化猫奇譚




 ある日の本丸…その早朝の刻
「主?……面影?」
 筆頭近侍である三日月が手入れ部屋の前に急行し、着いたところで足を止める。
 その入り口には、彼が来る前から複数人の刀剣男士達が集い、不安気に中の様子を窺っていた。
 三日月がそこに到着した時には襖は固く閉ざされており、更に入口の前には木札で『面会謝絶』という断りがしっかりと掛けられ、他者の入室を固く禁じていた。
 手入れ部屋にこの木札が掛けられている時、その奥では通常の修復ではない、緊急かつ深刻な事態に対する対処が行われているということ。
 事実、今、手入れ部屋に入室しているのは審神者と施術を受けている刀剣男士のみ。
「………!」
 部屋の前の面子を見て、そこに遠征組だった男士の内、面影の姿のみを認める事が出来ず、三日月は手入れ部屋の中に彼がいるのだという事実を認めるしかなかった。
「………面影、が…?」
「ああ、まだ中だ…今、主が治療を…」
 三日月の問いに答えたのは、面影と共に遠征組に組み込まれていた長谷部だった。
「………何が、あった?」
 遠征組からの緊急帰還連絡を受けたのはほんの数分前の話だった。
 遠征目的の時間遡行軍の進軍、及びその最終目的の歴史改変の阻止は無事に達成出来た、という報告は予想していた結果だった。
 問題だったのはその後に知らされた追加情報だ。
『その…おそらく、面影の身体に異変発生。生命維持活動には支障無いが、これより至急帰還し審神者の施術を要請する!』
 隊長の鶴丸の緊迫した音声が本丸の審神者の仕事部屋に響き、一気に本殿内は騒がしくなった。
 審神者の指示により、手入れ部屋の中に必要だと思われる器具や札、何か助けになるだろう薬液を入れたガラス瓶が次々と持ち込まれていく。
 他にも幾つかの指示を出した後、直ぐに手入れ部屋に向かって入室し、面影の到着を待った。
 そして、遠征組の無事に帰還した五名の手によって面影は真っ直ぐに手入れ部屋に運び込まれ、その直後に固く襖が閉められた。
 三日月が報告を受けるのが遅れたのは、単純に当時他の執務に集中していたという事と、審神者が緊急性を察知して諸々の指示と自らの手入れ部屋への移動を最優先させたからだ。
 それは誰にも責められない、真っ先に優先すべきは面影という刀剣男士の存在の維持なのだから。
 分かってはいても、三日月はどうしてこんな事態になってしまったのか、という疑問が自分の中で解決していない事が耐えられないらしい。
 ゆっくりとした口調で問い掛けた彼に答えたのは、その場にいた隊長である鶴丸だった。
「まぁ……こんな事になるなんて、流石の俺でも驚いたんだがな……」
 そして、彼は遠征の最中起きた出来事について語り出したのだった。



