線を向けていたその品へと再び注目して答えると、それを確認した相手も得心がいったとばかりに頷いた。
「良い品でしょう。最近、入荷したばかりの逸品です」
 少しだけ自慢げな声音を含んだ声でそう言った相手は、首を傾げて面影に尋ねる。
「お持ちの服はどの様な素材で? もしこれから仕立てるご予定が御有りなら、こちらが合う様にアドバイスも…」
「あ、いや、私ではなく……」
 このままだと自分も一着仕立てないといけなくなるかも…と奇妙な危機感を覚え、面影は焦って首を横に振ると、おそらくまだフィッターと話しているだろう三日月のいる方向へと顔を向けた。
「三日月が…今仕立てているスーツに合いそうだな、と…」
「おお、三日月様のお連れ様でしたか」
 成程、と紳士は深く頷いて納得した様子を見せる。
「あのお方はどの様な服でも見事に着こなされる……職人冥利に尽きますが、あれだけ凛々しい方ですとこちらとしても尚更、相応しい服を仕立てるべく一瞬たりとも気が抜けません」
「ああ……分かる気が……何というか…人間離れした雰囲気を感じる事がある」
「まことに」
 面影の感想に同意を示したところで、老紳士は改めて面影が眺めていた品について話を戻した。
「三日月様には適当に見繕ってほしいと依頼され、別のお品を考えていたのですが、こちらも最後まで迷う程には選択肢として考えておりました。当方が選んだ品は……」
 その別の品について説明され、仕様やら値段やらを考えると、確かにそちらの方が店としては勧めるだろうと面影は納得した。
 何より、店側がその別の品を選んだのは、三日月からの『手間は掛からない方が良い』という一言が決め手になったのだという。
 しかし……自分がこれに目を惹かれたのも事実であり……
「……………」
 見つめていた品の値札を確認し、面影の脳裏で凄まじい勢いでそろばんが弾かれる。
 そして、改まった様子で老紳士に向き直り………
「……一つ……出来たらで良いんですが……頼みが………」




「最近、バイトが多いのではないか?」
 ぎく……っ
 テーラーに二人で赴いてから二週間が経過した頃、そんな問いが三日月から投げかけられた。
 いつか来るかもしれないとは思っていた質問だったが、やはり現実で問われてしまうと緊張で身が引き締まる気がする…いや、事実、過剰に引き締まっている。
「ああ、最近は店の方も忙しくなってて……期間限定のコーヒーが人気らしくて客が増えてるんだ」
 丁度その時に作っていたパスタをフライパンの中で具材やソースと合わせながら、何でもないという風を装って面影は答えた。
 今は昼ご飯に具沢山のトマトソースパスタを作っている真っ最中。
 そのタイミングを幸いに、敢えてリビングにいる三日月とは視線を合わせない様にする。
 下手に目を合わせてしまえば、自分の誤魔化しが相手に看破されてしまうかもしれないと思ったからだ。
 しかし、面影が言った内容に嘘があった訳でもない。
(嘘は言ってない………でもやっぱり、言い訳を考えておいて良かったな…)
 もし心の準備を何もしていなかったら無駄に狼狽してしまい、そこからこちらの企みに気付かれてしまっていたかもしれない。
 悪いことを企んでいる訳ではないのだが……恩人でもあり友人でもあると(自分は)思っている相手に隠し事をするというのは、やはり良心の呵責が少なからずあるのだ。
(でも、ここまで来たら何とかやり遂げたいし……)
「そう、か………」
 自分的にはこれ以上ないクオリティーで誤魔化せたと思ったのだが、向こうはまだ納得出来ていないのか、ほんの少しだけ眉を顰めて小さく呟いた。
(う………)
 いけない……それなりに長い時間共に過ごしてきた相手があんな切なげな顔をしていると、こちらも胸が痛んでしまう。
 しかし…ここは初志貫徹!
