淫花散華~前編~




 その日、本丸はいつも通り平和な空気が流れていた。
「そろそろ遠征組が戻って来る頃だな」
 厨にて、のんびりと落雁を口に運びながらそうのたまう鶴丸に対し、頷きながら燭台切が今回の遠征の目的について再確認する。
 そんな会話の合間でも、燭台切は夕餉の準備をしている手を止めなかった。
「ええと、今回は三日月さんが隊長だったね。確か、神隠しが頻発する場所の調査だったっけ?」
「ああ、それだそれだ。遡行軍の企みの可能性もあるって話だったけど…特に緊急の報告は寄せられていないよな?」
 万一遡行軍と遭遇した場合は、事と次第によっては援軍が必要になるため、即対応が出来る様に刀剣男士達もある一定の人数が本丸に常駐するのが常となっている。
 しかし、今になっても審神者から出撃の指示が出ていないという事は、少なくとも現時点では何も起こっていないという事だろう。
「他の奴らも相応の実力者だし、問題はないと思うんだが……途中経過の報告が来ないのが気になると言えば気になるな」
 いつもなら鳩なり何なり使って経過を報告してくる筈だが……それが出来ない状況にあるのだろうか……?
 不思議だと首を傾げたところに、そこに一人の刀剣男士が姿を見せた。
「お、面影か」
 鶴丸と燭台切の会話を遮る形で現れたその若者は、内番姿のままで二人の顔を見渡した。
「内番が終わったので報告に来たのだが…どうした?」
「いや、何でもない。遠征隊がそろそろ帰って来る頃だと話していたのさ」
「遠征…三日月が隊長だったな。まだ帰っていないのか…」
 ほんの少し不安の表情を浮かべた面影だったが、それはすぐにいつもの冷静なそれで覆い隠された。
「神隠しの調査でな……まぁ俺達も長いこと漂流していた事もあるし、あれもまぁ神隠しみたいなもんか……」
「神隠し……異世界の出入り口でも開いて…」
 『いるのか』という言葉を面影が続ける前に、その場に鋭い鈴の音が響いた。
 通常のころころと転がるときに鳴るような耳に優しい音ではない…空気を裂くような鈴の音を耳にした鶴丸達の目が一気に鋭くなり、彼らの本体である刀を固く握って外を振り仰いだ。
 そして、同時に外から誰か…他の刀剣男士の声が聞こえてくる。
『召集!! 転送機に集まれる者は集まれ!!』
 声質から…おそらくは蜻蛉切だ。
「これはぐっどたいみんぐかな、ばっどたいみんぐかな?」
「…返答に困るね」
 燭台切も同じく、人参を持っていた手がいつの間にか本体を構えており、厨から外へと繋がる扉へ足を向けていた。
「今のは、審神者の緊急時の…」
「ああ、何かがあったんだな…遠征組に」
 わざわざ転送機に皆を集めるというのはそういう事なのだろう。
 燭台切が面影に応えた瞬間、それを聞いた若者は誰よりも早く扉を蹴破る勢いで外に出ると、全速力で転送機の方向へ向かった。
(三日月……!!)
 自身の何より大切な男が遠征組の中にいる……それが面影の背中を押していた。
 何もない……あれだけ強い付喪神である男なのだ、きっと無事の筈だ…!!
 まるで自分に言い聞かせるようにそう心の中で繰り返しながら転送機へ向かっていた面影は、そこに辿り着いた時に、ざっと全身の血が引いていく音を聞いた。
「み…かづき…?」
 あの蒼の衣を纏った麗人が、ぐったりと目を閉じ、気を失っている様子で薬研に肩を貸される形で運ばれようとしているところだった。
 他の隊員たちは全員無事だったのか、周囲で薬研達を心配そうな面持ちで見守っていたが、不思議な事に誰も二人に近づこうする様子はなかった。
「三日月…っ!!」
 走り寄ろうとしたところで、面影は後ろから腕を引かれる形でそれを阻まれる。
 意外にも、彼を止めたのは皆を呼んだ筈の蜻蛉切だった。
「面影! 抑えろ、今は近づいてはならないと薬研が…!」
「っ!?」
 相手を見た面影に、三日月を抱えていた薬研が冷静な口調で断った。
「三日月たちは全員無事だ、命には問題ない。だが付着しているものが厄介なんだ、防御式を展開していないお前らは三日月に近づくんじゃない!」
「何が……!」
 それでも尚食い下がる面影に、蜻蛉切が落ち着くように忠告する。
「今は薬研に任せるしかない。我々ではどうにも出来ん。邪魔をすべきではないだろう」
「………っ」
 二人の言葉に抗うことは、寧ろ三日月の回復を妨げる事になると判断した面影は、必死に不安を抑えながら頷いた。
「わ…かった……私に出来る、事は…?」
「三日月以外の奴らを全員浴場に連れて行って入浴させてくれ。いいか、四半刻はひたすら湯で全身を清めるんだ、それをしっかりと確認してくれ」
「分かった……皆、歩けるか? 行こう」
 他の隊員たちを促して浴場へと歩き出した面影は、一緒に来た鶴丸達と言葉少なに会話を交わした。
「命に問題はないと聞いたが……何が…」
「…………嫌な匂いがした」
 すんと鼻を小さく鳴らした鶴丸が、実に嫌そうな表情で呟くと、ちらりと三日月たちのいる方角へと顔を向けた。
「匂い?」
「ああ……悪臭って類じゃなくてな……寧ろいやに人を惹きつけるような匂いだった…ああ、お前は感じなかっただろうな、多分俺ぐらいじゃないと分からない奴だ……あの馬鹿、自分を身代わりにしやがったな」
 『俺ぐらいじゃないと』と鶴丸が言うということは、かなりの神格を持っていないと感じられないものだという事か…
「……今は、薬研の言う通りに従うしかないね。後でちゃんと説明してくれるだろうし」
 結局、その場での会話は燭台切のその一言で打ち切られた。



「皆、揃ったな」
 夕餉の時間も本丸は異様な緊張感に包まれていたが、何とか彼らは無言でその場をやり過ごし、あまり味の分からない夕餉を無理やり胃袋に流し込んだ。
 きっといつも通り美味しかっただろうに、と皆が思いながら食事を終えた後、薬研は遠征に出た三日月以外の刀剣男士と、蜻蛉切、燭台切、鶴丸、そして面影だけを本丸の中の一室に招集した。
「他の男士達は良いのか?」
「ああ、あまり大っぴらにしたくないんだ。不安を蔓延させるのは好ましくない」
 面影の問いに淡々と答えて、薬研は今日の三日月達の遠征結果の詳細について語りだした。
「結論から言うと、神隠しの原因は異世界とこの次元が繋がっていた事によるものだった。遠征組が撤退前に座標を送ってくれていたから、いずれ政府によって不明者たちの捜索と、入り口の閉鎖は恙無く行われると思う」
「……撤退……らしくないね」
 神隠しに遭った人々を捜索して連れ帰る前に撤退…?と燭台切が首を傾げると、薬研はそれに頷いて苦々しい表情を浮かべた。
「…異世界で、魔樹の受粉のタイミングに巻き込まれたんだ。あれは……厄介だった」
 薬研が語ったことによると、異界にて三日月達が捜索を始めようとしたところで、その場にあった魔樹が彼らに反応し、受粉させるべく一斉に華が咲いたのだろうということだった。
 魔樹にも色々とあるが、あの花粉はどうやら人に対して副効果として異常なまでの精神の高揚を惹起させる作用があったらしく、その香りを嗅いだら正気を保てないだろうという程に強烈なものだったらしい。
「……それに最初に気付いたのが三日月だった」
 口元に手の甲を当てながら、薬研は淡々と語り続ける。
「人より強靭に出来ていると言っても今は俺達も受肉している身だ。花粉の影響を少なからず受けると判断した三日月は、咄嗟に皆に防御陣を張ったんだ……そして樹に最も近かったあいつだけが花粉を身に受けた」
 薬研が皆をすぐに入浴させるように仕向けたのは、万一残っていた花粉を洗い流すためか……と納得した蜻蛉切が、肝心の人物について尋ねる。
「三日月殿の体調は……衝動とはどんな…?」
「………詳細は分からないが、誰彼構わず他人を襲い傷つけかねないものだ……しかも理性を麻痺させる効能がある分、その力は普段より増すらしい」
 ざわっと皆が音もなく息を呑む音が響き、その中で面影が顔を青くする。
(三日月が……誰かを傷つける……?)