 遠征先、彼らの一時的な滞在先とされた廃屋に彼ら六振りは静かに身を潜めていた。
 時は夕の刻。
 廃屋はいつ崩れてもおかしくない程に老朽化している典型的な武家造。
 今回遠征組に組み込まれたのは隊長の鶴丸を筆頭に、へし切長谷部、大倶利伽羅、薬研藤四郎、日向正宗、面影の六振り。
 彼らが飛んだ先は鎌倉時代であり、おそらくは取り潰されたか、系譜が絶えたかの憂き目に遭った武家の家屋の成れの果て、だろうか。
 対して、今回の標的である遡行軍が潜伏しているとされる場所…それは政府から通達されたとある公文所で、此処から程近い場所にある様だ。
 大通りからは離れている場所だが、夕刻とは言え近場の通りにはそこそこの人通りが見られるので、あまり目立たない様に動くしかない。
 もう少し市街地から離れていた方が良かったが、あまり敵地から離れていても、何かあった時には対応が遅くなってしまうかもしれないので、これは仕方ないだろう。
 念のために政府から支給されていた家屋の見取り図を片手に、面影が見回りを行っていたところで庭先の一画で立ち止まっていた。
「あれ? 面影さん、どうしたんですか?」
 偶然、その場に居合わせた日向が声を掛けると、一度は彼の方を振り向いた面影だったが、直ぐに再び視線を下へと戻す。
「………墓が…」
 面影が見下ろしているのは苔むした大きな石を二つ、三つほど積み上げた墓。
 墓といっても膝下の高さまでしかないが、この時代の風習を考えたら特に不思議ではない。
 不自然なのはこういう墓が墓地ではなく、生活圏内の庭に建立されているという事だった。
「……家屋の柱にも幾つも刀傷があったな」
「…はい」
 二人はゆっくりと背後に建つ朽ちかけた家屋を振り向き、見上げた。
 もしかしたら、過去、この地域でも血生臭い戦が起こり、屋敷も中の者も巻き込まれたのかもしれない。
 戦は直ぐに終わることなく、犠牲者が増える中、この屋敷の縁の者も犠牲になったのかもしれない。
 戦は終わらない、弔う静かな時間も持てない。
 遺体を晒せば手柄として首を持っていかれる。
 それならば、せめて穏やかに過ごしていたこの場所に………
 見てはいない、経験していないこの地の過去を思い、面影は暫し沈黙を守る。
 おそらく日向も全く同じではないが似た様な過去を想像したのだろう、面影と同じく何も言わなかった。
「……ん?」
 改めて墓を見下ろした時、面影はその隣の地面が不自然に小さく盛り上がっているのを見つけ、膝を付いてよくよく凝視する。
「…………猫、か」
 苔むし、雑草が所々に生い茂っていたので見逃していたが、一匹の猫の死骸があった。
 随分長い事放置されていたのだろう、既に骨となっており、その骨もかなり傷んでいる様に見える。
「………飼い猫、だったのかな」
「…そうかもしれない」
 当主か、それとも家族か従者か……此処に埋められた自らの主人を慕い、番人の様にずっと此処にいたのかもしれない。
 そんな猫の遺骸が放置されているという事は…戦の結果はこの家の者達にとっては望ましいものではなかったのだろうか………
「……日没にはまだ間があるか?」
「うん、そんなに長い時間は持てないけど…」
「小さい穴を掘るには十分だろう」
 穴、と聞いた時点で面影が何をしようとしているのか直ぐに察した日向は、相手に手を貸す事を即決した。
「農具がそこの小屋にあったよ。鍬、持ってくる」
「頼む」
 小屋に走った日向がさして間をおかずに鍬を持ってきたら、二人は直ぐに墓の隣に小ぶりな穴を掘り、猫の遺骨をそこに納めると、上から土をかけ、ならし、近くに転がっていた形の良い石を乗せてやった。
 儀礼的なものは何もない軽作業に等しい行動だったが、少なくとも此処に猫の墓が一つ建立された。
「向こうで、ご主人様に逢えたらいいね」
「そうだな…せめて祈ろう」
 自分達が此処に来た目的は戦いだ、線香なんて気の利いたものは持参していないので精々手を合わせるぐらいしかしてやれない。
 こんな事をしても、もしかしたら早ければ今宵にも、この屋敷を戦場にしてしまうかもしれないのに……何をしているのか……
 人の世には矛盾が多い……そして、彼らと共に生きる自分達も………
(……騒がしくしてしまうかもしれないが……許してくれ…)
 まさか聞こえている筈がないだろう、が、面影は心からそう願い、祈った………


