不可抗力





 それは完全に不可抗力だったと思う。

「三日月、来たぞ」
 その日も朝から面影は雇用主の三日月の家を訪れていた。
 相手から預かっているカードキーを使い、勝手知ったる相手の家に入ると靴を脱ぎ、広い廊下を通ってリビングへと踏み入るが、そこには誰の姿も見当たらない。
 リビングのソファーの上には乱れた白のタオルケットが無造作に置かれているのを見て、面影は小さく息を吐いた。
「ちゃんとベッドで寝ろと言ったのに……」
 昨夜、面影が自分の家に戻る前に最後に見た三日月は、珍しくごろんとソファーに横になりながら難しそうな本を開いて読んでいた。
『こら、身体が辛くなるからちゃんとベッドに行って休んだ方が良いぞ、三日月』
『うん』
 声を掛けたが返ってきたのは何とも気が抜けるような呑気な返答。
 しかし返答とは裏腹に、本から視線を外す素振りすら見せていないとなるとどうやら起きるつもりはないらしい。
『………』
 少しばかり眇めた視線で面影が三日月を見つめていると、その視線を感じたらしい男がぱた、と本を自分の身体に倒す様に置くと、こちらへと悪戯っぽい視線を向けて来た。
『?』
 態度を改めて動いてくれるのか…?と思った面影が視線を交わすと……
『…お前が添い寝してくれるならすぐにでも』
と、なかなかに刺激的な誘い言葉を投げ掛けてきて、瞬間、面影は一気に茹でダコの様に真っ赤になった。
『っっっ!! しっ、しないっ!! 絶対に、しないからっ!!!』
 向こうが軽い冗談で言っただけなんだろうからこちらも軽く拒否したら良いだけの話だったのに、何故か恥ずかしさと言うか、照れが真っ先に頭に浮かび、軽く受け流す事が出来なかった。
 そんな自分の過剰な反応に後になって気付いた面影は更に動揺。
『おも……』
 過剰な反応を返されたから驚いたのか、きょとんとした三日月が手をこちらへと差し出してくる姿を見た瞬間、更に頭の中が真っ白になってしまった。
 大人の対応が出来なかった自分自身に対しても意味不明な怒りと苛立ちが湧き上がり、いよいよ取り繕うのが難しくなってくる。
『あ、ああもうっ!! もう、し、知らないっ!!』
 真っ赤になった顔を隠す様に右の拳をそこに当てながら、踵を返す。
 三日月が自分の名を呼んでいた様な気もしたが、もう振り返る余裕などなかった。
『あ、明日また来るからっ!!』
 それでもしっかりと律義にそう答える事が出来たのは、家政夫としても立派な対応だったと思う。
(……でも言って正解だったかもしれない……言ってなかったら……)
 間違いなく、ウチに乗り込まれてきただろうから………
 勿論、こちらを糾弾するのではなく、謝る為に。
(……三日月は、私に甘すぎるんだ……)
 これまでの半共同生活の中で実感していた事だが、三日月宗近という男は何故か自分に対してやたらと甘く優しくしてくれる。
 理由はよく分からないが、おそらくずっとお互い天涯孤独で生きて来た身空だったので馬が合ったのだろう……と思っていたのだが、最近、どうやらそれだけではないだろうことが分かってきた。
 自惚れるなんていけない事だと己を戒めてはいたが、遂にそれがどうやら自惚れではないと決定付ける事件が起こった。
 先日、自分がソファーで寝入っていた時に、三日月が優しく口づけを与えてきたのだ。
 面影が眠ったままだったなら、それは三日月の胸の中だけに秘められ、終わった出来事だったのだろう。
 しかし、三日月が口づけを与える少し前に面影が意識を覚醒していたので、その秘密は三日月だけではなく面影とも共有される事になってしまったのだ。
 実はそれからも、面影は三日月の家のソファーでたまに…本当にたまに狸寝入りをしている。
 そして何も知らず寝入っているのだと思い込んだ三日月が再び自分に口づけを与えてくれるひと時を、密かに楽しみにしている。
 誰にも言えない事だが、面影もまた三日月の事を憎からず思っており、そんな行為をされた事で、面影も三日月への気持ちに気付いたらしい。