「…ほら、出来たぞ? 熱いうちに食べよう」
 努めて、何でもないという風を装いながら備えていた二枚の皿に出来上がったパスタを盛り、キッチンのテーブルへと運ぶ。
 既にテーブルに準備していたサラダも彩り良く、栄養バランスもしっかりと考えられている。
 その呼び声を受け、三日月も素直にリビングからこちらへと移動してきた。
 相変わらずその愁眉が解かれていない事を確認したところで、若者はふと思う。
(もしかして…?)
 こちらとしてはちゃんと三日月の部屋や食事の管理も、穴を空けない様にきっちりやっているつもりだったが、相手の目から見たら至らないところがあったかのか?
「ええと、手を抜いているつもりはないのだが……私の仕事で何か落ち度が?」
「いや、そういう訳ではない。寧ろ……」
 即座に否定し、三日月は面影の姿をまじまじと見つめ、そっと手を伸ばすと相手の頬に触れた。
「う、あ…」
 触れられる前にプレートをテーブルに置いていて良かった……持っていたら手元が狂ったかもしれない。
 悲劇を回避できて良かったと内心安堵していたが……
「お前が心配なのだ……バイトが辛いのなら、その間は俺の世話など無理してせずとも…」
「いやいやいやいや!!!」
 三日月の気遣いの言葉に、思わず食い気味に反応しながら面影が首をぶんぶんと横に振る。
 こちらが隠し事をしているのに、向こうが予想以上に気遣ってくれた事による後ろめたさがついそんな過剰な反応に繋がってしまった。
「わ、私の我が儘でやっている事だから、ちゃんと責任は持つ、いや、持たせてくれ! 至らないところがあればちゃんと改めるし…けど、このバイトだけはしっかりと最後までやり切りたいんだ!」
「う、うむ……?」
 珍しく必死に縋って来る相手の姿に流石の三日月も少々引いてしまった様子だったが、それが幸いしたか、それ以上三日月が面影のバイト事情に言及する事はなかった。
「………くれぐれも無理はするなよ? 多少部屋が汚れていようと死にはしないのだから」
 最後に最低限伝えたい事だけを伝え、三日月は面影の意志を尊重する事にしたのだった。




 そんなこんなで面影がバイトに励む日々が続き……ようやくそれが終わる時期に、三日月の方でも例のスーツが完成し、パーティーに赴く日が訪れた。
 当日の夕刻
「前から言っていた通り、今日の夜は俺は不在だから夕食の準備は不要だ。これからあのテーラーで着替えてそのまま向かう事になるから、留守を頼みたい」
「ああ……その、三日月、その事なんだが……」
「うん?…………」
 おず…といつになく遠慮がちに呼びかけてきた相手の様子を見た三日月が、何かを察した様に頷いて笑う。
「おお、お前もずっとバイトで忙しかったからな、たまにはさぼっても良いのではないか? 自室で好きな食事をデリバリーで頼むのも良かろう」
「あ~……いや、そういうのではなくて……わ、たしも、一緒にテーラーに行きたいんだ」
「む?」
 珍しく同行を申し出て来た面影に、三日月が軽く目を見開く。
 普段はこちらの仕事に関わる件には邪魔をしない様にという心遣いだろう、面影がそういう話に首を突っ込む様な事は一切なかった。
 常にそういう行動を取っていたので、今日もてっきり大人しくこの部屋の中で留守番をするのだろうと踏んでいたのだが……一体どういう心境の変化だろう?
「お前が同行するのは全く問題ない…が、珍しいな?」
「その………完成したあの服を着た三日月を、見たいと思って……出来ればパーティーに行く前に………私がいては邪魔になるだろうか?」
 滅多にしないおねだりが相手にどういう心境の変化をもたらすのか、もしかしたら不機嫌になってしまうかもと不安だったのかもしれない。
 遠慮がちに上目遣いにこちらを見上げて来る面影の姿に、当然、三日月は機嫌を損ねるどころか一気に有頂天になった。
 密かに愛しいと思っている相手が、心許なさげにこちらを見上げて来る姿など眼福そのものである。
 こういう姿を見る事が出来たのなら、それだけでもテーラーに衣装を依頼したことも、引いてはパーティーに参加する事を決めた意義がある。
「いや! とんでもない、お前が行きたいのなら是非、共に行こう」
 そうして、今度は逆に三日月が面影の腕をしかと掴み、逃がさないという様にそのまま二人でテーラーへと向かったのだった。
(み、三日月、いやに乗り気だったけど……まぁ、良かった…のか…?)
