「ん………」
その朝、面影は普段とは異なる『何か』を感じて目を覚ました。
「う、ん………ん!?!?」
しぱ…しぱ…と幾度か瞬きを繰り返す内に意識が現実世界に舞い戻り、ぼんやりとした視界がしっかりと像を結び出す。
その目と鼻の先に結ばれた像は………
「み、三日月っ!?!?」
三日月宗近が至近距離でこちらを見つめている姿だった。
まさか、もしや、よもや……
(ね、寝顔、見られ………!?)
「おはよう面影、とても可愛い寝顔だったぞ」
「うわーーーーーっ!!!」
悪い予感程よく当たるもので……
心の準備が整う前に向こうから爆弾発言され、思わず大声を上げてしまった面影の姿は普段の沈着冷静な彼にしては非常に珍しいものだった。
とは言え、大声は病院には御法度なので、他人にそれを聞かれる心配のない個室だったのは不幸中の幸いと言えるだろう。
「言うな! そういう事を臆面もなく言うなっ!!」
「本当の事を言っているだけなのだが」
「そういう問題じゃなくて……き、聞いているこっちが恥ずかしいんだ!!」
「奥ゆかしいな」
「~~~~~!!!」
もどかしい……っ!!
もし両手が使えるのなら、問答無用であの口を塞いでしまうのに……!!
シーネで固定されている両の腕を恨みがましく見つめながら顔を伏せてしまった面影の耳に、個室の扉が開く軽い音が聞こえた。
「おはようございます、お食事をお持ちしました」
扉を開けて入室してきたのは女性の看護師で、トレーに乗せた朝食を持参していた。
一般の患者は廊下に運ばれてきた配膳車から自分に割り当てられたものを取っていくのが常だが、面影は見ての通り両腕が使えないという事と、特室利用者であるため、部屋まで持ってきてくれるサービス形態なのだろう。
「あ、有難うございます…」
「おお、これは有り難い」
面影が礼を述べている脇では三日月が既に動き出しており、その若い看護師の前まで来ると、そのままトレーごと朝食を受け取った。
「わざわざ持ってきてくれたのだな、感謝する」
「い、いえ…」
「…………」
ああ、また新たな犠牲者が……と内心哀れに思いつつ、面影はその犠牲者になった若い看護士を遠目に見つめる。
向こうは面影の視線にはまるで気付く様子もなく、目の前の黒髪の美丈夫に夢中の様子だ。
いや、正しくは三日月の視線に縫い留められ自らのそれを動かせないのだろう、彼に出会ったばかりの自分もそうだった。
(まるで神に目通りが叶った信者の様だな…)
前世は彼と同じく神だった面影が他人事の様に考えている間に、三日月は何の未練もなくくるりと身体の向きを変えながら看護士に断った。
「介助は俺がやるから不要だぞ? 手間を掛けたな」
「は、はい」
優しい瞳は変わらず、優しい声も変わってはいない。
しかしそのどちらとも、最早看護士に向けられる事は無かった。
付添人がいなければ面影に食事を与える役をこの女性が担う事になったのだろうが、彼に執着している男がそれを許す筈もない。
もう少し会話を続けてやっても良いのではないか、と面影は思いはしたものの、そういう事を進言する立場ではない事も理解しているので何も言わなかった。
明らかに向こうはこの場に未練を残している素振りを見せていたが、これ以上取りつく島もないと悟るのも早かったのか、軽く一礼して部屋を去って行く。
それでも彼女はナースセンターに戻った後に同僚たちに三日月に相対した事を自慢げに話すのだろう。
あの美しい瞳で己を捕えて見つめてくれたと夢の様に語るに違いない。
(何処まで自覚があるか知らないけど、罪作りな男なんだから……)
そう思う面影も、実は男女ともに視線を引き付けるという自覚が無いのはお互い様なのだった。
「昨日は結局夕食を食べなかったからな。どうだ、今は食べられるか?」
「ああ…多分」
どうやら、ここに訪室する前にしっかりとステーションで昨夜の自分の経過について再確認してきたらしい三日月は、面影が頷いたのを見て嬉しそうに笑った。
「よしよし、精を付ける為にも少しでも食べた方が良いからな」
そしてベッド脇の椅子に腰かけると、箸を取って面影に食事を与え始めた。
特に消化器系に異常がある訳ではないので、食事は多少は薄味だが通常の形式のものだ。
「ほら、あーんしろ、面影」
スプーンを持ち、スクランブルエッグを掬った彼がそれを差し出してくる。
「そ、そんなに嬉しそうに笑うな…」
「嬉しいからなぁ。普段は俺が世話を焼かれているので、お前の世話を焼くのもなかなか良いものだ」
本心からそう思っているのだろう、いつになく三日月の笑顔が眩い。
その笑顔が見られるのも、面影が怪我をしたとは言え重傷ではなく、早期に治る見込みが立っているという事実があるからだろう。
それは怪我を負った本人も同様に良かったと思っていた。
もし自分に何かあったら、この目の前の男はどうなっていた事か………
「………あ…」
「うん?」
昨日は自分の事で手一杯で相手に聞くことを失念していた。
ちょっと答えを聞くのが怖い気もするが、聞かないままと言うのも寝覚めが悪い。
「……三日月……昨日の、トラックの運転手に……その…酷い事、してないだろうな?」
「…………」
そう長くはないが短くもない期間、彼と共に過ごしてきて、相手の持つ『力』についてぼんやりと分かった事がある。
それは決してひけらかす事はしないが、三日月がかなりの『権力』を有しているという事実。
権力は良い意味でも悪い意味でも他人の人生に干渉するのが可能なのだ。
自分が今回この怪我を負ってしまったのは、子供を助ける為であったが、そもそもあのトラックの運転手が居眠りしなければ起こる事もなかった。
