「おはよう、面影」
「……オ…オハヨウ…ゴザイマス」
入院三日目
その日も早速朝から病室を訪れて来た三日月だったが、彼が病室に入った時には既に面影は起床していた。
昨日は疲労が溜まって覚醒が遅くなったのだろうが、ようやく今日になって本調子が戻って来たのだろう。
いや、厳密には本調子ではないのかもしれない。
三日月を目にすると、面影は明らかに目を泳がせて強張った口調で挨拶を返してきたのだ、普段は使わない敬語まで使って。
(……昨日のは、やはり刺激が強かったか……)
面影に会う前に既に彼の心境については予想出来ていたので、三日月は特に驚く必要もなく、会話を続ける。
「腕はどうだ?」
「痛みはまだ…正直、薬がないときつい、かな。けど、初日から確実に楽にはなっていると思う……今日はまたレントゲンで確認する予定らしい」
「そうか」
今日も三日月は美々しい出で立ちで、纏っているスーツも相まってかなり精悍な印象を受ける。
病院に入院した以上はただ寝ているだけではなく、各種検査を受けて治療経過を診てもらうのは当然の権利で義務だ、と三日月は納得だと頷いた。
「それと、そろそろ日中は寝ているだけじゃなくて動いた方がいいと言われたから……出来る限り散歩とかしようと思うんだ」
腕は傷ついたが、躯幹と下肢は精密検査の結果、掠り傷程度で活動するのには問題ないという報告を今朝受けたらしく、面影は安心した様子で三日月にそれを伝えた。
このまま寝ているだけだとどんどん筋力も衰えていってしまうだろうから、それは避けるべきだろう。
「確かにそうだな」
三日月も相手の身体に大事がなかったという結果だったので少なからず嬉しそうな声で答え、自ら提案を行った。
「では、暇な時間を見て廊下を周回したらどうだ? 最初はこのフロアだけで少しずつ範囲を広げていくのも良かろう。勿論俺も同行するぞ?」
「良いのか…?」
ただぐるぐると廊下を巡るだけなのであまり面白くないと思うのだが…と面影は遠慮がちに相手を見上げたが、彼は全く問題ないと笑った。
「何を言う。お前と共に歩きながら語り合う事が面白くない訳がないだろう?」
「う……」
「それに、一人で歩くだけなのはつまらんだろう? 一人より二人の方が歩いている間にも話も出来るし楽しいと思うぞ?」
「それは………そう、だけど」
その一切の曇りのない笑顔、止めてくれないか…と内心思いつつ、面影は一度深呼吸をする。
確かに一人で歩くのは嫌いではないが、ずっと同じ景色ばかりだと流石に飽きるのも早そうだ。
仮に三日月が入院していて彼が廊下を歩いてリハビリをするというのなら、自分も率先して同行を申し出たに違いない。
彼の心の少しでも慰めになれば、と……
そこまで考えたところで、は、と気が付いた。
三日月も、今の自分と同じ事を考えてくれていたのだろうか……?
「……あ、有難う…じゃあ、一緒に…」
頬を染めながら礼を言い、面影は三日月の心遣いを素直に受け取ることにした。
これ以上遠慮する事は寧ろ、彼の心遣いに失礼に当たるだろう。
「うむ、ふふ、楽しみだな」
そして、二人は今日の暇潰しが決まったことで、互いに嬉しそうに微笑み合っていた………
「意外と人が多いものなのだな、病棟の廊下というのは……」
「…………ソウダナ」
その日の予定のレントゲン撮影なども恙無く終了し、面影の腕の状態は大きな変化はなく、このまま問題なく安静を保てていけば十分に完治が望めるという事だった。
とは言え、炎症が完全に鎮静化している訳ではないので、ある程度の回復が確認出来るまでの入院措置は特に変更はない様だ。
そんな検査の合間に、二人は予定通り廊下に出てのんびりとそのフロアを散歩の様に周回していたのだが、今日だけなのか廊下に出ている患者や見舞いの人々がやたらと多かった…気がする。
(……多分…気のせいじゃないんだろうけど………)
散歩を済ませ、部屋に戻ってベッドに横になった面影は、こっそりとそんな感想を抱きつつ三日月を見遣ったが、向こうはその理由については全く気が付いていない様子だ。
(……あれだけの視線に気が付いていないというのも凄いけどな…)
二人揃っての散歩中、擦れ違う人々のほぼ半分の視線が三日月へと注がれていた事が答えだ。
これだけの美麗な男を間近で見られる機会などそうそうないだろうから、皆、この時がチャンスとばかりに一斉に廊下に出て、散歩に見せかけつつ彼の姿を楽しんでいたに違いない……
しかし、これで皆の健康増進に一役買ったと思えば悪い事ではないのか……?
