入院十一日目





「はい、ゆっくりと、強く握って。そのまま五秒維持しましょう」
「ん……っ」
 リハビリが始まって二日目……
 昨日に続き、今日も面影は積極的にリハビリに向き合っていた。
 今はリハビリルームに移動し、本格的に作業療法士からの指導を受けている真っ最中。
 少し前までは主治医も付いて様子を見ていたのだが、順調である事を確認して席を外してしまった。
 流石に医師は他にも仕事があるのでずっと見ている訳にもいかないのだろう。
 しかしその代わりだとでも言う様に、リハビリの最初から面影の様子を見ている者がいた。
 最早、面影の専属介護人と言っても過言ではない、三日月宗近だ。
 今も、療法士からの指示に従い、リハビリボールを必死に握り込んで回復に努めている若者の様子を黙して見守っている。
 そんな彼もまた、他の入院患者やスタッフからの視線を集めていたのだが、それらには一向に気付いている気配がない。
 面影も三日月も、最近この病院内でちょっとした噂の人物になっていた。
 噂と言っても特に如何わしいものではなく、単純に『最近、院内に凄いイケメンが二人いる』と言うものだ。
 どうしてもその場所の特性上、病院という場所では気持ちが沈みがちになってしまう事が多い。
 それ故か、こういう陰気な話とは無縁な話題は、より大きく口の端に上りがちになるものだ。
 入院後数日間は、面影は治療が関わる事柄以外では、あまり病室の外には出なかった。
 彼の心理的、肉体的負担を極力減らすべく、早々に彼を特別室に入院させ、雑務も概ね三日月が引き受けていたからだ。
 そういう事もあり、先ず最初に噂に上がったのは患者の面影ではなく、付き添いの三日月の方だった。
 見目麗しい若者が病院の廊下だったり売店で見掛けられる度に、噂が立ち上る。
 あの美しい男は誰だとか、私服だから患者ではないのかとか、見舞いなら誰の見舞いなのか、とか………
 それから数日して、今度は彼の側にもう一人の「イケメン」が見掛けられる様になった。
 この男もまた黒髪の美男と並んで整った顔立ちをしていたが、その両腕には痛々しい補助具が付けられていた事から、どうやら彼の方が患者であり、最初に噂になった男はその患者と何らかの関わりがあるらしい。
 無論、病院側には守秘義務があるので、彼らについて第三者に情報を漏洩する事はない。
 偶に…本当に偶に彼らに話し掛ける勇者も存在したのだが、そんな彼ら彼女らに対して二人とも余計な情報を与える筈もない。
 故に、彼らの噂については『怪我をした若者の何らかの縁者である男が、日々病院に通って世話をしているらしい』と、当たり障りのない至極当然の結果に帰着したのである。
 そんな病院内でちょっとした話題になっている二人がリハビリルームに揃って現れたのだから、それはもう人目を引くのも当然と言えるだろう。
 ルーム内にいた老若男女関わらず、全ての人々の視線を集めている二人の内の一人である面影に、壮年の男性療法士が苦笑しながら声を掛けた。
「凄い人気ですね。お連れの人も病院の中で結構噂になっているみたいですよ」
「は、はぁ……ええと」
 こういう場合、どう答えたら良いのか分からない……
 『余計な騒ぎを起こしてすみません』とか?
 いや、本人が言うなら兎も角、自分がそれを言うのは違うだろう………
「……どうやらそうみたいで…」
 結局、そういう当たり障りない返答を返すに留めた面影が、再び意識をリハビリへと集中させようとしたところで、療法士がうんうんと頷きながら付け加えた。
「面影さんに関しては僕も昨日からよく声を掛けられるんだよねぇ……君について知りたい人や、お近づきになりたいって人が結構いるみたいで…」
「ほう?」
 微妙なタイミングで合いの手が入ったが、それを発したのはその場で聞いていた面影ではなく、少し離れた場所に居た筈の三日月だった。
 一体、いつの間にこの距離を詰めて来たのか…面影だけではなく、療法士も全く気が付いていなかった様子だ。

『!?!?』

 面影と療法士、双方の度肝を抜いた本人は何でもないといった様子で、しかし明らかに療法士の言葉に興味を持ってそちらへと視線を向けている……いや、向けているというより思いっきり凝視している。
 まるで『その情報について吐かない限り逃さない』と言っているかの様だ。
 目は口ほどにものを言う…正にこの諺を体現している男に少なからず怯えた様子を見せた男性に、却って面影の方が慌てて三日月に取り成した。
「み、み、三日月…っ! 落ち着け! 私は何の話も受けていないからっ」
「あ、あのですね、私どもには守秘義務というものがありまして…! 入院している患者様についてもそのご家族様方についても、他人に漏洩する事はありませんので…!」
「………そうか」
 そこまで言われたところで、三日月は納得したのか静かに小さく頷いて再びその場から離れて行く。
(……三日月、瞬間移動の技でも身に着けているんじゃないか……?)
 何とかその場を収めて一息つき…面影は療法士に改めて詫びた。
「す、みません。連れがご迷惑を…」
「い、いやいや、僕も余計な事を言ったからねぇ……しかし君達も友人同士なのか知らないがお互いにモテるねぇ」
「……はい?」
「彼のこと、時々売店で見かける事があるんだけど、めちゃくちゃ目立ってるし、声を掛けられていたりもしていたからねぇ。僕も若い頃にはーーー」
(今話している事も余計な事なんじゃないか…?)
 また三日月が突貫して来るのではないかとそちらを振り返ったが、彼は今回は何の動きも見せていない。
 どうやら、自分については何を言われていてもさして興味は無いらしい…それもどうなんだだという話だが。
(……やっぱりモテるんだな、三日月…)
 今は三日月が静かにしているので面影も口を挟むことはなかったが、心の中は少しだけ悶々としていた………



「リハビリもこの部屋で行う様に言うべきか?」
「え?」
 その日のリハビリ作業を無事に済ませ、特室に戻ったところで三日月がいきなりそんな事を言い出した。
 何を言っているのかよく理解出来ず、面影は首を傾げて聞き返す。
「何の話だ?」
「わざわざリハビリルームに行くのも面倒だろう。俺が話をつけておこうか?」
 そこまで聞いたところで、ようやく面影も相手が何を言わんとしているのか徐々に理解していき……苦笑しながら首を横に振った。
 流石にそういう特例を作ってしまうと、目立ち過ぎるし今後の入院生活でも支障が出ないとも限らない。
 この男は時々、そういう殿上人の様な発言を嫌味なくさらっと言ってしまう事があるので、それを修正するのも面影の重要な役目の一つになりつつあった。
「…やめてくれ。そんな事をしたら却って目立って仕方がない」
 至極当然の返事だったのだが、それでも尚、三日月はうんうんと低く唸っては首を捻っている。
「しかし………お前にまた変な輩が声を掛けるかも…」
「…………」
 どうしてそういう思考になるんだ…と面影ははぁと溜息をつく。
「三日月……お前が何を不安に思っているかは知らないが、私がモテるなど只の過大評価だぞ?」
 それを聞いて、今度は三日月がじと~っとあからさまに眇めた視線を寄越してきた。
「お前、どれだけ自分の事を過小評価しているんだ?」
「え……」
「まぁ、お前の価値は俺が知っていたら良い事だが、そこまで無自覚で無防備だと本気で…」
 言いながら、ベッドに横になろうとその脇に佇んでいた若者の身体を優しく抱き締め耳元で囁く。
「……何処かに閉じ込めたくなってしまうな」
「~~!!」
 抱き締められた事に対して直ぐに反応出来ず、されるがままだった面影が相手の囁きに顔が赤くなっていく。
(この男………顔も性格も良い上に、声さえも良いとか……)
 神は二物を与えずと言うが、この男に関してだけは例外だと思う。
 そんな事を考えている内に、先程のリハビリルームでの会話が思い出されてきた。

『彼のこと、時々売店で見かける事があるんだけど、めちゃくちゃ目立ってるし、声を掛けられていたりもしていたからねぇ。』

(モテるというなら、三日月こそそうなんじゃないのか…?)
 三日月はあまり一人で外に出ることは無い。
 自分が誘うと快く同行してくれるのだが、そういう時は流石に自分が横に居るからか、他の誰かに声を掛けられる事は無かった。
 いつか、彼が一人で外に居る時に美しい女性に声を掛けられているところを見掛けた事がある。
 その時はけんもほろろに断っていたが……もしその女性がもっと三日月の好みに合っていたら……彼は相手の声に応えていたのでは…?
