それはある晴れた秋の日のことだった…
その日、三日月は面影のバイト休みの日に併せ、彼と一緒に街へと繰り出していた。
特に目的もなく…という訳ではなく、今日はしっかりとした目標があり、それを理由に面影に同行する様に誘いを掛けていた。
『そろそろ寒い季節になる。冬用の寝具を揃えに行かないか?』
我ながら良い案だったと三日月は思う。
これなら生活必需品を共に選ぶという理由で、二人で共に外出出来るし、その間はずっと面影を独り占め出来るのだ。
そんな三日月の心中は知る由もなく、面影は純粋に良い寝具を選別するべく、品物と値札を先程から真面目な表情で見つめていた。
正直、三日月程の甲斐性持ちならもっともっと高価で豪奢な逸品が並ぶ店を選ぶことも可能だったのだが、根っから堅実な想い人が激しく気後れしてしまった為に、あっさりと二人の希望の中間を取って有名百貨店の寝具コーナーでの買い物となったのだった。
人間として生を受けた後の生活基盤によるところも大きいのかもしれないが……
(無駄な物を持ちたがらないのは、変わっていないのだな………)
それもまた好ましい…と考えていた三日月の前で、不意に相手の動きがぴたりと止まり、その視線がとある物へと真っ直ぐに固定され、動かなくなった。
「?」
さて、一体どうしたのかと同じく三日月が相手の視線の先へとそれを向けてみたら、様々な形状の『抱き枕』が並べられているコーナーだった。
「抱き枕………?」
「あ、いや……必須の物ではなかったな…ただちょっと、寝る時に心地良さそうに思えただけだ」
面影も視線を送っていたのは半ば無意識の事だったらしい。
三日月の声ではっと我に返った様に振り向き、軽く首を横に振る事で購入の意思は特にない事を示した。
「もう枕はあるからな。わざわざ新しい物を買う必要はないだろう、気にしないでくれ」
「………………」
面影からそう言われたものの、三日月はまだその視線を抱き枕の一群から外せないでいた。
(抱き枕……か……)
正直、自分が使用するイメージは湧かないのだが、彼の脳裏にはそれを使用している面影の姿が実にリアルに浮かんでいた。
ベッドの上でしどけなく全身を投げ出して、抱き枕を抱えて寝入っている美しい若者。
普通の枕を使う時には、大体の人間の姿はほぼ真っ直ぐに身体を伸ばした状態だろう……寝相が余程悪くなければ。
対し、抱き枕に抱きついた状態で眠るとなると、その者の四肢が屈曲したり伸展したりと、その肢が強調される姿になる可能性が高いのだ。
スラリとした見栄えの面影の四肢は言うまでもなく細くしなやかさを誇っており、そんな彼が抱き枕を抱きしめ、足を絡ませて安らかに寝入っている姿となれば、既に想像の段階で眼福でしかない。
「……………」
精悍な表情の裏で、脳裏ではぽややややん……とそんな事を考えていた三日月は、それからも買うものについてはほぼ面影の希望に応える形で決定していった。
そして最後の会計の段階の時………
「えっ? 買うのか?」
びっくりした表情を浮かべた面影の隣、彼が一番興味ありげに見つめていたイルカの形状をした青い抱き枕をちゃっかりと抱えた三日月が全ての会計を済ませるべくレジに相対していた。
そんなに興味はなさそうだったが、三日月が使用するのだろうか…?と訝る若者に、相手はしれっとした表情で伝えた。
「リビングに置いてあるソファーにはクッションなど全く置いていなかった事を思い出してな。これがあれば、お前が俺の部屋に来た時にソファーで休む時にも使えるだろう? 共用のものとして気軽に使ってくれ」
半分は嘘である。
共用のものとは言ったが、自分の中ではほぼ面影専用のものとして購入したのだ。
ソファーに何も置いていないと言うのはその通り。
それについては特に何か意味があったのではなく、面影に出会う前の男は自らの周りの環境にすら全くと言って良い程に無頓着だったからだ。
こうしてやたらと部屋の設備を充実させようと躍起になりだしたのは、明らか、面影をそこに迎え入れる様になってからだった。