(三日月、目立つのは好きではないと言ってたけど………これからも外を歩く様に看護士達から頼まれそうだな…)
呑気にそんな事を考えていた面影だったが、実は他の歩行者達の残り半分の視線は彼へと向けられていたのを気付いていないのだから、似た者同士というところだ。
「今日はこれで全ての予定は終わったのか?」
「ああ、もうすぐ夕食が届けられると思うし、それから………」
そこまで言ったところで、面影は夕食以降に予定している行事を思い出したのか、それ以上口に出す事が出来ずに発言が尻すぼみになってしまった。
夕食の後……昨日と同じく清拭の物品が部屋に運ばれてくるのだろう。
それはきっと看護士の手ではなく、この目の前の男の手によって………
「そうか…」
発言を止めてしまった面影の心中を察したのだろう、三日月はくすりと笑い、誘う様な妖艶な視線を向けてきた。
「……楽しみだな?」
何が、と直接言わない辺りに、三日月がこちらを見透かすような意図を感じ、面影は真っ赤になって断った。
「ゆっ、夕食が、な!?」
常食とは言え、外食のそれより遥かに味気ないだろう病院食をそこまで楽しみにしている者もそういないとは思うが、結局面影はその意見を曲げる事も撤回する事もなく、やがて届けられた夕食を言葉通り完食したのだった。
そして、面影が遂に口に出して言えなかった、一日の最後の行事、清拭の時間である。
「清拭のタオルをお持ちしましたが、介助は…」
「ああ、昨日やってみたら案外俺でも問題なく出来たのでな。今日からも俺がやろう」
「そうですか、助かります」
てきぱきと洗面器とタオルを持参してきた看護士と三日月の間で会話が交わされ、話が進み、そこに第一の当事者である面影が口を挟む余裕は一切無かった。
挟もうかと思っても、おそらく三日月の話術によって上手く阻まれてしまっていただろう。
看護士が会話を終えて部屋を退出していくと、しんと部屋に沈黙の帳が降り、面影の顔に心なしか汗が滲んだ。
(や……やっぱり……昨日みたいな……コト……を…?)
恥ずかしい記憶を思い出し、どうしても無言になってしまう。
しかし、恥ずかしいと思うだけではなく、実は期待している気持ちも少なからずあるのも自覚しており、それがまた面影から言葉を封じてしまうのだ。
下手な事を言ってしまうと、それが己の欲を露呈してしまいそうで。
「あの………」
「取り敢えず、身体を拭こうか」
先手を打つ形で三日月が声を掛けてきて、面影は躊躇いつつもこくんと素直に頷いた。
その案には特におかしな事はないからだ。
「ほら、服を……」
「う、うん……」
昨日の二人をなぞる様に、三日月が面影の入院着に手を掛け、結び紐を解いて脱がせていく。
身体を拭く為だ、そう、昨日もそうだった。
けれど昨夜の清拭の後のあの秘め事の所為で、この行為が艶事の前振りの様に感じられてしまったのか、面影の身体は面白い様に緊張し、動きもぎこちなかった。
「…………」
そんな恋人の穏やかではない心中を察しているのか、三日月は敢えて何も言わなかったが、何処か楽しそうな笑みを浮かべつつ相手の身体を労わる様に服を脱がせていく。
「熱すぎる事はないと思うが、不快なら言ってくれ」
「わ、分かった…」
男の指先が肌に触れるだけで過敏に反応してしまいそうで、面影は必死にそんな己の身体を平静に保とうとする。
(身体、熱くなりそう………ば、ばれない…はず、だけど……)
心の中が激しく掻き乱される様で、それに引きずられる様に心臓の鼓動までもが速まっていく様だ。
(ああもう、落ち着かない………いっそ断ってしまえたら…!)