 相手の勢いに圧された形で同伴した面影だったが、こっそりと安堵の息を吐く。
(本当に良かった……私が行かないと、最後の仕上げが出来なくなるからな)
 面影が何を企んでいるのかは無論三日月が知る由もなく、道中、面影がそれを知らせる事もなく、彼らは特に何のトラブルもなく店に到着する。
「お待ちしておりました、三日月様」
「うむ」
 いつぞやの老紳士は今日も出勤しており、厳かに三日月と面影を迎えた。
「スーツは準備しております。こちらに…」
「ああ…ではな、少し外すぞ、面影」
「分かった。此処で待っている」
 三日月が試着室の方へと案内されるのを見送った面影と、老紳士の視線が一瞬交わると、二人がほぼ同時に軽く頷き合う。
 それは互いに挨拶代わりに頭を下げ合った様にも見えたし、何かを示し合わせたようにも見えたが、三日月の背後でなされた些細な挨拶は彼に見られる事はなかった。
 そして三日月が例のスーツを纏って現れるまで、面影はうろうろと店内を歩き回り、老紳士はまた別の準備があるのか一時的に席を外していた。
 いつになく落ち着きがない面影が店内を当て所もなく放浪して暫しの後……こつ…と硬い足音を響かせて三日月が試着室からその姿を現した。
 面影にとっては二度目になるあのスーツ姿の彼だが、やはりしっかりと手直しが施された後のスーツは、あの時見たそれよりもしっくりと三日月の身体に馴染んでいる様に見えた。
 人の身体の黄金比をここまで忠実に顕している者は、彼以外いないのではないだろうか…?と本気で思う。
「ふむ……問題ないな」
 何気なく呟くが、その口元には満足げな笑みが浮かんでおり、本人も職人の仕事ぶりに満足している様子だった。
 しかし、その姿の一部分にはまだ、本来あり得ない不自然さが残っている。
 袖口の部分だ。
 一度、仮縫いの時に面影とも話し合っていたカフリンクスがまだ装着されていなかった。
 それは三日月も了承していた様で、改めて現れた老紳士に彼が声を掛ける。
「素晴らしい仕上がりだ、感謝する……では、見繕ってもらったカフリンクスを貰えるか?」
 カフリンクス、という単語を聞いた時、面影の顔が微かに緊張の色を示し身体も固まった様に見えたが、呼ばれた店員は恭しく頭を下げ……
「はい……その前に」
「ん?」
 そこで相手は、老練した両手に乗せられた二つのジュエリークッションを厳かに運んで来た。
 それぞれの上に乗せられたのは異なるデザインのカフリンクス。
 片方には銀の小さな円形の土台の上、小粒ながらも繊細なカットを施された蒼い宝石だろう澄んだ輝きが煌めいている。
 そしてもう片方は、同じく土台は円形だが対照的に闇を思わせる漆黒…その中央に抽象的な形の三日月と蝶が螺鈿細工で象られていた。
 三日月の開かれた腕の中に抱かれる蝶の意匠は、螺鈿の神秘的な輝きと併せ、こちらも十分に人目を引くものだったが、それに加えてそのカフリンクスは別の一品とは異なる特徴も備えていた。
 二つのボタンが鈍色の細身のチェーンで繋がっている。
 その異なる形状については、紳士が控えめに説明を始める。
「三日月様から承っていたカフリンクスの条件の一つは、『手間が掛からないものを』という事でしたので、私どもはスウィブル式のこちらを準備させて頂きました。既にお品を確認後、ご満足頂けておりましたし、元々の予定ではこのままご利用頂く予定だったのですが……」
 そこまで言うと、紳士はもう一つのジュエリークッションに乗せられていた螺鈿細工のカフリンクスを差し出す。
「先日、そちらのご友人からご相談を受けたのです。普段、とても世話になっているからそのお礼をしたいと。ご友人の方が選ばれ、購入されたのがこちらのお品になります」
「!?」
 余程、驚いたのだろう。
