花の心





「あ………」
 その日、買い物帰りに面影が馴染みのプロムナードを歩いている時だった。
 不意に彼の足が止まり、その視線が少し先の花屋に留まる。
 そこには、花桶に入れられた鮮やかな色の様々な花が見事に咲き誇り、通行人たちの目を引いていた。
 普段なら何事も無く通り過ぎる場所で、今日、足を止めたのには訳がある。
(……へぇ、リニューアルしたのか…)
 そう、先日此処を通ってた時とは明らかに店構えが変わっており、今までは店の奥に置かれていた花桶が全面的に店先に整然と並んでいたのだ。
 その結果、鮮やかな花々の色が自然と通行人達の視線を集め、その流れで彼らの足を店へと向けさせるという集客効果をもたらしていた。
 面影が見ている今も、彼の先を歩いていた女性が、歩道から逸れて花屋への方へと足を向けているところだった。
(………花、か)
 そう言えば…と面影は今自分が住んでいる部屋の様子を思い出す。
 現在、自分は三日月宗近という男性から家政夫として雇われている身だが、最近、少しだけその状況が変わり、家政夫であると同時に彼の恋人という位置づけになっていた。
 そういう事から、元々彼の部屋での滞在時間は長かったのだが、最近はよりその傾向が顕著になってきている。
 肉体関係はまだ持っていないので寝る場所こそ各々の部屋でと別々になってはいるが、他の時間帯はほぼ三日月の部屋に入り浸っている状態なのだ。
 これは別に面影が押しかけている訳ではなく、面影を極力手元に置いていたい三日月がそう願っているからである。
 面影としても、別に必要以上に拘束されている訳ではなくある程度の自由は保証してもらっているし、そうした方が相手の部屋の掃除など、家政夫としての仕事を充実させられるという面もあったので、さして抵抗もせずに受け入れていた。
 三日月も面影も物欲は薄い方で、二人の部屋のどちらもが必要最低限の物しか置いていない、割とさっぱりとしたレイアウトになっているのだが、今、面影が改めて三日月の部屋のリビングなどを思い出したところで、ふと気が付いた。
(そう言えば………花を飾ったりとか…そういう事にはあまり気が向いていなかったな)
 これは盲点だった。
 つい機能性を重視しがちな自分の性格もあり、拭き掃除や掃き掃除にはかなり注力していたが、居住空間の中にそういうアイテムを置く事には思い至っていなかった。
(……不要…と言えば不要とも言えるけど…)
 花を飾っていなくても、別に生活には困らない……が、そういうものが心に僅かでも安らぎをもたらすものであるという事も知っている。
 気が付けば、面影も足を止めて、花屋の店内を外からじっと見つめていた。
 その視線が店内から改めて外へと向けられると、並んだ花桶の向こうに、さり気なく置かれているブラックボードに気が付いた。
 ポップな色で描かれた花束のイラストの下に、何かの文が付記されていた。

『大切な人へのプレゼントに花を贈りませんか? 今ならリニューアル記念にシークレットプレゼント差し上げます』

(…へぇ)
 今、花を購入したら何かの粗品が付いてくるらしい……改装した店ではよくあるサービスだ。
 それを読んで、面影は首を傾げ、口元に手を当てて考える。
 おそらく粗品は店名が入ったボールペンとかそういう類のものだろうが…………
(……大切な、人、か)
 思い浮かんだ一人の男は、花は好きだろうか……?