清拭は上半身のみでいい、そして、例の『処理』も今日は遠慮すると言ってしまえたら、少なくとも今のこの胸のざわめきは抑える事が出来る筈……
辛い…だろうけど……一日ぐらいなら、我慢……出来……
そんな事を考えながら不意に前を向くと、丁度こちらを見下ろしてきていた相手と至近距離で視線が合った。
「あ……」
自分の世界に入り込んでいる内に全く予想外の状況になってしまった事で、構える余裕もなく面影の顔が一気に朱に染まる。
そんな相手に、上半身を粗方拭き終えてしまった三日月がに…と口角を上げてひそりと囁いた。
「始めようか……?」
「ぁ……っ」
囁く様に小さく反応してしまい、相手の誘いを上手く躱せなかった事で、面影が更に恥じらい視線を外し俯く。
(や、やっぱり恥ずかしい……っ……あんなところを見られるなんて……)
素直にそう思ったところで、はっと活路を見出したように面影は顔を上げた。
「その…っ……こんな、明るいところでは……見られるの、恥ずかしくて…」
そうだ、明るいところではなく、せめて暗い状態にしてしまえば少しは羞恥心も誤魔化せるかもしれない……
三日月ならそれぐらいの我儘は聞いてくれるかも、と期待した若者だったが………
「…暗かったらちゃんと綺麗に出来たか分からぬだろう?」
尤もな意見であるが、面影にとっては何の解決策にもならない。
「だ、だからそれが嫌だと言っている!!」
察してくれ!と願いながら声を少しだけ大きくして訴えたが、あちらはどうにも同意出来ない様子だった。
「ふむぅ………あ」
いきなり顔を上げて声を出した三日月を、面影も不思議そうに見つめる。
何か、妙案でも思いついたのだろうか…と訝しんでいると、三日月は徐に自身の首筋に手を当て、そこに結ばれていたネクタイをしゅるんと器用に外してしまった。
「?」
「…良いことを思いついた」
やはり妙案を思いついた様だが、それとネクタイと何の関係が……?
そう思案している面影に、三日月はネクタイの両端を持った両手を近づけると……
「え……っ!?」
しゅるしゅるっ……きゅ…っ……
「み、みかづき…っ!?」
「『見えなければ』良いのだろう?」
まるで頓智の答えを返してやったと言わんばかりに、面影の両目をネクタイで塞いでしまった。
これは面影にとっても予想外の対応で、今の彼にとっては致命的な一撃とも言えた。
何しろ両手が使えないのだ、身を捩る事すら難しいのに、そんな彼が腕を掲げてネクタイの結び目を解くなど出来よう筈もなかった。
つまり、三日月が解いてくれない限り、面影の視界はこのまま暗闇に支配されてしまうという事だ。
そしてそれは……皮肉にも若者が訴えていた問題を解決してくれる方法でもあった。
「これでお前は、恥ずかしい光景を見る事もない……そうだろう?」
「そ、そういう意味じゃなく、て……いや、そう、なのかも…だけど……こういう事じゃ……!」
言いたかったのは、三日月に己の痴態を見られたくないという事だったのに、どうしてこういう事態になってしまったのか…!
「み、三日月に見られるのが……恥ずかし…くて」
「恥じる事などない………だが、お前がそう言うのなら、今日はそのままで始めよう」
さわり……
「ん……っ」
優しく肌に触れられ、ぴくんと面影の肩が小さく揺れる。
触れられたのは腰から少し上……腹筋の部分だ。
余計な脂肪などが無い面影の腹筋はしっかりと割れてはいるが、極端に固さを備えている訳でもなく、触れると柔らかな感触が返ってきた。
心地良い………
純粋にそんな感想を抱きながらゆっくりと指を這わせ、徐々に下の方へと移動させていくと、あからさまに触れた箇所の筋肉が固く張っていくのを感じた。
「………」
そっと面影の顔の方へと視線を向けると、目隠しの所為で詳細な表情は窺えなかったが、明らかに肌に朱が差しており、小鹿の様に震え、何かに耐える様に唇を噛み締めている。
目が見えない中で相手から触れられていく感覚……これまでおそらく経験した事がないのだろう。
その生々しい感覚に対して、恐怖とまではいかないものの、何をされるか分からない不安というものはあるのかもしれない。
「…恐れる必要は無いぞ、面影」
優しく話し掛けながら、三日月は相手を諭す。
「俺はお前を傷つける事は無い……昨日と同じ、心地良くしてやるだけだ……」
そろりと男の手が下の入院着の中に潜り込み、ぐいと下着を引き下ろして膝上で留めたところで、ゆっくりと股間へと戻っていく。
(それが恐いんだ……っ!)
三日月がどう仕掛けてくるのか、全く分からない状態の面影は心中で声を上げた。
確かに苦痛を与えられる心配はないかもしれない。
けれど、恐怖を覚える対象は、苦痛のみであるとは限らないのだ。
これからの自らの身体の反応……相手によって己の淫らな姿を晒されてしまうかもしれないという恐怖……そして羞恥。
「……は、ずかしい……から…」
昨日から幾度も繰り返す訴えだったが、これまで聞き届けられる事はなかったので、今回の結果も当然同様のものだった。
「何度も言っているだろう? お前は美しいのだ、恥じる事など何も無いぞ」
「そん……あっ」
言いかけた言葉が途中で阻まれ、代わりに甘い声が上がる。
股間に戻った三日月の手が、愛おしそうに相手の分身を先端から根元に向かって優しく指先で撫で上げたのだ。
(み、見えないから……却って、敏感になってる…?)