ソファーを購入したのだって、実は部屋の掃除をしてくれる面影が気軽に腰を下ろして休める場所を、食卓以外にもリビングに作ろうというそれだけの理由に過ぎない。
今回の抱き枕も然り、だ。
自分が使おうなどとは微塵も思っていない。
唯、面影がそれに興味があり、使いたいと考えているのであればそうしてほしいと三日月が考えただけに過ぎなかった。
その甲斐甲斐しさたるや、まるで最愛の番を得た雄鳥が巣作りをする様だ。
そして、自身がそれ程に相手にとって重い立場に置かれている事をまだ理解していない面影本人は………
「共用……か」
自分だけではなく三日月も必要に応じて使うのだろう、と思った事で、使用することに対して前向きに受け止められたらしい。
「有難う、実は少しだけ気になっていたんだ。良かったら、空いている時には使わせてほしい」
他の寝具については直ぐに使用するつもりはなかったので家まで発送してもらう手続きを取ったが、抱き枕だけは直ぐに試してみたいだろう面影の意思を汲み取る形で持ち帰りとした。
そら、と面影に手渡すと、向こうは抱き心地を楽しむようにぎゅうっとそれをきつく抱きしめながら、朗らかな笑顔を浮かべて三日月に礼を述べた。
まるでクリスマスにプレゼントを買って貰えた子供のようだ。
(これは……困ったな)
本番のクリスマスに、果たしてこれ以上の笑顔を見せてもらえる様な、気の利いた贈り物は出来るだろうか…?
何とも贅沢な悩みだな…と内心苦笑しながら、それからも三日月と面影は仲睦まじく街中をのんびりと見て回り、充実した日を楽しんでいた……
そんな楽しかった外出日から数日後………
「…おや?」
建前ではなくしっかりと在宅ワークという形式で働いていた三日月が、午前中の業務(?)に区切りをつけたところで書斎からリビングに移動したところ、そのソファーの上に先客がいるのを認めた。
誰であるか訝る前に、三日月の口元に笑みが浮かぶ。
この三日月宗近の家でもあるマンションの一室に、彼の断りなく入室出来る存在はこの世にもあの世にも面影一人しか存在しない。
(来てくれていたのか……)
軽く辺りを見回すと、何となく部屋が明るい……床も壁も埃一つ見えず、清らかな光を反射している。
おそらくここを訪れた面影が自分が書斎で作業を行なっている間に掃除をしてくれたのだろう。
(そんなに棍を詰めずにやらずとも良いと初めから言っているのにな……)
三日月の脳裏に、面影が此処に住まう様になった日の事がまざまざと思い出された。
面影の今の立ち位置は、名目上、三日月の『家政夫』となっている。
元々、彼は三日月とは全く無縁の人間だったが、とある日に電車内で奇跡の出会いを果たした事で彼との縁が結ばれた。
自立心が強く、三日月がかなりの資産家であると知ってからも一切自分から近づこうとはしなかった面影に、寧ろ三日月が過剰なまでに執着していた……いや、執着しているのは今も現在進行形だが。
面影としてはおそらく以降も、三日月とは不快に思われない程度の距離であくまで良き友人、知人として付き合うつもりだったのだろう。
しかし、予期せぬ出来事とは立て続けに襲ってくるもので……
面影には全くの非が無いにも関わらず、某日、彼がそれまで住んでいた住居を問答無用で追い出された事件が起きた。
どれだけの確率なのかは不明だが、隣家からの延焼で住んでいたアパートが全焼し、焼け出されてしまったのだ、殆ど着の身着のままで。
常に冷静沈着な面影だったが、流石にこの時ばかりは途方に暮れた。
手元に残されたのはなけなしの現金と、覚束ない貯金額の通帳ぐらい。
この国では住居が無ければ碌な働き口にはありつけない事は知っている。
そうなる前に何とか自力で新しい住居を確保し、それから選り好みなく仕事を探そうと、混乱しながらも必死に考えていたのだが、よりによって火事が生じたのは公共機関も稼働していない深夜。