 いや、特に嫌いという訳ではないだろう……では、贈っても迷惑にはならない筈だ。
 普段から彼にはいつも優しくしてもらっているし……今日は特に何の記念日でもないが、日々の感謝を伝えるには良い機会かもしれない。
 下手に残る物を贈ったら相手の趣味に合わなければ逆に困惑させる事になるだろうけど、美しい花々なら……少しなりとも彼の心を癒してくれる筈だ。
 既に店内に入った女性が丁度店の外へと出て来たところで、入れ替わりに面影が中へと入る。
 OLらしい出で立ちをした彼女の手には、ピンクの包装紙に包まれた一輪の赤いガーベラが握られていた。
「いらっしゃいませ」
 中では若い男性が緑のエプロンを付けて接客をしている。
 奥には数人の女性スタッフが居て、彼女達は忙しなく手を動かし、ブーケを作成しているところらしい。
 よく見ると、店の奥にもまた多くの花々が陳列されており、その間の細道に立っていた客達がそれらを見ている。
 どうやら、ブーケが出来上がるのを待っている先客らしい。
「花をご希望ですか? どの様なものを?」
 どの様な、と問われて、自分が思い付きで入店した事に今更気付く。
 鉢植えも考えたが、自分は園芸に関しては初心者なので、先ずは花束ぐらいが適しているだろう。
 生ける為の花瓶は……確か、三日月が仕事の関係者から貰った品々を仕舞いこんでいる収納室の中で見かけた記憶があるからそれを使わせてもらえばいいだろう。
 若い男性の穏やかな問い掛けに、面影は客から相手の店員へと視線を移して遠慮がちに答えた。
「ええと、世話になっている人に花束を贈りたくて……」
「成程……二千円以上購入して下さった方にはサービスを差し上げていますが…」
 ああ、ブラックボードに書かれていたシークレットプレゼントか…と思いつつ、面影は特に深くは考えずに頷いた。
 元々それなりの見栄えがする大きさの花束を希望していたので、間違いなくその値段以上にはなるだろう。
 面影にとって重要なのは、粗品ではなく、三日月の手に渡されるだろう花束なのだ。
「お願いします」
「承りました。では……」
 店員は注文書らしい帳面を取り出して何かを書き記すと、面影に周りの花桶に入った花々を仰ぐ様に見渡しながら言った。
「暫く、花を見て回ってお好きなものを選んでください。アドバイスも希望ありましたら受け付けますが、先ずはお客様ご本人で見て頂くということで……ある程度希望が決まりましたらお声掛け下さい」
 成程、そういうやり方なのか…と納得しつつ面影は素直に頷いた。
「分かりました」
 そして、店員に促された通りに面影はゆっくりと店内を歩き回りながら様々な色の花々を見定める。
(……どれも綺麗だ……でも三日月なら、どんな色の花でも似合うだろうな…)
 あの男は本当に美麗な顔立ちをしている……古今で美の定義は変わるものだが、少なくとも現世では誰が見てもその整った顔立ちは人目を引くだろう。
 そんな彼に似合う花……簡単に思えたが、よく考えるとなかなかの難問かもしれない。
「………青…いや、白……?」
 ぶつぶつと呟きながら、面影は真剣に花々を見つめ、三日月に贈る花を厳選していった………


「ただいま」
「おかえり面影………ん?」
 三日月の部屋に帰宅すると、丁度三日月はリビングでソファーに座り寛いでいるところだった。
 玄関から廊下を通り、リビングへと入って来た面影を見遣る彼は、早速彼が手にしていた花束に目を留めた。
 鮮やかな色彩は、それだけでも目を惹くものだ。
 面影が何を手にしているのかを理解したところで、三日月はん?と不思議そうに首を傾げた。
「…何か祝い事でもあったか?」
「あ、いや……」
 やはり、普段から買っていない花をいきなり持ってきたら、そういう話になるだろうな……と思いながら、面影はゆっくりと三日月の方へと歩み寄り、おずおずとその花束を相手に向かって差し出した。
「その……特に何もない日なんだけど……いつもお世話になっているから、お前に…」
「!?」
 面影の告白を聞いた瞬間、三日月は目を大きく見開き面影をじっと見つめ、ほぼ同時にソファーから立ち上がって向き直る。
「……俺に?」
「…そ、そんなに見ないでくれ。ちょっと……恥ずかしくなるだろう…?」
 真っ直ぐに見つめて来る三日月の瞳は、普段からまるでこちらの心を読んでくるような、そんな不思議な光を宿している。
 そんな彼の瞳は今、密やかな熱を宿してこちらを見つめてきており、言葉で語らずとも相手がこちらの贈り物に対し喜びを感じている事が分かった。
 相手にどうやら喜んでもらえたらしい事は純粋に嬉しい…が、ここまで熱っぽい瞳で見つめられてしまうと、こちらまで落ち着かなくなってしまう………
「おお、すまん……あまりに嬉しくてな……有難う」
 不躾な視線を向けてしまった事を素直に詫びつつ、感謝の言葉を述べながら三日月が花束を受け取る。
「…珍しいな…青い薔薇、か…」