 いつもの余裕に満ちた動きとはまるで違う、正に動揺を形にした様にばっと面影の方へと振り向き、三日月が真っ直ぐに面影を見据える。
「……おも…か、げ?」
「……ええと」
 射貫く様に強い視線を受けて、面影は顔を俯けてようやくこれまでの生活の種明かしをした。
「いつも私の事を気遣ってもらっているのに、少しも恩返しが出来ていない気がして………ささやかだけど、贈り物をしようと思ったんだ。お前が選んだカフリンクスと比べたら値段も質も劣ってしまうけど、ちゃんと、お前からの報酬ではなく、バイトだけで稼いだお金で買ったから…」
「…………」
 呆然と言葉を失っている様子の三日月に、紳士が再び朗らかな笑みを浮かべながら面影の言葉を継いで説明を続けた。
「ご友人の選ばれたお品も良い品なのですが、一つだけご要望に沿えない点が。こちらは伝統的なチェーン式になりますので、執事や召使いなど『誰か』に付けて貰える身分の者を対象にした物になるのです。一人ではとても付け難いもので三日月様の希望には沿わない物ではありましたが……」
 そして、そこからは面影が言葉を継いだ。
「選んだ責任だ。もしお前がそれを身に付けたい時には、いつでも私がその役を担おう。そうしたら少しは……」
 実に子供染みた作戦だったかもしれないな、と思いつつ、面影はひそりと小さな声で最後まで言い切った。
「私が、お前の役に立てる言い訳にも、使えるだろう?」
「……………」
 目を見開いたまま、三日月が面影を見つめ……そしてゆっくりと紳士が差し出している二つのジュエリークッションへと視線を移す。
 『どちらになさいますか』と言う様に二品を差し出していた店員だったが、既に答えは察している様子で笑っている。
「………この店が仕立ててくれた全ての物に十分に満足している。頼んでいたカフリンクスも含めて全て、だ。しかし…」
 三日月は最大の謝意を示した上で、それでも面影が選んでくれたカフリンクスの方を指差した。
「俺には、こちらを選ぶ以外の選択肢は無い」
「承りました。では…」
 紳士は頷き、面影へと視線を向けて促した。
 ここからは、いよいよ彼の出番だ。
「こちらが、ある意味本日の本命とも言えましょう。これは貴方の仕事ですぞ」
「…ああ」
 その言葉を受けて、面影はゆっくりとクッションの上に乗せられていたカフリンクスを取り上げた。
 付け方は、前もってバイト帰りに立ち寄り、この店でしっかりと教えてもらっていたので問題なくこなせる自信がある。
「では、私はハイヤーを呼んで参ります」
 既に付け方を免許皆伝している面影を残しても問題ないと判断した老紳士は、クッションを抱えたままその場から中座してゆく。
 二人の邪魔をするべきではないと判断したのだろう、やはり、そういう空気を読める有能な店員なのは間違いない様だ。
 自分達だけになった空間の中、面影は改めて三日月に向き直り、そっと空いている方の手を差し出した。
「さぁ、お手をどうぞ」
 心のゆとりの現れか、面影は三日月に微笑みかけながら、腕を出す様に促した。
「………」
 主人に付き従う執事を気取った様な面影の物言いだったが、その時三日月には彼がどの様に見えていたのだろう。
 それよりももっと強く、深く、己と絆を繋いでくれる存在であってほしいと願う様に、瞳の光が切なげに揺れていた。
 しかし、それを面影が見ることは無かった。
 彼の言葉に引き寄せられる様にゆっくりと伸ばされた三日月の片腕、その大きく開かれたままの袖口のカフスボタンに、自らが選んだカフリンクスを付ける行為に集中していたからだ。
(……何だか、嬉しいな)
 自分が自分の意志で選び、自分の力で稼いだ金で買った贈り物が、この人の袖口で輝いている。
 相手が選んだあちらの宝玉の輝きには敵わない、しかし、今だけでも三日月はこの贈り物を選んでくれた、それだけで満足だ。
(………え………ずっと見てる?)