(……いや、そんな筈は、ない……)
 嫌な事を考えそうになり、面影は直ぐにその思考を振り払う。
(三日月に限って、裏切る事はない………)
 分かっている筈なのに、相手がどれだけ人の目を惹く存在であるかを思い知らされると、醜い嫉妬心が湧き上がってきそうになる。
「……三日月だって」
「ん?」
 思わず漏れ出た言葉を、耳聡く拾い上げて来た三日月が聞き返してくる。
「俺が何だと?」
「!」
 しまった、と思ったが、聞かれてしまったらもう仕方がない。
「……お前だって、モテるじゃないか……私などより余程…」
 平静を保とうとしたが、ほんの少しだけ拗ねた気持ちが含まれてしまい、それもあっさりと三日月に見透かされてしまった。
「もしかして………拗ねているのか?」
「う……」
 逃げられない上に顔を間近で覗き込まれ、赤面したまま面影は吃ってしまったが、それが何よりの「答え」だった。
「本当に可愛いな、お前は」
「だ、から…そういう言い方をするなと…」
「何を考えて拗ねているのかは知らんが、お前はお前であってくれればそれで良いのだ。俺の傍にいてくれるだけでな」
「………三日月は…私の事が好き過ぎなんじゃないか?」
「勿論だ。今更気付いたのか?」
 せめてもの反訴として言ってみたが、それも誇りとばかりに三日月は嬉しそうな声で返し、更に強く抱き締めて来る。
 それからも、面影が部屋でのリハビリを始めるまで、三日月はなかなか相手の身体を解放してくれなかった………



「流石に箸を扱うのはまだまだか…」
「ああ……こわばる感覚はかなりマシにはなってきているんだが」
 その日の夕食が終わった後、三日月が空になった食器を廊下に置かれていた配膳車に戻し、帰って来た後にそんな会話が交わされていた。
 元々、三日月が面影の食器を取りに行くなどしていたのだが、シーネが簡素な造りのものになった今は、面影本人にも出来る作業である。
 それでも三日月が運搬を引き続き引き受けているのは、偏に面影に無理をさせたくないという気配りと、誰かの目に触れさせたくないという下心があっての事であった。
「…ふむ」
 三日月が、ぐーぱーと両手を握ったり開いたりしている面影の傍に立ち、相手のその両手を覗き込む。
「……少しの期間でも痩せるものなのだな」
「え…?」
「…ほら、此処とか」
 さわり……
「っ…」
 三日月の伸ばしてきた指先が、面影の右の掌、その親指の根元の膨らみに触れる。
 彼の記憶を遡れば、入院前の面影のその場所はもう少し肉厚だったのが、今は膨らみと言うよりやや平坦な状態だった。
 もしヒビではなく骨折であったりと、より重傷であったなら、固定期間も長くなって衰えも更に酷いものになっていただろう。
 入院食は健康には良いが……出来るならもう少し精のあるものを食べさせたいところだ……
(退院後には、美味しいものを吟味して食べさせてやろう……あの店も……ああ、あそこもまだ連れて行っていなかったな……)
 さわさわさわさわさわ…………
「………あ、あの……三日月……そろそろ…」
「…っ!」
 脳内で『面影を肥えさせる作戦』を考えていた三日月がはた…と、彼の呼びかけで我に返る。
 しまった、つい無心で相手の掌を撫で回してしまった。
「あ…すまん、つい」
「~~~」
 三日月の手で思い切り掌を蹂躙され、面影は顔を俯けて沈黙を守る。
 男の掌の感触が殊の外心地良く、触れているところからも相手の自分に対する愛情が注ぎ込まれている様な…そんな錯覚を覚えてしまい、その顔は真っ赤に染まっていた。
 表情にも明らかに照れが入っており、それを見た三日月は平静を装いながら心中では歓喜の舞を踊りそうになった。
「…お前の手が心地良いのでな……昨日、お前は俺の手が好きだと言ってくれたが、俺も大好きなのだ、お前に触れる事も触れられる事も。拒まれないと良いのだが……」
 心中では踊りそうになったものの、つい触りすぎて面影の機嫌を損なってしまったかもしれないと思い直し、三日月が不安げに弁明する。
「あ、それは別に………ちょっと…気恥ずかしかっただけ、だし……」
 勿論、面影も嫌悪で断った訳ではないので、慌ててそう言いながらも最後の方は小さな声になってしまっていた。
 下手に言葉を続けると、自分も何かとんでもない事を暴露してしまいそうだったから、という事は勿論内緒だ。
 そんなささやかな会話が交わされている時に、天井のスピーカーからアナウンスが響いてきた。
 廊下の配膳車がそろそろ撤収するという案内だ。
「おお、そんな時間か」
 先程、その配膳車に食器を持って行ったばかりの三日月がそのスピーカーを見上げながら呟く。
 食事の時間が終われば、後は消灯時間までは患者達が各々の自由時間を過ごす事になる。
「…誰かが来る予定はもう無いのか?」
「ああ、明日の予定は紙面で貰っている」
 サイドテーブルに伏せた状態で置かれている一枚のコピー用紙を見遣りながら三日月の質問に答えると、面影はその瞬間、部屋の空気が変わった事を敏感に感じ取った。
(あ…………)
 これからのこの部屋は、誰の邪魔も入らない二人きりの空間………
 個室患者の多くは、一日の汚れを落とす為にこの時間帯にシャワーを浴びたり入浴する。
 面影も例に漏れず夕刻、食事後をその目的の時間に定めていたのだが……そこには別の目的も含まれる。
 そう、身体が汚れる「行為」を行った直ぐ後に汚れを洗い流す為に。
 ベッドでの清拭から、そのままこの習慣は今の時間帯に行う様に継続している………
「……面影」
「…っ」
 昼間に呼び掛けてくる声音とは明らかに違う、何処か艶が秘められた呼び声。
 情けない話だが、それを間近で囁かれただけで腰が砕けそうになってしまい、ベッド上で面影の上半身が揺らいだ。
(その声……反則…っ)
 揺らいだ拍子に身体のバランスが崩れ、反射的に傍に立っていた三日月に縋り付くと、これ幸いと相手がひそりと再び艶めいた声で囁いてきた。
「おや……やる気満々だな?」
「ちがっ…!!」
 単に腰が砕けただけなのだがそれを素直に白状する訳にもいかず、面影の言い訳は未遂で終わってしまった。
 そんな相手の動揺と隙を突く形で、男は誘いの言葉を投げかけてきた。
「……では、俺達だけのリハビリを始めようか?」
 それが何を示しているのか……面影には十分によく分かっていた。
 誰も来ないだろうこの閉鎖空間で行う二人きりの「リハビリ」…それは、昨日も経験したあの行為。
「〜〜〜〜」
 思い出すだけで心の臓がどきどきと早鐘を打ち始め、治らなくなってしまった身体の熱をも感じながら、ぎゅ、と下半身に掛けられていた布団のカバーを強く握り締める。
 そんな何気ない行為の中でも面影本人は直ぐに分かった。
 明らかに昨日より手指の自由度と力が上がっている事を。
 この状態ならば、昨日よりもう少しだけ巧緻な動きを行う事が出来るかもしれない。
 それなら、昨日よりも強い快感をもたらす事が出来るかもしれない。
 だとしたら……試させてもらっても……いい、だろうか……
「移動しようか?」
「あ…」
 脳内で思考を巡らせていたところで声を掛けられ、相手を見上げた面影だったが、先程まで自分が考えていた内容を思い出して恥ずかしげに俯く。
「どうした?」
「……その、三日月………お前は、私の手が…好きだと言った、な? さ、触られるのが、好きだと…」
「? ああ、そうだ。何だ? 何か、俺の言葉を疑わせる事をしてしまったか?」
「そうじゃない、けど……」
 どうしよう、言うべきだろうか?
 迷惑…にはならないと思うけど…恥ずかしいし……私なんかが申し出るより………他の誰か……
「!!」
 『他の誰か』という単語を無意識に思い浮かべた瞬間、すぅっと面影の顔から感情が消えていった。
(誰か……? 他の誰かが……三日月と…?)
 自分が勝手に思いついた事なのに、それに対してすら抑え難い不快感が湧き上がってきた。
 ああ、嫌だ、自分自身に腹が立ってくる……私以外が三日月の隣に立つ事を想像するなんて……!
 面影は胸の奥をぐちゃぐちゃに掻き回す不快感を感じながらも、自身の意外な一面に驚いてもいた。
 私は、こんなに執念深い性格だっただろうか……?
