「三日月は、いつも予定を知らせてくれるな」
「うん?」
ある日、二人でいつもの様に朝食を摂っている時に何気なく面影がそう話しかけてきて、三日月は箸を持つ手を止めると相手へと視線を向けた。
面影はその時にはもう次のおかずを口に運んでいる最中。
因みに今日の朝食は、白米にお味噌汁にアジの開き、納豆、だし巻き卵という完璧な和食スタイル。
三日月の好みが洋食より和食なので、朝はこのパターンが多いのだ。
「どうした? いきなり…」
「いや、ふと思っただけなんだが…」
食べていたおかずを呑み込んでから、面影が思い出す様に斜め上へ視線を移しながら答える。
「その日の予定を思い返す時に、そう言えばお前の都合が分からなくて困ったことは無かったな、と思って…急に買い物に行ったり、部屋を空けないといけない時には割と助かるんだ」
「ああ……そういう事か」
三日月の家に家政夫として勤める様になってから、いつの間にか面影の日常のルーチンとして三日月本人から彼のその日の予定と、その日やってほしい家事の内容を聞く事になっていた。
勿論、本日の予定も既に聴取済み。
尤も、三日月が面影に何かを希望する事は滅多になく、その時の口癖は毎回『お前のやりやすい様にしてくれて構わない』だった。
給金も破格の条件で、家政夫側から見ても非常に有難い雇用主だと思う。
しかし、思い返してみたら、最初の頃はこんなに詳細に三日月の都合を聞いていた様な記憶はない。
何か切っ掛けがあっただろうかと思い返してはみても、面影に思い当たる記憶は一切無かった。
「報連相は円滑なコミュニケーションを行う上でとても重要だからな……流石、三日月だ。私も、怠らない様に見習わないと」
「……………」
曇りなき眼で見つめながら感嘆の弁を述べる面影に対し、何故か三日月は微妙な表情を浮かべつつ、そっと視線を外している。
男のそんな反応でも、きっと褒められた事で照れているのだろうと察した面影は特に追及する事もなく、そのまま朝食を食べる事に集中する。
(報連相………久し振りに聞いたな……)
ずず……とみそ汁を啜りながら、こっそりと三日月は過去の自分を思い出す。
実は、三日月には前世の記憶が残っている。
過去の三日月は刀剣の付喪神という奇異な存在として、此処とは異なる時空に生きていたモノである。
『三日月宗近』
天下五剣と謳われる刀剣の五振りの中でも最も美しいと呼ばれていた刀。
その様な謂れを持つ刀の人形もやはり人智を超える程に美しい事を、今の彼の姿は十分に証明していた。
あの時空では他の刀剣…いや、その時人形として存在していた自分達は『刀剣男士』と呼ばれており、敵となる存在と刃を交えて火花を散らしていた。
そして面影は知らない……いや、覚えていないのだが、そんな刀剣男士の中には実は彼も居た。
その時空でも三日月宗近の隣に立ち、心を寄せ、共に戦場を駆けていた。
転生後の面影には、前世の記憶がほぼ欠落しており自分との事も覚えていないらしい。
残念には思うが、過去は無くても未来があれば生きていくには十分だし、記憶がなくてもこれから自分と共に生きていってくれたらそれで構わない。
しかし時折、相手の双眸の奥に昔日に見た光を覗き見る事もあるので、完全に記憶が消去された訳でもないのかもしれない。
(昔は、それが出来ていないとよく叱られたものだが………)
過去の自分は、正直、報連相が出来ていた方ではなかった。
大きな事案の裏側でこっそりと陰で動き、自身が傷つく事になっても本丸の被害を最小限にする為に尽力していたが、それがばれる度に周りの刀剣男士達からきっちりと叱られたものだ。
『君ねぇ! もう少し周りに言うべきことは言わないと僕らが困るんだよ!! 前回の襲撃時の反攻についても! 勝手に飛び出していった囮問題についても! ちゃっかり棚の奥に置いてた化粧箱から抜き取った落雁についても!!』
最後のつまみ食いに対する糾弾が一番声量が大きかったのは未だに解せないが……
別に仲間達を信用していなかった訳ではないし、過小評価している訳でもなかった。
寧ろ、皆が大事だったからこそ、だ。