 面影が袖口に集中している間にも、三日月の視線が袖ではなく自分へと向いているのを若者は何となく感じていた。
 直接確認した訳ではない、しかし、見えない目の様な感覚が、自惚れではなく確かにそうであると自身に教えてくれる。
(あまり見られると恥ずかしいんだけど………い、言うのもな……)
 却って恥ずかしさが増してしまうだろうと面影は敢えて相手の視線をそのままにして、先ずは片方のカフリンクスを付け終わる。
「…そちらも」
「……うむ」
 もう片方の左腕を出してもらえるように促し、その隙にちらりと三日月の表情を窺うと、今は視線は自分からは外され、付けられたばかりの贈り物へと向けられていた。
 こちらが視線を向けている時には、注目していると悟られない様に敢えて逸らしたのか、それとも本心から品物が気になったのかは分からないが、再び面影が残った対の物を付けるまで、三日月の視線が相手のそれと交わる事はなかった。
 しかし。
 面影がまたカフリンクスへと意識を向けると、同じ様に三日月の視線が自分を捉えている事に気付く。
 まるで執着を押し隠す様に、こちらが見つめると視線を外し、視線を逸らすと凝視してくる。
(う……視線が合ったら合ったで恥ずかしいんだろうけど………何だか、落ち着かない、な……)
 何だろう、胸の奥、届かない場所がむずむずする様な不思議な感じがする。
 決して不快ではないのだが………
「……うん、これで良い」
 無事に二つのカフリンクスを付け終わり、面影が頷きながら相手の腕を解放する。
 そして、これで全ての準備を整えた三日月の姿を改めて確認し、知らず溜息が漏れた。
(………見えない牙……か)
 いつか三日月がそう評していたが、確かにそうだなと納得する。
 すらりとした長身痩躯の男はそれだけで様になるのに、更に極上の装いを纏った今は何処から見ても隙の無い完璧な存在へと変じていた。
 天上の神が地上に降り立った時には、きっと彼の様に眩く見えるのだろう……
 しかしその陰では、不躾に近づく者全てを許さないという見えない鋭い牙……刃が鋭利に研がれている。
(これは……さぞやパーティーでも話題を搔っ攫っていくだろうな………)
 彼の姿を直に見る事が出来るだろう参加者はとても幸運だ……牙を感じた者はとても不運でもあるだろう。
(……ん…?)
 不意に。
 ちかっと、星が瞬く様な光が網膜の奥に一瞬輝き、そこに一人の人物が浮かび上がった。
 誰だ……男か………背を向けている一人の男……
 随分古めかしい時代の…狩衣と呼ばれた衣か……鮮やかな蒼のそれを纏ったその者は妙に三日月の後姿に似ていたが、その姿は一瞬にして消え去り、目の前にはいつもの『彼』がいた。
(何だ、今の………疲れてるのか?)
 あんな格好の人、知らない……知らない…筈だ……だからきっと、気のせい、だ……
 確かに最近はバイトを入れまくっていたからな、と納得したところで、そこでようやく面影は三日月がこちらを見ている事に気付いた。
「……う……」
 先程までは視線が交わらない事に落ち着かなさを感じていた筈なのに、いざこうして交わってしまうと途端に胸が騒がしくなってしまう。
(か、格好いい男だというのはもう十分に分かってる筈だろう!…何だってこんな……見つめられるだけで胸が…)
 必死に上辺だけでも平静を保ちつつ、せめてこの沈黙を埋めようと唇を開く。
「その………選んだ私が言うのは手前味噌だが、よく、似合っている」
「…何を言う。お前が俺の為に選んで贈ってくれたのだ、如何なる九鼎よりも大切にすると誓おう」
 面影の賛辞に満足げに頷き、そして三日月は袖口に光る贈り物をそっと大事そうに、愛おしむ様に指先で撫でた。
「……っ」
 その指先を見た瞬間、思わずそれで自らの背筋をなぞられた様な気がして身を竦ませる。
(…あんなに、大事そうに……)
 優しく触れられるのは、どんな感じなんだろう……
 彼が愛しい誰かに触れる時、あの指達はどう動くんだろう……