 三日月と出会ったばかりの頃には、こんな自分ではなかった…筈だ。
 寧ろ、交友関係は殆ど希薄で誰にも興味を持てなかった性格だった…いや、それは今もそのままなのだ…三日月以外に対しては。
 知り合ったばかりの時は、三日月の側に誰かが寄り添う事を考えても何も感じなかった……知己、友人として祝福する事すらやぶさかではないと思っていた。
 それが、いつの間にここまで拒絶反応が出る様になってしまったのか……
(…私の方こそ……三日月の事が…好き過ぎるのかもな)
 そんなに好きになってしまった相手ならば……自分が出来る事なら、してあげたい、と思う。
「…面影?」
 面影が纏っていた雰囲気が一変した事を三日月も敏感に感じ取ったのだろう。
 すぅと覗き込んできた男に、面影ははっと我に返った様子で面を上げると、思い切って己の決意を申し出た。
「…リハビリ、なんだけど…」
「? 今日は気が乗らんか?」
 もしそうなら、個人的には非常に残念ではあるが今日は諦めようか、と三日月は考えた。
 一日だけでも面影に触れられないのは非常に惜しいが、無理強いをして相手を苦しめる訳にはいかない。
 自分にとって一番大切なのは己の欲望ではなく面影その人なのだから……
「お前が嫌なら…」
「そ、そうじゃなくて……」
 殊勝にも三日月の方から手を引きそうな流れになったのを感じて、面影が慌てて否定する。
 以前…入院したばかりの時期であれば、もしかしたら相手の申し出に乗ってしたかもしれない。
 そうしなかったという事は、面影本人が相手に触れられる事に対し抵抗が少なくなってきているという何よりの証だった。
 面影がその事実に気付いているかどうかはさておきとして………
「今日のリハビリは………その……三日月の……で…」
「ん…?」
 端的な言葉を述べられて、直ぐには理解出来なかったらしい三日月が首を傾げて疑問の声を漏らした。
 確かにこれだけで相手の意向を完全に汲む事は極めて困難だろう。
 聞き返された面影は、そんな相手の事情を察しながらも、どうしても羞恥が邪魔して次の口調は少しだけ乱暴なものになってしまった。
「今日のリハビリ………私の、じゃなくて………み、三日月ので…させて、くれない、か?」
「!?!?」
 そこまで言われてようやく若者の意図を察し、そして今度こそ三日月は吃驚して言葉を失った。
「………それ、は…」
 ようやく言葉を出せたものの、特に深い意味のないそれに留まってしまい、その所為で暫くの間二人は無言のままで見つめ合う事になってしまった。
 そして、
「面影…それは……」
「お前が…っ」
 ほぼ同時に双方ともが発言し、再び沈黙……
 これは、どちらが…と面影が躊躇したが、三日月の「お前から」という目力に負けて、躊躇いながらも再度口を開く。
「お前が……私の手が…私の手で触れられるのが、好きだって……言ってたから…」
 それは半分は正解で半分は偽りだ。
 確かに三日月のその発言が自分の背中を押してくれた事は事実、しかしもう一方で自分に発破をかけたのは、己の中の嫉妬心だ。
 三日月と密な触れ合いをしているのは…出来るのは自分だけだと、存在しない『他の誰か』に知らしめてやりたいと……
 それがどれだけ醜悪な感情なのか分からない訳ではなかった、が、それでも止める事が出来なかった。
 しかし、心情を吐露したところで少しだけ落ち着きを取り戻したのか、今更ながらに面影は己が取った大胆な行為を顧みる事が出来た…のだが。
「……め、め、迷惑だったか?」
 残念ながら、それが原因で再び慌ててしまう事になってしまったのだった。
 三日月の瞳はそんな相手の姿をじっと凝視していた。
 顔を赤くして、両手を身体の前でぱたぱたと振りながらそう尋ねてくる恋人の姿の何と可愛いらしい事か………
「滅相も無い」
 おどけて言ってはいるが、その心中は嵐の如く荒ぶりまくっている三日月。
 動揺を覆い隠すのは、面影に対しての男としてのせめてもの矜持だ。
「お前に触れてもらえるのか……考えただけでぞくぞくする」
「~~~!!」
 ぞくぞくするのは、三日月のその言葉を直に耳に囁かれた面影も同様だった。
 びくっと腕の中で身体を固くしてしまった若者の初々しさに思わず顔を綻ばせながら、三日月はぐるりと頭を巡らせる。
 元々の予定では、昨日の様に浴室で事に及ぶつもりだったのだが……そうなるとあの狭い空間では少々都合が悪いかもしれない、それに………
(どうせなら、しっかりと目に焼き付けたいからな)
 浴室ではどうしても光量が少なくなる上に、防水カーテンで更に薄暗くなってしまう。
 そうなると、行為中の面影の表情等も見え辛くなってしまうかもしれない……それは絶対に嫌だ。
 そこまで考えたところで、三日月は浴室へ向かい掛けていた足先を、ベッド向こうのソファーへと変更した。
「えぁ…?」
 勿論、面影はそのまま浴室へと連れて行かれるものと思っていたので、つい間抜けな声を上げてしまったが、三日月の歩みはそれでは止まらない。
「…どうせなら、ここで頼む」
「え…っ!」
 ここで……って…電灯が煌々と照らすこの部屋のこの場所で……!?
 やる事は変わらないが、部屋の明るさに若者が少しだけ怖気づく。
(……ち、ちょっと……早まった、かも……?)
 どうしよう…と悩んでいる間にも三日月の歩は進み、あっという間にソファー前へと到着してしてしまった。
「う…………」
 ここまで来てしまったら、最早覚悟を決めるしかないのか………しかし、それにしてもこの目の前の男の余裕は……
「どうした?」
「…どうしてそう余裕なんだ……お、お前、恥ずかしくはないのか!?」
 向こうこそ、その身を晒す事になるというのに何故そう平気な顔をしていられるのか……と面影が少しだけ不満げに尋ねてみたが、三日月は全く動じる様子は見られなかった。
「何故? お前が俺を辱めるなど、あり得ないのに」
 これも紛れもない本心だが、まさか自分の可愛い姿を見られるのなら裸体を晒すなど何でもないと心から思っているとは、面影は夢にも思わないだろう。
「…ひ、人を信じすぎるのもどうかと思うぞ」
「うむ、お前だけだとも」
 そう言いながら破顔する男に、最早何も言えなくなってしまい、三日月がソファーに座るまで面影は沈黙を守るしかなかった。
「さて……始めようか?」
「わ、かってる」
 自分を横抱きにしたままソファーへと腰を下ろし、いよいよ事の始まりを促す三日月に、面影がゆっくりと頷き、覚悟を決める。
「え、と……」
 必死に昨日の「リハビリ」を思い起こし、それを踏襲するべく脳内でシミュレーションを試みる。
(……いきなり、じゃなくて胸からのアプローチを勧められたけど……や、やっぱりこの場合でもそうした方が良いんだよ、な…)
 そうなると、今の姿勢だと手の動きに支障が出るので、面影はゆっくりと動き出し、三日月の両脚の間のソファーに片足を割り入れ乗り上げる。
 そこで若者の意図を汲み取った三日月が大きく両脚を拡げ、面影の両膝がその合間に入れる様にしてやった。
 そのままの流れで、面影は三日月の両脚の間のソファーの上に膝立ちになって伸び上がり、ほんの少しだけ上から三日月を見下ろす形になった。
 これで相手に向かってそのまま真っ直ぐに腕を伸ばせるようになったところで、面影はおず、と相手の胸元に手を伸ばす。
(ボタン……上手く外せたら良いけど…)
 昨日と比較したら明らかに指の動きは向上しているが、それでも健常者が何気なく行う程には至っていない。
「……時間、少し掛かってしまう、かも」
「構わぬ、お前の努力を急かすつもりはない。それに…こういう時間は大歓迎だぞ?」
 相変わらず余裕を見せつけてくる相手だったが、そのお陰で逸る気持ちが抑えられたのは有り難かった。
 実際、先程までは早くしなければと思うあまりに上手く動かせなかった指達が、三日月の許しを得てからは、寧ろ円滑に動いてくれている様な気すらする。
 それでも………
(う、わ………人の服を脱がせるのが、こんなに恥ずかしいなんて……)
 三日月の視線を受けながら、相手の服を脱がせようとする行為が、こんなにも心をざわめかせるものだとは………
 先程の緊張とはまた別の理由で、自らの指が微かに震えているのを必死に抑えつつ、自らの動悸を耳奥で聞きながら面影は行為に集中した。
 ボタンを上から一つ…二つ……と外していく。
 開かれたシャツの向こうには、滑らかな肌が見えた。
 そう言えば、三日月は洒落のアイテムとして使う時以外ではアンダーシャツ等は身に着けない主義だった、と思い出す。
 シャツの下にそれらのラインが見えるの見苦しい、というのが彼の弁だったが、単に着るのが面倒だから、という疑惑もあった。
 そんな事をぼんやりと思い出している間に、面影は何とか全てのシャツのボタンを外し終えた。
「ふむ……確かに昨日と比べると、明らかに上達している様だな」
 現実に立ち戻った相手の感想に、面影がほっと安心した様に小さく笑う。
 自分でもそういう手応えを感じていたが、第三者からも同様の評価を受けた事が嬉しかった様だ。
 これなら、明日以降も頑張れば、意外と早めに過去の自分に近づいていけるかもしれない。
 ……と、自分の身体について考えたのは此処まで。
 無論、シャツのボタンを外したから終わり、ではなく、面影にはこれからの「リハビリ」も残っていた…いや、寧ろ本番は此処からだった。
「さて、これからの俺は『まな板の上の鯉』だ。お前の好きな様にせよ」
「う………わ、分かった」
 確かに、相手の身体に触れるのは自分自身なのだから、そこまで彼に頼るのも違うだろう。
(さ、触られた事はあったけど………私から積極的に触るのは今日が初めてみたいなものだし…まだ勝手が分からない……と、兎に角、前の三日月の真似をしてみよう)
 自分が三日月に触れられていた時の記憶を必死に掘り起こしながら、場を誤魔化す様に自らの両手掌をひたりと相手の両胸に押し当てた。
 とくん……とくん……
(…三日月の…鼓動………)
 手掌に伝わって来る男の脈動は、一律に一切の乱れなく、緩やかに命の刻を刻んでいる。
 生きている……当たり前の事実を示すその事象が、何故か、酷く鮮明に面影の心に響いてきた。
 何故だろう……いつか…遠い昔、自分は、この男の鼓動を……同じ様に感じていた様な記憶が……あり得ない筈の、記憶が………
「…!」
 これ以上深く記憶を掘り下げると、その負担から頭痛が生じてしまう様な気配を感じて、面影は一旦思考を打ち切ると改めて両手に意識を戻し、ゆっくりと動かし始めた。
(三日月の肌……凄く滑らかで…触るだけでどきどきする………)
 こうして撫で回している間にも三日月の鼓動が感じられるのだが、寧ろこちらの方が動悸が激しいのは明らかで、内心面影は理不尽さを感じてしまった。
 やはり単純に触れるだけでは、向こうを興奮させる事は難しいのかもしれない……なら、
(三日月を…もっと、気持ち良くさせたら………)
 いつも自分が相手にしてやられている時の様に、彼も、見たことがない一面を見せてくれるかもしれない………それなら、自分は、それを見てみたい……
(べ、別に、悪い事じゃない筈だ……元々、目的は同じだったんだし…)
 そう、今日のリハビリを申し出たのも、三日月を気持ち良くさせる為だったのは間違いない。
 その恩賞として、彼の快感に揺れる表情を見るだけ……それだけだ。
 心の中で自分にそう言い聞かせながら、面影は三日月をより追い詰めるべく次の行動に移った。
(ち、力加減が分からないから……先ずは…)
 摘むなどの指の力の細かな調節が必要な行為はもう少し後回しにしたいと思い、面影は最初は指の腹で三日月の胸の蕾に触れ、撫でてみた。
 柔らかくもしっかりとした感触を返してくるその蕾は、力を込めると容易に形を変えて面影の指に纏わりついてくるかの様だ。
 その感触の記憶を指先に刻む様に、くりくりと円を描く様に蕾を捏ね回していたが、同じ行為ばかりでは場が持たないと思ったのか、次は爪で蕾の頂を弾く様に引っ掻いてみる。
 勿論、痛くない様にあまり強い力を込めずに……
 そうしている内に、触れる蕾の抵抗が明らかに強くなってきた。
 固くなってきているのだ。
 と言う事は、三日月も感じてくれている、という事………?