 三日月が覗き込んだ花束の中には、目が覚める様な鮮やかな蒼を纏った薔薇が束ねられており、その狭間には純白のアナベルとカスミソウが添えられている。
「元々、自然界には青薔薇は存在しないそうだ。近年、テクノロジーで現実のものになったらしい」
「ほう…」
 三日月にそんな説明をしながら、面影はこっそりと青い薔薇を花束に取り入れた理由を思い出していた。
「…ん?」
 面影の心中は知る由もなく、感慨深げに花束を見つめていた三日月が、ふと花束の内側のある場所に目を留めた。
「…これは?」
「あ…」
 三日月がその気になる物を内側から取り上げてみせると、そこにはミニサイズの封筒が指間に挟まれていた。
 よくプレゼント等に添える為に使用される名刺サイズのそれは、淡いピンク色で、表面にMemorialと装飾文字が印刷されている。
 そうだった、とようやく面影が思い出して三日月に説明した。
「購入したお店がリニューアルで、その記念に粗品を付けるとあったから、多分それだと思う」
「そうなのか。ふむ……」
 頷いた三日月が封筒に視線を移した事を切っ掛けに、面影が相手に向かって手を差し出す。
「花もそのままにしておくのも可哀想だから、それは私が花瓶に生けよう」
「ふむ……では頼めるか? 有難い」
 ちょっとだけ躊躇う素振りを見せた三日月だったが、結局彼は花束をそのまま面影へと一旦返した。
 折角の面影からの贈り物なので自ら花瓶に生けようとも考えたのだが、このまま面影へと委ねたら『面影が生けてくれた花』も手に入る、と思い直した結果である。
 普段は物欲がないと思われているこの男だが、面影がそこに絡むと恐ろしい程に貪欲になるのであった。
 その想い人に花束を預けてから、彼が花を生けるべくキッチンへと移動していくのを横目で見つつ、三日月は手に残った封筒をゆっくりと開封する。
 特に糊付けなどされていなかったそれは容易に開かれ、中に一枚の薄い紙片が入っているのが見える。
 これもまたよく市販されている様な、飾り縁がエンボス処理されているメッセージカードだったが、その中央に特徴的な幾何学模様が印刷されていた。
 街中でもよく見かける、QRコードというものだ。
「?」
 それを読み取ったら何かのサイトに飛ばされるのだろうが、QRコードの下に何かメッセージが記されている。

『貴方を想う至上の『花』の気持ちをお届けします』

 これは……このコードで誘導されるサイトに関わる文言なのだろうか?
 よく分からないが、取り敢えず見てみるか…と三日月はQRコードを読み取って、そのサイトへと誘導されていった。


「やっぱりこの花瓶で正解だった。美しく生けられたぞ、何処に飾ろうか」
 暫くして、収納室から引き出したガラスの花瓶に生けられた花々を手にして面影が笑顔で戻って来た。
 どうやら、納得できる成果が得られたらしく、手にした作品を色々な角度から眺めながら、面影は三日月に飾る場所について問い掛けた。
 リビングに飾るのも良いが、もしかしたら三日月にも生けたい場所があるのでは、と思い念の為に声を掛けたのだが…返事がない。
「…三日月?」
 こんなに近い場所にいるので聞こえなかったという事は無いだろう。
 何かに気を取られているのかと、花々から三日月へと視線を移した面影が首を傾げる。
 三日月はまだそこに佇んでいたが、何故か視線は手持ちのスマホに釘付けの状態で、その上……
「どうした三日月? 顔がその……赤い様だが…」
「っ!?」
 そこでようやく面影の声に気がついたらしい男が、はっと弾かれた様に顔を上げる。
 若者に指摘された通り、その顔は先程見た時と比較しても明らかに紅潮していた。
「いや……何でも無い」
「? そうか? なら良いんだが…あ」
 花を生ける事が最優先でそれまで意識の外にあった花屋の粗品を思い出したのか、面影が興味深そうに三日月に尋ねる。
「さっきの花屋から貰ったあれ…結局何だったんだ?」
「ああ、あれは…」
 そこで一度言葉を切り、少し考え込んだ後に三日月は軽く首を横に振りながら言った。
「…花を贈られた者へのメッセージだったな。ご愛顧に感謝…という事だろう」
 そう答えられ、面影は単純に、簡素な感謝のメッセージが書かれていたのだろうと察した。
 成程、それなら粗品としても妥当なところだろう。
 花を買った人間だけでなく、贈られた者に対しても店の宣伝も出来る…なかなかの作戦だ。
「そうか。プロムの中の花屋だったんだけど、サービスも良くて気持ちよく買い物が出来た。今までは気にした事も無かったけど、花のある生活も良いな」
 花瓶に生けられている花を再び楽しそうに眺めて、面影は改めて三日月に問うた。
「これ、リビングに置いても良いか? 折角だから私も楽しみたい」
 もしかしたら寝室に置きたいとか言われるかもしれない、と思って断りを入れた若者だったが、向こうはあっさりと首を縦に振った。
「構わない。お前の望みならば、そうしよう」
「?」
 何故だろう……さっきから、向こうが心ここに在らずといった雰囲気なのだが…?