 刀剣男士達の予定としては、遡行軍が動き出したと同時に奇襲を仕掛け、出鼻を挫きつつ戦力を削ぐつもりだった。
 だから、深夜に見張りに立っていた薬研が暗視望遠鏡で敵地の偵察を行っている中、彼らが堂々と動き出した時に皆も作戦の遂行に向けて動き出したのだが、予想外の事態が起きてしまったのだ。
「何だ……これ」
「出られない…!? 何だ、この靄…」
 屋敷内の話だったので、皆に異変の状況が共有されるまでにそう時間は掛からなかった。
 誰よりも先に先陣切って屋敷を出ようとした鶴丸の身体が屋敷の門をくぐって街道に出ようとした刹那、彼のましろの袖にばちりと青白い火花が散り、その身体が易々と屋内の方へと弾き飛ばされてしまった。
 勢いこそ強かったものの、そこは流石の刀剣男士。
 咄嗟に態勢を立て直して軽く片膝を付く程度で済んだが、その表情には明らかに驚きが表れていた。
「おい、下手に近づくな! この感覚…覚えがある」
 即座に皆を取り敢えず一度下がらせ、彼の黄金に輝く双眸が光を増す。
 一見、何の変りもない…ただの朽ちる寸前の門だ。
 しかし、その欄干、敷居、二本の柱に囲まれた『面』に、見えない筈のべったりとした淀みが蠢いているのが見え、鶴丸は無意識の内に眉を顰めていた。
(ああ、懐かしいな……二度と見たくもなかったが……)
 これは呪いだ…この時代ではより近く人の傍に寄り添っていた『怪異』。
「…仕掛けられたな」
 ぐるりと首を巡らせて、大倶利伽羅が忌々しく呟く。
 人間が見るだけなら何の異変もないが、彼の瞳には細かい網目の様な仕掛け…罠が張り巡らされている。
 丁度、巨大なザルをひっくり返し、この屋敷の敷地全体を覆う様な状態だ。
「何が……」
「俺達の足止め目的で、ここを封鎖する呪いを掛けられていた、って感じか……くそ、向こうも力ずくばかりじゃないってか」
 いつもなら刃と刃の勝負で片をつけていたので、この流れは盲点だった。
 戸惑う日向に、ぐるりと半円状に自分達の居る武家屋敷を取り囲む籠目の呪いを見つめながら、鶴丸は考える。
「……主の霊力で外から解除してもらえないか……?」
 この状況を脱する為には、此処に居る六振りの力だけに固執するのは得策ではないと判断し、へし切長谷部が提案した。
 数秒後、鶴丸の返した言葉はその提案を真っ向から否定した。
「駄目だ……どうやら、外界から完全に隔絶されてしまっている」
「ええ…!?」
 という事は、完全に閉じ込められてしまったという訳か……しかし……
「……袋の鼠ってことか?……の割には、一向に敵さんの姿が見えないんだが」
 閉じ込めたなら、ここで一気呵成に責め込むっていうのも戦法の一つだが、一向に敵方の姿は見えない。
 首を傾げつつも、他に此処から脱出する方法を考えている薬研の隣で、いつも通り寡黙だった大倶利伽羅がぼそりと言った。
「……別に生きてても死んでても構わないんだろう。俺達が此処から出られずに、あいつらの邪魔が出来なければ歴史改変は成る……ついでにそれによる封鎖に巻き込まれてくれたら、わざわざ手を下さなくても勝手にくたばる事になるんだからな」 
 普段は何も語らない男だが、こうして言葉を発すると余計な情報を省いていきなり核心を突いてくる。
「伽羅坊…有難い意見だが、そんなに正論を剛速球で投げられたらお兄ちゃん困っちゃうな」
 心臓に悪いんだけど…と胸を押さえて痛がる素振りを見せた鶴丸だったが、無論その茶化しに乗る男ではない。
「知るか」
 ぷいっと背を向けると、大倶利伽羅は屋敷の外へと歩いて行く。
 これから散歩にでも出かけるような自然な動きだったが、無論そんな呑気な行動ではなく、何かしらの此処を脱出出来る手掛かりを探しに行くのだろう。
「本丸の方で通信が出来ない事に気付いたら、何らかの対応をしてくれるとは思うんだが……くそ、時間が惜しいな……何とかしてこの呪を解く方法は…」
「絶対にこの結界を構築している呪物がある筈なんだ……それを破壊するなり出来たら…」
 薬研達が再度屋敷の中を走り抜けながらその鍵となるものを探し回ったが、何処に隠されているのか一向にそれらしい気配を感じる事が出来なかった。
 見つからないと、どうしても気持ちも逸ってしまう。
「くそ…っ」
 こうしている間にも時間は過ぎて行き、敵方の目的を達成するまでの路が開かれていってしまう。
 何とか、この結界さえ解ければ自分達の実力ならまだ間に合うかもしれないのに……!!
 そんな逼迫した空間の中、ふと日向が視線を辺りに走らせた途中で、藤色の髪を持つ若者が庭に立ち竦んでいる姿を見つけた。
 そう言えば、騒動が起こってからそれなりの時間は経過していたが、彼の言葉や姿の記憶がない………いつからそこにいた?
(…面影、さん……?)
 ただ立っているだけの若者の姿なのに、何か、近づきがたい空気が辺りを包んでいた。
 いや、それだけではない。
 既に夜も更けている、何の光源もない庭なのにも関わらず、面影の姿がぼんやりと淡い光に下から照らされぼんやりと浮き上がっていた。
 まるで………死者が墓から起き上がった様な幽玄さを纏っている、と思ったところで、日向はある事実を思い出した。
「あそこ………確か、猫…」
 埋めて、墓を作ってあげた場所ではなかったか……?
 ならば、あの光は墓から生れているのだろうか…?
 そんな事を考えている少年の視界の中、面影は何処かに自我を抜け落とした様な表情でじっと墓を凝視している。
 この異変が生じた際、面影もまたその原因を探るべく屋敷周囲の探索に参加しようとしていたのだが、ふと、そんな若者を喚ぶ声が聞こえてきたのだ。
 言葉ではないが、頭の中で自分を呼んでいるとだけ分かる『声』
 危機を解決する為に迅速に動かなければいけない事は理解していたのに、何故か自身の中で、その声に従わなければならないと断じる意志が働いていて、導かれるままに足を運んだのがあの猫の墓だったのだ。
「…………」
 脳内はぼんやりとしているのに、面影の瞳の奥の瞳孔は猫の様に鋭く細くなっており、その目の視線の先の燐光に輝く墓の上に、一匹の猫が座っていた。
 理屈ではなく、心でその猫が自分が埋めたあの骨の持ち主だと知った面影に、猫は不思議な言葉を掛けてきた。

 墓ノ礼ニ報イ、オ前ニ憑イテヤル。
 コノ屋敷ニ掛ケラレタ呪ハ此処デ朽チタ我ラノ怨恨デ紡ガレタモノ…
 ナレバ、憑カレタオ前ハ拒マレル事無ク呪ノ檻ヲ抜ケル事ガ出来ルダロウ。
 他者ニ変ジル業ヲ持ツ前ナラ、我ガ魂トヨリ馴染ム事デ、奴ラノ目ヲ欺ク事モ出来ル筈。

 情け深い怪異かと思ったが、やはりそう上手い話ではなかったらしい。
 続いての言葉には、密かに面影を嘲笑う様な色が滲んでいた。

 ……運ガ良カッタナ。
 オ前ガ墓ヲ作ラナケレバ、貴様ラ纏メテ此処デ錆ニ塗レテ朽チサセテヤッタモノヲ。
 ダガ、オ前ノ魂ハ何処マデ耐エラレルカナ……?