正直、自分はそれなりに長く生きてきた存在でその分の経験と強さがあるので、それを武器として有効利用しただけだったし、この世に存在してきた時間の長さからも、一番先に折れるのは自分であるべきとも思っていたが、それで周りの仲間達が『左様ですか』と納得する訳もなく………
(あの時の正座は少々辛かった………)
多くの仲間に囲まれながら、きっちりと締められたのも懐かしい記憶…まぁ今は良い思い出である。
本丸に面影を迎えてからは、彼の叱責が何より効いたので多少大人しくはなっていた。
しかし、今生に転生後、面影に対する報連相を徹底させるようになったのには別の理由があった。
面影を家政夫として迎えて暫くの後……
「面影………っと、そうか…」
その日の午前中、久しぶりに書斎から出て来た三日月はついでに飲み物を何か貰おうと面影の姿を探したのだが、目当ての者の姿が見当たらず、そこで彼愛用のショルダーバッグが壁掛けフックから無くなっている事から朝の会話を思い出した。
『昼前にちょっと買い物に出る、直ぐに戻るから、仕事に穴を開ける事はない』
そんな事を言っていたな…と思い出しつつ、三日月は冷蔵庫に近づいて扉を開け、中に入っていた麦茶ボトルを取り出す。
家事等については全くの無精者ではあるが、流石に自身の飲み物を調達する程度は問題なく、それから彼はコップにそれを注いで口に含む。
(そろそろ昼か…)
一人だけだと手持ち無沙汰になるな、と特に深く考える事もなく、三日月はリビングのテレビの電源を付けてみた……のだが、そこで彼は今日一番に度肝を抜かれる事になる。
「~~~っ!?!?!?」
思わず口に含んでいた麦茶を噴き出しそうになったところでかろうじて未然に防ぐが、残念ながらその煽りを受けて気道に麦茶が逆流してしまい、かなり激しく咳き込むことになってしまった。
が、そんな苦悶の表情を浮かべている男の視線は、それでもテレビ画面から外される事はなかった。
「お……も、かげ……!?」
そこに映っているのは、外に買い物に出ている筈の面影本人だった。
彼の背後に映り込んでいる街並みは自分にもよく見覚えがある近所の商店街の一角だ。
画面端のテロップに『生放送』とある事から、どうやら、今、面影は買い物途中で番組のクルーに捕まってしまっているらしい。
面影は普段……これは前世もそうだったのだが、非常に控え目で目立つ事を好まない男だ。
だから、面影が自らそのクルーやカメラに近づいていったとは考えられず、寧ろ、番組側が丁度外を歩いていた彼を半ば無理やりに引き留め、インタビューを敢行しているだろう事が窺えた。
その証拠に画面越しの面影は明らかに戸惑い、困惑する表情を見せている。
(…………潰すか)
非常に物騒な事を心で呟きつつも、三日月は即座にリモコンを取り、ちゃっかりと今の番組を録画するべく録画ボタンを押していた。
三日月は本来、非常に温和で優しく、懐の深い達観した人となりである。
それは千年以上この世に存在してきた故の刀生経験からなのかもしれない。
事実、前世でも彼は常日頃からのほほんと大らかに構えており、口癖のように『俺はじじいだからなぁ』と嘯いては周りのペースなど関係なく、縁側に座って緑茶を啜るなどしていた。
そんな彼が例外的に豹変する『引き金』が、実は面影なのである。
全てのものに必要以上の興味を見せる事のなかった三日月だったが、面影についてだけは狂気を孕む程の執着を見せ、惜しみない愛情を示し、彼を傷つける輩には一切の容赦なく刃を振るった。
そしてそれは今生でも……
今の面影の姿を録画する行動もそうだし、彼を困らせた上に多くの人の目にその姿を晒してくれた番組か、それを支えるスポンサーに対してなのか、やたら物騒な事を心で呟く行動についても然り、だ。
『すみませーん、今日はお仕事お休みですか? 随分ラフな格好ですけど!』
『え、あ……まぁ、只の買い物で…』
『そうなんですね! 今、若者の恋愛観についてアンケートしてて…』
「……………」
本気で番組側の会社を一つ二つ潰してやろうか…と考えていた三日月だったが、インタビュアーの女性の台詞にぴく、と肩を揺らす。
恋愛観? 今の面影の?
