消えない花火
「ねぇ、面影さん! 花火一緒にやりませんか?」
「え?」
或る日の夜、夕餉も済ませてゆっくりと居間で三日月に付き合いお茶を飲んでいた面影に、短刀の刀剣男士達が声を掛けてきた。
何事だろうと思っていたら、彼らと一緒に居間に入ってきた一期一振が微笑みながら説明する。
「本日、万屋に行きましたら花火が売られていましてな、一袋買って来たのです。面影さんは顕現したばかりという事なので、実物を見るのは初めてではないかと思いまして…」
良かったら、この子達と付き合ってくれませんかな?という彼らの兄の申し出に、面影は一旦、共に居た三日月へと視線を移した。
今の自分は三日月と茶飲み話に興じていたので、その相手を蔑ろにする訳にはいかないのだ。
いつかの彼の遠征帰りの一件以来、一時は接触が難しかった二人も、今はまた元の様にこうして語れる仲に戻っていた。
元に戻ったと言うよりは、寧ろ心の距離は近しくなったと言っても良い。
困った事には。
時折、誰も見ていない廊下での擦れ違いの際に、ささやかな悪戯を仕掛ける様に三日月が面影の顔に口づけを落としてくる様になった。
時には頬、時には額、時には眉間に……実にさり気なく、自然体で。
誰も見ていないと分かっていても、だから良いと単純に割り切れる訳でもなく、その度に赤面してしまう面影は止めて欲しいと願ってはいるのだが…今のところ聞いてくれる様子はなさそうだ。
面影が彼に視線を向けた事を受けて、短刀の日向が三日月にも声を掛ける。
「三日月さんも一緒にどうですか?」
「花火か、それは良いな」
いつもの様に美麗な笑みを浮かべて湯飲みを両手で持っていた男は、面影に視線を遣りながら頷いた。
「面影、花火は風情があってとても美しいものだぞ。知らないのは勿体ない、是非やってみると良い」
「そうなのか?……分かった」
三日月が言うのならそうなのだろうと判断し、面影は受諾の意味を込めて頷いた。
「では、是非参加させてもらいたい」
「やった! 縁側の先の広場でやろうと思うんです」
「分かった」
場所を指示された面影は、それから三日月と一緒にそこへと移動する。
縁側の先に見える開けた場所には、既に火種とする小さな焚き火と、消火用の水が入ったバケツが用意周到に置かれていた。
おそらくは一期一振が弟達に言って準備させたものなのだろう。
まだまだ夏と呼ぶには早い気もするが、日々確実に気温は上がり、日によってはじっとりと汗ばむ時もある。
今日のこの時間はそれ程でも無いが、皆が軽装を纏っている様は見るだけでも涼やかな印象を与えた。
「……随分と手慣れているな」
焚き火の前に集い、花火が入った袋を開けて賑やかに騒いでいる子達を眺めて面影が呟くと、ええ、と笑いながら一期一振が頷いた。
「これまでも何度もやっておりますから。こうして仲間と集まってやる花火は殊の外、大好きみたいでしてな。万屋で売られている度に買ってきては楽しんでいるのです。今年もこの時期が来ましたか……」
「成る程…………三日月?」
ふと、その場にいない男を目で探すと、彼は縁側に腰を落ち着けてこちらを眺めていた。
「三日月は、近くで見ないで良いのか?」
「ああ、俺はここで皆の様子を眺めることにする。なに、此処からでも十分に花火の美しさは分かるのでな、気にするな」
ふふ、と微笑む三日月に本当に良いのだろうかと首を傾げた面影に、こっそりと一期一振が囁いた。
『…弟達の遊ぶ分の花火が減らないように、遠慮して下さっているのですよ』
「あ……」
そうか、その場に居たら、あの子達は彼にも必然的に花火を持つことを勧めるだろう。
そうしたら、当然、短刀の刀剣男士達が遊ぶ手持ちの分が減るということで……
(…私など、良いのだろうか……)
自分が辞退したら、更に彼らの手持ちは増える事になるのに、と考えたところで、先にその思いを見透かして一期一振が先手を打ってくる。
「駄目ですよ、初めての花火ぐらい、遠慮無しで楽しんで下さい」
「………良いのか?」
「勿論」