三日月の姿が見えないため、相手がどの様な動きをしてどの様な仕掛けをしてくるのかがまるで分からない。
だから、軽く触れられるだけでもそれは相応の刺激として面影に認知される事になるのだ。
(どう、しよう……触られてるだけなのに……動悸が……)
どっどっど…と激しく打ち鳴らされる胸の奥の鼓動を治めようにもどうしようもなくて、せめて身体を捩ってみるが、それはどう見ても与えられた愛撫に悶える姿にしか見えない。
じんわりと汗が滲んできた身体は艶めかしく光り、三日月の目を大いに愉しませていたが、無論それだけで彼が満足する訳がなかった。
「ほら………力を抜いて…な?」
優しく楔を包む様に握り込み、ゆるゆると扱き出す。
最初は緊張して筋が張っていた面影の身体も、その愛撫によってもたらされる快感と、行為に慣れてきた事で徐々に脱力していった。
「んあ………っ…」
ぞくぞくと身体の中心から背筋に向けて戦慄が走り抜けるのを感じながら、面影は喉を反らし、ぺろっと舌を覗かせる。
(や、やっぱり……自分でするより、全然いい……っ)
昨夜と同じ……いや、あの時よりもっと感じてしまっている……
他人の動きは予測できないし、自らの癖などとはまるで異なる動きが、新鮮な刺激となって身体を歓喜させているのだろう。
それに加えて視覚が遮断されている分、触覚が敏感になっているのがより快感を深めている。
闇の中で只々快感に翻弄されていると、五体を底なし沼に放り込まれた様な錯覚に陥ってしまい、知らず面影は本心を吐露した。
「あ、やだ………こわ、い…」
「うん…?」
再び身体を震わせた面影の心の乱れを鎮める様に、ちゅ…と三日月の唇が若者の頬に触れて来る。
その間にも男のしなやかな手指はしっかりと相手の楔を捕えたまま、ねっとりとした動きで敏感な粘膜を擦り上げていた。
「どうした…?」
「こんな、の………一人じゃ……もう…っ」
昨夜にもうっすらと感じていた事だが、今こうして再び体験してしまったら最早疑いようがない。
他人に…三日月に触れられる快感を覚えてしまったら、もう逃れられなくなる……一人では、満足出来なくなってしまう……
「…ふふ……ようやく分かったか?」
慄く面影とは対照的に、三日月は心底嬉しそうに幾度も繰り返し頬への口づけを与えていく。
彼の手により扱かれている面影の分身はその刺激に素直に反応を示し、ゆっくりと頭をもたげつつあり、その先端からは先走りの雫がじわりと滲んでいた。
「言っただろう? 俺ならお前の求める快楽を、幾らでも与えてやれると……今も、ほら…」
ぬちゅ……ちゅく…っ……くちゅっ……
「うあ…っ…あっ………ん、そこ……もっ…」
もし両腕が自由だったら求めなくても自分で慰める事が出来た…と言うかそもそもこういう状況になっていない。
しかし今は殆ど腕の自由が利かないため、己の欲求を満たす為には他人にそれを伝えなければならない。
それでも普段の面影であれば羞恥心が本能を上回り、それを口にする事はなかっただろう。
しかし、今の面影は普段の彼ではない。
面影本人が恐れていた通り、彼の奥底に潜んでいた淫らな彼が顔を覗かせ、三日月に対してより強い愛撫を求め始めていた……が、
「ん?……どうした…?」
「!………な…んでも……ない…っ」
ひそりと囁かれた質問ではっと我に返り、内心どぎまぎしつつ面影は一度は取り繕う事を試みた。
我知らず、更なる愛撫を強請ろうとしたところだったが、三日月の問い掛けでそれに気付いたのは皮肉である。
この意地も何処まで続くか分からないが、それより早く達してしまえばそれで済むだろう……
幸か不幸か、三日月の愛撫により既に分身は固く成長しつつあり、今の愛撫のままでも程なく達する事は出来るだろうと面影は自身の体感で感じていた。
しかし、そんな思考をまるで読んだかの様に、三日月は予想外の行動を取り始めた。
「そうか……?」
ちゅ……
「ん……っ?」
不意に、闇の中で唇を塞がれ、そのまま……
ぬるり………
「んん……っ」
面影の口の中に濡れた柔らかなものが滑り込み、戸惑う様に固まっていた彼の舌に触れてきた。
(三日月、の……舌…?)