 ああ、やはり怒らせてしまっていたのだな…と遠くなっていく意識の中で思う。
 時間遡行軍との戦いなど、此処で死んでいった亡者達には知った事ではないのだ。
 不躾に騒がせた自分達は、おそらく此処に眠る死者達の怒りを買い手痛い報復を受ける筈だったのだろうが、この小さな猫がほんの少しだけ情を掛けてくれると言っている……無傷とはいかない様だが。
 そして、それに適応出来る存在は……自分しかいないらしい。
 ならば、やるべき事は決まっている。
「…………頼む」
 敢えて意識を外に開放する様なイメージを持ち、目を閉じる面影に異変が生じたのはその直後。
「面影さん…っ!!? 何をするつもり…!?」
 ぎょっとした日向の声がかき消される程の豪風が周囲に吹き荒れ、その中心部位に立っていた面影の姿が見る見る内に小さくなっていき、形も人のそれとは外れていこうとしているのが分かった。
 皆がその場の異常性に気付いて手を伸ばした時には、既に彼の姿は茂みの向こうに消え、数人が駆け寄った後に周囲を見回したのだが……
「……い、ない…!?」
 そこにはもう、面影の気配も姿も一切見当たらなくなっていた。
 屋敷の異変に続いての面影の消失……
 これはどういう事だ…と当惑する刀剣男士達がまた吃驚する事件が起こった。

 かしゃん……っ!!

 これから自分達をどれだけの時間拘束するのか、と皆が睨んでいた結界が、硝子が砕けて消えて行くようにはらはらと虚空に消えていく。
 あれだけ追い詰められていたのに、破られるのはあっという間だった……あっけない程に。
「面影……!?」
 次から次へと起こる異変に許容量超過しそうになりながらも、周囲に視線を走らせて消失した刀剣男士を探した鶴丸だったが、どうしても見つける事が出来ない。
 折れてはいない……折れてはいない筈だ……と祈る様に心で繰り返しながら、ぎりっと唇を噛む。
 此処に残って探索したいのは山々だが、今はそれを論じるよりやらねばならない事がある。
 優先順位を誤ってはいけない事態……正解は………
「急ぐぞ! まだ間に合う筈だ!!」
 鶴丸の掛け声で皆が駆け出し、本来の目的地である敵陣へ向かって疾走していく。
 その時、鶴丸が一瞬屋敷の方を振り仰いだ時、塀の上に一匹の不思議な毛色の猫が静かに座っていたのが見えた。
 その口には、此処からでも分かる程に禍々しい気を放つ札が咥えられていた…………


「それで、敵陣を殲滅した後、夜明けに屋敷に戻ったら、猫が一匹、元居た場所から動かず蹲っていてな…藤色の…面影の髪と全く同じ色合いの猫だ。ついでに言うと、面影と同じ瞳の色の、な」
「…………」
「日向の経験した事と一緒に経緯を主に連絡した時、もう分かっていたんだろうな。直ぐに帰還する様に命を受けて戻って来てみれば必要なものを全て揃えた上で待っていてくれた。今はおそらく猫に変じた面影の身体を元に戻している最中だ………かなり消耗が激しかったが…」
「…………あの力が仇になったか」
 望んだ姿に変じる事が出来る特殊能力を備えた面影は、墓を作った恩もあるだろうがそれ以外にもその特異性を買われ、怪異に憑りつかれてしまったのだろう。
「屋敷内の屍達の怨念を使った結界は、部外者は完全に閉じ込める事は出来たが、元々そこの飼い猫だったそいつに変じた面影は外に脱出出来たんだろう。遡行軍の奴らがそんなに数を現地に残していなかったのも幸いした。結界外に埋められていた呪物を全て、あいつが掘り出して術を崩してくれたんだ」
 猫は魔に近い生き物だ、それを嗅ぎ付ける能力にも長けていた獣に変じたのも幸運だったのだろう……今も元の姿に戻れていない事は不幸だとも言えるが。
「…………今は、面影に憑りついた御霊を離す為に主が尽力してくれている……」
「………」
 鶴丸達が尽力して任務を遂行してきた事実を理解している三日月は、彼らを責める事はなかったものの、辛そうに瞳を閉じて呟いた。
「……誰かの為になるのなら、自らの身がどうなろうと厭わない………そう、そうだ、俺達刀剣男士はそういう存在……分かっている…分かるが、しかし………」
「………すまん、隊長だった俺の力不足だ」
「いや、お前の所為ではない、皆が出来る事をやり遂げたのだ。面影も折れた訳ではない、主に任せれば悪い様にはなるまい………む?」

 ばぁんっ!!

 突然、手入れ部屋の厳重に閉鎖されていた筈の扉が勢い良く開かれたかと思うと、一匹の漆黒の豹に似た獣が飛び出して来る。

 GAAAAAAAAAAAOOOOOOおおおおおおお!!!