 天下五剣の一振りが、本能のままに暴れたら周囲がどれだけの被害を被る事になるか……
 皆の動揺を抑える様に、薬研が一際大きな声で断った。
「どれだけ効くかは分からないが、三日月には最大限の麻酔をかけて自室へと隔離した。誇り高い男だからな、花粉の作用であったとしても仲間を傷つけるなど認められないと、眠る前に自分自身で部屋にも封印を掛けた。花粉の効果が消えるまで彼は部屋に籠る事になるが、万一の事があってはいけない。皆、暫くはあの場には近づかないでくれ」
 誰かが近くにいるだけでも、今の三日月にとっては誘惑になってしまうのだろう。
 皆は一様に困惑の表情で互いの顔を見合わせながらも、最終的には頷いた。
「あいつの心意気を邪魔する訳にはいかないし、悪戯に傷を付ける悪趣味も持ち合わせちゃいないんでな……辛い思いをさせるのは申し訳ないが、今は信じて待つしかないだろ」
 そんな鶴丸の一言を受けて、皆が賛同する形でその会合は散会となった。
 しかし、そこで私室に帰ろうとする薬研を、再度面影は引き留めた。
「薬研…少し良いだろうか…?」
「ん? 面影、どうした?」
 皆が去って行く中、二人だけがその場に残ったところで周囲に気を遣わなくなって済んだため、面影の声も通常のそれに戻った。
「三日月が誰かを傷つける事で、その苦痛が和らぐ事はあるのか…? 破壊衝動を満たすことでその苦痛が少しでも軽くなる事は………」
「………!」
 面影が何を考えているのか、覚悟しているのかを察した薬研は、少しだけ顔色を青くして首を横に振った。
「やめておけ、面影。そんな事をしても三日月は喜ばない」
 薬研の諫めの言葉の中には、面影の仮説を否定するものは無かった……という事は、この身を差し出せば三日月は少しでも楽になるという事だと知った面影は、いよいよ黙ってはいられなくなった。
「三日月の苦痛が長く続くのは本丸にとっては好ましくない…戦力を下げる事はこの本丸にとっても危機に繋がるだろう。私なら大丈夫だ、大太刀を扱う分頑丈だし、実戦にも馴染んでいるから急所を避ける自信もある。ある程度済んだら、適当に手入れ部屋に放り込んでくれたら…」
「違う……違うんだ面影。三日月が受けたものはそういう類のものじゃない…」
「?」
 自らが傷つく事も厭わない様子の面影に、薬研はすうと息を吸い込んで、はぁと一度息を吐き出した後に何かを決心した様に話し出した。
 それは他の刀剣男士達の誰にも語られていない真実だった。
「……皆にはああ言ったが…三日月が浴びた花粉の影響は、正しくは相手の身体を傷つけるものじゃない……襲うというのはある意味正しいが」
「え……?」
「…面影、あんたは三日月に師事している様な立場だったから、そこまで真摯にあいつの事を考えてくれているんだろう。それなら、三日月の誇りを穢すような真似はしないだろう……そう信じてあんただけには教えておく。三日月が浴びた花粉の一番厄介な副効果は………浴びた者の性別に関わらず、雄を求めるという衝動なんだ。その身で花で言うところの、『受粉』をする為に」
「!?」
「花粉が雄蕊から離れて雌蕊に着くことで受粉するのは知っているな? その花粉が他の可動生体に着くことでそれを雌と認識し、雄に対する求愛行動を起こすのが原理らしい。それが、三日月に付着した…大量にな」
「………」
「それを感知した三日月は、即座に自身を封印した。天下五剣で最も美しい刀の付喪神である奴は、他の何者に対しても分け隔てなく優しいが、それと同時に恐ろしく誇り高い。面影が向かったところで、封は解かれないだろう…」



(………三日月)
 その夜、早々に自室に引き籠った面影は、布団の中で延々と三日月の事を思い悩んでいた。
 あの後、手出ししなければ薬研にどれだけの期間三日月は籠る事になりそうなのかと尋ねたが、彼の見立て曰く、欲求を発散したらその分短くはなるだろうが、こういう事例は只でさえ珍しいため、彼でも予測はつかないという事だった。
 経時的に診察出来たら多少は読めるのかもしれないが、今は三日月本人が封印を施している以上、それも不可能である。
 今後の予定としては朝夕に薬研が部屋を訪れて診察を行い、必要に応じて麻酔を追加で投与するらしいが、それすらも許容量の限界があるので、常時三日月の苦痛を取り除ける訳ではないそうだ。
『………もしもの話だが……三日月が自ら封印を解いて誰かの元に行く可能性は…あるのか?』
『……あの男が我欲に負けて…っていうのは想像出来ないからな……これはあくまで被曝者全般としての話だが、その衝動はかなり凄まじいものらしい。三日月でなければ……恐らくは封印を掛ける事も難しかっただろうぜ』
『………』
 痛ましげに目を閉じて顔を伏せる面影を見て、薬研は首を傾げて眉を顰めた。
『面影は三日月から色々と教示を受けていたからな、キツいのも分かる。……心配するのは仕方ないが、お前も暫くは部屋の外を悪戯に出歩くべきじゃないぞ』
『え?』
『面影の部屋は三日月のと近かっただろう? 封印は施されてるとは言え、三日月の身体に付着していた花粉がどれだけ散っているか分からない。長々と廊下を歩いていたら、お前までその副効果に晒されかねないからな』
 本当は、一時的にでも部屋を変えた方が良いんだが、という薬研の申し出には、感謝をしつつも断った。
 側にはいられないとしても、これ以上離れる気にはならなかった。
