入院七日目






 ようやくこの医療機関での生活にも慣れてきた頃……
 入院五日目と六日目は、面影の意志で三日月に対し一つの希望が出されていた。
『十分に発散出来たから、暫くは大丈夫。処理は一時休止してほしい』
 つまり、三日月による性欲処理を拒否する、という意味だ。
 すぐにそれに対して異議を唱えようとした三日月に、間髪入れずに面影が先制攻撃。
『身が持たない』
『…………』
 流石に昨日はやり過ぎたか……目隠しを取った後で堪能した面影の可愛く乱れる姿につい図に乗って繰り返し繰り返し達かせてしまった………
『そ、それに……毎回、リネン交換でこっちがバレるんじゃないかと不安になるし……』
 確かに、行為の最中につい興が乗ってしまい、吐精時にタオルで覆う暇がなくそのままシーツに零してしまう事もあった。
 その名残を認められるのが怖いと思っているのだろう。
 しかし、一応完璧に除去できている訳ではないがちゃんと行為の後は拭き取っているし……
(………という言い訳は聞いてくれそうにないな、今は)
 まぁ、仕方がない、こちらとしても無理強いをして嫌われるという事は絶対に避けたい。
『あいわかった。俺としては残念だが、暫くは処理は休止という事にしよう。もし、希望があれば言ってくれ』
 素直に引き下がりつつも、次に繋げようとする姿勢は最早天晴れである。
『とっ、当分は大丈夫だ…と、思う』
 昨夜の処理の回数を反芻しただけでも顔が赤くなってしまいながら、面影はそう答えたのだった。
 勿論、痩せ我慢などではなく、しっかりとした自信の元にそう返答していた。
 しかし、一日経過し、二日経過し……




 三日目になって、早くも面影は過去の己の見立てが甘かった事を思い知らされる事になっていた。
(まさかこんな………………)
 ベッドの上に仰向けに横たわっていた面影は、白い天井を眺め…いや、睨みつけながら己の身体の不甲斐なさを叱咤していた。
(一週間ぐらいは余裕で耐えられると思っていたのに……どうしてもう、『したく』なってるんだ……!!)
 一週間は禁欲生活など余裕で送れると思っていたのは、別に単純な予測や思いつきなどではない。
 実際に、三日月に出会う前やこういう事をされる前の自分は、その程度の頻度で問題なかったからだ。
 そうだ、元々自分には性欲が殆ど無かった筈。
 一度も彼女を持とうと思わなかった事も、それに起因している部分もあったのだろうと思う。
 かと言って、元々男色の気があったのかと思い返してみるが、決してそういう事でもない。
 三日月と出会う前も出会ってからも他の男性には一切の興味をそそられないし、触れたいとも思わない。
 今まで通り、そういう面では淡白な自分のままだった。
 なのに、三日月相手に限ってはそんなに悠長に構えていられなくなっている事に、面影は既に禁欲二日目から薄々気付き始めていた。
(三日月の顔を見る度に、思い出してしまう……)
 この数日間、相手に翻弄された時の事を………その時の己の痴態を…………
 思い出す度に恥ずかしさで顔から火が出そうになる……が、同時に彼に施された愛撫の心地良さも思い出してしまう。
 昨日から少しずつ……顔を合わせ言葉を交わす度に、少しずつ少しずつその時の記憶が身体の奥底に積もっていき、共に身体の奥に刻まれた快楽がむくむくと頭をもたげていく様な感覚まで生じていた。
 まさか自分がこんな状態になってしまうなんて、と思う中、思春期の少年の様だ、と今の状態を振り返る。
 その時期の男性は兎に角性欲を発散することに夢中になるのだが、正に今の己の姿と重なるのだ。
 そう、三日月限定でこの身体は欲情してしまう様になってしまった、性に目覚めた思春期の男子の様に………
(だからと言って、来るなとも言えないし……)
 その相手は今、隣のベッドサイドでのんびりと座り、新聞を開いて経済面をふむふむと読み込んでいる最中である。
「…………ふむぅ」
 紙面に視線を注いでいる美しい瞳には、何かを楽しんでいる色が見え隠れしている。