 そんな思いを抱いた面影の脳裏に、三日月に抱き寄せられ、その腕に優しく拘束されている自分の姿が浮かんだ。
「っ!!」
 自分の事ながらとんでもない妄想をしてしまったと激しく動揺し、心中を探られない内にと視線を外しつつ言葉を紡ぐ。
「わ、私の用事は済んだし、そろそろ家へ戻るから。パーティー、楽しんできてくれ」
 元々此処に来るまでの道中で話し合って決めた予定だったので、これは面影のその場凌ぎの思いつきではない。
 此処で取り敢えず二人は解散、面影はマンションに戻り、三日月はハイヤーで会場に乗り付ける事になる。
「……………」
 予定として決まってはいたが、珍しくもまだ未練が残っているのか三日月の寂しげな視線が面影を捉えて放さない。
「……そんな目で見られても行かないからな。そもそも着ていく服がないだろう」
 絆されそうになりながらも尤もな理由を述べて、面影は相手の背中を勇気づける様にぽんと叩いた。
 丁度ハイヤーが到着したのか、あの紳士がこちらに迎えに歩いてくる姿が向こうのホールに見えた。
「それを私の代わりと思ってくれ。ほら、いってらっしゃい」
「……お前の…代わり…」
 面影の言葉を復唱すると、何か心の覚悟が決まった様に三日月の瞳に怜悧な彩が宿る。
「……行ってくる」
 不意打ちの様にぎゅ、と面影に軽くハグをして若者を見事に生きた彫像に変えた後、三日月は悠々と歩いてハイヤーが停まっている店の正面玄関に向かい、車内に吸い込まれていった。
「…………」
 暫し固まっていた身体をようやく自由に動かせる程に回復した後、はーっと一気に大きく息を吐き出す。
(び、吃驚した……!!)
 いきなりのボディータッチは心臓に悪い……あんなに自然にやられると拒む選択肢を選ぶ間もないし。
 いや…拒む事は無い、けど……こういう場所だと恥ずかしいというか……
「随分と慕われていますな」
「っ! あ……いや…」
 背後から声を掛けられ、再び吃驚しつつも何とか作り笑いで誤魔化しつつ面影は改めて店員に向き直った。
 今回のサプライズ、彼が居なければ成り立つことはなかった。
 最初にあのカフリンクスの購入を申し出た時、即決購入するには手持ちが足りなかったので何とか頼み込んで予約品として預かってもらったのだ。
 本来はそういう事が出来るのはかなりの上得意様のみだったらしいのだが、面影が三日月の親しい知己だというのが考慮される理由になったらしい。
 結局、三日月の七光りに頼ってしまった感は否めないが……そこは目を瞑ってもらおう。
「随分とお世話になりました。私などが客として此処に来るのはなかなか難しいと思いますが、もしまた此処を訪れる機会があれば、その時は宜しく」
 自分の様な庶民が来るには敷居が高い場所ではあったが、居心地は良かった。
 ぺこりと素直に頭を下げて謝意を示した面影にいえいえと返した後、その紳士は暫し素直な若者を見つめる。
「?」
「これは私の長年の勘による独り言の様なものですが………貴方はまた客として近い内に此処を訪れると思いますぞ」
「? ふふ、だと良いですね」
 それは向こうの優しい社交辞令の様なものだろうとその時は軽く考え、面影は再度深く礼を述べてそのまま家路についたのだった。





 後日談……
「一度ぐらい、あっちのカフリンクスを使ったらどうなんだ?」
「うん…まぁ……気が向いたらな」
(……向ける気はなさそうだな)
 水を向けたものの、全く応じるつもりがないらしい相手に苦笑しながら、面影は甲斐甲斐しく男の袖口にあの贈ったカフリンクスを付けてやる。
 そんな二人にとって大事な『行事』を行っている若者も、今日は三日月と同様にフォーマルな葵色のスーツを纏い、まるで王子の様な精悍さを称えていた。
 あの日のパーティーから戻った三日月が、翌日には面影の手を引いてテーラーに赴き、仕立てる様に注文したこれまた超一級品のスーツ。
『予想よりお早かったですな』