(……今は…少しは眠れているのだろうか……)
 麻酔を掛けられるだけ強烈なものをかけたと薬研は言っていたが、それだけの事をしなければ抑えられない程の衝動なのだろう。
 昔の顕現したばかりの自分ならいざ知らず、今の自分はその衝動を耐える辛さはよく知っている。
 ………他ならぬ、三日月によって教えられたのだから………
「………」
 こうしている間にも容易に思い出す事が出来る、あの男の蠱惑的な声、悪戯に長けた指先、本能を暴き立ててくる唇………
 幾度も抱かれ、満たされた身は、最早彼という存在を己の一部にしてしまっている様だ。
 夜ともなればどちらかの寝所にて身体を重ねるのが常となっていた二人だが、流石に今宵はそういう艶めいた気分にはならない。
(出来る事なら側に付いていてやりたいが……)
 しかし、封印を施されたという事ならば、彼本人が何人たりとも踏み入らせないという決意を示しているという事で……
(私が此処で出来る事は……何も、無いのか)
 考えれば考える程に鬱々とした気分になりそうで、面影は早々に横になる事にした。
 碌でも無い考えしか思い浮かばないのなら、早めに休んで体力を回復した方が建設的だと考えての事だった。


 その夜、面影は夢を見た。
 そこは闇の中なのに、自分の周囲だけは何故かよく見えた。
 此処は何処なのだろう……と彼は辺りを見回して目を凝らす…と、
「……三日月?」
 あの背中…間違いない、いつもの蒼い衣を纏った美丈夫が、こちらに背を向けて何故か足速に何処かへと向かっていた。
 どうやらこちらには気が付いていないらしく、相手はどんどん向こうへと歩を進めており、反射的に自分もそれを追いかけるべく駆け出した。
「三日月! 待ってくれ!」
 いつもならすぐにこちらの呼び声に気付いて振り返り、優しい笑みを返してくれる筈の男が、今はまるでこちらの声が聞こえていない様に全く意に介さず去っていこうとする。
 それがまるで今生の別れになる様な、そんな言い様の無い不安に駆られて、必死に面影は三日月を追う。
(気づいていない…? 一体彼は何処に向かって……)
 そんな疑問が彼の胸を掠めた時、それは突然に起こった。
「!?」
 面影の目の前で、彼の側に闇から何者かの影が現れたのだ。
 不思議なことに、その風貌はまるで分からなかった。
 隣の三日月は鮮明にその姿を見る事が出来るのに、その者だけは闇の様に真っ黒なのだ。
 一体誰なのか……鶴丸の様にも見えて、歌仙の様にも映り、そうでなければ村正の様にも……いや、長谷部か?
 誰の様でもあり、誰の様でもない……不思議な存在感の男は、そこで、面影が見ている前で、信じられない事をした。
「っ!?」
 男に何故か親しげに縋る三日月の細い身体を抱き寄せたかと思うと、その唇を吸ったのだ。
 ぎょっとした面影が立ち竦む前で、向こうの二人は構わずに接吻を続けている。
(嘘だ、何故……!!)
 いつもなら、こちらが赤面する程に甘い言葉を囁いてくれていた彼の唇は、今、誰とも知れぬ輩に奪われてしまっている…しかも許し難いのは、三日月本人が相手に対して全く忌避する事なく、寧ろうっとりとした表情で口吸いに応えているという事実だった。
 その光景を見るだけで胸が焼ける様な怒りに襲われ、面影は無意識の内に胸元に手を当て、きつくきつく握り締めた。
(嘘だ……嘘だ……!!)
 直ぐにでも二人の間に割り入って、互いを引き離してしまいたかった。
 今もそうする為に必死に二人に向かって走っているのに、自分達の狭間に時空の歪みでも出来ているかの様に、全くその距離が縮む様子がない。
 そうこうしている内に、向こうの二人の口吸いを止める事も出来ないまま、面影は更に衝撃的な光景を見る事になる。
「み、かづきっ!?」
 相手の不埒な男が、唇を久し振りに三日月のそれから離したかと思うと、そのまま彼の喉へとそれを這わせ、舌で嬲ったり、甘噛みを始めていた。
 しかも、三日月はそれに対して恍惚の表情を浮かべて何やら睦言らしき言葉を呟きながら、自らの衣を脱ごうとまでしている。
 まさか、まさか彼は、他の男にその身を許すつもりなのか!? 自分ですら…彼の身を暴いてはいないのに……!?
「止めろ…っ! 止めてくれ三日月!!」
 私以外に、お前の身を晒すなど止めてくれ!!
 必死に叫ぶ面影の願いも虚しく、三日月は己の纏っていた衣を全て脱ぎ去り、その美しい裸体を相手に完全に委ねようとしている。
 闇と同化した男は、その手で彼の美しく白い肌をなぞり、その手は徐々に下へと降りていき……身体の中央へと至ろうとしていた。
「私だけだという言葉は……嘘だったのか!? 三日月っ!!」
 涙が滲みそうになるのを必死に堪える。
 零してしまったら、彼の心変わりを認めてしまいそうに思えたからだ。
「三日月っ!!」
 がばりと。
 声を限りに叫んだ瞬間、上体が勢い良く起き上がる感覚が生じた。
 走っていた筈なのに…
「………っ」
 尋常ではない汗が全身を伝っているのが闇の中でも分かる。
 闇……闇の中だが、数瞬前に自分がいた場所の闇とは全く異なっていた。
 走っていた筈の自分は、浴衣を着て、布団の中に居た。
 布団を撥ね上げ、上体を起こした姿で肩を激しく上下させている自分を認識しても、暫くは事態が飲み込めなかった。
(夢………此処は…現実……?)