自惚れるつもりはないが、客観的に見ても三日月は自分の事を過剰な程に大切に思ってくれている。
そんな相手を病院送りにしてしまった加害者に、変な気を起こしていないと良いのだが………
果たして……
「…心配するな。あの者にはしっかりと法に則って罪を償ってもらう……それが道理だ」
それが普通と言えば普通の答えだったのだが、面影はほっと深く安堵の息を吐いた。
「そう……そう、だな…」
「うむ」
そんな若者の優しさに再度頷きながら、三日月は心でこっそりと付け加えた。
(……運転手には…な………)
昨夜、一人家に戻ってから、三日月は即座に今回の事故について色々と調べた。
結果、あの運転手が所属している会社がかなりのブラック企業だという事が判明したので、彼はそちらへと攻撃の切っ先を向ける事にしたのだ。
居眠り運転のそもそもの原因も、無茶な労働スケジュールによるものだという事も分かっている。
生きる為に無理な仕事に身を投じた彼も、或る意味被害者だった。故に彼への罰を与えるのは法のみとしたのだ。
しかし、上の者達にはそんな生温い温情を掛けるつもりはない。
昨日の今日なのでこちらが回した手はまだ向こうの本丸に届いてはいないだろう。
人死にが出なかったので、大した注目も浴びずに世間の記憶に埋もれる事故になるのかもしれない、いや、間違いなく向こうはそれを目論んでいる。
あわよくば運転手をトカゲの尻尾にして切り捨てるつもしなのかもしれないが……面影が傷を負ってしまった時点で向こうの命運は尽きてしまっているのだ。
しかし、それをこの優しい若者に語る必要はないだろう。
己の胸の内にのみ留め、彼には心穏やかに過ごしてもらえたらそれで良いのだ。
「安心したか? おしゃべりは今はこれぐらいで良かろう、ほら、あーん」
「わ、分かった、分かったからその呼びかけはなし、だ」
三日月の思惑通り、以降はもう事故について互いに言及する事は無く、面影は大人しく雛の様に餌付けされるがままだった。
「……………」
むぐむぐむぐ……と咀嚼している間の若者の表情が何処となく固い印象を受け、は、と三日月がある考えに至る。
「…そう言えば病院食というのは味気ないものらしいな。口に合わんか?」
「いや、食べられる…けど……」
こくんと呑み込んだ後、至極真面目な顔で面影が言ったのは……
「味にまだ改善の余地がある……」
「最早、職業病だな」
苦笑し、こちらを見つめてくる男に、面影は首を傾げて尋ねる。
「三日月、仕事は本当に良いのか? もしやらないといけない事があるなら遠慮せずに家に戻っても…」
「大丈夫だ。俺にとって今一番の仕事は、入院中お前の世話をする事だからな。手は打ってある」
「……なら、良い、けど…」
嘘の気配はないので、面影としてはそれを信じるしかない。
「…俺は邪魔だろうか?」
「いや! そんな事はない」
下手に遠慮し過ぎた所為で、相手を不安にさせてしまったらしい。
「私は……その、三日月が負担に感じていないなら……居てくれるのは…嬉しいんだ、本当に。けど、私が負担になっていないか………不安、で…」
最初は声を強く張りながら主張していたものの、徐々にそれは小さくなっていき、最後にはかなり集中しないと聞き取れない程の声量になってしまっていた。
「…負担なものか」
「!?」
ぎゅ…と起こしていた面影の上体を抱き締め、三日月が囁く様に面影に伝える。
「寧ろ、お前が傍にいないと落ち着かん。家政夫業が暫し休業なら、入院中はじっくりと親睦を深めるとしよう」
「………っ」
囁く声が余りにも艶っぽくて、耳元でそれを吐息と共に吹き込まれた瞬間、ぞくぞくぞくっと背中に戦慄が走った。
「折角、恋人同士になったのだから…なぁ?」
「そ、それは…それとこれとは…」
親睦を深めるのは結構な事だが、三日月のこの声で言われてしまうと、どうしても艶めかしいものを想像してしまう。
しかも、三日月も狙ってのものなのかそれとも無意識なのか、そういう事を企んでいる表情にも見えてしまうし……
(だ、大丈夫……だよ、な……? ここって、病院だし…)
先日、三日月と恋仲になった事は間違いないのだが、二人はまだキスまでしか進んでいない。
それは三日月がへたれなのではなく、自分がまだ覚悟が決まっていないからだ。
病院という場所で、まさか、そういう事にはならない…筈……
(親睦を深めるのは、良い事だし…うん…)
時間もある事だし、両手を塞がれて碌に動けないし、三日月の提案を受けない理由はない。
そう判断した面影は、少しだけ動揺したものの、素直に恋人の言葉に従う事にしたのだった……
一抹の不安はあったものの、それからの三日月との談笑は実に充実したものだった。
元々そうなのだろうと思っていたが、この三日月という男、面影が考えていた以上に博識であるらしい。
分野に大きな隔たりなく、漫勉に知識を披露してくれる彼の様々な話は、ベッド上においてもまるで知識の海を放浪するかの様に面影を愉しませていた。
特に、この国の古き時代の話を語らせたら他に並ぶ者がないのではないかと訝る程だ。
気が付いたら昼を迎え、昼食のひと時を過ごしたらまた三日月の語りに耳を傾けていた。
長い、長い歴史の物語
三日月の語りには、何があったのかという事実のみではなく、そこに存在していた人物達の心中までも見透かす様な描写が入っていた。
敵方、味方、様々な立場の者達の心の琴線を織り込む様に語る彼の物語は、まるで豪華絢爛な絵巻物の様に心の中に情景を拡げてゆく。
それはまるで、『自分も』その場に居たかのような錯覚を起こす程に……
「……三日月の話は本当に面白いな…まるで歴史絵巻を読み解くような語り口に惹き込まれてしまう…」