 面影が少しだけ期待を込めて三日月の反応を窺ってみると……
「………っく」
 口元に手の甲を当てて何かを耐えていた様子の男が、限界を超えてしまったのか小さい声を漏らし、続けて笑い始めた。
「ふっ、ははははっ…! す、すまん、くすぐったくてな……くくく…っ」
「~~~!」
 返ってきたのが快楽の喘ぎではなく、くすぐったさからくる笑いだったという事で、思惑が外れてしまった面影はこっそりと内心で落胆した。
 初めての行為で、しかも指の動きが覚束なかった事を加味しても、少しも相手を興奮させられなかったとは……
(何だか……悔しい…っ)
 自分が初めて相手に触れられた時には、あっさりと陥落してしまったのに……
 改めて三日月の様子を窺ってみると、笑ってこそいないもののその口元は不自然に歪んでおり、今も必死に笑みを耐えている。
 耐えているのも自分に対する気遣いなのだろうが……何となく素直に受け取れなかった面影は、寧ろ意味不明な対抗心が湧き上がるのを感じた。
(三日月を…少しでも感じさせてみせる…!)
 そこで過去の相手との戯れを思い出し、一つの妙案が浮かんだところで、若者は僅かに首を傾げて眉を顰めた。
(リハビリ……の、趣旨とは、少し外れてしまうけど……)
 少し躊躇したものの、ここで止める訳にもいかない。
(こうなったら、なる様になれ、だ……!!)
 ちゅ……っ
「!?」
 ぴくんっと三日月の身体が微かに震えたのを敢えて無視して、面影は唇で相手の乳首に触れ、優しく挟み込むと、舌先でちろりと舐め上げてみた。
(………あ……固い……)
 最初に指で触れた時から撫で回している間にも徐々に固くなっているのには気付いていたが、どうやら自分の都合の良い妄想ではなかったらしい。
 自分が相手の変化を導いた…その事実が面影をより昂らせ、彼は夢中になって舌を蠢かせた。
「ん………ん……っ…」
 ぴちゃ……ぴちゃっ……
 固く尖った肉の芽を優しく舌先でくすぐり、解す様に唾液を塗り付けながら舐め回している音を聞いていると、頭の中が徐々に熱くなっていく。
(舐めてるだけなのに……こっちがいやらしい気分になっちゃう……)
 そうだ、自分の事より、三日月は………?
 自分の状態から目を逸らす目的もあったのか、面影が舌を動かす事を止めないまま視線だけを上へと動かすと、こちらをずっと見詰めていたのだろう三日月の視線と交わった。
「……っ」
 相変わらず三日月の瞳には優しさが満ちていた。
 しかし、意識的に少しだけ視界を拡げる様にして見ると、彼の顔にうっすらと朱が差しており、明らかにそこには微かな「変化」が見て取れた。
 指先だけでは与えられなかった快感が、舌という器官を加える事で相手にもたらされた事を知った瞬間、ぞくっと面影の背筋に戦慄が走った。
(私が……三日月をこんな風に……)
 これまではずっと受け身だった自分が、初めて相手に快感を与える事が出来た………私の拙い手管でも、感じてくれた……
(…嬉しい………)
 その歓喜の渦はまるで胸中から全身へと広がっていく様で、気を抜けば四肢が震える程の衝撃だったが、それからもじっとこちらを凝視する三日月の視線に晒されている内に、今度は羞恥が湧き上がってきて、恥じらう様に面影は視線を逸らした。
「あまり………見ないで…」
 舌の動きを一旦止め、そっぽを向きながら拒否の意を示す面影だったが、彼の耳朶が真っ赤に染まっている。
 そんな姿を見せられても微笑ましさしか感じられず、三日月の笑みは深くなるばかりだ。
「それは難しいな」
 やんわりと拒否しながら、三日月が面影の頬をするんと撫でる。
「お前が必死に俺に奉仕してくれているのだ……見るなという方が無理というものだろう?」
「そんな……」
「寧ろずっと見ていたいというのは正直な気持ちだが………いつまでも同じ場所と言うのも…な」
「…!!」
 当初の目的に立ち返り、面影がは、と目を見開く。
 遠回しな言い方ではあったが、三日月が何を求めているのかは直ぐに察する事が出来た。
 確かに…胸への愛撫はもう十分に実行したと言っても差し支えないだろう……となると………
「ぅ……わ、かった…」
 少しだけ身を引いて相手から身体を離すと、面影はゆっくりと慎重に身体を下へとずらし始める。
 膝を置いていたソファーから降り、そのまま床の上にぺたんと座り込むと、面影の目線は丁度三日月の股間に定まった。
「…っ」
 どくどくと耳の奥に自らの鼓動が激しく響くのを聞きながら、若者がゆっくりと両手を前へと伸ばす。
 今日の三日月のボトムスは濃紺のストレッチスラックスで、只でさえ細く長い彼の脚線美がより強調されていた。
 自分も体格は細い方だと自負しているが、三日月のそれは最早神の渾身の造形と言っても過言ではないと思う程だ。
 しかし、今の目的は彼のその脚線美を愛でる事ではない。
(ええと……ベルト、を………)
 目的を果たすには、先ずは相手のベルトを外さなければならない。
 面影がそれに手を伸ばし、小さな金属音をたてながらツク棒を穴から抜き、バックルからベルトを抜いていく。
 やはり円滑にはいかずに時折指が止まり、動きが引っかかる時もあったが、それでも三日月はそんな面影の必死の作業を静かに見守った。
 手助けをするのも優しさだが、敢えて見守るのも同じく優しさ……そして、面影が自身の服をはだけてやろうとしている事を注視しているのは、彼への見えないささやかな悪戯だ。
(……可愛い)
 ベルトと格闘している面影の必死な表情……その中に確実に潜んでいる、見られている事実に対する恥じらいの気配……
 そんな若者の真摯さと初々しさは、過去に下手な色仕掛けを仕掛けて来た誰とも知らぬ者達より余程鮮烈に三日月の瞳と心に映った。
 尤も、前世より心の全てを面影に傾けていた三日月にとっては、他の誰の秋波も意識の端にも上らず、記憶にも残ってはいないのだが………
 それだけ執着していた面影が初めて自らこちらに手を伸ばして触れてきている……その現実を思うだけで、三日月の心中では荒々しいまでの感情の嵐が吹き荒れていた。
(はは………バレてしまうな……まぁ、それも良いか)
 こっそりと三日月がそんな事を考えている一方で、面影はようやくベルトを外し終わり、スラックスのファスナーを引き下ろしていた。
 その時点で、こく…と面影の喉の奥で小さな音が鳴った。
 もしかして…と思っていた事が、事実として目の前に明らかになったからだ。
(う、うわ………三日月……もう…?)