にこりと微笑まれたところで、背後から少年達の声が上がる。
「面影さーん! 準備出来ましたよ~~!」
「! 分かった」
これ以上遠慮したら、却って彼らの心遣いに水を差す事になるだろう。
気持ちは有難く受け取ることにして、それ以上は何も言わず、面影は皆の輪の中に入って初めての花火を楽しんだ。
「…ああ、確かに綺麗だな」
「でしょう!? どうせ火薬を使うなら、こういう使い方の方がずっと良いですよね」
いかにも刀剣男士らしい意見だが、それには同意だと面影も微笑む。
手に持った花火の先端から飛び出してくる、色とりどりの炎の舞踏から目が離せない。
知識として知ってはいたが、正に『百聞は一見に如かず』だ。
ほんの一分にも満たない短い時間の中でのみ咲く炎の華……
戯れに円を描くように一振りすれば、昏い世界に光の円環が描かれる。
(……美しいな)
それからも、面影は少年達から色々な種類の手持ち花火を受け取ってはそれに火を点けて楽しんだ。
流石に彼らの様にはしゃいだりはしなかったが、その笑顔はいつもよりも深く端正な顔に刻まれ、少年の様に瞳を輝かせていた。
そして、そんな彼の様子を、三日月もまた眩しそうに、幸せそうに眺めていた………
楽しい一時はしかし、すぐに終わってしまうもので……
「終わっちゃったね~」
「また今度買って来ようよ! 主がまた近い内におつかい頼むって言ってたし」
全ての花火を楽しんだ後、皆が手分けして遊んだ名残を片付けていく。
火の元が残らないようにしっかりと焚き火にも水を掛け、砂をかけて消火し、使い終わった花火達も念の為にバケツの中の水に浸して処分。
「念入りだな」
「そりゃあ火事になったら大事ですもん」
確かに、と納得したところで、一期一振がお開きの宣言。
「さぁ、今日の花火の会はお開きですよ。皆、寝坊しないようにそろそろ寝所へ行きましょうか」
『は―――――い』
相変わらず兄弟仲の良い彼らは、兄の一言に素直に返事を返して彼らの寝所へと向かっていく。
「おやすみなさい、面影さん!」
「ああ、おやすみ」
「またやりましょうね!」
「そうだな、私も今度、店で見かけたら買っておこう」
各々に返事を返し、皆が立ち去る様子を見送った後はしんとした静寂が戻ってきた。
随分と長く楽しんだ様だ、他の男士達ももう寝所に引きこもってるのだろう、何処からも生活音の様なものも聞こえなくなっている。
「楽しかったか?」
背後から呼びかけられ振り向くと、三日月が変わらず縁側に腰掛け、こちらを見つめてにこにこと笑っていた。
「ああ……とても美しかった」
火薬の種類を変えて、ああやって異なる彩りを創造するとは…本当に人は面白いことを考える。
「そうか、楽しめたのなら何よりだ」
言いながら自分の隣を示す三日月に応じて、すとんと面影も腰を下ろす。
もう少し…楽しかった一時の余韻を感じていたかった。
目の前の空間…地面にかろうじて先程の名残を認めながら暫し沈黙していた面影だったが、ふと思い出したように隣の男に向き直った。
「………優しいな、三日月は」
「うん?」
「…皆がより多く楽しめるように、遠慮したのだろう? その、私だけ楽しんでしまって、すまない」
「ははは、褒めてくれるか、このじじいを」
笑いながらそう言った三日月に、しかし面影は至極真面目な顔で答えた。
「それは…勿論だ。私がお前を褒めるなど、烏滸がましいかもしれないが……お前はいつも強くて、優しくて………刀剣男士の鑑の様な男だ」
「……………」
真剣な口調でそう返され、三日月が押し黙る。
その表情は、最初はどうしたものかと思い悩んでいる様にも見えたが……それからゆっくりとその唇の端が持ち上がってゆく。
「……もう、一声だな」
「え?」
「…本当は、俺もお前の隣でその笑顔を見つめていたかった……結構我慢したのだぞ? だから、褒美が欲しい」
「は………え…?」
笑顔を見つめていたかった、と言われて先ずは赤面して困惑し……次に褒美が欲しいと言われて更に困惑が深まってゆく。
褒美? 何を?