ほう…と溜息を吐きながら面影が賛辞を述べ、三日月はにこ、と笑って素直にそれを受け取った。
「そうか? 愉しんでくれたなら何よりだ」
「ああ、とても愉しい……まるでその場に居た様に…見てきた様に、歌う様に語られると時間を忘れてしまいそうだ…」
「はは、俺も嬉しいぞ。普段何の我儘も言わぬお前から、もっと先をと強請られるのは悪くない」
そうして二人で語らっているところに夕食を持った看護士が入室してきて、そこで三日月の語りは再びお預けとなる。
「もう、そんな時間なのか…」
「成程……餌付けの時間だな」
「餌付け…って…」
言い返そうと思ったものの、当たらずと言えど遠からず……
ぐっと詰まってしまった面影の表情とは裏腹に、三日月は待望の『餌付けタイム』にほくほく顔だった。
「ほら、あーん」
邪念のない笑顔を向けられてしまうと、どうにも調子が狂ってしまう。
言われるままに遠慮がちに口を開くと、そっと食べ物を乗せたスプーンが差し入れられる。
「………」
嬉しそうにこちらを見つめて来る三日月の視線に気づかない振りをしながら、面影は目を逸らしつつ必死に平静さを装う。
(………一日も早く治さないと、情緒がおかしくなりそうだ)
こんなに美しい男が、持てる愛情をてんこ盛りでこちらにぶつけてくる様なものだ、直視してしまったら目が焼かれてしまいそうだ。
そうして、動悸が煩い中で面影は何とか夕食を完食した。
因みに三日月の食事は、病院内の購買施設で適当に買ってきたものだった。
もっとしっかりしたものを食べてほしいと願ったが、向こうは食事の内容よりこの部屋に許される限り居続ける事を選択した様だった。
(これについては後々頼んでいかないといけないな…)
そうして夕食の時間は和やかに過ぎ、食事のトレーが下げられ、暫しの間二人が会話を楽しんでいたところに、今度は男性の看護士が洗面器に円筒状に畳まれた複数のタオルを入れて持ってきた。
「?」
「え?」
きょと、と三日月と面影が揃って何事かと見守る中で、看護士はこんばんは、と挨拶しながらその洗面器を面影のベッドに備え付けのサイドテーブルの上に置いた。
よく見ると洗面器は同じものが二つ重ねられている状態で、テーブルに一旦置いた後、相手は器用に上の一つを持ち上げる事で分離させ、そのままそれを空の洗面器の隣へと置いた。
「面影さんは現在、両手が塞がっている状態ですので入浴が出来ません。昨日は入院当日だったので無理でしたが、入浴の代わりにこちらの蒸しタオルで清拭をしてもらいますね」
「ああ……そういう」
よく見ると、洗面器の中に山と積まれたタオルからは微かに湯気が立っているのが見て取れる。
今の面影は入院着の甚平に似た上下を着ているが、昨日から着替えなどは一切行っていない。
見た目は殆ど変わりはないが、やはり身体を清潔に保てる事が嬉しいのか面影の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた…が、タオルをよくよく見てみたところ、それらにちょっとした相違があるのに気が付いて看護士に質問した。
「色違いがあるけど…これは?」
殆どは白色のタオルだったが、積まれたそれらの山頂の三本は薄い青色だったのだ。
色違いがもし無作為に混ざっていたのであれば、大した意味はないのだと思っただろう。
敢えて律義に分けているというのは、何か意味があるのだろうかと面影が思うのも当然だった。
「ああ、その青色のタオルは衛生上、デリケートゾーンに使用する分です。使い終わったものは、色関係なく、空の方の洗面器に入れて下さいね」
成程、男性の看護士が運んできたのはこれが理由だったか、と面影は即座に理解した。
そういう繊細な説明を異性からすると、一歩間違えたらセクハラと受け取られかねないだろう。
理解した事を相手に示す為にこくんと一つ面影が頷くと、向こうはそれから二人を交互に見遣った。
「両腕が塞がっているので介助が必要ですが、僕が付きますか? 付き添いの人に頼むのも…」
「俺がやろう」
全てを聞く前に、三日月が即決していた。
その返答の速さに看護士が少しだけ吃驚した様子だったが、それは面影も同様だった。
『いや…慣れている看護士さんの方が…』
そんな台詞を口に出す前に、三日月が割って入る様に看護士に優しく話しかけた。
「看護士さんも他の業務で忙しいだろう。俺と彼は家族みたいなものだから気心も知れているし、その程度の作業なら俺でも出来る」
(あ、不味い…)
いけない、これはいけない……
これは三日月の得意技だ。
優しい笑顔で相手の心にするりと滑り込み、心地よい声音で語る台詞は祝詞の様に耳から脳へと流れ行き、その思考を望むままに動かしていく。
「あの……」
追いかける様に素早い反応はしたものの、その時の面影の敗因は控え目な性格であるため、声を大きく張る事が出来なかったというところだった。
「そうですか、ではお願いします」
「あの……」
「あいわかった」
「あ……」
当事者である筈の面影が口を挟む前に、看護士は三日月の言葉を受けて早々に退室してしまった。
三日月の言う通り、看護師たちもまだまだやるべき仕事が残っているのだろう、故に、その手間を肩代わりしてくれるという三日月の申し出は渡りに船だったのかもしれない。
「え……と…」
看護士が去ってから暫しの間、部屋の中は奇妙な沈黙が流れていた。
三日月は看護士を見送った後にこちらに身体を向けていつもの様子だったが、その歩がこちらに進む度に面影の身体が後ろに引いていく…とはいえ、ベッドをやや斜めに起こしてそれに寄りかかっている状態なので、引いたところでほぼ移動は不可能なのだが。
「では、タオルが冷えない内にやってしまおうか」