正直、それには大いに興味をそそられた。
前世では心を通わせていた相手だが、転生後の今は実はまだ恋人同士にもなっていない。
無論、自分は直ぐにでも相手を生涯の伴侶として迎えたいのだが、人の心はままならないもの、という事も知っている。
前世からの流れで、あっさりと相手が自分の気持ちを受け入れてくれると都合良く考える程楽天的ではない。
だから、今の面影が恋愛についてどう考えているのかを知れる今の機会は、願ったり叶ったりなのだ。
軽い気持ちで見たテレビだったが、気を取り直して身体をそちらへと向け、インタビューの続きに集中する。
『ご職業は?』
『……ええと………ハウスキーパー…家政夫の様なものを…』
『家政夫!? お若い様ですが、何処か企業に登録を?』
『いえ……個人的な契約で』
インタビュアーの圧に圧されながらも、面影が思案しながら最低限の情報のみを選択して答えている事が分かる。
もし個人契約ではなく企業繋がりだったら、今頃番組当てに電話が殺到していただろう…そこは難を逃れてラッキーというべきか。
『恋人はいらっしゃるんですか? 貴方が家事が得意という事でしたら、もしかしてお相手はバリバリ働くキャリアウーマンとか?』
「…………」
そんな奴がいてたまるか…と言いたげな表情で画面を見つめながらも、三日月はほんの少しだけ不安になる。
出会ってからまだそんなに時間は経過していないのだが、その中で相手には恋人の影は無かった……筈。
しかしまだそれ程親しくもない関係なだけに、もしかしたら向こうが恋人の存在を知らせていないだけなのかも………
らしくもなく落ち着かない様子で、テレビを凝視している三日月の心中など露知らず、質問を受けた面影はあっさりと首を横に振って否定してみせた。
『いや、いないが…』
『ええ!? こんなにイケメンなのに!? 何だか勿体ないですね』
ノイズの様に聞こえてくるインタビュアーの声は無視しつつ、面影の無味無臭の返答に三日月は安堵する一方で少しだけ残念に思った。
まだ出会って大した時間は経過してはいないし、前世の記憶も残っていない面影にとっては、自分はまだまだ友人どころか知己程度にしか思われていない。
このままで終わるつもりもないのだが、やはり今の二人の心の隙間を見せつけられた様で、胸に一抹の寂しさが過る。
『家政夫というお仕事なら、拘束される時間も長そうですね。恋人も作りにくいんじゃないですか?』
恋愛についてのインタビューなのだから自然とそういう流れになっていくのだろうが、面影はやはり自分に縁遠い話題と考えているのか、困惑の表情を浮かべたままだった。
『いや……今は仕事が楽しいから、恋人とかあまり興味なくて………』
『あらそうなんですか? 残念……では、仮に貴方に今、恋人がいるとして、もしその恋人が浮気をしていると知ったらどうします? 許しますか? それとも別れます?』
実際に恋人がいないならもう解放してやれば良いだろうに…と思いつつ、その質問についても興味を示した三日月が面影の返答を待つ。
下手な知己である自分が同じ質問をするより、無関係の人間からの問いの方が、忌憚ない返答を聞くことが出来るかもしれない……
『うわ、き………?……』
眉を顰めて考えている若者に、インタビュアーが助け舟を出す。
『イメージ出来ないなら、一緒にいて楽しい人とかいませんか?』
『楽しい………あ、なら……今の雇用主…かな。多分、そんなに年は離れてないと思うけど……一緒に居ると妙に落ち着くと言うか…』
『へぇ、意外と若い人なんですね、てっきりご高齢の方かと……なら、その人が貴方より仲が良い人を家に連れてきたところを想像してみて下さい』
「…………」
すぅ、と三日月の纏う空気が一気に冷たくなった。
一緒にいて楽しい、と言ってもらえた瞬間には、花弁が周囲に散っているかの様に暖かな何かが胸を満たしていたというのに。
(俺より、仲が良い…だと?)
そんな事…面影以上に懇意になる人物など自分にとっては存在しないのと同義なのに、甚だ不本意だ……しかもそんな負のイメージを面影に与えるなど……
『……んん…』
インタビュアーのアドバイスにそのまま従ったのか、面影の視線が斜め上の虚空に向けられ、彼は少しの間沈黙していたが視線を元に戻したところで、言った。
『出て行こう、かな』
とす…っと切れ味の良い刀に胸を貫かれた様な錯覚を覚え、三日月がその場で立ち竦む。
面影を失う事を何より恐れている男がその可能性を本人から言及されたのだからやむを得ないかもしれないが、それでも普段から冷静沈着なこの男にしては珍しい狼狽振りだった。
『出て行く……と言うと、実家に帰らせて頂きます的な?』
『いや……その人と過ごす方が快適なら、私は邪魔でしかないので………あの人の性格なら私にそれを伝えるのも心苦しいだろうし、そういう気配があればこっそりと消えようかな、と…』
別に怨恨や憎悪という負の感情で別離を選ぶのではなく、相手の幸福を後押しする意味で消えるのだという断りを入れた後、面影は重い決断をしているものの、それをまるで感じさせない笑顔で付け加えた。
『生来、物には執着しない方で持ち物も少ないし。幸い、バッグ一つあれば直ぐにでも出て行けるので後を濁す事もないだろう。置手紙ぐらいは残すと思うけど…世話になった礼もあるし』
潔すぎる返答に、はぁ……と生返事を返すしかないインタビュアーの反応など、最早目にも入らない様子で、三日月はじっと画面を凝視していた。
(何も言わず………消える?)