「褒美……? 私が、お前にあげられる様な褒美……」
完全無欠を絵に描いたようなこの男に、自分があげられるものなど無いのでは…と素直に悩み始めた面影に、くすりと三日月が笑い………
「面影」
ひそ、とやや声を低くしながら呼びかけ、左手を伸ばし、すぐ傍の縁側の縁に掛けられていた面影の右手を上から覆うようにして握った。
「…っ!」
びくりと身体を震わせた相手の耳元に唇を寄せ、三日月が甘く囁く。
「……お前と口吸いがしたい」
「!!」
ぞくっと面影の背筋に戦慄が走った…が、それは恐怖に依るものではなかった。
そんなものではない……が、より、心を揺さぶられる何か、だ。
「…ダメか?」
こてんと首を傾げ、おねだりをする様に問い掛けてくる男……わざとだとしたら相当にあざとい。
「くち…すいって……しょっちゅうやっているだろう」
こっちが止めてほしいと言っているのに全然聞いてくれない癖に、と真っ赤になりながらそう非難してきた面影に、ん?と三日月は不思議そうな顔をして首を傾げ……ああと一人で納得して頷き、ぶつぶつと呟き出す。
「あれは………そうではないのだがなぁ…やはりまだ分かっていなかったか…」
「は?」
相変わらず、三日月は何かを考え込みながら呟き続けている。
「………子供にものを教えるのは、大人の義務でもあるからな………そろそろ良いか」
「また子供扱いか…」
いい加減止めてほしい、と思ったところで、ぐ、と身体が何者かに拘束される。
誰からであるかは当然分かりきった事だが、びくんと面影の身体は途端に石のように硬直した。
「な……」
「では、望み通り子供扱いはやめようか」
くすくすとくぐもった笑い声を零してそう言うと、三日月はそっと相手の耳元に唇を寄せ、かぷ、と甘く耳朶を食んだ。
「!?」
その感覚に全身がざわりと粟立ち、思わず面影は肩を竦めて息を呑む。
そんな相手の反応を愉しむように、三日月は更にそっと紅く濡れた舌を出し、ぬるりと相手の外耳をなぞるように舐めると、ゆっくり奥へと差し入れた。
「あ……あ……っ」
思わず声を漏らす……その声が信じられない程に甘く、面影は本当に自分のそれなのかと疑った。
「……甘しき声哉」
古めかしい表現でそう言うと、三日月がつと右手を上げて、その人差し指でつぅと面影の唇をなぞる。
「ん……っ」
「この可愛い口から生まれるのか…その声は」
うっとりとした口調でそう囁き、三日月は相手の耳元から顔を離し、そのままそれを向こうの顔へと寄せてゆく。
「俺のものにしたい…」
その唇ごと……
「~~~!!」
廊下で擦れ違う際には相変わらず額やら頬に口づけを受けていたが、唇を奪われるのは久し振りで、思わず面影は身構えたままその口づけを受ける。
「………ふ」
重ねた唇の柔らかさを感じ、脳髄までもが痺れるような感覚を味わっていた面影が、不意に漏れた相手の笑みに気付いてゆっくりと閉じていた瞳を開く…
そこには、同じく唇を離した三日月が、困った様な笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
「……相変わらず、しっかりと食い縛っているものだなぁ」
「え…」
歯を食い縛っている事を言っているのだろうか……しかし、こんな事をされたら緊張するのだし、それは当然の反応だろう…?……多分……
戸惑う若者を尚微笑みながら見下ろして、三日月は再度人差し指を面影の唇の端に当て…くっと力を込めて中へと割り入れると、その指先で相手の歯列をゆっくりとなぞっていった。
「っ!?」
「…ほら…歯を開けて」
「………」
優しい促しに、まるで催眠術に掛かったかの様に、面影はゆっくりと歯列を開いてゆく。
このまま強情に歯を閉じているままだと……何故だろう、どの道もっと強引な形で相手から歯列を開かせられてしまう未来が見えた。
「舌を出して…」
「!?」
素直に口を開けるだけならまだしも…今度は舌…?
流石にこれには躊躇ったが、向こうは逃がさないとばかりに身体を捕え、早く、と促すように指先でとんとんと唇を叩いてくる。
「ほら…」
「~~~!!」
自分が自棄になっているかもしれない認識はあったが、それ以上にこの男には抗える気がしなかった。
きっと彼は、どんなに自分が抵抗しても、最終的には己の望みをその通りに叶えてしまう。
完全降伏に近い形で、面影はゆるゆると己の舌を歯列の外へと差し出した。
外気でそれの先端の熱が奪われる感覚を感じた刹那、
「ん…っ!?」
ぬるり……
生温かく、柔らかい、濡れた何かが、己の舌に絡みついてきた。
驚き、目を見開くと、瞼を伏せた三日月の顔が至近距離に迫っていた。
(三日月……っ……の、舌…っ?)