 らしい…と曖昧なのは、彼本人が恋愛経験など皆無で、自分でも気持ちの理解がまだ出来ていないからだ。
 三日月と同じく天涯孤独の身の上とは言え、こちらは何の力も地位もない底辺と言っても過言ではない一個人。
 対して三日月はどうやら世界的にも有名な人物で、その財も相当なものらしい。
 しかもあの美貌……あの姿で迫られたらどんな女でも、男でも、一も二もなく誘いに応じる事だろう。
 それを可能にさせる程に、彼という存在は人間離れしていた。
 故に、そんな現人神の様な男が自分と釣り合う筈がないと思ってもおかしくないだろう。
 三日月の優しさはきっと嘘偽りではない。
 けれど、そんな優しさを果たして自分が享受しても良いのだろうかと思い悩む自分が心の中にいる事も確かで、それでもはっきりと相手に気持ちを確かめる勇気も出せず、罪悪感を抱えながら今のこの状況になっている。
(昨日の事は、勝手に動揺した私にも責任があるからな………顔を見たら取り敢えず謝らないと…)
 何処にいるのだろうときょろ…と辺りを見回してみると遠くの部屋から物音が聞こえて来た。
(…浴室? あ…)
 浴室から聞こえてくる音に、面影は直ぐに相手が浴室で汗を流しているのだと悟った。
 しかし水音は聞こえなかったので、おそらくもう脱衣所に移動しているのだろう。
(丁度良い、昨日買っていたシャンプーの…)
 昨日、幾つかの雑貨を購入していたのだがその時は他にもやる事が立て込んでいて、それらを一時、収納棚に入れていた事に気が付いた面影は、シャンプーの予備を手にして浴室へと向かった。
 三日月がいるなら丁度よい、これを収納しがてら彼に昨日の事を謝ろう。
 幸い、水音が聞こえないという事は、もう身支度も整っているのだろうし……
 思えば、この時の面影は本当にうっかりしていたと思う。
 水音が聞こえなかったら、相手がもう着替えを済ませているとは限らないのだ。
 そう、例えば、今、この時の三日月の様に………
「ん?」
「え?」
 脱衣所に通じるドアを開いた面影と、シャワーを浴びて浴室から出て『間もない』三日月の視線が絡み合う。
 せめて三日月が備え付けのバスタオルで腰を覆ってくれていたら良かったのだが、残念ながら今の彼はタオルで濡れた髪の水分を拭き取っている最中だった。
 だから、面影は全く、何も、下心皆無だったのだが、結果として……見てしまったのだ、三日月の全裸を。
「う………っ」
 自分の視界に飛び込んで来た予想外過ぎる光景に、面影は絶句する。
 直ぐに目を逸らすなりドアを閉めるなり、何らかの行動を起こせば良かったのだろう。
 しかし、目に入ってきた三日月の裸体に、面影は図らずも見惚れてしまったのだ。
 服に隠れていた彼の肉体は、正に生きた美術品と呼ぶに相応しいものだった。
 無駄な脂肪など一切無い均整の取れた肉体…
 一見細い四肢だが、そこに付いた筋肉はがちりとした固さを備えているだろうと、見るだけでも直ぐに分かった。
 体幹も四肢と完全にバランスが取れており、腹筋もしっかりと割れていて、普段ずっと引き籠っている男の身体とは思えない。
 身体の中心については、流石にいけないと無意識下の意識が働いたのか、かろうじて視界に入れる事はなかったが……ぼんやりとは捉えてしまった…かもしれない。
 兎に角、ドアを開けて一秒未満の後、生身の芸術品の魔力からようやく意識を解放された面影は………
「うわあぁぁぁっ!!!!」
 らしくもなく大声を上げながら、面影はドアを勢いよく閉めてそのまま背を向けた。
『………面影?』
 ドア越しに聞こえてくる三日月の声には裸体を見られた怒りなどなく、純粋な戸惑いだけが含まれていた。
 まるで昨夜の二人と同じだった。
「す、す、す、すまないっ!! その、覗くつもりじゃ…わざとじゃなくて…っ!!」
 落ち着こうと思えば思う程に舌が上手く回らず、言葉が出てこない。
 それでも何とか最低限の謝罪と弁明をしたところで、ドアの向こうから聞こえてきたのは実にあっさりとした返事。