よく考えなくてもこういう状況の時に口を犯してくるのは『それ』だろうとすぐ分かる筈だが、やはり目が見えないと、察するまでに多少の時間を要するらしい。
その空白の時間の間にも三日月の舌は巧みに面影のそれを捕えて絡み付いていく。
「ふ……う、っん………」
ほんの少しの息苦しさを感じたものの、直ぐに鼻での呼吸を意識する事で事なきを得たのも三日月の教育の賜物だ。
(え……まって…いつもより……っ)
激しい………っ!?
唇を重ねたのは初めてではないが、かと言ってまだ慣れていると言い切れる訳でもない。
初めてから今迄、アドバンテージを持っているのは当然三日月であったが、それはそれで面影にとっては大きな問題ではなかった。
単純に好きで心地よかったのだ。
慣れない自分を優しく抱き締め包みこみ、リードしてくれる三日月の胸の中で受ける口づけは、どんな美酒でも敵わない程に甘く美味だった。
しかし、今のこの口づけはそんな甘さなど掻き消す程に激しく荒々しいもので、普段なら徐々に蕩けていく面影の意識が一気に揺さぶられてしまう。
ほんの数瞬前までは羞恥に惑っていたが、それもまた余裕があっての行為だったのだろう、今はそんな事を考える余裕もない程に口の中に全ての神経を集中させていた。
ぬるぬるした柔らかい肉の塊が自らの口腔内に侵入し、こちらの肉の塊…舌を獲物の様に追いかけ、捕えたかと思うと一気に絡みついて吸い上げてくる。
その淀みない手管に相手のかなりの経験値が窺われ、ちくりと面影の胸が痛んだ。
自身の様に恋愛経験が皆無に近い男が、こんな凄いキスを出来る訳がない、きっと過去にそういう相手がいて………
まだ出会っていなかった時期の三日月……知らない相手は、そんな過去の三日月を知っている。
自分の知らない三日月を、知っているんだ……
(…仕方ない…ことだけど……)
そんな事を考えていたのもほんの僅かな時間。
「こら、俺に集中しろ」
燻り、燃え上がろうとしていた嫉妬の炎すら一瞬の内に三日月から与えられる官能の炎で搔き消されてしまった。
「あ……ふ……っ…」
正直、自分のファーストキスの相手が三日月であり、他の誰かとのキスの経験はない。
だから、誰かとのキスとの比較も出来ない。
それでも、この男のキスの上手さはかなりのものだという事は察する事が出来た。
最初の激しさに動揺した心がようやく落ち着き、徐々にではあるが今の口付けを受け入れ、愉しむ余裕が生まれてきたのだが、その余裕がまた別の問題を連れて来た。
(どうしよう……こんなにされたら、直ぐに……)
達ってしまう……!と一瞬焦ったものの、よく考えたらそれは願ったりの結果だろう。
下手に自分が相手に強請る前に、処理の結果がもたらされたら、それで終わるのだから……
しかし、そこで面影は一つの変化に今更気付いた。
(え……?)
今まで相手からの熱烈なキスに夢中になっていて気付かなかったけれど、相手が唇を塞いできたところから、彼の手は面影の分身からは完全に離れてしまっていたのだ。
しかし、相手の手から解放されているその楔は既にしっかりとした固さを備え、角度を持ち、時折ぴくんと頭を振るまでには興奮している。
そう、確かに後は三日月の導きにより、解放されるのを待つだけの筈だったのだが………
(え……どうして……?)
どうして……触れてくれない…?
触れられていないという事実を認識すると、当然意識はそちらへと向けられる事になり、それまで触れられず放置されていた分の疼きが面影の意識を苛み始めた。
「んん……っ!」
このままの状態でも既に辛くなり始めているのにも関わらず、三日月は相変わらず激しいキスでこちらを弄んでいる。
(いっ……いやっ……もう……もう少しで……達けるのに…っ……!)
ずきずきと楔が熱を孕んだまま解放されない苦痛が下半身から響いてきて、その脈動を感じる度に雄の頭がぴくんと揺れる……
見えていない自分でも体感出来ている事象なら、きっと相手も分かっている筈だろう。
腕は動かせなくても身体を揺らす程度の事は出来るし、している。
先程から疼きに反応して、下肢が痙攣しているのは余程の鈍感な人間でも察知出来る筈なのだ。
なのに、それだけの変化に際しても、三日月が一切手を触れなくなってしまったのは、明らかに故意としか考えられない。
「み、かづき…っ…」
どうして、今更触れてくれないのか………
そんな疑問を抱いたところで、はた、と面影は気付く。
もしかして、触れてくれないのは……敢えてこちらから強請らせる為、なのか……?