俺に断りなく……?
「…………」
肌に触れなくても、全身が冷えていくのが分かった。
どんな相手であっても怯まず恐れなかった三日月が、今は顔を真っ青にして、手に持つコップの中の麦茶には小波が立っている。
激しい動揺の中、床にそれを落とさなかったのはせめてもの幸いというべきだろう。
(……間違いない……あいつは確実にやる…)
インタビューという事で本音を晒さず精一杯の強がりで同じことを宣う人間もいるだろう。
捨てられる立場になっても、自尊心が邪魔をして縋る事が出来ない者が、自分から相手を見限ってやるのだと嘯く話も腐るほどある。
そういう人間ならばまだ懐柔する余地もあるだろう、しかし、面影のあの態度はそれとはかけ離れており、本気で自分が離れた方が相手が幸福でいられるなら、それを実行するのに躊躇いは持たないだろう。
『あの人と懇ろな仲の様だな』
『私がいたら、邪魔になりそうだし……』
『取り敢えず、自分だけでも生きていけるし……出るか』
こちらの行動に不明な点があれば、そしてそれらが重なれば、面影にどの様な誤解を生むか分からない。
向こうが尋ねてくるならまだ弁解の余地はあるだろうが、控え目な性格の彼の事だ、ある程度静観して自分で「そう」と判断したら、次の日には置手紙一つ残してそのまま……
「…っ」
自分が想像した未来に、思わず身体を震わせる。
絶対に、絶対に、忌避しなければならない未来に。
これまでの、いや、前世からの付き合いからも分かっていたが、面影は前世も今世も自己肯定感が異常に低い。
もし一度でも、自分が相手の邪魔者になっていると判断したら、次の日には忽然といなくなっているかもしれないのだ。
最悪そうなったとしても、持てる財力等があれば彼を再度見つけ出し、連れ戻す事は可能かもしれない。
しかし、一度罅割れた人間関係はどんなことをしても完全に元に戻すことは叶わない。
心と心の隙間をどんなに詰めようとしても……
『私などに義理立てしなくても良いのに』
いつもの優しい笑みは浮かべてくれるかもしれないが、二人の間には見えない壁が存在し続けるだろう。
それは、それだけは、絶対にあってはならない事だった。
思案に耽っている間に番組は終わってCMに移っていたが、もう三日月の視線がそちらに戻る事はない。
(……面影に疑われるのは俺の本意ではない)
では、どうしたら良いか?
三日月が出した結論は実に単純明快だった。
それが、面影からも褒められた『報連相』の徹底という訳だったのだ………
(………別に、疑われる様な事はしないし、他の誰かとよろしくやる気などないがな…)
疑念を持たれるような行動をしなければ、少なくとも面影の出奔は避けられる。
ならば、自身の行動について予め詳らかに示しておけば、向こうも変な勘繰りを起こす事もないだろう。
「三日月?」
「…ん、なんだ?」
昔に思いを馳せていたところで面影に呼び掛けられ、三日月がそちらへと視線を向けると、何処となく不安げな様子の相手と視線が交わった。
「しっかりと連絡してくれるのは有難いが……何も全部知らせてくれなくても良いぞ? その……お前にもプライベートというものはあるだろう? 私に知られたくない事も…」
面影の申し出に、三日月は苦笑して首を横に振った。
「お前に知られて困る事などない。と言うよりは、お前には俺の事を知っておいてほしいからな」
信頼を言葉として示された事で、面影が面映ゆそうに小さく笑う。
「それは……嬉しいことだが」
『…それに、お前を手放す訳にはいかない』
「え?」
最後に囁いた一言は、面影には聞こえなかった。
前世でも仲間たちに色々と言われ続けていた己の悪癖(?)が、まさかこんな形で是正されるとは、誰もが夢にも思わなかっただろう。
面影もまさか、自分が受けたインタビューが、目の前の男の行動にここまで影響を及ぼしたとは考えてもいないだろう。
(さて、もし真実を知ったら、お前はどんな顔をするのかな……?)
いつか、この男が恋人になってくれた時に真相を話す時が来るかもしれないな、と思いながら、まだ不思議そうな表情でこちらを見つめている若者に、三日月は『内緒』と言う様に人差し指を口元に立てて、悪戯っぽく笑った…………