『?………うん、分かっているが』
「……………」
 向こうの冷静さがドアを通じてこちらにも伝染してきた様に、すぅっと面影の脳内も冷えていく。
 よくよく考えてみたら、同性同士、見知っている知己同士、浴室で裸を一瞬見ただけで何を騒ぐ必要があると言うのか……
 それだけで騒ぐなら、世の中に銭湯など存在しないだろう。
 それなのに、どうして自分がこんなに動揺してしまったのか………
(あぁ………拙い)
 こんなの……自分が勝手に相手の事を『特別』として見ていたという事じゃないか……
「す、まない……ちょっと、動揺してしまった」
『分かっている。俺も驚かせてすまんな、直ぐに着替える』
 いつもの優しく、涼風の様な口調の男の台詞に、却って面影の方がいたたまれなくなる。
 違う、三日月が謝る必要なんて何もないのに………
「いや、お前のせいじゃない、私が勝手に慌ててしまっただけだ」
 それから面影はその場を去る気にもなれず、三日月が着替えて出て来るまでずっとその場に留まっていた。
 そして、無地の白のシャツとデニムパンツを纏った男がドアを開けて出て来ると、無言でその前に立っておず、と不安げに見上げる。
「か、勝手に騒いですまなかった」
「…………いや」
 微妙な沈黙の後で、三日月はゆっくりと首を横に振ると、ぽん、と手を面影の頭に置いた。
「お前にしては珍しいうっかりだったな。俺は別に気にしてないから、お前も気にするな」
「………ああ」
 これ以上自分が気にすると、きっと三日月もいつまでも気に掛けて心配させてしまう。
 ここは反省はしっかりして、これで終わりにするのが最適解だろう、けど……
「……なら、せめて今日はお前の好きなものを作るから」
「おお、それは棚ボタだな。たかが俺の裸一つ見せたぐらいで…」
「頼むからそれ以上言わないでくれ…」
 ぐったりと朝から憔悴してしまった面影に、再びぽんぽんとその頭を慰める様に叩いて、三日月はわかったと笑った。
「正直、お前の好物を作ってほしいぐらいだが………今は少しはマシにはなったが、此処に来たばかりの頃のお前、随分と痩せていたから心配していたのだぞ」
 そんな当たり障りのない返事を返しながらも三日月が考えていたのは………
(………全く、昨日からどれだけ俺を夢中にさせれば気が済むんだ)
 昨夜の「添い寝」発言からの、あの真っ赤な顔に、「知らないっ!」と照れながらも拗ねた台詞……
 あの時、一杯一杯だった面影は決して気付いていなかっただろうが、こっちは本気で鼻血を噴くかと思った、それぐらい、あの時の面影は魅惑的だった。
 正直、添い寝してほしいと言ったのも冗談ではなく隠れた本気だったのだが、まさかあの発言が切っ掛けであんな可愛い一面を見る事が出来るとは……
 それに、今日の浴室での予想外の形での遭遇でも、まるで初めて男性を見た時の乙女の様な慌てぶりに、怯えた様に見上げて来る姿……確実にこちらの情欲を煽って来た。
 しかも、さっきの反応は………
(……意識、しているだろう? なぁ面影……)
 只の男友達同士なら、あんな過剰な反応を返す筈がない。
 あれだけ動揺しているという事は……つまり、多少なりとも自分を只の知己以上には思ってくれているのだろう。
 少しずつ少しずつ、面影も気付かない内にゆっくりと彼の心に入り込んでいったのが、ようやくここに来てその成果が現れてきた様だ。
 この世界で再会した時の若者は、殆ど感情と光の籠っていない瞳に痩せぎすの身体で、只生きてさえいれば良いと考えている様な風貌だった。
 自分なりに最速で雇い入れる形で保護し、衣食住を充実させてやり、世話をしてもらうという建前で、実は自分もしっかりと相手を見守っていた。
 徐々に徐々に生気を取り戻していくにつれて表情が活き活きと輝きだし、眩い程の笑顔が向けられる度に得難い充足感が得られていたのだ。
 それは正に、土壌を耕し、種を撒き、水をやり、大事に育てる様にも似ていたが、そろそろ収穫するのも近いだろうか?