どうしよう……ネットカフェで一泊過ごしてもいいが、これからどうなるか分からないのに、無駄金は極力使いたくない……
生命の危機、という程ではないが、まぁそこそこに困った状況に追い詰められた彼の頭に浮かんだのは、何故か、三日月の姿だった。
一日……一日だけ、一生に一度の我儘として、一泊だけ泊めてもらおう。
迷惑なのは分かっているが、次の日の朝には出て行くと言えば、少しは考慮してくれるだろう。
そして、初めて向かった彼の住居の豪奢さに気後れしながら、こちらに視線を寄越してくるコンシェルジュの視線を感じつつインターホンを鳴らすと、やけに焦った様子の三日月の声が聞こえてきた。
『どうした!?』
何故そんなにも慌てているのか、と一瞬疑問に思った面影だったが、その理由は直ぐに知れた。
ああ、こんなに乱れた服装だと、流石に何が起こったかと思われても仕方ないか……インターホン越しにですら分かってしまう程にみすぼらしかったか……
(別にそんなに大した身分ではないが………彼にはあまり見られたくなかったな…)
これがプライドというものなのだろうか、と、そんな事をぼんやりと考えながらここまで来た経緯を簡略して話し、さていよいよ一泊の宿を願おうとしたところで……
『そこを動くな。良いな? 俺が行くまで絶対に何処にも行くな!』
更に鬼気迫る程の声音でそれだけ言うと、三日月が向こうから通話を切ってしまった。
何があったのかと面影が疑問符を頭の上に浮かべている間に、今度はエントランスの扉の向こうから、三日月本人が全速力で飛び出してきた。
きっとコンシェルジュの老紳士もこんな彼の姿など見た事が無かったのだろう、喫驚した表情でこちらを見つめている中で、構う事もなく三日月はこちらにつかつかと歩み寄って来たかと思うと、がしりと双肩を掴み、そのままきつく抱き締めてきたのだ。
「!?!?!?」
何事が起こっているのか咄嗟に理解出来ず石の様に固まってしまった面影の耳に、心底安堵した男の声が聞こえてきた。
「良かった……お前が無事で…」
「………」
何故、彼がここまで自分に感情移入してくれるのかは分からないが……何故だろう、遠い過去にもこんな事があった様な……いや、少し違う……こういう風に自分をこうして大事に抱き締めてくれた人が……いてくれた様、な……?
「………あ、あの…三日月、私は、元気だから、その、大丈夫……」
どうしてもはっきりとは思い出せない記憶にいつまでも固執する訳にもいかず、取り敢えず面影は三日月を落ち着かせる様に断り、その腕の拘束を解かせた。
心配してくれるのは勿論嬉しいが、いつまでもこの状態を他人に見られるのは正直、気恥ずかしい。
「それで………迷惑をかけるのは心苦しいのだが……一泊だけ、お前の家に泊めてもらえないだろうか……私は何処でも寝られるから床だけ貸してくれたら構わない…朝には直ぐに出て行くし……」
そこまで言いかけたところで、面影は言葉を閉ざす。
自分の願いを聞いていた三日月の表情が、言いようのないそれへと変わっていったのを目の当たりにしたからだ。
怒っている様にも見えて、悲しんでいる様にも見える…いや、そんな単調な感情ではないのかも知れない………
(やはり、迷惑だったか……? 確かに、自分は縁も所縁もない赤の他人に過ぎないからな…)
そんな人間を懐に入れるという行為に対し危機感を感じられても仕方ない、と思ったところで、返された返事は意外なものだった。
「一泊と言わず、ずっと居たらいい」
「…は?」
真意を尋ねる前に、面影は手を引かれて三日月の住む最上階の部屋へと案内された。
そこからは三日月の独壇場。
広過ぎる程の彼の住居に通されると、先ずは風呂に放り込まれ、着心地の良過ぎる夜着を与えられ……
上がったら、前以て相手が頼んでいたらしいデリバリーの豪華な食事がテーブルに並べられていた。
前々から三日月は己の事をこの上ない不精者だと揶揄して笑っていたがとんでもない。
(男の自分から見ても………間違いなくスパダリと呼ばれる部類の男なのでは……?)