「三日月、どうした? 何だか様子が…」
「いや……」
 他人から見ても今、自分がおかしな反応を返しているという事に気づいたのだろう、三日月は取り繕う様に今度は首を横に振りながら、少し照れ臭そうに笑った。
「……『花』があまりに美しいから、心を奪われてしまっただけだ。すまんな、心配をさせたか」
「あ、いや…何もなければそれで良いんだ」
 ここまで感動してくれるとは思わなかった……それならやはり、今後は花を部屋に飾る事を前向きに考えるべきか……
「すまん、ちょっと部屋に行く。直ぐに戻るがお前はゆっくりと寛いでいてくれ、買い物で疲れただろう?」
「ああ……いや、それ程には」
 相変わらず自分に対しベタ甘な雇用主に返事を返しながら、面影は相手が書斎に向かう後ろ姿を見つめていた。
 そんな視線を受けながら書斎に向かう三日月の歩みはいつになく速く、彼は部屋に入ると同時に後ろ手でドアを閉める。
「………はぁ」
 堪えていた溜息を思い切り溢しながら、三日月は再度スマホを掲げて例のサイトを凝視した。
(……全く…何というものを見せてくれる)
 その視線の先に映っていたのは……先程までリビングで共に居たあの若者。
 いや、正しくは、きっと若者が言っていたリニューアル後の花屋に居た時の彼の姿だった。
 動画の向こうで、誰かと話している面影の声が聞こえてくる。
『こちらの青薔薇をご希望ですか?』
 問うているのはきっと店員だろう。
『はい…それに合う白い花をどれか見繕って』
 話しているのは面影本人だ、しかし、彼は自分がこうして動画に撮られている事には気付いていない様子だ。
『なかなかクールな感じで攻めるんですね。贈り物なら割と暖色系で纏める方が多いですが…』
『ええ……でもあの人のイメージはこれかなと。さっきも他の店員さんに青薔薇についても聞いたので』
『ああ、そうなんですか?』
『はい、自然界に存在しないもので、人の叡智で生まれたらしいですね。夢の中だけで語られていたたものが、現実に存在している………あの人も……その』
 ふっと周囲を見回して誰もいない事を確認し、その若者は少しだけ照れながら告白した。
『現実に存在しているのが信じられない程に……素敵な人、なので…』
 そう…まるで、蒼夜に輝く月光の様に……人の願いも羨望も受け止め、優しく冷たく微笑む神秘の人……
 こんな表情は、誰が見ても、花束を贈る相手は肉親ではなく恋人に対してだろう…というのが察せる程に明らかだった。
 当の相手がその場にいないからこそ告白できる本心……
 図らずもそれを覗き見する事になった三日月は、最早卒倒寸前だった。
(そんな無防備な笑顔を外で晒すな……!! 無自覚にも程がある…!!!)