 そう、此処は本丸で……彼はきっと自身の寝所で籠っている筈だ。
 私は……そうだ、自分で何も出来る事は無いのだと…そう考えて……横になって……
 ほんの少し前の自分の行動を反芻しながら、面影が己の頭を抱えて小さく唸った。
 気が付いたが、夢の中での出来事に過ぎなかった筈なのに、今も身体が震えていた。
(……嫌だ)
 夢の世界を繋ぐ術を持っている自分ですら、ここまで動揺してしまったのは……あの男に関わるそれだったからなのか……?
 それにしても、何という酷い悪夢だったことか……
 どうしてあんな夢を、と考えたところで、面影は直ぐにその理由に思い当たる。
(……そうだ……私がそれを恐れていたからだ……薬研にも尋ねてしまう程に……)
 三日月は常に凛とした態で、その意志は鋼の如く強靭だ、それはこの本丸の全ての刀剣男士達が知っている。
 だから彼等は疑わない、三日月がこのまま封印の向こうで苦難を乗り越える事を。
 自分も同じ様に信じている、信じている筈だったのに……
(万が一、億が一にも許せなかった……三日月が、衝動に耐えかねて封印を解き、他の誰かを求める可能性がある事を……)
 もしそこに居たのが自分であり、求められたら喜んで応じるだろう。
 しかし、もし自分ではなく他の誰かが偶々居合わせたとしたら…?
 そして三日月がその欲望に抗えず、目の前の男性に身を委ねる様な事があったら……?
(絶対に………嫌、だ)
 そんな事になる位なら、いっそ、自分が………
「……………」
 昼間、三日月の状態を聞かされた時にも考えた事ではあったが、その時には押し止まった。
 自らを封印した彼の心意気に水を差す様な……信じていない様な行動だと思ったからだ。
 しかし先程の悪夢を見た今になっては、もう己の想いを抑える事など出来なかった。
 詰られてもいい……彼の手に掛かるなら、怒りで斬り捨てられても構わない。
(……そう、だな……信じていないと思われたなら、彼に斬られて消えるべきだ……)
 それは罰という名の悦びでもある。
 そんな事を考えながら、面影は床から起き出し、そっと障子を開けて廊下へと出た。
 静寂……
 誰も居ない、何の気配も感じない。
 薬研の忠告の通り、皆、この場所に来るのを避けているのだろう。
(……愚かだな、私は……)
 皆の様に揺るぎなく、彼を信じられない……いや、誰にも渡したくないという我欲の為だけに、こんな事をしている…
 勿論、その責は己だけで負うと固く誓いながら、面影は三日月の部屋の前へと歩いていく。
 隣同士に位置する場所なので、然程掛からずに彼は目的の場所に辿り着いた。
 いつもと何ら変わらない様相の場所だったが、面影がそっと障子に遠慮がちに手を翳すと、ぼうっと朧げに襖の前に三日月の紋が青白く浮かび上がった。
 明らかに、そこに何かあるのだと教えてくれる……きっとそれが封印なのだろう。
 無理矢理開けようとしたら、あまり宜しくない事が起こるのかもしれない…そしておそらくその予想は外れていない。
 さてどうしよう、声を掛けるべきかと考えていたところで、幸いにも向こうから声が掛けられた。
『誰だ……?』
 信じられない程にか細い声だったが、間違いなく三日月のそれだ。
 自分が想像している以上に、彼の消耗は酷いのかもしれない。
「…三日月?」
『…面影か………人払いを頼んでいた筈だが』
 やはり向こうから聞こえる声はいつもより力無いものだったが、あくまでも優しいそれだった。
 疲弊し、苦痛に苛まれている時には、苛立ち、声を荒げることも珍しくはないと言うのに………
「薬研はちゃんと人払いをしてくれた。此処に来たのは……私の我儘だ」
 薬研に責が及ばない様に予め断ってから、面影は一呼吸置いて、言った。
「お前に……会いに、来た」
『…………』
「お前の状況は理解している……他に累が及ばない様に……お前自身の誇りを守る為に自ら封印を施したのも、知っている………それでも、来ずにはいられなかった」
 思い浮かぶのは、あの悪夢の中で誰とも知れぬ者に微笑み掛けている三日月の姿だ。
「夢を見た……お前が、誰かに抱かれる夢だ………お前の意志の強さは知っている、分かっているつもりだ、しかし…」
 顔を覆って、絞り出す様に言った。
「……怖い……お前が、耐えられずに誰かに身を委ねるのではないかと思うと……有り得ないと分かっていても、気が狂いそうになる…」
 独白は続いたが、向こうからは何の言葉も無い……しかし、聞いてくれているのだという気配は感じられた。
「………お前は全てにおいて美しく、他の誰にも穢されるべきではない尊い存在だ。本来なら私など、足元にも近寄るべきではないのかもしれない……身の程を弁えない望みだという事は分かっているが、それでも願う………今のお前の苦を除く役目……私に担わせてはくれないだろうか……全てが終わった暁には、斬ってくれて構わない」
 覚悟を示しての申し出を伝えてから、暫し沈黙の中で面影は佇んでいたが、向こうからは何の反応も見られなかった。
 言外に「抱かせてくれ」と伝えているのだ、激怒されこそすれ歓迎されるとは思っていなかったので、こんな反応でもまだましと思えた。
(………やはり、無理か…)
 あの悪夢に背中を押される形でほぼ勢いのみで乗り込んで来たが、冷静に考えるとそれも仕方ない。
 あんな夢を見たのも自分の勝手で、こんな独りよがりの願いを持つのも自分の勝手……そうだ、目の前の三日月の紋は最初から示しているではないか……彼の人の覚悟を……
 初めから正解は、彼を信じて待つ事だったのだ。
「…すまない……要らぬ気を遣わせた。お前の苦痛が少しでも早く取り払われるといい、な…」
 これ以上、三日月の手を煩わせる訳にはいかないと、面影がその場を離れようとした時だった。
 きん………
「?」
 金属が擦れる様な鋭い音が響いた。
 大きい音ではないが、聞き間違いではないとはっきりと分かる程度の音に、面影は辺りを見回したが、特に変化は認められない。
(…………まさか)
 こんな時でも自分に都合の良い事を期待してしまう己の浅はかさを恥じながら、面影は試しに再び襖に手を翳してみた。
「………!」
 紋が、消えていた。
 つまりそれは、彼が封印を解除したという事に他ならない。
 望んでいた事象の筈なのに、いざ目の当たりにするとつい戸惑ってしまい、面影はそこで意味もなく挙動不審になってしまったが、意を決して静かに襖を開けて中へと踏み込んだ。
 闇だ………行燈の光も消されている、暗闇……
 つい先程の悪夢を思い出しそうになり、頭を振ってあの光景を打ち払う。
 ゆっくりと歩を進め、私室の向こうにある寝所へと向かい、こちらとあちらを隔てている襖に手を掛けて静かに開く。
 ふわりと、嗅ぎなれた彼の部屋の香りが鼻腔をくすぐった。
 寝所にも明かりらしい明かりは灯されておらず、手を伸ばしたらその指さえ確認出来ない程だ。
「……三日月……灯りは」
「点けるな」
 遠慮がちに寝所にいるのだろう相手に呼びかけると、間髪入れずに返事が返ってきた。
「……今、お前を見たら……俺は狂う」
「………」
 花粉に侵された身は、そこまで追い詰められているのか……と今更ながらに相手が置かれた状況に眉を顰めながら、面影は極力向こうを刺激しない様にゆっくりと無音を保ちながら近づいてゆく。
 今まで幾度となく通った場所であるが故に、闇の中でも大体の歩数で相手との距離が掴める。
 そして、見立て通りに自分の足が向こうの敷布団の縁に軽く触れたところで、その上に居るだろう男の声が小さく響いた。
「……お前の匂いが、する…」
「!………ああ……来た」
 どう答えたら良いのか分からず、端的に答えを返した面影はゆっくりとその場に膝をつき、そろりと相手に向かって手を差し伸べる…と、
「う…っ!?」 
 前触れなくその腕を掴まれ引かれたかと思うと、どさりと布団の上に引き倒され、闇の中で相手に抱きすくめられた。
「あ……っ…」
 何度も触れられた事のある相手の身体が……炎の様に熱かった。
「三日月………」
 闇の中で、三日月は面影をきつく抱き締めながら、耳元でひそりと囁いた。
「………遅かったではないか、面影?」
「え……っ」
 意外な言葉を聞いて、面影が目を剥く。
 もしかして……待ってくれて、いたのか…?