口にしかけていた懇願を下手に途中で止めてしまったのがいけなかったのか……?
「あ……っ…くぅ……っ」
喘ぎの声の中に隠せぬ苦悶を感じ取ったのか、ふっと三日月が舌を引き抜き、ぺろっと己の唇の周囲を舐め回しながら面影を見下ろした。
「どうした? 呼吸は出来ていただろう…?」
赤い舌を覗かせながらそう言う男の表情…
面影は目隠しで見えなかったが、その妖艶な笑みと共に呟かれた言葉には、心配よりも寧ろ煽る様な色が滲んでいた。
それを耳にした面影は確信する。
やはり、彼はこちらから懇願する様に仕向けているのだ……敢えて手を出さない様にして、絶頂に達する前に引き留めながら、キスで気持ちだけを昂らせて……
「みかづ……っ」
抗議の一言でも言ってやろうと唇を開きかけるも、先を越される形で唇を塞がれ、再び口中を蹂躙される。
「んん~~っ…!」
先程まではうっとりと酔い痴れる程に浸っていた悦楽の時間だった筈が、今は迫りくる快感の波に恐れる様に身を震わせている。
人によっては性感帯を開発され、キスだけで達ける様にもなるらしいが、当然今の面影には難しい話。
(い、達きたいっ…! もう少しなのに、達けなくて…腰が…っ!!)
壊れた人形の様に細く引き締まった腰がかくかくと揺れ、それに合わせて中心にある肉刀も先端を振る度に、透明な液体を辺りに散らした。
本当にあと少しなのに、それを与えてくれる彼の腕はそこへと動こうとはしてくれず、今は言い訳の様に手掌がこちらの両の頬を挟む様にして触れてきている。
その触れてきている場所からじんわりと伝わる相手の体温は心地良いのに、それも自身を絶頂へと導く決定打にはならず、更にこちらを追い詰めてくる手段になってしまっていた。
「う、くぅっ……! あ、あっ…!」
苦悶と悦楽が混じった声で乱れ啼く面影の様を見遣りつつ、三日月がちゅぷりと唇を離してそのまま耳元へと近付ける。
「さて……どうして欲しい? ちゃんと俺に教えてくれ…」
ぬるん…っ
「ふぁあっ…!!」
ずっと口の中を犯していた三日月の舌が、耳朶に触れながらそのまま耳孔へと差し入れられる。
濡れた感触が、口とはまた異なる「身体の内側」へと侵入を果たしてくる感覚にぞくぞくとした戦慄が背を走り、肩が震え、首が竦んだ。
「ず、ずるい…みかづき…っ」
「ん……?」
「わ、たしの腕が動かないからって……、え、えっちなコトばかりする癖に…い、達かせても、くれない…っ」
はぁはぁと激しく吐息を吐き出す面影の口から、尖った舌先が突き出されている。
明らかに欲情に支配された若者に、三日月はもう一押しとばかりに耳の奥を舌で舐った。
「達きたいのか…? なら尚更、俺に教えてもらわねばなぁ…?」
「〜〜〜っ!!」
とても優しいと思っていた男が、今は魔王に見える…見えてはいないが。
それも厄介な事には、優しい性格のままでこちらを追い詰めてくる。
最早、肉体の方も限界で、三日月の優しい促しに遂に面影は陥落してしまった。
「う、あ………さ、さわって……オ◯ン◯…」
「ふむ…?」
小さく唸りつつ、三日月は前世の相手の事を思い出していた。
前世の彼と男性器の呼び方が違うが、これはそれまでの人生経験が異なるからだろう。
少し新鮮な気もするが、これはこれで悪くない……と、言われた通り、三日月の右手が久しぶりに相手の肉幹へと掛かった。
熱く激しく脈打つそれは、同性の身からでもさぞや辛かろうと思う程に限界に近付いていた。
「おお…これは凄い、今にもはち切れそうだ…」
「んあぁ…!」
きゅ…と優しく触れる程度の強さで握り込むだけで、頂からだらしなく雄の涎が噴き溢れ、男の白い手を濡らしていく。
耐えに耐えていた若者だったが、一度懇願し、それに対して素直に応じられてしまった以上、もう歯止めは効かなかった。
もう我慢出来ない、もう知らない。
どうせ見えないのだから、このまま己の痴態も見えない事にしてしまえばいい……
ああ、最初からそうしていたら………
「だめ……握るだけじゃ…っ……もっと強く…いっぱい、擦って!」
「ふむ……」
甘い叫びに三日月も欲情を激しく刺激されたのか、その頬にじわりと汗が滲んでいる。
「ああ、随分と我慢したのだ、さぞや辛かろう………だがな、一つ教えてやろう」
そう語りかけたところで、果たして今の若者の耳にしかと届いているかは不明だったが、構わず男は続けた。
「耐える程に…解放の刻の快感は得も言われぬ程に旨きものとなるのだ……今、それを教えてやろう」
その言葉が終わると同時に、三日月の右手が一気に忙しなく動き出す。
じゅくっ、じゅぷっ、じゅくっ……!!