 スラックスの奥に潜んでいた三日月の分身が、下着越しでも明らかに成長し、自己主張を始めている……
 完全に勃ち上がっている訳ではないが、その頭が持ち上がりつつあるのは目に見えて明らかだった。
(胸を弄ったから…なんだろうけど………間近で見たらどきどきする…)
 必死に自らの動悸を意識の外に追いやりながら、面影がひそっと小声で三日月に断った。
「お、下ろすぞ…?」
「うむ」
 面影とは真逆に、三日月は何の躊躇いも遠慮も見せずに即答すると、背中をソファーの背もたれに預けて悠然と構える。
(……じ、自分のと同じ感じで……い、痛くしない様にしないと…)
 恐々とした動きで面影の両手が男の下着の上に掛かり、ゆっくりと引き下ろしていく。
 流石にその時には三日月も少しだけ腰を浮かして面影の手助けをしてやったが、その間も彼の顔には愉し気な笑みが浮かんでいた。
「…っ!!」
 三日月の視界の中、面影が下着を腰下まで下ろしたところで、自身の分身がその全貌を露にした。
 ぶるんっと頭を小さく振り、窮屈だった下着の奥から解放された肉の楔は、完全に勃起してはいなかったが既にある程度の角度を保っており、それを目の当たりにした面影が息を呑む。
 これが………彼の………
(三日月の……見た事はあったけど、こんな近くで………すごい……)
 同じ男でも、当然ここまで間近で男性のシンボルを見た事は無い。
 形も大きさも自身のそれとは違う事は理解はしていたが……それでもその雄々しさに暫し面影は目を逸らせなかった。
 しかし…
(あ、いけない……!)
 じっと間近で見ているばかりでは、あらぬ誤解を受けてしまうかもしれない!と、面影がやや斜め上の懸念を抱く。
 こういう行為を同意の上で行っているのだから誤解も何も無いのだが、あくまで自分はリハビリを第一の目的としているのだ、という前提が若者の頭の中にある様だった。
(え……と……)
 下着から取り出した三日月の楔を両手で優しく押し包む様にすると、面影は小さく息を吸い……思い切る様に両手を動かし始めた。
 茎を根元から先端まで……上下に、ゆっくりと、少しだけ圧を加え乍ら擦り上げる。
(……熱い……)
 手の中に息づく雄の脈動が伝わる度に、面影の身体の奥にもその余波が流れ込んで来る様な錯覚を覚え、思わず吐息が漏れた。
 ゆっくりと両手を動かすのは手に過剰な負担を掛けない様に、という意図もあった筈……少なくとも少し前の自分はそう考えていた……でも、今は………
(……もっと、熱くなってきた………大きく…固く……)
 ずり…ずり…と擦り上げる肉棒の感触……感じる程に、心の奥から新たな欲が顔を出す。
 もっと触っていたい……もっと…彼を感じていたい……もっと…気持ち好くさせたい………
 いつの間にか、頭の中からリハビリという単語は完全に抜け落ちていた。
 今、面影にとって最も重要なのは、三日月がちゃんと感じてくれているかという事……それだけ。
「………」
 相手の楔に触れてからは三日月の表情を伺う余裕など無かった事を今更ながら思い出し、そろ…と視線を上へと向けると……
(あ……)
 この世の美を擬人化した様な男の射抜く様な瞳が面影を捉えていた……愉しそうに。
 彼の顔から胸にかけての滑らかな肌は微かに、しかし確かに上気し、頬には一筋の汗が流れている。
 面影がこちらを見た事を合図とする様に、男の赤い舌が覗き、ぺろ、と自らの上唇を舐めた。
 食われる……!
 飢えている獰猛な肉食動物に捕捉された哀れな小動物が、今の様な心境なのだろうか…と、本気で考えたところで、面影の頭にふわりと何かが優しく触れてくる感触があった。
「……?」
 え?と思いつつ相手の姿を再度凝視すると、相手の右掌が自分の頭に乗せられ、優しく撫でられていた。
 先程までの緊張が僅かに解かれた様な気がして、ほう、と息が漏れると同時に、面影は懸念していた事を三日月に尋ねた。
「あの……三日月…ちゃ、ちゃんと……出来ているだろうか…?」
 自分なりに昨日の「指導」も思い出しつつ気持ち良くなる様に手を動かしているが、相手にとっては期待外れの独りよがりなものになっていないだろうか…?
 感覚は共有する事が出来ない……相手の様子から全く影響がない訳ではないのだろうが、それでも不安に思ってしまい面影の口調はどうしても気弱なものになってしまっていた。
 他人にこういう事をするのがそもそも初めてなのに、自信を持てる訳がない。
 そんないじらしい様子の若者に、三日月はゆっくりと首を縦に振った。
「……ああ、お前の指はとても心地良い……ふふ、ついお前が自分でしているところを想像してしまうな」
「っ!!」
 大胆な相手の告白に、かぁっと面影の顔が赤くなる。
 しかし彼が何かを言い募ろうとする前に、面影の頭を撫でていた三日月の掌が下へと移動し…する、とその細い指先が面影の柔らかな唇をなぞった。
「……っ!?」
「…………」
 その行為が何を意味しているのか……当人である三日月は何も語らず面影も問う事もなく、短い沈黙が二人の間に流れていたが、それを破ったのは三日月の方だった。
「……このまま、お前が望むままに…お前が好いと感じる様に……昨夜も教えただろう?」
「! そ、そういう言い方は止めろ…」
 言いながらその語尾が震えて殆ど声にもなっていなかったのは、相手に言われた言葉を反芻し、そこからある光景を想像してしまったが故の羞恥に依るものだ。
 自分が好いと感じる様に……つまりは面影が一人でしている時の様に、という意味なのだろう。
 昨夜、相手に手解きを受けてやり方を教授されたばかりだが、一度だけでそれを全て模倣出来る訳でもなく、どうしてもその中にはこれまでの癖も混じってしまう。
 こちらの手の動きを通じて、夜の秘め事を覗き見られている様な……いや、間違いなくそうしているのだろう。
( み、三日月がヘンな事を言うから……! わ、私まで余計な事を思い出して……)
 三日月の思考を読む流れで、面影の脳内では連想的に自らが一人遊びをする光景が浮かんでは消えていく。
 リハビリの様子を見ているその向こうで、三日月の脳内ではどんな自分の姿が見えているのだろうか……一人で気持ち良い場所を慰撫しているのだろうか………それとも傍らの三日月に促され、彼の教えのままに………?
(ああ、だめ、こんな……!)
 今は三日月の雄を気持ち良くしてあげているのだから、自分の時の事など忘れてしまえ……忘れなければ………
 しかしそんな面影の心の中の葛藤を他所に、三日月の身体は面影に委ねられているだけにも関わらず、その「変化」で更に相手を煽り始めた。
「あ……っ」
 くちゅ……っ
 興奮が更に強まったのか……零口から透明の雫が滲み出し、筋を残しながら茎へと流れ落ち始めたのだ。
 その液体が楔を握り込んでいた面影の指に触れ、じわりと肌を濡らした事で若者の胸の奥でどくんと一際強く鼓動が響いた。
(三日月の……で……濡れて…)
 相手の体液で手掌が濡れていく感覚にぞくぞくと背筋に戦慄が走ったが、決して嫌悪に依るものではない。
 零口から溢れる液体は、相手が快感を感じているという何よりの証左……そしてそれは自分がもたらしたもの。
(そう言えば……よく見たら…最初よりもっと、大きくなって…)
 ずっと両手で握り込んでいたからよく見えていなかったが、ほんの少し手の力を弱めて覗き込むと、明らかに最初に手に触れた時より大きく太く育っている………
 気持ち、好いんだ………
「う………っ」
 相手の楔の変化を認識すると同時に、面影が小さく呻いて前屈みになる。
 鈍い痛み……いや、疼きが股間に走ったのだ。
 それが病による悪質なものではない事は、面影本人がよく分かっていた。
 相手の昂った肉棒を目の当たりにした事で、その興奮が面影にも感染した様に彼の楔も育ち始めたのだ。
 下世話な例えだと、思春期の男子がAVを見る事で生じる肉体的変化と同じ。
(恥ずかしい……っ……でも、これ、どうしよう……)
 ずき…ずき…と脈動と同調する形で、己の分身が疼きを訴えながら徐々に頭を持ち上げているのが、見なくても体感で理解出来た。
 もし三日月への愛撫が無ければ、直ぐにでもそちらへと手を伸ばして行為に及んでいただろう、しかし今は………
(あ……だめぇ……治まって……お願い……っ)
 三日月の分身が昂ったとは言え、まだ絶頂に至った訳ではない……ので、今、手を離す訳にはいかない。
 頭では分かっているが、身体は別とばかりに自らの雄は変わらず疼きをもって主人である若者を追い詰めてきた。
 触れたい、弄りたい、扱きたい………!!