 そこで動画は終わってしまっていたが、三日月は改めてポケットに隠していたメッセージカードを取り出して眺める。
 面影から端的にしか聞かされていなかった店のサービスは、つまり『贈る側の人間が花を選んでいる姿』だったのだろう。
 相手が自分の為に必死になって、楽しそうに、時には真剣になって贈り物になる花を選んでいる姿は、贈られる花と同等の、いや場合によってはそれ以上の贈り物になるだろう。
 三日月も例に漏れず、あの青薔薇より何より、この動画に収められていた面影の姿の方が価値ある贈り物だと歓喜した。
 どう表現したら良いのか分からないこの喜び……面影の前で押し隠すのは非常に難儀した。
 もし、このQRコードの存在とその先に隠されていた動画を知られてしまったら…間違いなく必死になって奪取しようとしてくる筈だから。
 よく見たらカードの裏側には視聴期限という四文字と、少し先の日付が記載されていた。
 おそらくこのサイトはレンタルで、期限が来たら自動的に閉鎖されるのだろう……ならば、その日までこの秘密を守り抜けば、彼のこの至上の笑顔は自分だけの秘密の宝になる。
(取り敢えず、これは永久保存だな……デバイスとクライド……それと…)
 たたたたたっと器用にスマホの上で指を滑らせて何かの作業を済ませてから、三日月は何でもないという顔をしながら、面影が待つリビングへと戻って行ったのであった。


 それから然程、遠くない後日……
「そう言えば…」
 その日も、三日月の部屋の清潔の維持に余念がなかった面影は、花瓶に花を生けながら、背後のリビングにいる三日月に話し掛けていた。
 あの青薔薇を購入して以降、初心貫徹という様に面影は定期的に花を購入し、三日月の部屋に飾る様になっていた。
 今生けているものも、先程、あのお店から購入してきたのだ。
「この花を買った、あのリニューアルされた花屋なんだけど…」
「うん」
「よく分からないけど、あの粗品のメッセージがやけに好評だったみたいで、かなり売り上げに貢献したそうだ」
「ほお」
 三日月の策略はどうやら上手くいった様で、今でも面影はあの封筒の中は只のメッセージカードだったと信じている様だ。
 返事を返している三日月は、今はリビングのソファーに腰を落ち着けながら新聞を開いて目を通している。
 いつもと変わりない相手の姿に面影も何の疑問も持つ事なく、先程、その店から聞いてきたばかりの新情報を提供した。
「しかも何処かの大富豪がそのサービスを受けて大感激して、物凄い額の寄付を送ったらしい。最初は詐欺かと疑って通報も考えたとか」
「それは心外だな」
「え?」
「いや何でも」
 何やら不思議な合いの手が聞こえてきた気がしたが、即座に否定され、面影は花瓶を手にしてそのままリビングに向かう。
「おお、今日も美しいな」
 見上げてくる三日月が目を細めて褒めてきたのに対し、面影も満足げに頷き、花瓶をソファー前のテーブル中央に置く。
「そうだろう? 最近は、私も花を選ぶのが楽しくなってきた」
「ああ、いや、そうではない」
 しかし、そんな若者の言葉を否定するとばさりと新聞をソファー脇に置き、三日月が花瓶を置くために屈んでいた相手の後頭部を支えて自らの方へと引き寄せる。
「!?」
 ちゅ………
 不意打ちの優しい口付けに、面影が一気に頬を染める。
「んな……っ!」
「……美しいのはお前だ……俺だけの物言う花」
 夢見るように優しく囁かれ、全身が一気に硬直する。
 恋人が目の前にいなければなかなかに大胆な発言も出来る若者だが、当人を目の前にするとこれである。
 そのギャップもまた彼の魅力であり、三日月もそれを好んでいるのだった。
「そ、そういう恥ずかしい事を言うな…!」
 そして、自分にとっての唯一の至上の花……物言う花の照れながらの抗議に、男は幸せそうに笑う。
 あの日、見えない場所で自分の為に必死に花を選んでくれていた姿……思い出すだけで温かな何かが胸の内から溢れてくる。
 嗚呼、思うだけで胸に千の花が咲く様だ……
 その中で、やはり一際艶やかに咲き誇るのは、この者しかいない。
「…真実だからな」
「う………」
 恥ずかしさの所為で口を閉ざしてしまった恋人の様子に、至上の花を手にした幸運な男は再びその幸せを誇るように笑った………