「え、ええと…だ、大体で良い、からな?」
「昨日は何も出来なかったのだろう? その分、念入りにやらねばな」
こちらの言う事をちゃんと聞いているのか分からない相手が面影に近づくと、徐に手を伸ばして入院着の結び紐を摘まみ、結び目をあっさりと解いた。
(う、わ……脱がされてる…)
これから身体の清拭を始める以上、甚平を脱ぐのは当然の作業であるのに、相手が三日月だというだけで身体が一気に熱を持った様な錯覚を覚えてしまう。
(落ち着け、落ち着け……単に身体を拭くだけだ……し、下の方は、足だけに留めてもらえば…)
「シーネに気を付けて…ゆっくりと袖を抜くぞ。お前は動くなよ?」
「わ、分かった…」
前をはだけられた上衣を三日月がゆっくりと両肩から下ろし、先ずは右手を抜き、続いて左手を抜いた。
薄地の生地ではあったが、やはり取り去ってしまうとそれだけで身体そのものが軽くなった気がして、心地よい開放感を感じた。
「…はぁ……」
息を吐いている間に、三日月は洗面器から白のタオルを一本取り上げて拡げ、いよいよ身体の清拭が始まる。
先ずはシーネから露出している腕の一部を軽く拭き取り、前腕から徐々に肩へと移動させてゆく。
肩まで届いたところでタオルを交換し、別の腕に移動。
蒸しタオルは程よい熱を保っており、拭かれる場所から気化熱でひやりと肌が冷えた感覚が襲うが、それもまた心地よかった。
また吐息が自然と漏れた事で、ふふ、と三日月が笑った。
「気持ち良さそうだな」
「ああ……さっぱりする」
「ははは、そうか」
三日月のタオルを操る動きに怪しい素振りは無く、淡々と、しかし繊細に身体を清めていってくれる。
両腕から首筋…背中から腰まで移動すると、今度は胸部へと。
左右の胸の敏感な部分にタオルが近付いた時にはつい全身を強張らせてしまったが、そこでも三日月は淡々と他の部分と変わらない動きで清拭をこなしていくだけだった。
最初こそ緊張していたが、身体が感じる清涼感と共に徐々に心身が緩んでいったところで、三日月の手が遂に腰下まで届いた。
「あ……」
「ん? ああ、すまん」
面影の思わず漏らした声に三日月がうっかりといった声音で反応する。
そんな相手の様子に、面影はほっと安堵の息をついた。
そうだな、流石にその場所…デリケートゾーンには手を伸ばさないだろう…と思ったのも束の間……
「その場所は、こちらのタオルだったな」
「!?」
さも当然と言う様に、三日月は白のタオルから青のそれへと取り換えたのだ。
その行為の目的は明らかで、面影はざぁっと全身から血の気が引く音を感じた。
「い、いやっ! そこは別にいいから…っ!」
「昨日から拭いてないのだろう? ちゃんと綺麗にしなければ」
「な、なら、看護士さんを…」
「お前の身体に俺以外の誰かが触れる事を許すのか?」
「いや! そういう話じゃ…あ、あっちはプロだし…」
「誰であろうと許さぬ。早く終えたいのなら大人しくしていろ、あまり暴れると傷にも障るぞ?」
「う……っ」
下衣の腰紐もあっさりと解かれ、タオルを手にしたまま三日月の手がその奥へと侵入してくるが、流石に両手が塞がれている状態では、抵抗もままならなかった。
まさか本当にこういう流れになるとは…と思いつつも、確かに三日月の言う事にも一理ある。
恥ずかしい状況なのは間違いないが、ここはもう相手に素直に任せ、早々に一連の作業が終わる様に協力した方が良さそうだ。
「は、早く……な…」
「うむ…」
下衣は紐を解くのみでずり下げるなどはしていない。
だから、そこで何が起こっているのかを目で見る事は叶わなかった。
(あ………っ)
三日月の手が直接触れる感触はない……しっとりと湿ったタオル生地がやわやわと己の分身の茎全体を包み込んでくる…が、流石に先端までは無理だった様だ。
「大人しく…な…」
「わ、分かってるから…っ…早く、済ませろ…っ」
いつになく乱暴な口調になってしまったのは、心の焦りが言葉に出てしまったのだろう。
(あ、あ……今、握られてる……タオル越しだけど……三日月の手の中に……!)
これは夢か……いや、紛れもない現実だ……!!
嗚呼、やはり夢よりずっとずっと生々しく、鮮烈に、脳髄にまで響いてくる…!
(駄目だ…! 意識したらいけないのに……み、三日月に、触られてると思うと……どきどきして…)
ずるり……
「……っ!」
生地がずれて、面影の分身の表面を優しく擦った。
『ひっ』という声を上げそうになったところをかろうじて堪えた代わりに小さく喉が鳴る。
(な、何でもない、何でもない……ただ、拭いてもらっているだけで…)
ずっ……ずっ………
「~~~~っ…!」
汚れを拭き取る必要があるのだから、あまりに軽い力では目的を果たせないのは分かるし、かと言って、敏感な器官なので強過ぎるのもいけないのも理解出来る。
けれど、この力具合は……余りにも「良過ぎる」っ!
(反応しちゃ駄目だ……ただの…作業…なんだから…!)
理屈では分かっているのに、どうしても三日月に間接的にでも自らのものに触れられていると考えるだけで、心が激しく乱され、それが身体にも伝播してしまう。
せめて口を押えて声を出さない様に未然に阻止したかったが、その為の腕が動かない。完全ではないものの骨が折れている状態なのだ、今も鎮痛剤を入れて痛みを抑えている状態なので、自ら動かすなど以ての外。
面影は代替策としてひたすらに歯を食いしばり、心地よい拷問に耐えるしかなかった。
「ここも…綺麗に、な」
そんな若者の苦難に気付いていないのか、三日月は淡々とした口調で話しかけながら、まだ包まれていなかった先端のまろみへとタオル生地を移動させていった。
(あ……っ、だめ…っ!)