「ん……くぅ……っ」
 追い詰められた面影の欲望を表す様に、彼の腰が左右に揺れ始めたが、本人はまるでそれに気付いていない様子でその視線はずっと三日月の肉刀に向けられていた。
(はは…………素晴らしい眺めだ……)
 艶めかしくくねる面影の腰を通して彼の肉の飢えを察した三日月は、暫しの間、相手の淫らな踊りを愉しんでいたが、やがて救いを与える様に優しく声を掛けた。
「お前も随分辛そうだ……俺は気にせず、触れても良いのだぞ」
「!!」
「俺のでも、お前のでも、リハビリにはなるだろう?……お前の出来を確かめられるのなら、俺は構わぬ」
 リハビリという態の良い口実を使い、面影の辛さを取り除いてやるのは確かに三日月の優しさだったのだろうが、その裏には、愛しい若者の更なる媚態が見たいという欲求もあった。
 許しを与える形で、面影が己を慰める姿を晒す様に仕向けたのだ。
 面影もその真意には気付いていたのかもしれないが、最早、それを拒む事は叶わなかった。
「………っ」
 勧められるままに、面影は左手を外すとそれをそのまま自らの下の着衣の縁を握り、ぐ…っと腰を少しだけ持ち上げると、病院着を下着ごとずり下ろした。
 それにより彼の下半身は露となり、三日月の言葉通り「確かめられる」状態になった。
(う……恥ずかしい………三日月の顔…まともに見られない…)
 羞恥に負け、面影は三日月の楔に集中している態で顔を俯けたが、皮肉にもその姿勢を取る事で自らの肉楔の状態も目にする事になった。
 ああ、やはり……と心に思う。
 直に見てはいなかったが自身の身体の事だ、大体の予想はついていたが、その通り、三日月同様に面影の肉楔も既に半ば勃ち上がり、その先端はじわりと濡れていた。
(…三日月のを見ている内に勝手に………私、私の身体……すごくエッチになっちゃってる…!?)
 こんなに欲望に弱い身体ではなかった筈なのに……と思いながらも、疼く身体の欲求は止められず………
「んん……っ……あ、あぁ…っ」
 くちゅっ……くちゅっ……くちゅっ…………
 くちっ……くちゅっ……
 右手に三日月のを、左手には己自身のを捉え、面影は夢中になって双方を扱き始める。
 自らのを愛撫し始めると、今度はその快感に身が震えて腰が揺れ、それもまた大いに三日月の目を愉しませた。
「良い子だ………上手になったな」
「み………三日月の所為だろう…っ」
 咎める様に見上げた面影に対し、三日月は変わらず笑ったままだった。
 非難しながらもそれが本気ではない事など直ぐに分かるのだから、可愛いとしか思えない。
「ふふふ……俺の『所為』ではなく、俺の『お陰』だろう?」
「う……っ」
 三日月の「指導」によって面影が得たのは快感を得る手管という「利益」なので、確かに言い方としてはそちらが正しいのかもしれない……面影の捉え方は別として。
「……ほら、手が留守になっているぞ?」
 三日月に物申している間に手が止まっている事を指摘され、はっと面影が相手の楔に再び目を向ける。
 すっかり勃ち上がった彼は、今も面影の愛撫を待ちかねている様に、とろとろと透明な雫を零しながら頭を振っていた。
「………!」
 改めて男性自身が体液に濡れた様を見て、ぞくっと背筋に戦慄を感じた面影が改めて手でそれを握り直し、再び扱き始める。
 そして、同じ様に自らものに対しても…
「ん、はぁぁっ…」
 ぐちゅっ、ぐちゅっ……! ぐちゅっ、ぐちゃっ…!
 最初の時とは明らかに生じる音も異なりつつあり、より大きく粘り気が強まっている。
「ふふ、熱心だな、好い事だ………腕は問題無いか?」
「ん………へ、き……」
 正直、この時には面影の意識は腕の状態よりも身体の中心から湧き上がる快楽と、相手の肉体の反応に向けられていた。
(もう……達きそう…でも、三日月は……)
「み、かづき……一緒に、達って…」
 ちゅっ……ちろっ……
「!?」
「はぁ……ん…ん…」
 そう言えば、口での奉仕のやり方は教えて貰っていなかった、と思いながら、今更止める訳にはいかないしそのつもりもなかった。
「面影……っ、お前…っ」
(すごい熱い……こんなに固くなるんだ………そして、この味が、三日月の……)
 初めて体験する味覚に戸惑いながらも、止めようという気持ちは全く起こらない。
(舐める度にぴくぴく震えてる……なら、もっと強く…したら……)
 ふーっ、ふーっと荒い吐息が遠くに聞こえるが、それは紛れもない面影自身のもの……しかし、本人はそうと気付かぬまま、吐息の激しさに追われる様に更に忙しなく舌を蠢かせ、三日月の楔の至るところに這わせていく。
「……っく……」
 上から聞こえて来た三日月の呻き……苦痛を耐えるそれに似ているが、そうではないだろうと心の中で察しつつ、面影が上目遣いで見上げると、相手もまたこちらを見下ろしてきていた。
 何かに耐えつつ身体に宿る熱を表す様に顔を紅潮させ、額には汗まで滲ませていた男は、視線が絡まったところで唇を歪めた。
「お前がここまで積極的に動くとはな………」
 煽る様な口調だったが、それは三日月の本心だった。
 手指で触れるならまだしも、口と舌で触れるのは抵抗のある場所だという事は認識している。
 だから、こちらから面影にそれを求めるつもりはなかった……のに、まさか相手が自らこちらの遠慮を踏み越えて来るとは………
「………三日月と…」
 ぺちゃ、と舌を男根から離しながら面影は小さく答えた。
「…一緒に……達きたい、から……」
「…!?」
「……私……まだ、上手く動かせないし……下手、だから……」
 だから、指だけではなく舌も使って悦ばせようとしたのだと、面影は懺悔し、再び舌を這わせ始めた。
 その告白と、猫の様に楔にじゃれつく面影の姿が、図らずも三日月を大いに昂らせる結果になった。
(何という健気な………ああ、駄目だ、滾ってしまう…!)
 どくん……どくん……っ
(あ、れ……?)
 握っていた三日月の分身が、心なしかより大きく……脈動も激しく………
 思わずそれを凝視してしまった面影の目前で、彼の楔の零口からとくりと一層大量の甘露が溢れ出して茎へと流れだそうとしていた。
「あ……っ」
 無意識の内に漏れる声………
 それが発されると同時に、面影は無意識の内に動いていた。
「ん……っ」
 くぷっ……
「っ! 面影…っ!?」
 これまでは舌で表面を舐めていただけだったのが、更に大胆に、口の中へ三日月の分身を迎え入れたのだ。
 ぬるりと濡れて生温かな口腔内に包まれた亀頭から、ぞわりと全身が粟立つ様な快楽が拡がっていく………が、三日月を最も強く滾らせたのは、貪欲に自らを咥え込もうとしている若者の艶姿だった。
「面影、止めよ…っ……無理は…」
(嘘だ………)
 三日月の制止の声を上から聞きながらも、面影はその言葉は偽りであると内心で断じ、動きを止めようとはしなかった。
 言葉とは裏腹に、三日月の分身は口中に迎え入れた途端に、ぐんと固さと大きさが明らかに増したのだから……
 それに先刻、彼の指先がこちらの唇を優しくなぞってきた行為…見つめてきた彼の視線には、明らかに何かを希求する感情が含まれていた……それもおそらく……
「無理……じゃ、ない……」
 相手の懸念を払拭する為に、面影は一度口を離して小さい声で断った。
「……私が………したい、んだ」
「っ…!」
 瞠目する三日月の視線から意識を外す様に、面影は再び相手の楔を食む。
 じわりと広がる特徴的な味覚が味蕾を刺激したが、不思議な事に嫌悪感は湧かなかった。
 寧ろ、味よりも男性自身の存在感の方が面影にとっては問題だったかもしれない。
(すご………い……こんなに大きくなって………)
 口の中に導き入れたのは自分の意志だったが、今は相手の分身に口を通して体内を犯されている様な錯覚が襲って来る。
 鉄でもないのに、それを彷彿とさせる様な固さを誇る肉棒が宿した熱で口腔内を炙り、それに呼応する様に唾液が止めどもなく溢れ出てきた。
「んく……っくぅ……ふ……っ」
 彼の体液と共に呑み込んだだけでは間に合わず、口の端の僅かな隙間からだらりとそれらが流れ落ち、茎を握り込んでいた自らの手指を濡らしていく……その熱を感じると同時に自らの体内の熱も一気に増した。
(だめ……もう……っ)
 止まらない……止められない………っ
 それから、面影は夢中で三日月の肉楔を舐め回しながら、片手で己の楔を慰める行為を続けた。
 最初はゆっくりと…もどかしい程の緩やかさだったが、徐々に身体の欲求に応える様にその動きは忙しなくなっていく。
 昨日は手の筋肉が引き攣れるような感覚に苦しめられた事もあったが、今は多少の違和感はあるが動作を阻害される程の違和感はない。
(きもちい………みかづき、も……味、濃くなってる……?)