 余りに予想外の成り行きに皆が硬直している間に、廊下に飛び出した獣は白い牙を見せながら咆哮し……
「………」
 一見、ぼんやりと佇んでいるだけの三日月に隙を見つけたのか迷いなくそちらへと突進していったのだが、ふっと視線を寄越した美しい付喪神と目が合った途端、四肢が硬直した様に止まり、直後後ろに飛びずさると、そこから全く動かなくなってしまう。
 身体は動かなくなったが、緊張と興奮が極限に達した様に瞳孔が一気に散大していった。
 小さな低い唸り声を上げながら三日月を凝視する獣に反し、相対した三日月は他の刀剣男士達に『手を出すな』と語る様に水平に右手を動かしつつ、歩を進めて獣に近づいていく。
 そして、手を伸ばせば獣に触れる事が出来るという所まで近づくと、一切の躊躇いも怯みも見せずに獣の耳の間の額の部分に右手を乗せた。
 さわり……
「よしよし……そう怒るな……いや、不安なのか?」
「…………」
 ぱち……ぱち……と美しい新緑の瞳を何度か瞬きした獣の身体からぞわりと何か黒い靄の様なものが立ち上る。
 それは途切れる事無くぞわぞわと黒い炎の様に虚空へと広がり霧散していき、それに伴い本体からはまるで毛皮が剝がされていく様に別の姿が下から現れていく。
「あれは…」
「面影さん!?」
 目を眇めて見定めようとしていた大倶利伽羅の隣で、即座にその正体を見抜いた…いや、おそらく予想していたのだろう燭台切が叫ぶ中、名を呼ばれた若者はそれに気付く事もなくそのまま三日月の方へと身体を傾げ、倒れてしまった。
 しかし、その痩躯は床の冷たさを知る前に、そっと抱き止めてくれた三日月の温かな胸の中に収まった。
「………これは…」
 面影の強襲にも涼やかな表情で応じていた三日月でも、久し振りにその姿を見た時には驚いた様子で打ち除けが輝く瞳を向ける。
 その視線の先の面影の頭部には、左右対称に髪の隙間から覗く猫の耳に似た突起物…いや、紛れもなく猫の耳があったのだった…………