 紳士の予言の成就を受け、真っ赤になった面影が俯いて一言も発する事が出来なかったのは言うまでもない。
「…うむ、さぁ、お前も腕を出せ。俺が付けてやろう」
「が、頑張れば一人で……」
「遠慮するものではないぞ、さぁ」
 半ば強引に腕を引かれ、今度は面影が三日月の手によって袖口にカフリンクスを付けられる。
 こちらは紫色の蒼玉(サファイヤ)を台にスクエアーカットしたものだが、シンプルな形態でもその輝きは明けの明星の如く人目を引くに十分であり、どれだけその宝石が純度が高い希少なものだったのかが窺い知れた。
 これもまた、三日月のお気に入りになったものと同じ、チェーン式。
 勿論、三日月が直々に選び、面影へと贈られた逸品である。
「…大体、私の為にこんな高級な服を準備しなくても……形だけでも整えたらドレスコードには引っかからないだろうに」
「たまには味の分からん宴ではなく、お前と心置きなく美味い食事を楽しみたいと思ったのでな。折角なら、最高に見目好いお前と共に行きたいのだ」
 そして二人の準備が整ったところで、三日月が恭しく腰を折りながら右手を面影に向けて差し出した。
「では参ろうか。俺の最も親愛なる伴侶よ」
「は……っ」
 意外な単語を聞いて一気に真っ赤になった面影が、ぱくぱくと口を開閉させながら必死に脳内で見えない辞書の頁を捲っていく。
 待て待て待て、落ち着け……確かそれには夫婦だけではなく、共に連れ立つ者の意味もあった筈……そうだ、そうだった……なら、別におかしくも何ともない……筈。
「え、と………は、い…?」
 どう応えるべきかよく分からなかったので疑問符が最後に付いてしまったが、何とか平静を装いながら頷き、三日月の手に己のそれを遠慮がちに乗せると、そのまま優しく柔らかく相手の掌の中へ包まれた。
 暖かくて心地良い…その力加減が、相手の思い遣る心を表してくれている様だ。
(優しい………こんなに優しく触れられるものなのか……)
 どきどきしながらも三日月の隣に立ってゆっくりと歩き出す。
 ちらっと隣の三日月の横顔を覗き見ると、とても上機嫌に見える……何故だろう。
(……今日行くところ、そんなに美味しいのか……期待しておこう)
 完全に明後日の方向で勘違い炸裂している若者は、もう一度三日月の端正な横顔を見てしみじみ考える。
(…私一人が独り占めするには勿体ないぐらいの色男だけど………役得、かな)
 いつもこの男は非の打ちどころがない程に良い男だが、目の前のよりレア度が高い豪華絢爛な装いは、男の自分でも見惚れる程だ。
 そんな相手を独り占め出来ると思うと、らしくなく心が沸き立ってしまう。
 そしてそれは、実は三日月も同様だった。
(ああ、やはり良いものだな………俺が選んだ服を愛しい者が纏い、俺との時間を共に過ごしてくれるとは……)
 実はあの日のパーティー、面影に背を押されて参加はしたものの、行ったところで唯空しさが増すばかりだった。
 面影には言わないが。絶対に口に出す事はないが。実はあのパーティーには何処かの小国の王族も忍びで参加しており、その流れを汲むという姫から求愛を受けたのだ。
 誰もが認める見目麗しき美姫であったし、ビジネスを考えても受けない手は無かったのだが、この男はその場で相手を迷いなく振ったのである。
 その後、会場は暫しの間大騒ぎになったのだが、事の発端となった三日月本人は『面影を同行させてなくて良かった』と、それだけを考えていた。
 そんなごたごたもあった所為で、帰路の間中、三日月は仕切り直しとして面影と別日に出掛ける計画を練っていたのであり、それが次の日の若者をテーラーに拉致する流れに繋がったのだった。
 色々と語らない事もありはしたが……今、自分に向けてくれる面影の笑顔を見られるのならそれで良い。
 そんな二人の視線が再び交わり、共に自然に微笑み合う。
 今日の晩餐はより特別な思い出として残るかもしれない、と互いが思いながら、彼らは仲良く外へと向かっていった………