茎よりより敏感な場所である場所を包まれる……その感触から、三日月の掌が先端に当てられ、そこを支点に覆われていくのが分かった。
(だめっだめっ! そ、そんなとこ、擦られたら…っ)
止めたいけど、それをしてしまう事は相手の作業に対して不埒な反応をしてしまったと暴露する様なものだ。
まだこのままやり過ごしたいと淡い期待を抱いていた面影は、心中では止めてほしいと懇願しつつも、それを完遂すべく無反応を実践しようとしていたのだが……
きゅ……きゅ……っ…
「……!!……っひ、ぁ…っ!!」
手首の捻りを利かせる様に、ドアノブを開ける動きで三日月がタオルで先端部を擦り上げると、遂に耐えられなくなったのか、面影の口から小さな悲鳴が漏れた。
「…痛かったか…?」
「~~~~っ!」
痛みどころか一際強い快感に、ぎゅっと強く瞳を閉じてぶんぶんと首を横に振って否定するが、言葉を紡ぐ余裕はなかった。
「………………ふむ?」
全体を拭き終わったところで、三日月は面影の身体の変化に気が付いた。
「……ああ、すまんな……勃ってしまったか」
「い、言う、なっ…!!」
ずっと必死に声を殺して耐えていたのに、あまりにあっさりと指摘されてしまい、面影はそれまでの努力を無駄にされてしまった様な気がした。いや、実際は無駄だったのだが。
「し、仕方ないだろう…! 生理現象、なんだし……っ……健全な男性なら…こうなるっ…」
必死に言い訳をするが、それは三日月に対してのみでなく、自分に対してのものでもあった。
相手には絶対に言えないが、三日月宗近という男性を意識する様になってからというもの、自慰の回数が明らかに増えていた。
それに、その時に思い浮かぶのは決まって三日月のこと。
最初は自身が想像する彼の指先の感触や甘い声に心を震わせていたが、ある日の偶然、男の美しい裸体を目にしてしまって以降はそればかりを思い出し、更にはその姿のままに自分に覆い被さる彼の行為を想像するなどしてしまっていた。
言える訳がない……何処ぞの女などではなく、お前を想って浅ましく行為に耽っているなど……
そして今正に、その行為の一部が現実に行われた所為で、興奮してしまったなど……
兎に角、今は清拭中の刺激でなってしまっただけだと誤魔化すしかない。
同じ男性なのだから、そこは疑われる事無く納得してもらえるだろうし、彼はこういう事を吹聴する様な人物ではない。
「お、終わったなら、もう放っておいてくれ………暫くしたら……落ち着く、から」
「……面影」
治まるまでは少々辛いが、そうするしかない、と三日月に断りを入れた面影だったが、相手は少しだけ間を置いた後に、名を呼びながら耳元に口を寄せて来た。
「そう言えば、昨日もそれどころではなかったな………暫く射精してないのではないか?」
「んな…っ!?」
答える事に相当抵抗がある質問に面影が素っ頓狂な声を上げたが、向こうは構わずに続ける。
「お前の言う通りだ、健全な男性にはこの状態は宜しくない………よし」
何が「よし」なのか…と考え始めた時には、三日月は即断即決、という言葉がぴったりという程に迅速な行動を取っていた。
使用していた青のタオルを下衣の中から引き抜いて使用済み用の洗面器に放り込むと、再び下衣へ手を伸ばすと意外に強い力で下着も含めて一気に引き下ろしてしまった。
「あ…っ!」
引き留めようと思わず腕を動かしたが、シーネで固定されていたとはいえ、その振動で鈍い痛みが走って身体の動きが止まってしまう。
「ん……っ」
「動くな……傷に障ると言っただろう?」
「でっ、でもぉ…っ!」
動いてほしくないのなら止めてくれ…!と懇願しようとしたところで、面影の身体が今度こそびしっと固まる。
「あ……っ?」
嘘……そんな……
「み、みかづ、き………だ、め……っ」
何もしていないのに、まるで見えない海の中で溺れている様に呼吸が覚束なくなる。
かは……っと喉の奥から息を吐き出し、忙しなく動く双眸が涙液で潤む。
(こんな、こんなの……うそ………三日月の手が…そのまま…っ)
直接、触れてくるなんて………!!
「や……きたな……っ……から…!」
「汚くなどあるものか……お前は全てが美しい…」
「み、耳元で、そんなこと…言うな、あ…っ!」
尚も無理に動こうとしている面影に、三日月はきゅむ……と少しだけ力を込めて相手の分身を握り込むと、面白い様に再び相手が硬直する。
敏感且つ、他人に触れさせる事が憚られる場所とは言え、軽い力で握られているだけである。
しかしこれまで性的な経験が皆無であり、恋人となった三日月に初めてこういう行為をされた事は、若者にとっては大きな衝撃をもたらしていた。
まさか、病院内でこんな事をされるなんて……
「入院中、ずっとこのままという訳にはいかんだろう…? 此処にいる間は俺がお前の処理を手伝ってやる」
「え……っ」
「同じ男性同士で、恋人同士だ……万が一にも何処の誰とも知れぬ看護士などにこんな事をされる訳にはいかぬのでな」
「そ、んな……っ!」
更に身を捩ろうとしたところで、そのすぐ横に三日月が寄り添う形で動きを封じられる。
そして、彼は再び面影の耳元に口を寄せて囁いた。
「キス以上の事はしないと約束していたが……已むを得ん。俺の事は人ではなく、その為の道具として使えば良い」
「…っ!」
三日月とはキス以上の事は自分がその気にならない限りはしないという約束だったが、この状態は例外だと面影も理解していた。
もしそれを素直に三日月が遵守したら、入院中の面影は処理なしでひたすら禁欲を強いられる事になるか、或いは三日月以外の看護士に身を委ねるという事になるのだ。
面影への愛情が天元突破している三日月がそんな事を許す訳がなかったし、面影も一時は看護士を引き合いに出していたが、実際こうやって経験してしまうと、見ず知らずの誰かにこんな事をされるなど、受け入れ難い事だった。
道具、と聞いて何とも言えない情動が面影を襲ったが、その正体が何だったのかは分からなかった…しかし今は、詭弁であってもそれに乗じた方が互いの為になるだろう。
「快くしてやる……すぐに」
唇を離して耳をくすぐるのは、優しく、安寧に誘う様な声……
なのに、繰り出す手指の動きはあまりにも容赦なく、こちらを追い立てていく……
「ん…は、ぁ…っ!!」
三日月に直接触られているだけでも凄まじい羞恥をもたらすのに、軽く肉棒を上下に扱かれる刺激にすら面影の身体は過剰に反応した。
『暫く射精してないのではないか?』
先程言われた言葉が脳裏に繰り返される。
確かに、指摘の通り昨日はそれどころではなかったのと、鎮痛剤などの効果で夕方から今日の朝までぐっすりと眠ってしまっていた。
しかし、実は一昨日の夜には面影は自慰をしていたのだ……ここ最近はすっかり慣例となってしまった、三日月の妄想と共に。
まさか、たった一日空けただけで、場所が変わっただけで、こんなに感度が違ってくるものだろうか……いや、流石にそれはないだろう。
(え……他人にされるのって……こんなに……?)