くちゅり………くちゅっ……ちゅ……
生々しい水音が耳に響き、かぁっと全身が熱くなる。
あり得ない筈なのに、この音が本丸全体に響いてしまっている様な錯覚に陥り、面影は軽いパニックを起こして身悶える。
「み、か……っ、あっ……!」
いつも優しく、こちらが困っている時にはすぐに助けの手を差し伸べてくれる月の化身は、そんな面影の身体を手放す素振りは見せず、尚も舌を相手のそれに絡め、蹂躙した。
ぬるぬると生きた蛇の様に這い回り、こちらの舌を吸い上げ、唾液を塗り付けてゆく…
時折微かに離れる二人の唇の隙間から、どちらのものとも知れない熱い吐息と、どちらのものとも知れない唾液が溢れ、面影の唇の端を濡らす。
「は……あっ……」
口の中も、頭の中もぐちゃぐちゃに掻き回され、何も考えられない……
只、自分が訳も分からずに相手に翻弄されている中、徐々に、身体の内から渇きが湧き上がってきていた。
(…も……っと……)
欲しい……この舌も……甘い唾液も……もっと……
嗚呼、渇いている……こんなにぐちゅぐちゅに口の中が犯されているのに…まだ足りない……
「………ふ」
暫く相手の口腔内を思う儘に蹂躙した三日月が、ようやく唇を離すと、その二人の唇を繋いでいた透明な糸が引き、切れた。
「……これが口吸いだ……少々、刺激が強すぎたか…?」
脱力し、こちらに全体重を預けてきている相手にそ、と手を顔に添え、滲んでいた汗を親指で拭ってやる。
いつもの優しい微笑みを浮かべた三日月の労りの動作に、荒い息を繰り返していた面影がふと顔を上げ、潤んだ瞳で相手を見つめる。
「…面影?」
「………っかい…」
「ん?」
「…もう一回……してくれ…」
「!!」
予想外の相手からの要望に、ぞくんと三日月の背に震えが走った。
下心があって誘っている訳ではない……純粋にそれを求められている……
「………まだ…渇いて、る……」
だから、もっと……満たしてほしい…お前に……
願う相手に、三日月は溢れる高揚感と共に彼を掻き抱き、唇を寄せた。
「悪い子だ………」
まだあまりに幼い心を持ちながら、こんなに自分を狂わせるとは………
「ん……っ…」
二度目の口吸いは、もう面影にも躊躇いは無く自ら唇を開き、三日月を受け入れる。
ぼんやりとした頭では、羞恥すら思い浮かばないのかもしれない。
「は………ふ、ぅっ」
自らの漏らす声がどれだけ相手を昂らせるのかも分からず、面影はそれからも三日月に大いに翻弄された。
「み…かづき…っ」
「ああ、此処にいる…」
お前の側に………ずっと……
久し振りに唇を離したところで、不意に三日月の視線が相手の胸元に留まる。
浴衣から覗く艶めかしい白い肌に、ちかちかと脳髄が焼かれるような感覚を覚え、ほんの少しだけ悪戯心を出して、そちらへも唇を寄せた。
ちゅうぅ…っ
「ん…っ」
面影が、ちりり、と胸の中央に焼けるような痛みを覚えて目を遣ると、三日月の唇がそこの肌に吸い付き、きつく吸っていた。
「…俺は花火には参加しなかったからな」
これが代わりだ……という相手の言葉を聞きながら、面影はくたりと彼の身体に身を預ける。
どうしたのだろう……意識が…遠くなる……
『面影……?』
呼びかけてくる相手の声も徐々に遠くなる……
何が起こっているのかも分からないまま…しかし、全幅の信頼を相手に寄せながら、面影は素直に意識を深淵の淵へと手放してしまった………
翌日……
目が覚めた時は、自分の寝所の布団の中だった。
「………?」
自分は…昨日……?
「…………っ!!」
思い出したところで、今更になって赤面する。
昨夜は……何だか…物凄い事を三日月に願っていた気がする………
(……夢…と、いう…訳では………)
都合よく、自身の恥ずかしい夢ではなかったかと期待したが…それは己の胸元にあった赤い華を見たところで都合の良い夢と消えた。
「……ああ、もう…」
これはもう……現実だったと認めるしかない…
胸の中央に咲いている一輪の赤い蕾……消す事の出来ない赤い跡
あの男が残した…赤い花火………
「…………」
赤くなっているのだろう己の頬が熱を帯びているのを感じながら、右手の甲を口元に当てる。
昨日の初めての口吸い…酷く熱くて……心地よかった……
思い出すだけで、身体の奥がざわめいてくる。
自分の身体が…三日月に触れられる度に変わっていくような気がしてならない……
(三日月が…付けた跡……か)
胸の跡は、ここなら服を着てしまえば周りの人の目からは隠す事が出来る…これも彼の心遣いだろうか。
身体に残された跡はやがては消える、しかし、見えない形で付けられた彼の触れた跡は…もう、消せないだろう。
(……ああ)
それをも嬉しいと思ってしまっている自分は、もう駄目だ……と、面影は己の心を思い知ったのだった………