 自らの股間から手の動きに合わせてぐちゅぐちゅと粘った水音が響いて来る。
 それに重なる様に、微かだが自分以外の誰かの荒い息遣いも聞こえて来て、それが徐々に速さを増してきているのが分かった。
 そうした流れの中、変化が生じたのは突然だった。
「………っ! もう、離せ…っ」
「…?」
 不意に言われた言葉の意味を瞬時に理解する事が出来ず、手の動きだけを止めた面影だったが……
 どくん……っ!
「っ!!?」
 一際強い脈動が口中に響くと同時に、三日月の男根がまた更に大きさと太さを増したのを感じた。
 その変化が余りにも激し過ぎた所為で、面影は思わず顔を引いた……と同時に、彼の額に三日月の大きな掌が当てられたかと思うと、ぐっと押された流れで面影の口から三日月の楔が引き抜かれた。
 その勢いで三日月の楔がぶるっと勢い良く頭を振ったのが面影の視界に飛び込んで来たかと思うと………
「……っ!!」
 びゅるるるるっ…!!
「ふぁ……っ!!」
 熱い……!
 突然顔に注がれた熱に思わず声が漏れたが、その熱の洗礼は一度では終わらず、二度、三度と続いた。
(あっ………これ…)
 顔に注がれた液体は明らかな粘りをもって皮膚に付着し、とろりとした感触をもたらす。
 その性状と状況から何が注がれたのかは明白だったが、面影がそれを認知するまで多少の時間を要した。
(三日月、の………)
 彼の欲情の証を注がれ、穢されたのだと認めたのと同時に、ぞくっと背筋が震えた。
(ああ……かけられちゃった…)
 三日月の熱い精が、私の顔に………
 しかし、背筋に感じたのは嫌悪ではなく、相手によって穢された『悦び』。
 その『悦び』の衝撃は、脳髄に走ると同時に彼の身体の中心にも向かっていった。
「ん、あ、あぁ~~っ!!!」
 顔を穢された認識が面影の性的興奮を最大限に増幅し、あまりにも容易に彼を絶頂へと導いた。
 びゅるるるっ…! びゅっ、びゅくっ!!
 三日月と同様に、幾度も精を放ってしまった自身の姿を心の何処かで冷静に認識している自分がいた。
 達ってしまった……浅ましく三日月の楔を握り締めながら、その精を顔に受け、幾度も放ってしまった……彼の目前で……
「あ……」
 見下ろしてくる三日月の視線と自分のそれが絡まり合う。
 射貫く様な眼光…あれに晒されている今の己は何も隠す事など出来ない。
 雄の劣情を浴びて悦び、己の劣情を放つこの浅ましさを見られている……恥ずべき事だし、事実、恥じている……なのに、別の自分自身は心の奥底で歓喜に打ち震えているのが分かった。
 どうかしている……これは私の本心なのか、それとも、この衝撃的な現実に錯乱しているのか………
 悶々と悩む面影を現実に引き戻す様に三日月の声が響いた。
「……良い子だ」
「…っ」
 は、と我に返った時には既に面影の腰が両側から拘束され、そのままソファー上へと引き上げられていた。
「あ……っ」
 勢い良く上に引き上げられたかと思うと、三日月は面影の上体を自身の隣のソファー座面へと、頭を肘掛けを枕に見立てる形で寝かせ……
 ぐいっ……
「ちょっ…!!」
 面影の細く白い両脚を抱え上げると自らの双肩に引っ掛け、ぐぐっと上半身を面影の方へと傾けた。
 そうする事で、面影の大腿の前面が彼の胸に付く程に密着し、股間の深奥が三日月の目前に迫る事になってしまった。
「やっ、やだっ! 三日月、下ろして…っ!!」
 じたばたと両脚をばたつかせる面影だったが、無論、そういう姿勢にさせた三日月があっさりと解放する筈もなく、逆に太腿を抑え込む事で相手の動きを抑え込んだ。
「そう暴れるな、ほら、落ちてしまうぞ?」
 据え置かれていたソファーの座面は十分な奥行きがあったが、それでも激しく身体を動かせば床へとずり落ちてしまうだろう事を指してそう注意する三日月に対し、それでも面影は変わらず激しく動揺したままだ。
 自らの身体の深奥…見られてしまうにはあまりにも恥ずかしい場所を相手の目前に晒されてはそうもなるだろう。
 しかしシーネで固定されているとは言え、上肢の可動域をある程度制限された不自由な身体だった所為で、本人が思うままには動けず、あっさりと三日月によって拘束されてしまった。
「…覚えているか? 昨日、ご褒美をあげる事が出来なかっただろう?」
「え……」
 動揺している脳内では直ぐに相手の言わんとしている事が理解出来ず、面影が間抜けな返しをしている間に、三日月は拒否される前に次の行動に移る。
 ぴちゃ……
「ひっ……!!」
 びくんっと面影の腰が激しく跳ね上がると同時に、引き攣った面影の悲鳴が上がる。
 肛口に濡れた感触……しかもこの感触は、指などではなく、もっと柔らかい、濡れた何か……
 他人に初めて菊座に触れられた感覚は、勿論衝撃が大きかったが、それより何より面影を慄かせたのは、触れたのが彼の舌だという事実だった。
 元々神経が集中していて皮膚も薄い敏感な場所な上に、不浄の場所でもある。
 そもそも他人に触れられる機会など無い場所なのだから、不意打ちで舌で触れられたらそれは吃驚もするだろう。
「あっ、だめ、そんなとこ…っ、汚い…からっ」
 何も知らない子供ではないので、男同士が身体を繋ぐ時に使う箇所である事は理解している…が、だからと言ってあっさりと割り切れる訳でもない。
 それに何より、面影本人がまだ身体を繋ぐ覚悟が出来ていなかったところに敏感な場所に触れられた事で、途端に若者の身体が彫像の様に固まり、菊座もきゅうときつく窄まったのが舌先で感じられた。
 そこで一度顔を上げて、三日月が優しく諭す。
「ああ、驚かせてしまったか……大丈夫だ、決してお前に苦痛を与えるつもりはない………ご褒美だと言っただろう?」
「で、でも……あっ……そんなとこ……はじ、めてで……」
 初めて、という言葉を聞いて、ふっと三日月の口角が僅かに上がった。
 自分が相手の初めてを手にしている事実は、殊の外三日月の心を沸き立たせた。
 自分以外の誰かが面影の初めての相手、最後の相手になる事など許さない……それは前々から思っていた事だ。
 どちらの立場も、自分だけのものだ……
「分かっている………お前は俺の最愛の男なのだ…今は俺を信じて、委ねてくれ……」
「…………っ」
 柔和な笑顔を浮かべながらも茶化す様子は無く、声音は真剣そのもので、そこまで言われた面影もそれ以上何を言う事も出来ずに素直にこくんと頷いた。
 まだ両脚を開いた姿でいるのは恥ずかしいのか顔の紅潮は引く様子はなかったが、僅かに身体の緊張は解かれた様な気がする。
「…力を抜いて……」
 そんな相手の反応を感じながら、三日月はそっと優しく告げ、再び菊座に舌を触れさせ、ゆっくりと円を描きつつ襞を解す様になぞり始める。
 間違っても下手に焦って傷つける訳にはいかない…そんな心情が窺える程にその行為は優しく緩やかだった。
 そうして菊座を舐め回している脇で、三日月の右手は面影の楔を握り込み、ゆるゆると扱き出した。
 先程、面影本人の手によって達したばかりのそれは、今はくたりと頭を下へと向けていたが、にゅるにゅると茎に纏わりついている精液を擦り付ける様に手で弄び始めると、また再び徐々に固さが増してきた。
「ん………んぁ…っ」
 肛口に触れられた緊張も楔に与えられる快感によって解かれていき、面影の口から微かに甘い吐息が漏れ始めたところで、三日月の舌がぐちゅりと肛口の奥へと潜り込む。
(あ………な、かに……!?)