気持ち良いものなのか…!?
「う……そ……っ」
心地良い脈波が身体の中心から全身に向かって伝播していき、その波に呑まれつつある面影はそれでも否定したくて心許なく呟く。
呟きの合間に、はっ…はっ……と忙しない息遣いが漏れ、きょろ…と面影の瞳が怯えと困惑の表情を持って三日月を見つめてきた。
「み……みか、づき…っ」
「……随分、我慢していたのだな…こんなに…」
くっと一瞬力を込めて茎を握る事で、その太さを知らしめてくる。
明らかに興奮状態にあると知れる太さと固さである事がばれてしまい、それでも認めたくないのか面影は目を固く閉じ、三日月の視線からの逃避を試みた。
そんな拙い方法で現実逃避をしている面影に、三日月は構わず言葉を続け、同じく手の動きも止めなかった。
「……我慢は毒だぞ……俺に任せておけ」
「ふ…ぁ…あっ!」
タオル越しではない直接的な刺激が継続的に与えられ始める。
(ああ……どうしよう……きもち、いい…)
自慰は元々性的快感を伴うものだ、自分が行為に耽っている時も体感しているのでよく分かっている。
しかし、今感じている快感は普段自身で行っている時のそれより遥かに強く、甘美だ。
僅かに気を抜いてしまえば、たちまち果ててしまいそうな程に…
そうならない様に必死に耐えているのは、この得も言われぬ快感を少しでも長く貪りたいという浅ましい欲望の為であり、そして、三日月に果ててしまう時の己のだらしない顔を見られたくない為でもあった。
恥ずかしい場所に触れられるだけでなく、達かされてしまう時の顔を見られるなど羞恥の極み……なのに、その対象である三日月が自分を追い詰めていくとは、何という皮肉だろうか。
止めてほしいともっと強く声に出して訴えたら、彼は止めてくれるかもしれない。
けれど、もう、駄目だった。
何故なら、面影本人が、止められる事を望んでいないから……この快楽に囚われてしまったから……
こんなの、これまで生きてきた中で一度も経験した事などなかった。
一度でも経験していたら忘れる筈がない。
そして、もし一人でもこれだけの快感を得られる方法があるのなら、悩む事もなくそちらを選んでしまうだろう。
「うん……好いのだな…良い反応だ……」
快楽を求め、腰が揺れている…が、面影本人はまだそれに気が付いていない。
あんなに恥じらっていたのに今は両脚をしどけなく開き、三日月が行為をしやすい様にという無意識の気遣いすら感じる。
他人にされるのは初めて、という事を鑑み、三日月が手に加える力は僅かだった。
いきなり強い力で扱かれると、あまりに刺激が強すぎて時をおかずに果ててしまうだろう。
処理をする、という目的のみならばそれでも良かったが、三日月の狙いはそれだけではなかった。
(…ずっと…眺めていたい……)
全身を朱に染め、しっとりと肌を汗に濡らし、快感の波が押し寄せる度に敏感に下半身を震わせ甘い声を漏らしている若者。
声は徐々に大きくなり、それに伴う様に三日月の手中に握られている彼も自己主張がより激しくなっていく。
茎はより一層太く固くなり、先端の慎ましい窪みからはじんわりと透明の雫が滲み出していた。
さわり………さわり…………さわ……
敏感な粘膜を控え目に触れるか触れないかという絶妙な力加減で、上へ下へと優しく愛撫していく。
ゆるゆると触れる中で、三日月の指先が茎に浮かぶ裏筋を捉え、じっくりとなぞり上げると、堪らず面影の口から嬌声が漏れた。
「あああ~…っ!! いっ…!」
苦し気な…何かを必死に耐えている様な掠れた声の奥に悦びが見え隠れする。
もっと聞いていたいが、今は場所が宜しくない。
特別個室とはいえ本格的な防音設備ではないのだ、外の廊下を誰かが歩いていたら聞かれてしまうかもしれない。
「面影…」
「ん…っ」
声を出すな、と言葉で言っても、今の相手では難しいだろうと判断し、三日月は己の唇で彼のそれを優しく塞ぐ。
「ふぅ…っ……あ、はぁ……っ」
完全に声を封じる事は出来なかったが、少なくとも外部に漏れる心配はせずに済む程度には抑えられるだろう……
「そうだ……そのまま……」
初めて唇同士を重ねた時、面影は必死に歯を食いしばり、呼吸を止めていた。
前世での口吸いを思い出す……あの時の彼も、同じく口吸いの何たるかを知らなかった。
それを少しずつ少しずつやり方を教えたのは自分だ……そう、丁度今の様に、相手を快楽に溺れさせながら…
「あぁ……みかづ、き………」
「うん………ほら…」
くちゅ…と唾液の濡れた音を立てながら面影の唇を塞いでやると、向こうが己から勝手に歯列の門を開き、差し込まれる三日月の熱い舌を恐々と迎え入れる。
まだぎこちないのは仕方がない、本当につい先日まではこんな行為など何も知らない男だったのだから。
「そう……いい子だ、もっと舌を出して…」
悦楽に浸された脳髄ではまともに考えることが出来ないのか、親にあやされる子供の様に三日月に言われるがまま、そろりと舌を伸ばしてくる。
熱された証への愛撫に加えて舌への悪戯も容赦無く、面影の性感を否応無く高めていった。
「んく………はぁ…っ」