 封を掛けても、私だけは来てくれると信じてくれていた……と?
「お…こらないのか…? 私は、お前を……」
「……俺は、お前以外の誰にもこの身体を触れさせるつもりはない……お前になら、何をされても構わぬ……知らなかったか?」
「!!」
 驚くばかりの面影に、闇の中で三日月は唇を重ねる。
 その唇も、微かに漏れてくる吐息もやはり熱く、彼の身体が花粉の影響で発情している事を何より如実に示していた。
「んん……っ」
 三日月が仰向けになり、面影が上から覆い被さる形で重なった二人は、それから暫く口吸いの音に酔いしれた。
 面影はまだ浴衣を纏っていたが、三日月は既に衣類は身に着けておらず、肌を晒している状態の様だ。
 まだ何もしていないのに、既に美しく滑らかな肌は汗で湿っているのが分かる。
「……辛い、な…」
 はぁ…と唇を離した三日月が吐息と共にそう呟いた。
 理性で抑えるのが困難な肉欲は、今も尚、この美しい男の身体を苛んでいる様だ。
 それを抑える為に来た筈の面影だったが、ここに来て、不安げな面持ちで闇の中に居るだろう相手を見下ろす形で断った。
「……三日月……お前は、知っているだろうが………私は…誰も抱いた事がない……から、その…上手く、出来るか……」
 意気揚々と、という程ではないが、自ずから此処に踏み込んでおきながら今更ながらに自信が持てないらしい若者が申し訳なさそうに告白したが、相手はくっくと含み笑いを零した。
「お前の好きな様に抱いてくれて良い……『お手本』は、毎日見せていただろう?」
「!」
「……う」
 揶揄した台詞の後、三日月の苦痛の呻きが微かに聞こえ、彼の手が面影の浴衣の袂に掛かった。
「いつまで……焦らすつもりだ?」
「…三日月…っ」
 掠れた相手の声は却って面影の昏い欲望に火を点けた様で、彼は荒々しく、もどかし気に己の帯を解き、そのまま全てを脱ぎ去ると、それを布団の脇へと投げ遣った。
「ん……っ」
 そして押し倒した体勢のまま三日月の喉に唇を寄せると、きつく吸い上げながら彼の胸の蕾にも指先を伸ばして弄り始めた。
 これまで誰も抱いた事は無い……が、目の前の相手に抱かれた数は最早数えきれない程だ。
 自分の身体を一番熟知している相手を、今は自分が抱こうとしているのか……
 奇妙な感覚だったが、そんな些細な事は不意に己の中心に伸ばされてきた手によって意識の向こうへと追いやられてしまった。
「あ、あ…っ!」
「…すまぬな……いつもの様な余裕は持てそうにない……」
 確かに、いつもの相手なら直接その場所に手を伸ばす前に、他の部分に優しく触れて徐々に身体を高めていくのが常だった。
 あまりにじっくりと時間をかけて愛され過ぎたため、面影の方が音を上げて『早く』と強請る事すらあったのだ。
 しかし今はそんな時間すらも待てないという様な動作に、如何に相手が心身共に追い詰められているのかが伺えた。
 それでも、三日月のそんな状況は今の面影にとっては渡りに船だったのかもしれない。
「ん…あっ…はぁ……三日月……すまない、私も…もう…」
 普段の相手とは違う…自分を堂々とした様子で犯してくる姿ではない、暗闇でも伝わってくる艶やかな気配……それは面影の本来の雄の本能を刺激するには十分だった。
 既に先走りが滲んでいる己の分身をちゅくちゅくと激しく扱き立てられ、面影は自分にゆとりがない事を察していた。
 楔はもう十分な固さを誇っている、そう、相手の身体の芯を深く貫ける程には。
 しかし自分はそうでも、向こうはこれから受け入れる部分を解していかねばならないのだ、そうしないと下手をしたら敏感な粘膜を傷つけてしまう。
 準備が整うまで、耐えられるか……と、実に初体験らしい悩みを密かに抱えていた面影に、三日月が脚で相手の腰を絡め捕る形で応えた。
「良い……このまま、来るがいい」
「っ! しかし、お前に傷が……!」
「…慣らす必要はない……」
 己の身体がどうなっているのかは分かっているとばかりに三日月は断言し、面影の耳元で小さく願った。
「…頼む…正直、もう…な…」
「っ…!」
 欲しいのだと請われ、どくんと心の臓が一際強く打つのを感じた。
 同時に、ぐらりと緊張で視界が揺れる感覚が生じる。
 いよいよ、か……
 いよいよ、自分がこの美しい男を犯すのか………
 気後れしそうになるのを必死に奮い立たせながら、面影はこれだけはと相手の耳元で断った。
「辛ければ……言ってくれ……正直、私も自分を抑えられるか…」
「…!」
 一瞬、相手が息を呑むのが感じられたが、その後向こうはすぐに頷いた。
「分かっているだろう…? 俺の身体も今は理性が効かぬ……お互い様だな…」
 相手を…自分を落ち着かせるように、ちゅ、と軽く三日月の唇に口づけを落とすと、面影は相手の身体を反転させてその腰を高く掲げさせる。
 そして闇の中でうっすらと浮かび上がっている相手の白い肌を頼りに大体の位置を察し、ぐい、と形の良い臀部を掴んで左右に開かせると、そっと右手の指を中央の窪みへと伸ばしていった。
 つぷり……
「…っ」
 ひくっと三日月が頤を反らして反応を示したのを感じながらも、面影が一番驚いたのはその場所が既に柔らかく解れていた事だった。
 花粉の影響なのか、それとも自分が寝所を訪れる前に、既に三日月が己の手指で慰めていたのかは分からないが、その場所はもう十分に雄を受け入れる事は可能の様に見え、彼はそのまま素直に指を引き抜いた。
(ああ………挿れたい……すぐに…っ!)