 彼が普段からあまり外に出ないのは、家で出来る仕事に勤しんでいるからであり、そもそも何処かの会社などに勤めている訳ではないらしい。
 かと言って、彼自身が会社を経営している等という話も今のところ聞いた事はない。
 それでも三日月が保有している財はかなりのものなのだろうという事は、今住まわせてもらっている住居や普段の暮らしぶりから明らかだ。
 所謂、『資産家』、『投資家』と呼ばれる類なのだろうな…と思いつつ、ふぅと面影は小さく溜息をついた。
 その吐息が聞こえたらしい三日月がぱさりと新聞を折り曲げて、面影へと視線を移して微笑んだ。
「どうした?」
「あ、いや………早く良くなればいいな、と思って」
 その場凌ぎと思われるかもしれないが、嘘でもない言葉を述べると面影はじっと三日月を見つめる。
「???」
(私はこんなに悩んでいるのに………)
 あちらの心中を表面から察することは出来ないが、こうして見るとこの人物は果たして性欲というものがあるのだろうか…と本気で悩んでしまいそうになる。
 よく考えたら、自分に対する処理行為を行っている間にも、彼の手つきも表情も優しく慈愛に満ちていた…が、彼本人がこちらに対して欲を露わに迫る様な素振りは全くなかったし………楽しんでいたのは明らかだが。
 いや、そういう行為はまだ、と怪我する前から相手に断っていたのは他でもない自分なのだから、こちらがこう考えるのは理不尽である事は理解している。
 寧ろ、希望を呑んでその様にしてくれている三日月に対しては感謝するべきだという事も。
 でも、あそこまで淡々と対応されていると、つい要らぬ不安を抱いてしまいそうになるのだ。
(………もしかして……付き合ってはみたけど…私に魅力がなかったとか…? いや…)
 そもそも魅力を感じなければ手さえ出さない筈だし……と、ごにょごにょと心中で堂々巡りの思考に嵌まっていたところで、三日月が思い出したように言った。
「そろそろ入浴も出来ると言われたそうだな」
「あ、う、うん……順調だからって……リハビリはもう少し先になりそうだけど」
「ヒビと言っても骨折とほぼ同義だからな……しかし、下手に捩れてはいなかったのだから幸いだ」
「ああ……」
 三日月の様子は昨日ともその前からともまるで変わらず優しい。
 その様子が今の己の煩悩を更に如実に曝け出している様に感じられてしまい、面影は再び溜息をつきそうになってしまう。
(うう、考えるんじゃなかった……)
 下手に考える程にどん詰まりになりそうだ。
(でも、そうか……もうすぐ入浴出来るのか……)
 今まで清拭はしてもらっていたけど、それでもしっかりと身体の穢れを湯で洗う快適さには及ばない。
 遠からずさっぱり出来そうだ、とそれそのものについては文句はないが……
(入浴の時は………や、やっぱり助力は必要なんだろうな…)
 そうなるとどうしてもまた三日月に頼るしかないのだろう。
 清拭の時の選択肢と同様、看護士に頼むという手もありはするが、過去を振り返ると絶対に彼は許さないだろうし。
 そうなると、入浴の介助も間違いなく三日月に頼むことになろうだろう。
(……いや、今日の話でもないし、先の事を考えても仕方がないし)
 また泥沼に嵌まりそうなところで、面影は気分を切り替える方に意識を向ける。
「…………散歩」
「む?」
「…散歩に行こうかな」
 こうしてベッドの上で横になってばかりだから余計な事しか考えられなくなるのだ。
 気分転換に身体を動かそう、と面影がそう言葉に出すと、心得たとばかりに三日月が動き出した。
「廊下を回るか?」
「そうだな……良い天気だから、屋上にも行きたい」
「それは良いな、久しぶりに日向ぼっこといくか」
 それから少しして、あの眼福著しい美丈夫二人が屋上にいると、病院内でちょっとした騒ぎが生じたのだった。


「…今日も、良いのか?」
「う、うん……まだ、大丈夫」
 夕刻…いつも通りの清拭の一式道具が部屋に届けられた後、三日月は面影に確認を取っていた。