 その為にこっそりと仕掛けた『企み』にも、どうやら気付かずに掛かってくれている様だし……
(ああ……可哀そうに……本当に可哀そうになぁ………こんな俺に見初められてしまうなんて)
 こんな執着が酷い男に前世から纏わりつかれるなんて、何て不幸なのだろうな、お前は……
 しかし、もう離すつもりは無いのだ、どんな手を使ってでも。
(案ずるな。俺の傍に居る限り、そんな不幸に気付く暇もないほどに、お前を幸せにしてやろう)
 密かに、危険な程に深い愛情に満ちた誓いを心で呟きながら、三日月は面影を見つめていた………






 その日の夜……
「はぁ………」
 その日の業務を恙無く終え、自分の家に戻って入浴した身をベッドに横たえたところで、面影はいつもより大きい溜息を吐き出した。
 身体を横にした時のそれは普段の癖の様なものだが、今日のには達成感よりは寧ろ余分な疲労感が滲んでいたのは否めない。
(……疲れた………自分の所為、だけど)
 仰向けだった身体をころんと横に向け、今日の出来事を何ともなく反芻する。
 勿論、今日一番の大事は、あの浴室でもアクシデントだった。
 幸い、三日月が本当に軽く流して対応してくれて、その後のやり取りもいつも通りだったので、自分も余計に気を揉まずに過ごす事が出来た。
 確かに同性同士のちょっとした出来事、と思えば何という事もなかったのだが、そう割り切る事が出来たのは、やはり相手の態度のお陰だったのは間違いない。
 そういう所を考えても……
(……やっぱり、三日月は……私に甘過ぎる)
 わざとではなかったとはいえ、あんな失態を犯してしまった自分に………
(……ふ、不可抗力だし、三日月に気を遣わせる訳にもいかないし…もう、忘れよう、忘れ………)
 忘れなければ、という意志が逆にその忘れるべき対象を思い出させてしまうのは皮肉な結果だった。
「……っ」
 脳裏に、不意に、ふわんと浮かぶあの時の三日月の姿。
 永きに渡る歴史の中で万人を魅了し続ける美術品の様に、あの男の姿もまた自分の心を捉えて離さない、離してくれない。
 いや、生命を持たず無機質な美術品より、血が通い心地よい熱を持つ彼の方が余程………
(駄目だ、忘れなきゃ……!)
 ばふっと軽い音をたてて掛布団を顔の下半分まで被り、首を振りながら浮かぶ光景を掻き消そうとするも、逆に消そうとする度に浮かんでくるのだから手に負えない。
 すっと流れる様な鎖骨に引き締まった上腕二頭筋、一見薄いと見えていた胸板も実はしっかり筋肉が付いていて厚いのが分かった。
 あの胸と腕に抱かれたらどんな心地なんだろう……
「っ!!!」
 不意に浮かんだ不埒な疑問から連想される、強欲過ぎる光景……
『面影………』
 甘い声で名前を呼んでくれた男が、優しく、しかし離さない強引さも備えた腕で自分を抱き締め、胸の中に拘束している。
 そこでは二人ともが一糸纏わぬ姿で微笑み合っていて、それはまるで愛の営みを交わす前の男女の様な睦まじさにも見えた。
 彼が誰かを抱く時、その身体を重ねられた相手はどれだけ幸せな事だろう……
(うそ……ちが…っ)
 どうして…三日月に抱かれている相手が自分なんだ……!
 普通、こういう時に思い浮かぶのは異性だろう、顔とかまでは想像出来ないまでも……!
 そう考え、一瞬思考に倣って相手の存在を思い浮かべてみたが、どうしてもそれが出来なかった。
 浮かべようとしても何故か思考が、脳が拒否する様に誰の姿も隣に立たせる事が出来ず、必死に努力している面影を嘲笑う様に再び面影本人の姿を浮上させてくる。
(違う…違う…違う……!)