淫らな体液に浸された熱い粘膜が、不躾な程に荒々しい掌の中でされるがままに蹂躙されていく…
「は、あぁぁ~~~っーーー!!」
「ん……」
大きな声を上げると同時に、唇が塞がれたが、それにも構わず面影は閉ざされた嬌声を尚も張り続ける。
普段の冷静な面影が後にこの場面を思い出した時、きっと彼は相手に対し感謝しただろう。
もし彼の人の口付けが為されなければ、己のはしたない声は扉の向こうにまで届けられ、他の誰かを踏み入らせる事になっただろうから。
しかし今の面影はそんな事実に思い至れる暇も無い程に、待ち望んでいた悦楽の暴嵐に翻弄されていた。
これまでの人生の中で最も激しい快感…待ち望んでいたのに、あまりにも好過ぎて気が狂いそうになり、心が激しく慄く。
生身だけではなく、魂にすら刻まれてしまいそう………!
(なに…っ…なに、これっ…!! あ、たま……まっしろに…なっ……!)
自分でしていた時よりも、昨日三日月に触れられていた時の方が好かった。
でも、それですら今の襲い掛かって来ている悦楽の嵐の前では子供騙しに過ぎない。
「う、う、うぅぅ~~~~っ!!」
快楽が強過ぎて、ぼろぼろと瞳から溢れる涙をネクタイの生地が吸い取っていく。
叫びの殆どは三日月の口腔内に盗られてしまったが、ささやかな呻きが口の端から僅かに漏れる。
(いっ、達くっ!! す、ごいのが、きちゃうっ!! みかづき、みかづきっ!! もうっ…!!)
ぎゅ、ぎゅっと茎を強く握り込まれながら上下へと繰り返し扱かれる。
最早、絶頂に至るまでの『遊び』は僅かにしか残っていなかったのに、一気に音速で振り切る様な疾走感。
その脳内のイメージと、男根の中心を疾走する精の奔流が重なる。
スピード感に脳内がついて行けず、ヒューズが焼き切れるように思考が真っ白になり、追随して視界にもちかちかと光が舞った。
ぐんっと激しく腰が前へと突き出されたのは、本能の仕業か。
限界まで反らされた身体が一瞬硬直し……直後、命の種を肉体の外へと一気に放った。
(い、好いぃっ!! すごっ、すごいいぃっ! とけるっ、オ〇ン〇、とけちゃう…っ!)
びゅくびゅくっ!! びゅるるるっ!! びゅ、びゅるっ!!
昨日、射精したばかりだというのに、射精した液体は勢いよく宙を飛び、放物線を描きながらベッドの端まで飛んで行った。
一度では済まず、二度も三度も繰り返し……
(おやしまった…)
本来であれば、射精の前にしっかりと蒸しタオルで零口を押さえ、体液が飛び散るのを防ぐつもりだったのだが、うっかり忘れてしまったな……と思いつつも、三日月はさして気にする様子もなく、そっと面影に囁く。
「……ふふふ………元気だなぁ……あんなに遠くまで飛んでいったぞ」
「はぁ……っ…はぁっ………」
対し、面影は激しく胸を上下させながら荒い吐息を零すだけ。
これまでの激しい体動で、しっかりと縛られていた目隠し代わりのネクタイが少しだけ結び目が緩んだのか、目が見えるか見えないかという微妙な位置にずれてしまっていた。
そこから覗く若者の右目には理性の光が見えず、まるで夢を見ているかの様に胡乱だ。
碌に力も入らないのだろう、口はだらしなく開かれたままで、その端からは唾液が一筋肌を伝って光っている。
「はは、答えられぬ程に好かったか?」
『そう』なのだろうという事は彼の今の様子を見れば明らかなのだが、脱力のせいか、羞恥のせいか、答えは得られない。
しかし、三日月はその答えを強いる事はなかった。
何故なら……彼にはまた次に企んでいる事があったからだ。
「………なぁ、もう一つ、お前に教える事があるのだ…」
くすくすと小さい笑い声を零しながら三日月がそう言うと、一度は力を緩めていた面影の分身を握っていた手を再びそれへ触れさせ、ぎゅっと握ったかと思うと、先程と同じ様に激しく上下に扱き出した。
「ひっ!? あ、あっ!! や、やだ、いや、それ…っ!!」
欲情を思い切り吐き出したばかりの雄が再び悪戯を受け、途端に再びむくむくと頭が勃ち上がってくる。