 無論、今日の『処理』の手伝いについてのものだ。
 ここで下手にやせ我慢したら後で自分が痛い目に遭うだろう事は予測出来る事だったが、自らの身体の状態を鑑みても、面影は『まだ』大丈夫だと判断していた。
 一昨日、あれだけ吐き出させられたのだ、まだ行為は必要ではない筈だ。
「分かった、では身体だけ拭こうか」
「すまない…頼む」
 三日月は一昨日の約束の通りに、昨日と同じく素直に面影の願いを受け入れ、淡々と入院着を脱がして肌を清めていってくれる。
 その作業中に思わせぶりな仕草をしてくるのではないかと少しだけ疑っていたが、そういう素振りは一切見せずに粛々と清拭を進めていってくれた事に安堵する一方で、こっそりと残念がっているもう一人の自分もいる事に面影は気付いた。
(…かなり…感化されてる、な……)
 一昨日までの相手から施されてきた愛撫はかつて経験がない程に心地良く、忘れる事は到底無理だった。
 触れ合う事は決して悪い事ではないと頭では理解しているつもりだったが、羞恥というか躊躇いの気持ちがまだ大きく、今回の様に断ってしまったのは、つまらない意地なのかもしれない。
(かと言って、今日はもう今更って感じだし……)
 別に喧嘩して拒んでいる訳ではないので、罪悪感を抱くのはおかしいのだが、どうにも気後れしてしまう。
 そんな面影の心中を察してくれたのか、今日は際どい場所の清拭は軽めで済ませてくれた。
「…では、軽く濯いでくるぞ。テレビでも見ていてくれ」
「今日は…しなくてもいいんじゃないか?」
 何もしていないのだから、そういう体液も付着していないのだし……
 流石にそこまであけすけには言えなくて、かなり端折った形で面影は声を掛けたものの、既に洗面所に足を向けていた三日月はそれを止める事無く淡々と答えた。
「ああ……まぁ、気分の問題だ」
「ふぅん…?」
 そういうものかな……しかし、まぁ、汚れたものをそのまま他人に渡すというのが嫌だという気持ちも分からないでもないか……
 三日月が洗面所に向かってから少しの間、面影は特に面白くもない、興味もない番組を見ていたが、どうにも集中できない。
「ん…」
 シーネで固定された右腕をゆっくりと動かし、自由になっている手首から先の関節を上手く使ってベッド脇に置かれていたリモコンを取ると、主電源のボタンを押して画面を消す。
 数瞬前まで聞こえていた音声がふっと消え失せると、しんとした静寂が耳を刺した。
(………ん?)
 何とはなしに感じる違和感。
(……水の音が聞こえない?)
 おかしくないか?
 洗うために洗面所に向かったのに、その水音が全く聞こえないなんて……
(あぁ、今は選別でもしているのか?)
 通常のタオルと色つきのそれと分けているのかも…と思い直してはみたが、それでも全く音が聞こえてこないのは、やはり不自然だ。
「………」
 一度気になったら確認せずにはいられないらしく、面影は使えない手の代わりに上腕を支えに勢いをつけてむくりとベッドから起き上がり、洗面所の方へと足を向ける。
 流石に特別室だと間取りも広く、そこに歩いて行くだけでもそれなりに歩数が掛かる。
 洗面所はユニットバスに備え付けられており、そのドアを開いたら先ず右側に見えるのが洗面所、隣は洋式トイレ、そして一番奥にあるのがシャワーが備わった浴槽である。
 もうすぐその施設も利用出来るようになるんだな、と漠然と考えていた面影が横開き仕様のドアの傍に来たところで、それが完全に閉じられてはおらず僅かな空間を空けて開いている事に気が付いた。
(あれ? 珍しい…)
 いつもの三日月ならきっちりとドアを閉めているのが常だが、今日に限って開けたままだとは。
(力加減が分からなかったのかな……)
 近づいても相変わらず向こうからは何の音も聞こえてこない…なら何をしているのだろう?と考えていた面影の耳に、微かに人の声が聞こえた。
『……ーーっ……』
「?」
 一瞬、気のせいかと思ったが、確かに聞こえた……しかもあれは確かにドアの奥から、三日月の声だった様な気がする。
(え?)