 頭を抱える姿で呻くような声を上げる面影の脳内では、どんどん妄想がヒートアップしていく。
 抱き合っていた三日月が口づけを顔の至る所に降らし、それはあれ程までに待ち焦がれていた唇にも与えてくれて……
 その一方で優しく髪を梳いてくれる長く細い指は徐々に下へと移り、頬を撫で、首筋を滑り、そのまま背中をなぞりながら前へと移動する。
 実は、密かに気にしている薄い胸板を指の腹で撫で回して、やがてそれは小さな突起にも……
「っ………」
 そこまでの想像が勝手に進んでいく以上、最早、面影は認めるしかなかった。
 自分は、あの美しい男性にキスだけに留まらず、それ以上の関係になりたいと願っているのだ。
 友情を感じる事ですら恐れ多い身の程知らずだと思っていたのに、そんな関連性などすっ飛ばす程の欲望を抱いている。
(……三日月……ご、めん…)
 酷い事をしていると思う、とても酷い事を。
 あの人の見たばかりの裸体を、まさか同性の自分が劣情を満たす贄にしようとしているなんて…
 しかし、自分はもう見てしまったのだ、あの完璧な肉体を。
「ん……」
 する…と自身のパジャマの下衣の中へと手を差し入れ、下着越しに己の分身に触れると、既にそれは熱を孕みつつあった。
 布越しに触れるだけでじん…と快感の波が生じ、広がっていく。
(……何故、こんなに感じて……)
 今更、思春期の男子の様に初々しく振舞うつもりはない、既に成人後の男性なのだから、こういう行為は別に初めてではない。
 しかし面影にとっては自慰もどちらかと言えば作業の様なもので、頻度も決して多くはなく、これまで女を抱きたいと願った事もないので性的欲求は少ない方だと思っていた。
 だから、今の様に気分が高揚し、それに乗じて身体がここまで熱くなるのはこれまで無かった。
 感じている熱の理由は言うまでもない、脳裏を支配しているあの男の裸体が、自分の性的興奮を煽っているからだ。
「三日月………」
 ふと無意識の内に相手の名を呟くと、声に乗せられたそれを耳にした瞬間、更にぞくりと背筋に戦慄が走り、下着の中へと移動した手が止まらなくなる。
「んん……っ……あ……っ」
 ちゅくっ……ちゅくっ……ちゅくっ……
 男性の茎を握り込み、急いた動きで激しく扱く。
 普段はもっと緩やかに、徐々に高めていくのが慣れたやり方だったのだが、三日月を想いながらの自慰は罪悪感にも追われてしまい、せめて早くそれから逃れたいという良心が面影を追い詰めていた。
 そして理由はもう一つ……『彼なら』より強く、自分のものを扱いてくれるだろうという想像から来る疑似行為だった。
(まさか……私が……)
 男性にこうされる事を、想像してしまう程に望んでいるなんて……と考えたところで、小さく頭を振って訂正する。
(違う………三日月…に、だけ…)
 男性なら誰でもいい訳じゃなく、三日月だから…三日月だけに触れる、触れられる事を望んでいる……

『面影……とてもいやらしい顔をしている……』

「は、ぅ……っ」
 三日月の事を考えると、彼がこちらを間近の距離で覗き込みながら意地悪な笑みを浮かべ、煽りながら分身を苛めてくる姿が浮かんでくる。
 そんな思考に連動する様に、手の動きが更に速まり、水音が大きく聞こえてくる。
 手にした剛直もむくむくとより一層大きくなり、固くなり、熱くなり、ぐちゃぐちゃに濡れてくる。
「あぁ…っ……あぁっ……み、かづき……」
 最早、面影の脳内で自分の分身を嬲っているのは自分ではなかった。彼だった。
 そして、今の面影の楔も何者かに突き立て征服する為のものではなく、空想内の男によって可愛がられ、女の様に啼かされる為のものだった。
「ん……っ!!」
 より生々しい、三日月の手指が分身を可愛がってくれている光景を想像し、面影の身体がぶるっと強く震えたかと思うと、あっけなく肉楔は欲望の白濁液を噴き上げた。
 熱い迸りが一度、二度、と掌を濡らし、穢していくが、面影にとってはどうでも良かった。
(あ…ああっ…三日月……いい……っ)
 ここに三日月はいない…思い描いているのは仮想の相手………なのに、一瞬だけでも相手に達かせてもらったという幸福感で、とろんと蕩けた表情で快楽に浸る。
 この快楽の波が引いていけば、ベッドに在るのは我が身一つだけ。
 きっとこの身の熱が引いていけば頭も冷えていくだろう。
 そうしたら、きっとこの幸福感の代わりに空虚感が胸を満たしていくのだろう。
 その虚しさは、本物の三日月だけが払ってくれるのは分かっている。
 けれど………
(三日月………)
 きっと、あの美しい者の前に立てば縋る勇気も持てずに、いつも通りの顔をしていつも通りの対応をするしかないのだろう。
 既に虚しさに囚われ始めながらも、今の胸の内の温もりを少しでも長く留めようとする様に面影は身体を丸めながら目を閉じ、ゆるゆると夢の世界に落ちていった………