ぴちゃ、ぴちゃ…と濡れた音が響く度に、二人の唇の狭間に見え隠れしていた彼らの舌が絡み合う様が覗く。
どちらかと言うと三日月のそれより面影の方が動きが激しい様に思われたが、それは希求していると言うより加減が分からず我武者羅に動かしている様に見えた。
(あ………もっ…と…)
舌と舌が二匹の龍の様に激しく絡み合う一方で、三日月が面影の分身に絡めている手の動きは依然緩やかで、控え目なものだった。
その対比が際立つ程に、徐々に面影の中で不満が生まれていく。
口の中を犯す舌はこんなに激しいのに、どうして彼の手はあんなにもどかしいままなのか……
自室で自分を慰めていた時に思い描いていた彼は、もっと強く荒々しく私を………
いつかの己が描いた淫靡な三日月の姿を脳裏に思い浮かべていたところで、まるでそれを読み取ったかの様に、相手が新たな悪戯を施す。
その細い指先を、楔の先端の窪みへ優しく押し当てると、溢れ出た淫液を窪みの奥へと塗り込める様に円を描き出したのだ。
「ん、んん~~~っ……!!」
三日月に塞がれていなければ、間違いなく人が踏み込んでくる程の声が上がっていただろう。
動かせない両腕の筋肉が、包帯の上からでも張りつめているのが分かった。
それと同時に、快感に応える様に若者の腰もより激しく蠢き、先端の雫が一気に溢れ出て茎を伝い、三日月の手を濡らしていく。
「み、か………っ」
「ああ……また、元気になったな……分かるか?…」
ちゅく………ちゅく………と、三日月の手が茎を握り、上下に動く度に音が立つ。
わざと音が立つように手首の動きを利かせ、面影の耳へと届く様にすると、相手はより激しい欲求に呑まれた様に身悶えた。
「あ、あ、あ……あぁ…~~っ!」
どくんどくんと激しく楔が脈打つのを掌でしっかりと感じながら、三日月は唇を塞いで上手く相手の声を抑えてやった。
この様子だと、そろそろ絶頂が近いかもしれない……
「う、あ…っ……あぁっ……みっ………が、い…………!」
三日月の察しの通り、面影自身も己の限界を確実に感じていた。
その中で夢中で放った声に、三日月が何事かと彼の口元に耳を寄せる。
「うん…? 何だ……?」
「も……っと………もっと、つ、よく……して…っ! あっ……お、ねがい……みかづきぃ…っ!」
「……ああ…」
その声は、了承の返事だったのか、それとも感嘆の吐息だったのか……
ただ面影だけを見つめていた美しい男は、妖しい笑みを浮かべ、望みに応える様にようやく手の動きを速め始める。
「面影……覚えておくのだぞ……俺に望めば、お前の求めるあらゆる快楽を与えてやろう………」
「はっ…あ…~~~~っ!!」
まるで催眠術の様な密やかな言葉と共に、三日月は激しい扱きで面影の理性を一気に崩し蕩けさせていく。
今、二人の周りの世界には三日月の声しか存在していない様に……
今、面影に触れる事が出来るのも三日月だけだと言う様に……
そしてそれを全て受け入れる様に、面影は激しく首を縦に振った……何度も、何度も……
「……かった………わ、かった……からっ……はや、くぅ…っ!」
もう、大きく声を張る事も出来ない程、面影は息も絶え絶えだった。
そんな覚束ない声の中、達こうと思えば既に達ける程の手技は施しているのに、未だに面影の分身は頑なに甘い責苦の中にいた。
達したいと願っている一方で、まだ快楽を手放したくないと、その時を引き延ばすべく抗っているのだろう。
その抵抗を打ち破り、頂きに昇り詰めるには、より激しい一打が必要だった。
「…ふふ」
最後の一打をもたらしたのは、当然、若者を蹂躙する男だった。
「ほら……俺に可愛い達き顔を見せてくれ」
「あ…あっ!」
促され、久し振りに三日月と視線が合った事で、ようやく面影は思い出す。
これまでの己の痴態を、全てこの目の前の男に見られてしまっていると事実を。
美しく澄んだ相手の双眸の奥に、今の自分の淫らな姿が映っている様を目の当たりにし、面影の全身が一気に焔に包まれた様に熱くなる。
(ああ……っ 見てる…三日月が……私の……っ!!)
当初は、男性自身に触れられる事を恥じていた。
しかし、今のこの醜態を晒している事に比べれば、それすら些事の様に思えてしまう。
淡々と「処理」してもらう筈が、今の自分はどうだ。
早く済ませろと言いながら与えられた快楽にあっさりと溺れ、『道具』と思えと言う相手の言葉に甘えて縋り、達かせてほしいと懇願した……その全ての様を、ずっと見られていたのだ……!
そんな己を顧みた面影の身体に、羞恥の熱と同時に、初めての感覚が生まれる。
(うそっ……三日月の視線が…恥ずかしいのに、きもちい……っ!!)
見られているのに、恥ずかしいのに、それが堪らなく気持ち良いなんて……っ!
ぞくんと背筋に戦慄が走ったタイミングで、三日月の掌がこれまでで最も激しい熱量を以て面影を追い詰める。
「あっ!! や、ああっ!! いっ……い、く……いくぅ…っ!!」
肉の楔の中を、灼熱の溶岩が走り抜けていく感覚……
自分でしていた時には、こんなにはっきりと感じる事はなかった。
ああ、駄目だ……戻れなくなる……!
こんな快感を経験してしまったら…もう……一人でなんて……っ!