『……ぅ……』
 困惑している面影は思わずドアノブに手を掛けようとしたものの、何故か心がざわついてその動きは途中で止められた。
 何となく、自分が此処にいる事を知られてはいけないような、そんな気がしたのだ。
 もっと具体的に言うと、聞こえて来た三日月の声に、妙な胸のざわつきを覚えたのだ。
(……何だろう………普段の彼の声じゃない、様な…?)
 真相を知って良いのか悪いのか…直ぐには判断を下せなかった面影は、先ずはこっそりとドアの隙間から相手の様子を窺う事にする。
(特に何もないのなら、腕が使えない自分がいても役に立たないんだし、そのまま見なかった事にしたら良いし……)
 そんな軽い気持ちで覗いてみた若者だったが………
(え………っ!?)
 面影の視線の先に立つ美麗な男は、洗面台に片手をつき、上体をやや前屈みに傾けた姿勢でそこに居た。
 洗面台がドアからやや右寄りに設置されていた結果、彼の姿を斜め後ろから眺める形になっていたが、それでもほぼ真後ろからの視点だ。
 なので、本来なら相手の顔、表情を見る事は叶わなかったのだが、洗面台に据え付けられていた鏡がその不可能を可能にしていた。
(三日月……!?)
 思わず声を漏らしそうになったところで、自らの口を咄嗟に抑えて防いだものの、面影の双眸は限界近くまで見開かれ、背を向けている三日月の表情を鏡を通して凝視していた。
 滅多に冷静で飄々とした表情を崩す事がない三日月が、鏡の中で眉を寄せて瞳を閉じ、何かに耐える様に唇をきゅ、と引き締めている。
「は……っ……ぁ……」
 吐息なのか声なのか分からない、そんな小さな呻きが漏れていた。
 単純に声だけを聞いていただけなら、身体の不調による苦悶のそれと考えたかもしれない。
 しかし、面影の見ている前での三日月の今の姿から、若者は別の事実へと思い至ってしまったのだった。
(え……っ…三日月…が……)
 耐えるような表情を相変わらず浮かべた男は、右手を繰り返し忙しなく動かしていた。
 丁度、手が己の身体の前面に来るような姿勢で『何か』を握り込み、前後に…繰り返し…
 その行為は、同じ男性である面影にとっても馴染みあるものだった。
(あれって……もしかしなくても…)
 三日月が、自慰を…してる……!!?
「…っ」
 自分は今、見てはいけないものを見てしまっている…!?
 即座にそう判断しながらも、面影は相変わらずドアの隙間から相手の様子を覗く行為を止められないでいた。
 分かっている。
 理性では、そんな事をするべきではない、他人の秘密を覗き見るなどやってはならない事だと分かっているのに。
 寧ろ面影の両眼はより大きく見開かれ、三日月の行為を僅かでも見逃すまいというかの様に彼を凝視していた。
 背後からの覗きだから手の動きはかろうじて追えるものの、三日月の握っているモノは相手の身体に隠れた状態なので全く見えない。
 窺い知れるのはせいぜい鏡に映った相手の愁眉だけだ。
 しかし、面影の脳内では、立派なシンボルが手掌に包まれて激しく扱かれ、その刺激を受けて固く大きく育っているだろう光景が浮かんでいた。
(み、三日月の………大きかった、し……きっと、あの時のよりもっと……)
 先日、不可抗力で相手の全裸を見てしまっていたばかりに、想像する光景も生々しいものになってしまう。
(ああ………あんな…エッチな顔するんだ…)
 何かに耐えるように目を閉じ、吐息を零す苦悶様の男は、それでも目を奪われてしまう程に煽情的だった。
「……ふ…っ……ぅ……か、げ……」
(え…?)
「おも……かげっ……」
「!!!」
 小さく、呻き声の中で呟かれた自分の名前に、どくんと一際強く心臓が脈打つのを感じる。
 聞き間違いかと訝ったが、これだけ近い場所だとそれは流石に考えられない。
(三日月が……私の事を…思いながら……?)