なのにも関わらず、この家の何処にもそんな気配……所謂女性の影などは全く見受けられない。
(こんな場所に住める人物という事は、そういうのに縁のない仕事人間、というものだろうか………勿体無い……)
これだけのスペックがあれば女性などよりどりみどりだろうに……と思いつつ、黙々と美味しい食事を食べている向こうでは、夜間にも関わらず三日月が何処かに電話をかけて何者かと話している。
邪魔をする訳にはいかないので沈黙を守っているが、何やら「糸目はつけない」とか、「兎に角急いでくれ」とか、随分と急を要する事態の様だ。
少しだけ興味はあったが、聞いたところできっと自分では何の役にも立たないだろう。
そもそも、こんな夜中にまで仕事をしていたらしい彼のところに押しかけてしまったなど、役立つどころか最早疫病神のレベルだ。
反省しながらも、食事を求める手を止められない自分の卑しさに嫌気が差しながら、面影は何とか平静を保ちながら食事を終える事が出来、それとほぼ同じタイミングで三日月も電話での所用が済んだ様子だった。
「……忙しい時に押しかけて来てすまない」
電話が切られたタイミングで相手にそう詫びると、相手は一瞬きょとんとした後で、ふ、と優しく笑いながらポンとこちらの頭に手を置いた。
「何を言う…俺はお前に頼られて嬉しいぞ」
「…!」
「余計な気をかける前にもう今日は休め……風呂に入った後でも酷い顔色だぞ」
「う……」
そして手を掴まれて連れて行かれたのは、おそらく…と言うかほぼ間違いなく相手が使用しているであろう寝室のベッドだった。
キングサイズと呼ばれているものか、それより大きなものを前に唖然とした面影は、勿論当初は使用するのを遠慮したのだが……
「先ずは五分、横になったら話を聞いてやる」
と条件を出され、やむなく言われた通りに身体を横たえて……一分待たずに沈没してしまったのだった。
それはもう、「眠る」というよりは「落ちる」と言う感覚に近かった。
自分自身でも気づいていなかった心身の疲弊ぶりを、三日月だけは見抜いていたのだ。
それからの話もまぁ語れば長くなるのだが…………
結論を言うと、その翌日から三日月は面影が出て行くことを許さなかった。
許さなかった、と言うとやや横暴に聞こえるかも知れないが、正しく言えば留まる様にひたすら、一心に、そりゃもう一途にお願いしまくったのである。
翌日に起床した面影が約束通り出て行こうとするも、一度切れた緊張の糸を再び繋ぐまでには至らず倒れてしまった事実もあり、寧ろ三日月の方が相手の体調については真剣に心配していたくらいだった。
それから面影の体調が戻るまで、三日月は付きっきりで相手の看病を行い、その側から離れようとはしなかった。
止めとばかりに回復した面影に放った一言が、
「もう既に隣の部屋も俺名義で借り上げてある。お前は何も心配せず、身一つで来てくれれば良い」
最早、プロポーズに等しい。
「色々突っ込みたいんだが!?!?」
十分な睡眠と栄養を取ってようやく血色が少しは良くなっていた面影が、再び真っ青になってそう返したものの、最早大きく流れ始めた事象は止まらないし、止められなかった。
あの夜、こちらがまったりと食事を摂取している間にかけていた電話が、おそらく隣の部屋の賃貸に関するものだったのだろう……と察せはしたが、今更後の祭りである。
この上ない財力と善意に押されまくった形で、結局、面影は相手の言うがままに隣の部屋に住まうことになった。