「主の霊力で面影から猫の御霊の影響を取り除く事は出来たらしいのだが、綺麗さっぱりという訳にはいかなかったらしくてな……御霊そのものは彼岸に送られたらしいが、その猫としての野生…本能は面影の心身にもまだ少し浸み込んでいるらしい。耳と尻尾が顕現しているのもそれが原因ということだな」
「ははぁ………それで、ああいうコトに……」
 蜻蛉切の説明を静かに聞いていた村正が、ちら、と庭に面した縁側へと目を遣った。
 今日は雨の気配もなく、一日通して晴天の予報だ。
 因みに政府から送られてくる天気予報は的中率百パーセントで一切外れる事はない。
 そんなのどかな空気が流れている縁側には、あの蒼の衣を纏った麗神が両足を縁の外に下ろす形で座っており、そんな彼の隣にはもう一人の刀剣男士が居た。
 一度は三日月に威圧され、気を失った面影である。
「…ワタシも見てみたかったデスねぇ……門を守っている間にそんな事があったとは…」
「茶化すな、村正……俺は、俺もお前も活躍する事にならずに良かったと安心しているのだ。主にも大事がなかった事も」
「huhuhu……まぁ、確かにそうデスね。刀剣男士である面影が審神者を傷つけるなど、いくら我々でも看過出来ない暴挙デスから」
 面影が手入れ部屋に担ぎ込まれた時、村正はほぼ同時に本丸の正門に赴いていたので中の騒動については見る事が出来なかった。
 三日月宗近と共に第一部隊に属していた蜻蛉切と千子村正は、本丸の中でも屈指の戦闘力を誇っており、特に村正は面影同様に逸話で能力が補正されている刀である。
 その能力を買われ、今回の騒動が生じた際、村正は審神者直々にこの本丸の門を守護する様に命じられ、それを遵守していた。
 そして彼と同じ『村正』である蜻蛉切は、同じく審神者から手入れ部屋の近くで不測の事態に備える様に命じられていたのだ。
 正に前門と後門をそれぞれの『村正』が守護していた事になる。
 他の刀剣男士達も複数手入れ部屋の前に集まってはいたが、それは審神者から命じられていた訳ではなく、騒動を聞きつけて集合していたという形だった。
 だから、彼らは蜻蛉切や村正達の様に『やむなき場合は面影を折れ』という密命を受けていた訳ではない。
「……三日月さんが、手入れ部屋に向かっていたのは実に自然な流れに見えましたが………」
「…三日月殿の考えは、俺達の及ばないところにある様に見える………だが不思議な話だが、俺の感じたところでは、あの時の三日月殿は面影を『守る』為にあの場に居た気がしてならんのだ」
「ふぅん?」
 首を傾げながら楽しそうに返事を返す村正が『続けて』という目で見つめてきたのを受け、蜻蛉切はあの時に感じた事を正直に話す。
「あの時にもし三日月殿が現場に居合わせなければ、最悪何らかの被害が出ていたかもしれん……無論、出ていなかった可能性もあるが、面影の大太刀としての能力を鑑みれば、俺が奴と刃を交えていたかもしれんのだ。しかし、三日月殿のお陰で、面影の安全も本丸の安全も守られた」
 それから一呼吸おくと、蜻蛉切はもう一つの考えについても語り出した。
「それに、あの時の面影……面影も、本丸の為に敢えて三日月殿の方へ向かって行った気がする。まるで、救いを求める様に真っ先にあの方へ向かって疾走した行動の中には……獣ではなく面影の意志が在った様に思う」
「…確かに、あの男が錯乱しながらでも本気を出せばかなりの被害が出たでショウからね。それに、彼はこの本丸の中で誰よりも三日月に信を置いている……」
 村正が再び視線を向けた先では、のんびりと縁側に座っている隣に、くたりと上体を横向きに倒れて頭を三日月の膝の上に乗せて、本物の猫の様にくつろいでいた。
 獣の毛皮の様に彼の身を覆っていたのは御霊として憑りついていた猫の怨念の残渣だったというのが審神者の説明だった。
 あの手入れ部屋から面影が飛び出して行った際、審神者は特に相手から傷つけられた事もなく、部屋に置き去りにされただけだった。
 悪意に支配されていれば審神者こそ最初の犠牲者になるかもしれなかったのだが、幸いそんな痛ましい結果にはならなかった。
 犠牲になる様な場所にのこのこと審神者が向かうべきではない、という意見もあるかもしれないが、今回の場合は審神者でなければ面影の異形への変化に対処出来なかった。
 だから、審神者はそれに立ち向かう覚悟を持って、手入れ部屋に籠ったのだ。
 戦は戦場でのみ起こるものではなく、審神者は常に後方に控えている訳でもない。
 必要があれば、その場が審神者にとっての戦場…その最前線になる。
 そういう成り行きを考えても、あんな状態だったものの、面影は必死に本丸を守るべく審神者から離れ、三日月の元へと走ったのだろう。
 自分を止めてくれる絶対の存在として認めていたから………
「主は、特にお咎めは無く?」
 村正に、蜻蛉切はふう、と安堵の籠った溜息と共に頷いてみせる。
「うむ……騒動は起こったものの、時間遡行軍の企みは結果として阻止出来たし、本丸の戦力を削ぐ事もなかった。審神者本人も無事で、本丸の態勢にも問題はなかったので、政府筋に責められる謂れはない。気になる事と言えば……」
 そこで一度言葉を切って、ころんと三日月の隣で横になっている姿の面影の背を見遣る。
 こうしてここから見ると、本当に人間に猫が入り込んだ…或いは猫が人に化けている様に見える……
「…その政府筋から面影を施設に招致する様、水面下で動きがあるとかないとか」
「…貴重な検体…という訳ですか」
 自分達は今は人の姿を象ってはいるが、元は無機質な刀剣だ。
 人から見たら、姿に拘らなければ、只の『モノ』に過ぎないのかもしれない…しかしそれを咎める謂れはないのだ、事実なのだから。
 しかし、それをこの本丸の審神者に言うとは………
「…それで? ウチの主は…?」
「無論、突っぱねたそうだ。しかし、それでは審神者としての責務を放棄する形にも取られかねない。本丸内での彼の活動を逐一報告し、身体の状況については此処での精密検査を行い、その情報を供与する形になった」
「妥当な落としどころデスね………」
「三日月殿も安心なさっただろう。面影が政府の手に渡ってしまえば果たして此処に戻れるかどうか………」
「今日から、面影の面倒を見るのも三日月さんでしたね?」
「うむ、元々審神者の目が届くところに面影を置かねばならんからな。近侍である三日月殿が適任であったし、三日月殿も強く希望されていたそうだ」
「でしょうねぇ………」
 そこまで話をしたところで、村正がすっくと立ちあがる。
「さて、そろそろ行きましょうか。主もお待ちでしょう」
 にっと笑った村正に対し、蜻蛉切も相手が何を言わんとしているのかを察して頷いた。
「そうだな」
 そう答えながら蜻蛉切もまた立ち上がる。
 彼らはこれから審神者の部屋に行く。
 主から受けた密命の解除を直接命じられる為だ。
 審神者の命令は刀剣男士にとっては絶対……とは言うものの、自分達の仲間を万が一にも『折る』事を命じられたままというのは落ち着かない。
 既に面影は元の姿を取り戻しているし、今は完全に気が抜けている姿で三日月に甘えている。
 最早自分達があの密命を果たす事はないだろうし、審神者もきっとそう判断してくれる筈だ。
 ちらっと再び三日月達の方へと目を向けた村正の視界の中で、丁度良く面影が久し振りに目を覚ましたのか、もぞりと身体を動かしゆっくりと両手で上体を起こす。
 その両手は猫の様にどちらも軽く拳が握られている。
 面影が纏う服の裾の下から伸びた尻尾は耳と同じく藤色で、しなやかな鞭の様に細いそれはぴんと立ちながら先端がぴるぴると震えていた。
 起きた相手に顔を向け、見下ろす三日月の表情はとても優しかった。
 『どうした?』と語りかけているのだろう唇の動きを見て、面影は普段の怜悧な視線とは程遠い柔らかなそれで相手を見つめると、すり…と無言のままに自らの顔を彼の胸元に摺り寄せている。
 距離感ゼロの二人の間には朝の騒ぎの名残など全く無く、平和そのもの。
 好々爺に飼われている猫が、人に変じて一緒に日向ぼっこに付き合っている様な、そんな光景だ。
「………huhuhu、三日月さんも一安心でショウね」
「…そうだな」
 三日月は刀剣男士達を取り纏める近侍である。
 故に、審神者の言葉を誰よりも守り従う鑑となるべき存在である以上、密命に逆らう事は無かっただろう、が、かと言ってあれだけ気に入っている面影をあっさりと折れる訳がない。
 もしやしたら、面影が折られた時点で彼自身も自らを折ってしまうのではないかという懸念すら抱いていたが……懸念は懸念で終わった事に安堵した二人だった。
 『村正』には数多の伝説が纏わりついている…が、それでも彼らの本質は決して残酷なものではない。
 だからこそ、審神者は敢えて今回の密命を二人に託したのかもしれない。
 真実は誰にも語られないままだったが、二人はそれについては最早知る必要もなしと、飄々と審神者の部屋へ向かっていったのだった………