 自分がまさか自慰のオカズになっていたとは思っていなかった分、それを知った時の衝撃は頭を殴られた様な衝撃だった。
 いや、思い返してみれば面影自身も相手をオカズにした事はあるので、お互い様という感じなのだが、三日月と行為のイメージが直ぐには結び付かず、ぐらぐらと眩暈を感じてしまう。
(拙い……)
 こんな状態でこのまま此処に居たら、すぐにばれてしまいかねないと危惧した面影は、取り敢えずドアをそのままに場を離れてベッドへと戻る事にした。
(拙い……ほんっとうに、拙い……)
 視界からあの淫靡な光景を外せば、全て元通り…という訳にはいかなかった。
 実物が消えても、脳裏には先程の三日月の姿、声、表情が繰り返し繰り返し……いや、脳裏では寧ろ妄想までもが想像力に加担し、より生々しく形作られた三日月の欲情した姿が生み出されてしまっていた。
(やだ、やだ………落ち着いて……っ)
 ベッドの上で上肢が重ならない様に横向きに横たわり、両下肢を縮め、蝉の幼虫の様に丸くなる。
 それから身体は横になって全く動かないのに、心臓は全力疾走したかの様に激しく打ち鳴らされていた。
 そしてその拍動に合わせて、身体の中心でも同じ脈動がどくどくと刻まれ始める。
 切っ掛けは分かっている、先程見た三日月の所為だ。
 彼の自慰に耽る姿が面影の性欲をこれでもかと刺激し、折角ここ数日落ち着きつつあった欲望が再び目を覚ましてしまったのだ。
 玲瓏なる月の名を持つに相応しい美丈夫が、あんな………堪らない表情で…私の名を………
(私のバカバカバカ~~っ!! どうして見てしまったんだ~~っ!!)
 大声で叫ぶ訳にもいかないので、せめて心の中では思い切り絶叫する。
 隠す様に身体を屈めても、それが何の抑止力にもならない事は体感的にも明らかだった。
 鎮まっていた自身の分身が、先程から着衣の奥でぴくぴくと蠢き出している……
 止めたいのに、その都度、勝手に脳裏に湧き上がる三日月の姿が逆に興奮を煽ってくるのだ。
「ん………ぁ…っ…」
 快感の小波が中心から伝い、ひくんっと肩が震える。
 漏れそうになった声は、咄嗟に指を咥える事で耐えた。
 こんなところ、三日月に見せられない……!
 彼の様子から、直ぐに此処に来る事はないだろうが、かといっていつまでもこんな状態のままではいられない。
 向こうで三日月の身体が『一段落』着いて此処に戻ってくるまでに、こちらも鎮めないと……
(腕さえ使えたら……!)
 シーネで固定され、繊細な動きが出来ない今の腕では、自らで慰める事は出来ない。
 そうなると、上手くやり過ごして時間を使って自然に鎮まるのを待つしかないのだが…………
 結論として
(無理……っ!!)
 三日月が洗面所から出て来る時までに性欲を抑え込む事は、結局出来ないままで終わってしまった。
(どうしよう……もっと悪化してるなんて………うぅ……)
 蓄積していく欲求が鎮まる前に、どんどん新たな衝動が溜まっていった。
 マイナスとプラスが衝突しても、プラスが大き過ぎたら相殺は出来ないのだ。
(………達きたい……)
 素直な欲求を心で呟いた時、タイミングを合わせた様にかちゃりと洗面所から音がして、彼の男が病室に戻って来た気配を感じた。
 戻って来た、という事は、三日月は欲望の処理をしっかりと済ませたという事なのだろう。
 面と向かって言える事ではないが、『羨ましい』と思ってしまった。
 自分も彼の様に自由に使える腕があれば………
(三日月の…腕が、あれば………)
 そう、数日前の二人の様に、彼の手で…………
「? 面影? もう寝たのか?」
 面影の悶々とした心中は露知らず、三日月は何事も無かったように洗面器に洗っただろうタオルを積み上げた状態でそれを抱えて戻って来た。