「そら……達け」
茎を幾度も激しく扱いた三日月の手が、その瞬間を察知し、素早く掌で若者の先端を優しく覆う。
「~~~~~っ!!」
びくびくと陸に上がった魚の様に腰が激しく跳ねる中、三日月の掌に包まれているのを感じながら面影はようやく射精した。
びゅくびゅくと、幾度も幾度も頭を振って精を放つ楔は、まるで自分の身体の一部とは思えない程だった。
射精が長く続く分、快感も長く身体の内に留まり、恍惚とした時間が流れていく。
「ふ………ぁ……」
張りつめていた全身の筋肉が一気に弛緩し、同時に疲労感が若者を襲う。
まるで身体の中で嵐が吹き荒れていたかの様だ。
拭いてもらったばかりの身体だったのに、新たな汗にまた全身が濡れてしまったのは失敗だったかもしれない…と、呑気な事しか考えられなかったのは、達した後もまだ意識が胡乱のままだった所為かもしれない。
ぼんやりと、天井を眺めながら気怠い身体を横たえている面影の視界の隅に、己の手を濡らした若者の精の残渣に舌を這わせる三日月の姿がかろうじて映ったが、思考を放棄している状態の若者はそれを『理解』する事は出来なかった。
「…ふふふ」
懐かしくも新しい淫らな味………ようやくまた……
繰り返し手指と掌に舌を滑らせて粗方の精を舐め取った後は、改めて面影の全身の汗を拭きとってやった後、入院着を着せてやる。
勿論、精に濡れた楔も、青のタオルで改めて清められ、まだ清拭が済んでいなかった下肢もまとめて丁寧に拭き清められた。
三日月の手管により、ぐったりと身体の力が入らなくなってしまっていた面影は、最早相手にされるがままだった。
「沢山、射精したな………良い子だ…」
「や………そんな、こと…言うな…」
本当はもっと強く言って相手の発言を止めたかったのに、どうにも力が抜けて声すら出ない。
それ程に、三日月の手淫は凄まじい快楽をもたらしたのだ。
「………明日からも、俺が責任持って『処理』してやるぞ」
「……っ……う……」
一瞬、何かを言おうとした面影の開きかけた口が閉ざされ……呻くような声が漏れたが、結局、相手に対するはっきりとした答えは無かった。
嫌だとは言えなかった。
最初は『断る!』といった拒絶の言葉が口から飛び出すところだったが、それは羞恥からの勢いに依る照れ隠しの様なもの。
本心ではないが、取り繕いの為に言ってしまうところだったのだが、それはすんでのところで面影本人によって阻まれた。
もし、それを言ってしまったら、もしかしたら、本当に……してくれなくなるかもしれないのだ。
その不安が、面影の口を閉じさせた。
(どうしよう………)
三日月は、面影の動揺する様子に穏やかな笑みを浮かべ、使用済みのタオル達を軽く洗う為に洗面器ごと手にしてユニットバスの中へと移動していく。
流石に体液が付着したままそれらを戻す事は出来ない、出来るだけ綺麗な状態に戻しておくのもエチケットだろう……真意は別にあるとしても、だ。
やがてタオルを洗う水音が向こうから小さく響いてくるのを聞きながら、面影は胸の鼓動がまた少し速まるのを感じていた。
(……明日から…三日月がまた…?)
気持ち良く、してくれる……?
ドキドキと胸が高鳴るのは、自分が浅ましい期待を胸に抱いてしまった所為だろう。
必死にその気持ちを打ち払う様に、瞳を閉じて自らを暗闇の中に閉じ込める。
どうかしている、ほんの少し前まではあんなに三日月に触れられるのを恥だと思っていたのに、今はそれより期待を大きくしてしまっているなんて。
自らを戒めながらも、面影はその裏でほくそ笑むもう一人の自身の考えにも気が付いていた。
今のこの動かせない両腕を理由にしたら、生理現象にかこつけて三日月に処理を願う大義名分が出来るのだ。
女性とは異なり、男性は確かに定期的にそういう処理を行わないと身体に悪いという事実もある。
(何を考えているんだ………私は、少なくとも、怪我人なのに……)
怪我よりこんな事を考えてしまうなんて、どうしてしまったのか……
そんな事を考えている間に、三日月がそろそろユニットバスから出てくる気配がする。
聞こえてきていた水音が止まったところで、面影が少し慌てた様子で、ベッド上に寝ながら居住まいを正して眠った振りをした。
正直なところ、あんな事をされた直後に改めて面と向かうのは気恥ずかし過ぎる。
また狸寝入りを見抜かれてしまうかもしれないが、此処は押し通させてもらう事にしよう。
「……………」
足音と空気の揺らぎで三日月が再びベッド脇へと近付いてきたのを感じたが、目を閉じたまま沈黙を守っていると、向こうも何も言わないまま一度だけ唇にキスを落とすと、小さな音を立てて部屋の扉を開けて去って行った。
出て行く際に壁に備え付けられていた明かりのスイッチを切っていったので、再び面影が目を開いた時には、部屋はほぼ漆黒の中にあった。
ほぼ、というのは、窓から差し込む月明かりが闇の支配から辛うじて部屋を守ってくれていたからだ。
思っていた通り、サイドテーブル上のタオルや洗面器達は三日月が全て撤収してくれたらしい。
看護士が回収する予定だったのかもしれないが、きっと自分の睡眠を邪魔しない様にと、向こうにも届けるついでに伝えてくれるのだろう。
枕元のデジタル時計を見ると、面会時間はとっくに過ぎている。
個室だから、多少の長居は見逃してもらえていた様だ……もしかしたらそちらの方でも三日月が裏で手を回している可能性も否めないが…
「………はぁ」
溜息をつくと、今度こそ本格的な疲労感が襲ってきた。
先程までのそれは、多少は残っていた緊張感が誤魔化してくれていたのだろう。
(………ああ、もう、ぐちゃぐちゃだ……)
醜態を晒した事も、明日からも続く三日月の………事も………
嬉しさと恥ずかしさと…ほんの少しの不安とが、ないまぜになって心に溜まって行く。
(どう、なってしまうんだろう………)
どうなってしまうにしても、きっとそれを決めるのはあの男………それだけは間違いないのだろう。
明日からの己の未来を思いながら、面影はとろとろと微睡から深い眠りへと落ちていった…………