その姿に比例し、一度落ち着きつつあった面影の身体もまた再び悶え始めた。
しかも、目隠しから暴かれた面影の表情には、明らかに狼狽と恐怖が色濃く表れている。
「み、みかづきっ! 今は、もう……それ、やめ…っ!」
「おお………そうか、身体が…本能が教えてくれたか?」
がくがくと身体を震わせる面影に、納得の態で頷きながら意地悪な恋人はもう一つの『教示』を示した。
「達った後に直ぐに刺激を与えると、より強い快感を得る事が出来るのだ……もう既に、感じつつある様だがな…」
「お、おねがいっ! 本当にっ、これ、だめ…な気がするからぁっ! あ、あっ、おかしく、なっちゃう…っ!!」
「大丈夫だ……お前の身体はちゃんと悦んでいる…ほら…」
ぐちゅぐちゅと粘った水音を遠慮なく立てながら、三日月は見る見るうちに張ってきた面影の分身へ視線を移して笑う。
初回の射精より遥かに短時間で昂ぶりが顕著になっていく肉刀は、しっかりとした感触を三日月の掌に伝えつつ、震えながら新たな淫液を零しつつあった。
三日月の言葉の通り、明らかに雄が歓喜している時の反応だ。
「ひっ…ひぁっ! あ、あ…! また、また、いくっ、いぐぅっ!!」
口を開いたままであった事と身体の疲弊の影響か、最早声を張り上げる気力も尽きかけているのか、その声量はかろうじて聞こえはするものの、初回の絶頂の時のそれより小さくなってしまっていた。
ひゅうひゅうと笛が鳴くような胸からの音の忙しなさからも、呼吸が浅い所為で大声を張れないという事が伺える。
「はっ……は、あっ…! もういやぁ…っ、しぬ、しぬぅっ!!」
病院内で叫ばれるにはあまりに不穏な台詞だったが、無論、実際に死ぬという意味ではなく、そう錯覚する程に強過ぎる快感がもたらされたという事だ。
面影本人だけは、実際、自分が死んでしまうのではないかと懸念したかもしれないが……
「~~~~~っ!!」
ぴしゃああぁぁぁっ!!!
(なにっ……へん、なにか……が、かってに……でちゃ…っ)
自身の身体に何が起こっているのか分からず、面影は心が乱れ、思考が覚束なくなってしまったが、かろうじてずれたネクタイから覗く視界の向こうで、自らの分身から透明な液体が噴き出す瞬間を見た。
しかし快感があまりに強過ぎて、視覚としては捉えても、それについて考えるという事は出来なかった。
そんな彼に答えを与えたのは、やはりこの男。
「はは……潮を吹く程好かったか……?」
ぴゅぴっ、ぴゅぴゅっと尚も透明な液体を噴き出している肉棒を握り込みながら、三日月が笑みを含んだ声で囁いてくる……
潮を…吹く…? それって……?
「良いぞ…好い声だった………今日も満足頂けた様で何より、だ……」
「………ーーーー」
もしや褒められているのだろうか……?
一瞬、そんな疑問が脳裏を掠めたが、それについて思考が及ぶ前に面影は目を閉じ、意識の深淵に堕ちていってしまった。
「……気を失ってしまったか…」
くす、と笑みを零しながら呟くと、三日月はようやく相手に付けていた目隠しを解いた。
涙の跡が頬に残っていたが、苦痛から来るものではなかった筈なので、然程罪悪感は感じない。
この短時間でも結構皺が寄ってしまったが、構わずにネクタイをポケットに押し込み、そのまま面影の身体の清拭に取り掛かる。
全身の汗を拭い、そして局所部位も丁寧に処理してやり、入院着を着せてやったが、面影は一向に目を覚ます様子はなかった。
余程、刺激が強く、疲弊してしまったのだろう……それについては少しだけ申し訳なく思う、が、明日以降の行為を止めるつもりは微塵もない。
(おっと……後は…)
体液が零れた箇所のシーツも軽くタオルで拭ったが、まだ乾いていなかったのは幸いだった。
下手な証を残して、周りに噂などを立てられるのは三日月にとっても本意ではない。
完全に拭き取れた訳ではないが、明日にも交換してもらおう。
「さて……」
そして使用済みのタオルを入れた洗面器を抱えてユニットバスの方へ歩いて行きながら、明日はどの様な手管で面影を篭絡してやろうか……と、三日月はうっすらと笑みを浮かべていた…………