 面影の奥に潜んでいた雄の顔が覗き、彼の腰が三日月のそれに近づいてゆく。
 向こうの身体も、秘密の蕾も自分を受け入れるべく艶やかに息づいているのだろう……見えないのは惜しいが、それで良い、と思う自分も心の何処かにいた。
 おかしな話だが、美しい彼の人の艶姿は晒されるには勿体ないと思ってしまったのだ。
 それでも犯したいという欲望は尚も激しく胸の中に燃え上がったままで、面影はいよいよ自身の楔の先端を先の密やかな蕾に押し当て……ゆっくりと腰を進めて行った。
 ずぷり……と、柔らかな感触が雁を包み込み、熱が伝わって来る。
「あ…っ」
 手とも違う…口腔内とも違う……熱くて柔らかで…なのにきつく締めつけてくる感触に、面影は深く息を吐き出しながらその快感に酔った。
 信じられない……こんなに、好いなんて………
 すぐに雁の部分だけでは物足りなくなり、面影はそのままずっずっと腰をより前へと進め、肉棒を相手の体内へと埋めてゆく。
 然程抵抗もなく、美味しそうにそれを呑み込んでゆく三日月の秘孔のもたらす快楽に、早くも面影は溺れそうになりながら声を上げた。
「ああ………何もしていないのにこんなに……三日月のここ…いやらし、い…っ」
「ん…っ……あ……ふっ……」
 枕に顔を埋めて喘いでいた三日月が、腰を揺らして相手に応えつつ顔を僅かに上げる。
「お前の……せいだろう……?」
「……っ」
「これで、お前の雄としての『初めて』も、雌としての『初めて』も、俺のもの、俺だけのものだ………今、俺がどれだけ嬉しいか分かるか…?」
 言いながら、きゅうっときつく面影の欲棒を締め上げてくる恋人の声音には、苦痛だけではなく明らかに悦びのそれが含まれていた。
「ああ………心地好いな……もっと、もっとだ…面影…っ!」
 好きなだけ…好きな様に……この身を犯せ……
「~~!! 三日月…っ!!」
 ずぐんっと勢いよく最奥を突かれ、三日月の口から甘い声が上がる。
 今までも聞いた事のない声音……それを生み出しているのが自分だと思うだけで、より身体の熱は増してきて、面影は激しく腰を前後させた。
「ああっ…煽らないで、くれっ…! 優しくしたいのに……っ、腰っ…止まらな…っ!!」
 ばちゅっばちゅっと激しく大きな音を響かせる二人の腰が揺れる度に、彼らの口から嬌声が上がった。
「すごい……っ…三日月のここ……私のを、食べて、るっ…! う、ああっ…これ、好い…っ! 三日月も…好く、なって…!!」
「は、あぁ…っ! んあっ、あああ……お前のも…好いぞ…もっと強く…」
 殆ど無意識の内に、面影は相手の身体の下で淫らに息づいていた分身を掴み、ぐちゅぐちゅと音をたてながら弄り始めていた。
「ふ…っああ…っ!」
 心地良さそうな三日月の声と、淫らに揺れる腰……そして何より、自分の愛撫に素直に反応してくれる彼の分身は、自身の愛撫のやり方が間違ってはいないのだと暗に示してくれている。
 面影の中には知識が何も無かった訳ではない……三日月も言っていた通り、『お手本』が身体の中に刻まれている。
 過去に幾度も三日月が抱いてくれていた時の記憶を頼りに、自分が感じた行為を思い出しながら、相手にそれを返す様に愛撫を行っていった。
「三日月…っ…あ、あ…」
 面影は幾度も三日月の奥を突いて快感を貪りながらも、その傍ら必死に己の欲望を抑え込もうとしていたが、それが徐々に効かなくなりつつあるのを感じていた。
 三日月の身体の奥に突き込む度に、快感がどんどん大きく深くなって自分を底なし沼に引きずり込もうとしている様だ。
 そして自身の身体の下で、自分を受け入れて同じく快感に腰を揺らしている男の姿と甘い喘ぎ声を見聞きする程に、己の楔がどんどんと成長していくのを感じる。
「あ…っ…面影…っ…すまぬ…身体が…っ」
 不意に三日月が苦し気な声を上げ、びくんと背筋を震わせると、同時に面影の分身が一際きつく肉壁に締め上げられた。
「っく…!」
「あ、あ……抑え、られぬっ……奥が……雄を求めてっ……くぅ…!」
「三日月……っ!!」
 苦し気に呻きながらも、体内できゅうきゅうと己を締め付けてくる相手の様子に、面影は悟った。
 一見、苦痛を上手くやり過ごしている様に見えるが、さして苦しんでいる様に見せていないが、彼はずっと…ずっと耐えているのだ、こちらが想像も出来ない程の衝動を……
 今彼に必要なのは、優しく甘い愛撫を共にした交わりではない…ただ貪欲に雄を求める身体を満たすそれなのだ。
 それならば……寧ろ、今の自分にとっては好都合だ。
 相手を労わりたい心とは裏腹に、無茶苦茶に抱き潰してしまいたいと叫ぶ身体を持て余している自分にとっては………
「三日月…っ…大丈夫、だ……すぐに、お前の望む様に…する…からっ…」
「おも、かげ……」
「沢山……奥まで突いて、突いて、犯して……注いで、達かせてやるから…っ…何度でも、好きなだけ……っ!」
 その宣言が、合図だった。
「あっ…ああああっ!!」
 ずちゅっずちゅっずちゅっ…!!