「面影、おやすみ…よく休むのだぞ?」
「………」
 一日が今日も穏やかな時間の中で終わろうとしていた。
 三日月は浴衣姿の面影と、二人の部屋の境界に当たる場所で彼に就寝の挨拶をしている。
 最悪、面影の命運にも関わる一日だったが、その危機を回避した後の時間は三日月にとってはご褒美だった。
 ほぼ半日は縁側であのまま二人でくつろいでいたのだが、何かの所用で三日月がその場を離れる時にも、面影は素直に彼の後ろを歩いてついて来る。
 その瞳は相変わらず猫の瞳孔の様に縦に長い楕円形であり、人の言葉を話す気配はなかったという事については、審神者が説明してくれていた。
 憑りつかれた直後、面影は猫の怨霊から自我を守るために咄嗟に深層心理で作った檻の中に入り、今もそのままの状態なのだそうだ。
 外見は猫の耳と尻尾だけを残した状態で人としての身体を取り戻してはいるが、意識については面影のそれを土台としての猫のものになっているのだという。
 現在は審神者の施術で御霊の気配も殆ど体内から消えてしまっているので、面影の意識が安全だと理解したら出て来るだろうと。
 怨霊のままの意識だったなら、これ程に大人しい筈がない。
 面影の意識が素になっているのなら、ここまで大人しく素直なのも納得だ。
 故に、面影が心を許している仲間が傍にいたら彼もより心穏やかに意識を解放するだろうという事で、後見人且つ最も親しい相手だと看做されている三日月が流れのままに面影の世話係に収まったのだった。無論、蜻蛉切達が話していた、近侍という立場もまた、三日月が面影の傍に付くという大義名分になっていたが。
『よしよし、今のお前は随分と甘えたさんだな』
 食事を摂る時にはどうしても猫の習性からか拳を握る癖が抜けず、そもそも箸を握る事に思い至らない様子で、そんな面影に三日月は自ら食事を箸で摘まんで相手の口元に餌付けをする様に運んでやっていた。
 ちょこんと三日月の隣に座り、口元に運ばれた食事を素直に口に含んでむぐむぐと食べている面影の様子が、皆の吃驚の視線を集めたのは言うまでもない。
「これはまた……珍しい光景だね」
 他人に甘える事のない面影がここまで相手に依存している姿など、先ず見られるものではない。
 珍しく唖然とした表情を隠そうともしない歌仙が呟く隣では、同じく面影をまじまじと見つめていた一期一振が首を傾げて続いた。
「しかし、やはりこうも普段との所作が異なると、違和感は感じますな……姿は完全に面影さんですが…」
 そこは刀剣男士としての鋭敏な感覚が感じ取っているのか、他の皆も一期一振の意見に同意を示す様に小さく頷いた。
「ふむ? 皆にはそう見えるか?」
 にこ、と微笑む三日月はそれ以上は何も語らず、引き続き餌付けを再開させていた。
(確かに獣の気配を纏わせてはいるが………いつもの『俺の』面影、だがな…)
 彼らが見ていない閨の中では、面影は今の様に甘えてくる………
 その姿は刀剣男士としての精悍さは影を潜め、不器用ながらに好意を示す只の素直な青年そのもの。
 しかし、そんな闇の中での彼を見る事が出来るのは、彼岸でも此岸でも自分だけなのだ。
 考えるだけでも秘密の優越感が胸を満たし、その気持ちを抱いたまま、三日月は夕餉の後には面影の湯浴みにも付き合っていた。
 猫だから水を過剰に恐れるのでは…と思い、大浴場ではなく三日月の部屋の露天風呂を使用する事にしたが、意外にも若者は入浴にも素直に応じ、あっさりと浴衣に着替えて本日の日常生活はほぼ無事に終了。
 今、これからの時間、本来であれば甘えてくる彼を堪能できる貴重な機会の筈……なのだが……
「…どうした、明日もまた会えるぞ、そんな不安げな顔をするな」
 いつもなら人目を忍びつつも自室に誘うか、相手の部屋を訪れ、宵闇の中で身体を重ねるのだが、今の面影にそれを強いるのは流石に憚られた。
 只でさえ身体に異変が生じたままであり、本来のそれとは異なる形態なのだ。
 そんな己の身に不安を抱いている相手に無理強いはさせられない……正直、抱きたい気持ちはあるのだが。
「ほら…」
 相変わらず面影を愛おしむ男は、自分の欲を抑えながら優しく相手の頭を撫で、彼の部屋に入る様に促した……のだが、
「ん………」
「ん?」
 こくんと頷くと、面影はすたすたすた…と何故か、三日月の部屋の方へと歩いて行くと、そのまましゅっと部屋の主人の断りなく障子を開け、中へと踏み入っていく。
「んん?」
 何が起こっているのか、一瞬戸惑った三日月が珍しく間抜けな声を出している内に、向こうは更に奥の襖を開け、ずんずんと寝所へと進んで行ったので、数歩遅れて追い掛けて行く。
 そして、三日月が寝所へと足を踏み入れた時には……
「んんん?」
 既に三日月の布団へと潜り込み、すやすやと寝息を立てている若者の姿があった……
(……………据え膳……という訳ではないのだろうなぁ)
 もし向こうがまだ覚醒している状態だったなら、有難く頂いてしまっていたかもしれないが、既に目を閉じて寝息を立てられていると流石に手は出せない。
「……………おやすみ」
 欲を抑えるのはなかなかに難儀な事ではあったが、せめてこの安らいだ寝顔を褒美として寝るとしようか………
 そして、横向きになって寝入っている面影に向き合う様に三日月も横臥位になり、静かに目を閉じたのだった。