 確かに異物が身体の内に侵入してきたのは分かったらしい面影がぴくんと肩を揺らしたが、それ以上は舌先が進む様子が無かったので彼も大人しく横になったままだった。
 三日月の言う通り、舌は僅かに侵入したもののそれからはゆっくりと内側の粘膜を幾度も全周性になぞり上げ続け、苦痛が無かったというのも理由だったのだろう。
「は………はぁっ……ん…」
 頑なだった菊座が舌が蠢く内に少しずつ少しずつ解れていくと共に、三日月の右手の手中にあった面影の楔も勃ち上がり、面影の声にも更に艶が混じってきた。
 それを確認して、三日月がぬぷりと舌を引き抜き面影に尋ねる。
「…好くなってきたか?」
「ん……うん…」
 あんな場所を穿られて気持ち好くなってしまうなんて……と自己嫌悪に陥りそうになってしまったが、自らの身体の反応は誤魔化す事が出来ず、取り繕う余裕もなかった。
 そんな若者の反応を好ましく感じたのか、三日月は満足そうに微笑みながら頷いた。
「そうかそうか、なら、もっと好くしてやろうな…」
 そう言うと、三日月はくちゅ、と再び舌を菊座に挿し入れ、左の人差し指の先端で相手の会陰に触れると、くっと軽く力を入れながら陰嚢から肛口の狭間を往復する動作を始めた。
 途端……
「ひぁ…っ!」
 三日月が新たに刺激を始めた場所から痺れるような快感が走り抜け、面影の腰が再び激しく跳ねた。
(なに……これっ………こんな、こんなの……)
 初めての体験………
 三日月の舌が依然菊座の浅い場所を擦り上げている一方で、人差し指がすりすりと微妙な力加減で蟻の門渡りをなぞる度に、身体の奥からぞくぞくと全身の毛が粟立つ様な感覚が湧き上がって来る。
 最初はその初体験に驚き身構えてしまったが、繰り返し繰り返し指が上下する内に内側から生じる「感覚」が「快感」へと変換されていく。
「ん、ふっ………あっ……」
 面影のまんざらでもない反応に三日月も笑みを浮かべていたが、そんな彼の指先の動きはまるで何かを探る様なそれだった。
 そうして暫く会陰の各部を圧しながら面影の様子を窺っていた三日月だったが、彼の「探し物」は程なく見つかった。
「ひうぅぅっ!?」
 とある場所を指先で押した瞬間、面影の悲鳴が上がり、びくんと揺れた腰に合わせた様に彼の分身も激しく頭を振った時、三日月の笑みが明らかに深くなった。
(成程…此処か…)
「な、なにこれ……あ、はぁぁっ…!?」
 我が意を得たりと言う様に笑う三日月とは対照的に、面影は何が起こったのかまだ分かっていない様子で動揺しながら声を上げたものの、それも途中から意味すら為さないものへと変わってしまう。
 瞳はとろんと蕩けた彩を宿し、悲鳴を上げた口は閉じる事も出来ずにだらだらと涎が溢れ出す。
 普段は滅多に見られない若者の姿から、受けた刺激は相当強いものだった様だ。
(ああ、好さそうだな……そうか、此処に…ふむ……)
 ぐちゅり………
 面影が会陰の刺激に翻弄されている隙を突く様に、三日月の舌先は一層深く彼の胎内へと潜り込む様に菊座を柔らかく開いていく。
 勿論そうしている間にも変わらず会陰と楔への愛撫は続き、面影は快楽の渦の中へと留め置かれたままだった。
 ぬちゅり……ぬちゅ…っ……
(やっ……だめ…っ……お尻、ヘンになっちゃ……)
 直接的な舌の愛撫の所為なのか、それとも楔や会陰への刺激がそうされているのか、面影は自らの身に起こりつつある異変を感じて密かに慄いていた。
 そう、ずっと舌で穿られていた肉洞が徐々に絆され、解され、柔らかくなっていくと共に、勝手にその肉洞の奥が蠢き出したのだ。
 初めに表面を弄られた時にはあんなに固く緊張して侵入を拒もうとしていたのに、今はすっかり与えられる感覚に慣れ、それだけでは物足りなくなった様にひくひくと蠢き出している。
 最も厄介なのは、その変化を面影自身の意識でも止める事が出来ないという事実だ。
 止めようと思う傍から、三日月の悪戯な手指達が楔と会陰を通じてそれを阻んでくる。
「ん……っ、やっ……ど、して……こんなに…っ」
 気持ち好い……?
 気が付けば、面影は自らの両手を頭上に掲げ、腰を自らくねらせていた。
 手を使って相手に抗う事を放棄した上、蠢く腰も逃れる為ではなく、三日月の滑らかな舌と指達の動きに合わせ、より大きな快感を得る為なのは明らかだった。
「………ふふ、感じるのがそんなに不思議か?」
「……っ!」
 心中を見透かした様に笑った三日月が、肛口から舌を抜いてその疑問にあっさりと答える。
「……ここの奥に、雄の弱点………前立腺があるのだ……外から押しても快感は得られるが、内側から擦る事も出来る………」
 すり…と何処か思わせぶりに会陰を軽く撫で上げながら、三日月は唇を歪めた。
「残念ながら……俺の舌では届かないが、な…」
 ぞくん、と産毛が総毛立つ様な感覚を覚え、知らず面影は肩を竦めていた。
 相手の発言の裏側を読み取り、続けて相手の意図も読めてしまったのだ。
 舌では届かない………けれど……彼の、あの細くしなやかな…指、なら………
 もし「経験者」であればもっと大胆な行為を連想したかもしれないが、残念ながら面影はまだ「処女」だったので、そこまでは思考が至っていなかった。
 それでも彼にとっては十分に刺激的な「連想」ではあったのだが………
「…それは次の楽しみにしておこうか……」
 意外にも三日月が新しい悪戯を匂わせながらも見送りにする意向を示し、面影は拍子抜けしながらも複雑な感情が沸くのを止められなかった。
 未知の体験に対する恐怖と、それを待ち望んでいた期待がないまぜになった奇妙な胸のざわめき………
 しかしその感情を深く掘り下げる前に、三日月が愛撫を再開した事で敢え無くそれも頓挫してしまった。
「あっあっあっ……!!」
 ぐちゅ……ぬちゅり………
 ちゅくっちゅくっちゅくっ……
 舌を再び根元まで肉洞に挿入した事で三日月は無言となり、代わりに菊座から聞こえる濡れた音と、彼の手により扱かれる楔から響く音が重なり合い、部屋に響く。
 そして音は立たなかったものの、同じく指先で会陰を弄る動作も加わり、面影は新たな悪戯を経験するまでもなく、見る見るうちに限界近くへと追い詰められいった。
(きもちい……きもちいいっ……達っちゃう…達っちゃ………あ…っ!)
 こんなに気持ち好いままに絶頂を迎えられる………そう思っていた面影だったが、ふと瞳を開いて三日月の方へと視線を遣ると、改めて自身の立場を認識する事になり、急に慌て始めた。
「あぁ……いやぁ……これ、このままじゃ……っ」
 焦りの色を滲ませながら言い募る面影の視線の先には………激しく扱き抜かれている自らの肉棒があった……その零口をこちらへと向けた状態で。
 体感的にも分かっていたが、もうそれもいつ爆ぜてもおかしくない状況で、窪みからは止め処なく淫液が溢れて垂れ落ちていた。
 このまま絶頂を迎えてしまえば……あそこから勢い良く放ってしまったら………零口が向けられている自身の顔に………
「だめ……顔に、かけちゃう…っ! あっ! やぁっ、もう、射精るうぅっ!!」
 面影の叫びを聞きながら、止めを刺す様に三日月がぐいっと皮膚を通して雄の急所に一際強く圧を咥える。
 その双眸はうっすらと、しかし明らかに開かれ、面影の顔を捉えていた。
 その「瞬間」をしかと見届ける様に……
「あぁぁ…ーーーーーっ!!」
 前立腺を強く刺激され、今日で最も激しい快楽に呑まれた面影は瞬く間に絶頂へと至ってしまった。
 びゅるるるっ!! びゅくびゅくっ!!
 白濁の熱液が勢い良く放たれ、それらが狙い定めた様に面影の美しい顔へと注がれていく。
 ぴしゃ…ぴちゃ……っ!
「あう………う…っ」
 熱く、ねっとりとした液体を顔中に浴び、面影はその倒錯的な快感に震えながら呻く。
 三日月の精を顔で受け止めただけではなく、自らの精液まで……三日月の前で自らの顔に注いでしまった………
(こんなの……恥ずかしい………で、も……)
 すごく……きもち、いい…………頭が…真っ白に……
「う……ーーーーーー」
 快楽の余韻を受けて面影の両脚がびくびくと繰り返し跳ね、宙を蹴る中で、本人の意識が遠くなっていく。
 やがて若者の両下肢の全重量が三日月の双肩に掛かった事で、面影が気を失ってしまった事実を知らしめた。
「……ふふ」
 ちゅ…と舌を抜き出し、三日月が面影を見下ろしながら笑う。
 快感に悶え、しかし訪れる羞恥の瞬間に慄き、麗しい顔に己の劣情を注ぐまでの全ての瞬間を確と眼に焼き付けたからか、その表情は満足げなものだった。
 しかし、その表情も徐々に苦笑交じりのそれに変わっていく。
「…やはり、こうなったか」
 そんな呟きも、今の気を失ってしまった面影には届かない。
 面影の肉体に過剰な負担を掛けてしまう事を懸念し、内側からの前立腺への責めを回避したが、その判断は正しかった様だ……
(まぁ……反応は上々だったし、次の愉しみにとっておくのも悪くない、な…)
 気絶してしまった面影の身体を清めなければ…と手を伸ばしかけた男は、相手の顔を見たところでぴた、とその動きを止める…と、
「……我慢したご褒美にこれぐらいは許されるだろう?」
 ぴちゃ……
 ひそりと囁き掛けた後、三日月の舌が面影の顔に注がれた本人の精を舐め取り始めた。
 幾度も、幾度も………繰り返し………
「ああ……やはり美味だな……お前の味は……」
 明日もまた……リハビリに付き合う見返りに味わえるだろうか……?
 そんな望みを密かに呟いた三日月だったが……

 実は翌日、彼を絶望させる出来事が生じるとは、まだこの時には彼も若者も夢にも思っていなかったのである………