 激しく響く水音はこれまでよりも遥かに忙しなく、止め処がない。
 いつもの寡黙で静かな印象とは真逆の、飢えた獣が無情に獲物に食らいつき貪る姿にも似た勢いで、面影は幾度も幾度も休む間もなく腰を相手のそれへと打ち付け、楔を最奥の更に奥へと突き立てた。
 細い体つきの三日月に対して、まるで「犯す」というよりは「壊す」という表現が合っている様にも見える行為。
 しかし面影がそれでもその行為を止めなかったのは、自らの分身を包んでいる相手の淫肉が一層彼自身を悦びながら迎え入れ、奥へと誘いつつその精を搾り取ろうと締め付けてきたからだ。
「すごい…三日月…っ……こんなにひどくしているのに……なか、うねって悦んで、るっ……!」
「ふ、あ……そう、だ……激しく………ああ、堪らぬ……もう…」
 苦痛の色が一切見えないのは、もしかしたら花粉によって麻痺させられているのかもしれない。
 激しい交わりは、彼らの理性を確実に削り取り、言葉を失わせ、あっという間に絶頂へと導いてゆく。
「うっ…くぅ…っ! あ、あっ……も、射精るっ…!! み、かづきっ、内に…射精るっ!!」
「ああ、好い…ぞ……俺の内に全て…射精せっ…!!」
 許容の台詞と同時に、淫肉が肉棒をぎゅううと絞り上げる。
 その残酷なまでの快感に、それを初めて経験した若者はあっけなく屈した。
「う、あああっ!! で、るぅぅっ!!」
「くぅ…っん……!! ああ……!」
 茎の中を熱い奔流が一方向に向かって勢いよく流れていくのを感じ…それが一気に外に迸るのと同時に、包んでいた肉壁が戦慄くのが分かった。
 面影の腰が激しく戦慄くと同時に、三日月の肉棒から白い樹液が迸った。
「あ、あっ、あああ~っ!!」
「でるっ…射精てる…!! 三日月…っ、まだしめつけて、あああっ…」
 一度でなく、数回に渡って射精を繰り返している内に、面影は自らの楔が熱い液体に浸されていく感覚が生じ、己の精で相手の秘部が満たされているのだと知った。
(ああ……今、穢している……私の精液で…三日月の内を……)
 しかも、それは三日月にとっても初めての経験……これで遂に自分が、彼の初めての相手となったのだ……
 背徳感が背筋を震わせる…が、それはまた新たな欲望へ誘う細波に繋がってゆく。
 初めて相手を征服する事を覚えた雄の身体は、只の一度で満足する筈がないのだ。
 そして、今の面影には何より三日月の苦痛を早めに取り除くという大義名分もあるので、彼がそのまま三日月の身体を解放する選択肢は無いに等しかった。
 何度でも、幾らでも、相手が望むなら望むだけ……そう叫ぶ心に沿う様に、身体もまた本能に忠実に従い、昂ってゆく。
「すま、ない……! このまま…続けて、抱く……!」
「う、あ……っ!」
 挿入したままで、面影は再び相手の腰を抱き寄せると、ぐっと己を奥へと押し入れる。
 内に注いだ己の精がぐちゅりとはしたない音をたて、接合部から白濁が零れ落ちたが、それにも構わず、面影は三日月の内の肉壁を満遍なく擦り上げる様に腰を円を描く様に動かした。
 確かに相手の中に大量に射精したばかりだというのに、萎えた筈の自分の楔は既にある程度の固さを取り戻しており、埋まっている三日月の淫肉を抉る際の弾力が生々しく返って来る。
 ふと、三日月に過剰な負担を負わせているのではないかと不安になった面影は、相手の様子を窺うべく布団の上に突っ伏した三日月の顔を上から覗き込むと、激しい交わりの名残がまだ消えていないのか、はぁはぁと息は荒く熱く、瞳の焦点は何処となく合っていない印象を受ける。
 微かに開かれた唇から覗く舌は濡れ、先から透明の唾液が垂れていたが、面影が見ている前で彼が動き出すと同時にその唇は素直に閉ざされていった。
「ん……っ」
「…三日月?……うあっ…!」
「まだ、だ……」
 同時に腰を揺らめかせた男は、それからゆっくりと腰を蠢かせ、彼もまた面影の分身を内側で愛で始めた。
「あ…あ……っ」
「一度だけではまだまだ足りぬ……俺が望むだけ、犯して、満たしてくれるのだろう?」
 妖艶な、誘いの言葉だけで持っていかれそうになり、面影はぎりっと歯を食いしばって相手の上体に覆いかぶさり、その深淵に昂りを突き刺し始めた。
「三日月……っ…三日月…っ!!」
「あ、ああっ……! そう、だ、もっと…お前を…奥に…っ!」
 相手の手がつと動き、面影の右のそれを取ると、自らの肉棒を握らせた。
 吐精したそれは先端を濡らし、固さを失っていたが、面影の掌に柔らかく優しく握られた瞬間、ぴくんと反応を示した。
「そら……こちらも…頼む……んんっ…!」
「~~っ!!」
 ぞくっぞくっと背筋に走る甘い衝撃をやり過ごしながら、圧される様に面影は相手の分身へと手を伸ばし、やわやわと握り込み、愛おし気に育てていく。
「ん…はぁっ……あっ……好い…好い、ぞ……ああ…」
「ああ……私も…凄く、好い……!」
 うねり、絡みついて来る三日月の内側は、容赦なくこちらの理性を崩し、本能を露わにさせ、その精を一滴残らず搾り取ろうとする。
「…みかづき……の、おく、やらしすぎ…っ…あ、あっ! また、すぐっ…達きそ…う!」
 それが花粉のせいなのか、それとも相手の身体のそもそもの性なのか分からないまま、面影は翻弄されるがままに腰を動かしていた。
 絶対にあり得ない話だが…もし、もしも、相手が三日月でなければ、こんなに早く昂る事もないだろうし、こんなに早く達してしまうこともなかっただろう……
「あ、あ……そうだろうとも……っ」
 喘ぎながらも、三日月はその唇を歪めながら相手に振り返った。
 玉の様に光る汗がその白い肌を伝う様は、信じられない程に淫らで美しい。
「…俺が欲しいのは……お前だけ…だから、な……」
「…っ!!」
 瞬間、ぷつんと何かが切れる音がした…おそらくは、面影の脳内のみで。
 それからは、殆ど、何をしたのか、されたのか、面影の記憶には残っていない。
 理性を本能が上回り、只ひたすら、身体が望むままに三日月を犯し抜いたのは事実だった。
 かろうじて、相手を幾度も貫き、二人でほぼ同時に達したまでの事は覚えていないでもない。
 それから……一度は脱力して相手から抜き出した己の分身を、彼が口で優しく慰めて再び育てて……また、繰り返し、犯した様な気がする。
 朧げな記憶を掘り起こそうとした時、その時は既に夜明けも近く、うっすらと寝所に日の出の光が差し込みつつあった。



(………朝…?)