 ベッドサイドテーブルにそれを置き、そっと面影の方を覗き込んでくるその様子から。相手に覗き見られていた事にはどうやら気付いていないらしい。
「面影…?」
 瞳を開いていた面影が返事を返してこない事を訝しみ、再度声を掛けると、びくっと過敏に反応した若者がこちらに視線を移してきた。
「う、うん……?」
「起きていたか。どうした? 気分でも悪いのか?」
「ん……別に…」
「? もう眠たくなってきたか?」
 寝てはいなかったが、確かにそろそろ就寝の時間だからな、と三日月は察した様に呟きながら数度、軽く頷いた。
「では、お前の睡眠の邪魔になってもいけないからな、俺も…」
「あ、あのっ…」
「うん?」
 このままでは三日月は帰ってしまう、と思ったところで、反射的に声を掛けていた。
 三日月が帰ってしまえば、今のこの苦悶から逃れる事は出来ないかも、と不安に駆られてしまったのだ。
 時間が過ぎれば鎮まっただろう、が、声を掛ける直前まではそんな事は頭からすっかり抜け落ちていた事から、どれだけ余裕が無かったのかが窺える。
「あの……」
 声を掛けながら逡巡してしまったが、もう後戻りは出来ないと、面影は意を決して三日月に願った。
「…………し……して、ほしい…」
「!?」
「帰る直前になって…め、迷惑かもしれないけど……ちょっと……その、急に…」
 まさか『お前の自慰を見て欲情しました』などと言える筈もなく、そこは微妙な言い回しで誤魔化してみる。
「ち、ちょっとだけ手を貸してくれたら直ぐに済むと思うんだ。そこまで念入りにしなくていいから……手を……」
 時間は取らせない、という意味で断りを入れたものの、全てを言い終わる前に面影の唇は三日月のそれによって塞がれてしまった。
「ん……っ」
 念入りでなくても、と言っている傍から、その口づけはとても熱烈なものに変わり、侵入してくる男の舌は飢えた獣の様にこちらの舌に絡み付いてきた。
(すご………意識、持っていかれそう……っ)
 ほんの数日空いていただけだったのに、キス一つで気を失いそうになっている自分に吃驚してしまう。
 しかしそんな感想も一瞬で掻き消え、自ら舌を差し出して三日月に応じていく。
(……どんどん、気持ち良く…)
 初めて唇を重ねた時には、兎に角必死で気持ち良さなんて殆ど感じる暇もなかった。
 それが幾度も回数を重ねていく内に徐々にこの身が染められていくのが分かる。
 まるで、三日月という存在が自分の性欲のスイッチになっていたかの様に……
「はぁ………っ…」
 唇を離すも、両者のそれらの間に光る糸を繋ぎながら三日月が笑う。
「お前に触れられるのに、おざなりにする訳がないだろう?」
 しっかりと念入りにしてやろうと、三日月が入院着の上着の裾をたくし上げながら手を奥へと差し入れていき、そこに実る若者の蕾を指先の腹で擦り上げると、過剰な程に激しく面影の背中が反らされた。
「ん、んっ…!」
 かりかりっと指先で弾く様に蕾を苛めてやると、見る見る内に大きく固く育っていく。
 感じている何よりの証左だったが、意外にも面影はそれを拒む様に三日月に振り返りつつ訴えてきた。
「む、胸は…いいからっ……はやく…」
「!」
 その弯曲した希望を耳にした三日月がすっと視線を相手の下半身へと移す。
 ゆったりとした造りの服でも隠せない程にその奥に隠された雄の証が頭でしっかりと服を押し上げ突っ張っていた。
 成程、胸の愛撫などでは最早そこの疼きは誤魔化せないという事か……早く直接触れてほしいという事だろう。
 しかし自分が洗面所に引っ込む前には普通に会話し寛いでいる様子だったのに、そこからの変化があまりにも激しすぎる。
 物の数分で一体何が起きたと言うのか……?