それに対する見返りは、『不精者である三日月宗近の身の回りの世話』と言うことになったのだった。
せめて借りている部屋の賃料は払う!と訴えた面影に、能面の様にすん…と表情を消した三日月が一言、
「……見たらまた気を失うぞ」
と言い切ったのを見て、それ以上は何も言えなくなってしまった。
この男はおそらく自分が考えているより遥かに聡い……きっとこちらの懐事情など、十分過ぎるほどに察してしまっているだろうし、だからこそそういう発言が出たのだろう。
「では……どうしたら…私にはお前に何も出来ることが……」
途方に暮れかけた若者に、ここぞとばかりに三日月が一つの提案を行った。
「…ならば賃料代わりに俺の世話をしてくれ」
「……は?」
「家事を仕事として換算したら、年収一千万も超えるそうだぞ? 無論、或る程度の現金も支払おう。妥当な見返りだと思うがどうだ?」
「……え?」
周囲の人間から見ればどんなシンデレラストーリーだとツッコミが入るかも知れないが、当人である面影にとってはあまりに怒涛の展開すぎて、それはそれで馴染むまでに多少の気苦労はあった様である。
それでも、あの運命の日から今日まで、二人が仲違いなど一切起こさず平穏に過ごせているのだから、お互いがお互いを気に入っているのは間違いないのだろう。
そして、今に至る……
(………俺としては昔の様にもっと触れ合いたいところだが、な……)
そんな事を思いながらソファーに近づいて面影の正面に回り込んだところで、ああやはりと男は柔らかく微笑む。
「……すぅ………すぅ………」
問題なく掃除をやり終え、一休みのつもりでソファーに座ったまま、軽く寝入ってしまったのだろう。
三日月に見つめられているとは気づく事もなく、面影は背もたれに上体を預けたまま静かな寝息を立てていた。
ふと見ると、彼の隣にはあの抱き枕がちょこんと置かれている。
(……この姿勢のままだと辛かろう)
座った状態で休むよりソファーに身体を横たえた方が楽だろう、幸いここにお気に入りの抱き枕もある事だし……と、三日月はその抱き枕を取り上げながらひそりと面影に声を掛けた。
「面影、そんな座ったままでなく横になって休め。そら、枕もあるぞ」
「う………ん………」
夢の帷はなかなかに上がらないのか、面影は目を覚ます気配はなく、唯、小さな声がその唇から漏れるばかり……
「…ふふ……これ、面影」
笑いながら、自らの顔を相手のそれに近づけながら、再度呼びかけた時だった。
「んん……」
面影の双眸は変わらず閉ざされたままだったが、不意に彼の両腕が掲げられ、それらが実に自然に目の前の三日月に向かって伸ばされたかと思うと……
「…っ!!」
驚く三日月の後頚を捉え、ぐいっと大胆に自らの方へと引き寄せていた。
「おも………か、げ?」
「すぅ……すぅ………」
声を掛けても、返ってくるのは安らかな寝息のみ…………
「…………」
予想外の相手からのアプローチと接近に、暫し男が固まる。
若者にはあまり隙を見せたがらない男にとっては、相手がまだ夢の国の住人だったのは幸いだったかも知れない。
(………心の臓が、煩くて敵わんな…)
自らの意志を持ってしても抑えられない高揚感……これ程のものは久しぶりかも知れない。
(ああ、いや………ごく最近、あったばかりだったか)
この若者を偶然電車内で見掛けた時、見つけた時……人の波にも構わず、兎に角側へと移動している間にも動悸が凄まじかった。
ようやく、ようやく見つけた!!