 ぼんやりと霞がかっていた意識が、朝を認識した瞬間、はっと覚醒する。
「…!?」
 がばりと身体を起こし、面影が周囲を見回すと、自分の隣では三日月がくたりと身体を横たえ、微かな寝息を立てていた。
(三日月……少しは…楽に、なれたのか…?)
 眠れるという事は、多少なりとも苦痛からは離れられているという事だが……と、思いつつ視線を逸らし…面影は絶句した。
(これは……)
 昨夜は、灯りも灯さず、ただ三日月の身体の事だけを気に掛けていたから全く気が付かなったが、彼の布団の周囲には、かつて彼の身に纏われていただろう蒼の衣の生地が、ずたずたに引き裂かれて散乱していた。
 昨日の三日月の動向を思い返してみたが、帰還した時には間違いなくいつも通りの姿だった…となると、やはりこれらをこういう形にしてしまったのは、三日月自身なのだろう。
 思うに、肌に触れる衣の感触すらも、あの後の三日月にとっては精神を狂わせかねない刺激になっていたのだろう……
 行儀良く脱ぐ暇すら待てず、部屋に籠った直ぐ後に、こういう形で解放するしかなかったという事か。
(…………彼をこのまま残すのは忍びないが…)
 自分は、これから直ぐにでも此処を離れなければならない。
 夜は自由時間を与えられているが、本丸に在籍している以上は、昼間は刀剣男士として相応の仕事を与えられているのでそれに従事しなければならない。
 昨夜はほぼ徹夜で三日月を犯し続けていたので、自身にも相応の疲労は溜まっているのは事実だが、彼の苦痛に比べたら何という事はなかった。
(それに……もう少ししたら薬研も来るだろうからな…私が此処で見られるのは好ましくない)
 昨日、薬研と話した折に、念の為に日に二度程…朝と夕に診察に来る予定だと言っていた事を思い出す。
 ここは早めに退散して、知らぬ存ぜぬを通した方が良いだろう……が、
(…せめて、もう少しだけ…傍に……)
 挨拶ぐらいはしたい…と思ったところで、ぴく、と三日月の瞼が動き、ゆるゆるとそれが開かれてゆく。
「……三日月?」
「……………朝、か…」
 抑揚のない、疲労の滲んだ声でそう呟いた男は、差し出された想い人の手をそっと握ると優しく指を絡めてきた。
「…無理をさせてしまった………身体は、どうだ…?」
 花粉の影響と、自分が負担をかけてしまった分を考えると、向こうの疲労はかなりのものだろう。
「ああ………かなり楽には、なった……まだ、お前を今すぐ襲ってしまいたい程ではあるが、な……」
 余裕を演じているのだろうが、その台詞とは裏腹に、声は小さく心許ない。
 流石、薬研が数日は掛かると言っていただけの事はある……まだ花粉の影響から完全には脱し切れていないのか。
 いつもなら赤面して相手を非難するところだったが、面影は相手がまだ理性を総動員しながら耐えているのだろうと察し、表情を曇らせた。
「……お前を…一人にしたくない」
「はは………なかなかの殺し文句だな。全てが終わったら、また言ってくれ」
 嘯くのも精一杯の虚勢なのかもしれない…が、面影はそれ以上は何も言わなかった。
「…汗を流したいな。面影、すまんが俺を風呂に連れて行ってくれ…」
 まだ一人で歩くには身体が覚束ないのだろう、三日月は面影の手を借りてゆっくりと裏庭に面した場所に誂えられていた露天風呂に移動し、その身を沈めて息をついた。
 いつか、面影の提案(?)によって希望者の私室に誂えられることになった露天風呂である。
 露天風呂と言っても個人の部屋に造ったものなので大仰なものではない。
 しかし、庭先にしっかりと落ち縁を作成し、それの延長で檜造りの湯桶を置いて、湯の中でも縁側でも身体を休め、季節を楽しめる造りになっているのは非常に贅沢な空間とも言えた。
「大丈夫か……?」
「ああ……心地よい…」
 ふ…と息を吐きながら微笑んだ三日月が、側で膝を付きながら見守ってくれている面影を振り仰いだ。
「……面影、頼みがある」
「! 何だ?」
 何でも聞いてやる…と構えたところで、三日月が願ったのは……
「……今宵も、俺を抱いてくれ」
「…っ!?」
 ぞくっと背筋に衝撃が走り、瞳を大きく見開いて……暫しの沈黙の後、ようやく面影は必死に己の心を律しながら頷いた。
「あ…ああ……その……私で、良いのなら……」
 言いかけた相手の腕を掴んで自分へと引き寄せると、三日月が笑みを含んだ悪戯っぽい口調で問い掛けた。
「お前以外の誰が、俺を満足させると……?」
「!!」
 男として受けるのに…それ以上の賛辞はないかもしれない。
 真っ赤になった面影を見て満足した様子で、三日月はその腕を掴んでいた手を離して、相手を促す。
「さ、行け……薬研が来たら少々厄介だからな」
「あ……ああ」
 まだ多少動揺は残っていたが、面影がよろ…とよろめきながらその場を辞した後、三日月はほう、と息を漏らして、口元を手で覆い隠した。
 誰にも見せられない……こんな、赤面している自分の姿など……
(………まさか)
 まさか、自分があんなにあっさりと彼に達かされるとは思わなかった……
 自分にそういう意識は無くても、この身は天下五剣の中で最も美しいと称賛されている、相応に誇りのある存在だ。
 それ故に何者かに征服されるという事は、本来であれば到底受け入れられないものであった筈なのだが……
「……惚れた弱み…か」
 ここまで心を許していたのか……と我ながら驚くが、不快には感じない…寧ろ誇らしさすら感じる。
「さて……」
 身を清めて、薬研の診察を受けるまで部屋で身体を休めておかねば。
 まだ衝動は完全に治まった訳ではない…面影が夜通し抱いてくれたお陰で、その激しさはかなり軽減はされているが、それでも辛い事には違いない。
 忘れる為に、昼間はまた麻酔をかけてもらうとして……夜は………
「………待っておるぞ、面影…」
 ぺろりと赤い舌で唇を舐めながら、三日月は今宵も訪れてくれるだろう想い人へと、人知れず呼びかけていた…………