「………ふぅん」
 何かを察した様に三日月は小さく頷き、胸から下半身へと手を移動させる。
「う……っ……はぁ…っ…!」
「ああ、これは………」
 岩の様に固くなってしまっている相手の楔の様子を手で知り、三日月は慰める様に軽く掌で撫で回してやったが、それすらも今の面影にとっては苦痛になってしまうらしく、必死に抑えているのだろう呻き声が漏れた。
「随分と元気になってしまったではないか……何を『見たら』こんなになってしまうのだか…」
「!!」
 言外に『知っているぞ』と示された様で面影の息が一瞬止まったが、告白する訳にもいかない以上、そのまま口を閉じるしかない。
「……まぁ良い……確かに随分と辛そうだからな……」
 先ずは面影の憂いを解決してやるのが先とばかりに、三日月は手の動きを速めて相手の茎を根元から先端までを繰り返し擦ってやる。
「あ、ああぁ~…っ~~っ…!」
 必死に声を抑える行為も、此処での生活の中で随分と慣れてきた様だ。
「好い声だ……お前の淫らな姿も声も…もっと見たくなる……聞きたくなる…」
 三日月の心情の吐露を直接聞いた瞬間、面影の脳裏に先程の相手の自慰に耽る姿が浮かび、ぞくんと背筋に戦慄が走る。
 今の自らの姿も……いつか、彼の劣情を煽る事になるのだろうか?
(三日月が……私の恥ずかしい姿を見て……思い出して……また、興奮、してくれるのか…?)
 そう考えると、何故か理由の分からない悦びが胸の内から湧き上がってくると共に、身体の熱が一気に上がってくる。
 見てほしい……
 恥ずかしいのに、三日月になら見られても良い、とすら思えてしまう。
「うあ……っ……はっ…はぁっ…! あ、ああぁ…っ」
 ぬちゅっ、ずちゅっ……と部屋中に響く音は、零れた淫液の所為だ。
 あんな大きな音が立つ程に溢れてしまっているのか…そんなに自分は……感じてしまっているのか………
「随分と盛り上がっているな……そんな蕩けた顔をして…」
 そう言われても、取り繕う事すら出来ずにぼんやりと思うだけ。
 ああ、見られてしまっている………三日月は……私の今の顔を思い出して、欲情してくれるのだろうか……?
 美しいこの顔を…肉欲に染めて……
「あっ…ああぁ…~~っ! もっ…達く……達くっ!! み、か…っ!!」
「…っ!」
 三日月の掌が面影の楔の先端を包み込んだ状態のままで、面影が思い切り吐精する。
「あ…~~~っ!!」
 びゅくびゅくっと勢い良く噴き出す精液がもたらす快感に震えながら、その熱が楔の先端を覆っていくのを感じる。
 三日月の手が離れる気配が無かった事から、彼の掌が精を受け止めたまま楔をそれに浸しているのだろう。
 二度、三度と精が吐き出される度に、抑えられない腰が激しく揺れる。
 ようやく繰り返されていた射精が落ち着いたところで、三日月の掌は先端から離れたものの、それが楔そのものから外されることは無く、そのままぬるりと茎へと滑り下りてきた。
「まだまだ固いな……こんなに射精したのに……」
「ん…んあぁっ…やぁ……それ…だめぇ…!」
 ぐちゃっ ぐちゃっ ぐちゃっ…!
 粘り気のある水音が股間から響いて来ると共に、己の楔に己の劣情の証が塗り込められている音なのだと直ぐに察し、面影の顔により一層朱が差す。
(あっあっ……! 音…やらしすぎ……っ!)
「だめではないだろう? 何度でも達かせてやる……ほら…」
「あぁ~~っ…そんな、すぐ、なんて……ま、また…っ…!」
 引こうとしていた快感の波の上に、また更なる快感の大波が重なっていくように、三日月の止まらない悪戯は面影の再びの絶頂へといとも容易く誘っていく。
「ひっ……ひぃ…っん…!」
 また射精している中、一度目より大きな快感に呑まれた面影の声から引き攣った声が漏れ、同時に閉じられなくなった口の端から涎が零れ落ちる。
 そしてまた三日月の手が楔に絡み付いたのを感じながら、熱で浮かされた脳髄の奥で面影は彼の囁き声を聞いた…様な気がした。
『また覗いてみるか……?』
 それは確かな言葉だったのかもしれないし、幻聴だったのかもしれない。
 しかしその真意を確かめる気力も失われてしまった面影は、それからも散々三日月の手によって善がらされることになってしまった。
 彼の男が語る事はなかったが、もしかしたらその甘い拷問は、面影に対するお仕置きだったのかもしれない………