過去に結んだ縁の繋がりは絶えていないと信じ続けて探し続けて、遂に見つける事が出来たのだ、むざむざ手放す訳がない。
あれから繋がりを再び強めていこうとしていたところで、彼が住まいを失ったのは本人には痛ましい不幸だったが、自分にとっては僥倖だった。
すぐさま部屋を確保して、若者が快適に過ごせる様にと最大の配慮を尽くした。
『多少』の金は掛かったが、そんなのは全く問題にならない。
元々、面影に会えない間の下らない時間を使って得た金なのだから、面影の為だけに使うつもりだった。
そんな過去の三日月の成果のお陰で、彼はほぼ最速の動きで面影を側に置くことに成功したのだ。
今もこうして、触れられる程に近くに…………
「…………」
今になって自身が赤面している事に気付いて、三日月は誰にも見られていないにも関わらず手甲を口元に当てて顔面を隠したが、少ししてから咳払いをしつつ思い直した。
(今更、何故俺が照れなければならんのだ)
かつて刀剣男士だった頃はこれ以上の繋がりも持っていただろう…
今の面影にはその記憶の片鱗も残ってはいないらしいが、そんなのは瑣末な問題だ、その分自分が覚えている。
砂上の楼閣が崩れたなら、次は鉄壁の城砦を築けば良い。
「………」
気を取り直した三日月は、それからゆっくりと相手に掴まらせたまま身体の位置を移動させ始めた。
そおっと優しく面影の身体を抱き締め、自らの身体をソファーの空いている場所に仰向けに横たえて若者が上に乗り上がる形に整えると、改めて相手がずり落ちないようにしっかりと確保した。
細身とは言え成人男性の身体なので相応の重みはあったが、三日月にとっては負担ではなく幸せの重さの様なものだった。
「ふふ……」
自らが至高の幸福と看做す存在を腕の中に感じながら、三日月は微笑みながら瞳を閉じた。
今更ながら、仕事終わりに疲労が侵食してきたらしい。
それでも面影を手放す気配は微塵も見せず、三日月はとろとろと心地よい微睡に誘われていった………
どれだけの時間が経過したのだろう…一時間か…二時間か……
「……ん?」
ふっと、前触れもなく覚醒した三日月の視界に飛び込んできたのは、予想外の姿の面影だった。
「………どう、した? 面影」
「〜〜〜っ」
面影の身体を捉えながらもくたりと脱力した状態の三日月とは対照的に、面影当人は林檎の様に顔を赤くして、全身をがっちがちに固くしながら相手の腕の中に収まっていた。
(どうした……って…)
三日月からはどうした?と軽い口調で尋ねられたが、そう聞きたいのはこちらの方だ!
訪問した三日月の住まいのリビングを軽く掃除し、ソファーに座ったところで気が抜けて転寝をしてしまったのだというところまでは思い出せた。
だがしかし!!
再び目を覚ましてみると、いつの間にか三日月に優しく抱き締められた上に彼の身体の上に乗り上がった状態で密着していたのだ。
これこそ「どうした!?」と訊くに相応しい事態だろう。
彫像の様に緊張で固くなってしまった若者の混乱に気付いているのかいないのか、三日月は相変わらず呑気な声音で問いかけてきた。
「うん……ああ、そうだそうだ、お前がぐっすりと寝入っていたのでな。枕を当てがおうと思ったらお前が大胆にも抱きついてきたので、俺も一緒に寝る事にしたのだった。俺の身体が布団代わりになってしまったが、よく眠れたか?」
(寝ていた私の馬鹿~~~~~~っ!!!!)
何てことをしてくれた!!と己を心で呪いながらも、相手に余計な気を遣わせる訳にもいかずぶんぶんと激しく首を上下に振る。
「そういう時は頼むから構わず起こしてくれ!!!」
涙目になりながら懇願した面影が、彼から身を離そうと両腕を支点に起きようとするも、向こうはがっちりと腕を回していてびくともしない。
(よく眠れたか……って、眠れるか!!)
そう心で叫ぶも、実は覚醒するまでは心地良く感じていた記憶がある。
何故だろう……どうしてか、身体よりも寧ろ心が安らいでいた………こんな絶対的な安心感、これまで感じた事など無かった……
懐かしい様な不可思議な感覚だったが、それがどうしてなのかは分からない。
まあ、その理由に思いを馳せる前に、目前に飛び込んできた超美麗な男の寝顔に思い切り意識を引っ叩かれて即覚醒してしまった訳だが。
そして三日月が起きるまで、面影は全身を硬直させ、己の動悸を感じながらずっと彼の寝顔を見ているしかなかったのだった。
「…………ふむ」
「?」
軽く唸った三日月が、視線が重なったところでにっこりと微笑みかけてくる。
「…確かに、寝心地は最高だな……うん、良い抱き枕だった、次も頼むぞ」
「!!!??」
本当に…何がどうしてこうなったのか………
(…………もしかして、抱き枕を買ってもらったせいでこんな……? いや……べ、別に、抱き枕代わりになるのは、嫌…ではないけど……あああ違う! 私は、何を考えているんだ…っ!?)
安易に抱き枕を買ってもらったばっかりに、こういう事態になってしまった…?
斯くして、抱き枕を望んだ面影の仕事の一つに、図らずも『抱き枕』が加わることになったのであった………