「……………?」
 闇がより深く静かになった逢魔時の刻……

 ……ソノ身体……私ニ返セ…

 パチリ、と面影の目が開かれた。
 それまで静かに規則的な寝息を立てていた若者の瞳は、全くの前触れなく完全に覚醒しており、深夜の猫の様に瞳孔は黒き太陽の如き昏さだった。
「………………」
 どうやら何かを感じて覚醒したのではなく、面影本人も最初はその理由が分からない様子で辺りをきょろりと見回していたが、もぞりと身体を布団の中で捩らせながら何故か熱の籠った溜息をはぁと吐き出した。
 その滑らかな肌にはじんわりと汗が滲んでおり、布団の中で籠った熱がそうさせたのだろうと窺えた。
 そんな若者がふと目の前の三日月の穏やかな寝顔に焦点が合ったところでびく、と身体を小さく震わせ、じっと顔を見つめる。
「……………っ」
 何をしたいのか、何かを問い掛けたいのか、その小さな口を開こうとしながらも途中で止められ、面影は申し訳なさそうに俯く。
 それはきっと、安らかに眠っている三日月の安寧の時間を阻みたくないという心遣いだったのだろう。
 しかし、そんな彼の優しい心の代償だとでもいう様に、若者の呼吸が徐々に荒く、苦しげなものへと変わっていった。
「はぁ………はぁ……っ…」
 それに乗じて面影の顔も明らかに上気してきており、何らかの異変が生じているのは間違いなかった。
「はぁ……っ……う……う……っ」
 何かを堪えるように必死に声を押し隠しながらも完全には抑えられない呻きを上げ、暫しの間布団の中で悶えていた若者は、やがて自らその布団の中に頭も完全に埋没させ、もぞもぞと潜り込んでしまった。
 猫の瞳を持つ彼は、布団の中でもかろうじて状況は把握出来ており、小さくも確実な動きで全身を更に布団の足側へと移動させる事が出来た。
「はぁ……はぁ……」
 相変わらず苦しげな声を漏らしながら、面影がゆっくりと手を伸ばした先は、寝ている三日月の衽だった。
 さらりとした手触りのそれの端を遠慮がちに摘んでゆっくりと捲っていく。
 白くすらりとしていながらもしっかりとした筋肉を纏い、間違いなく男であるという事実を明らかにしている下肢………
 その様相を目の当たりにした面影は、こく、と喉を鳴らして更に帯近くまでの衽の奥を暴いていき、遂に自らの目的のものへと辿り着いた。
 そんな謎行動を面影が取っていると……………
「………ん?」
 やがて三日月が、奇妙な感覚を覚えてゆっくりと意識を覚醒させていく。
 何やら奇妙な異変を身体が自覚し、それに意識が引っ張られたという感じだった。
(何だ……身体の奥が、ぞわぞわと…)
 産毛が粟立つ様な……しかし不快ではない、寧ろ…………
 ぬちゅ……
「っ!?」
 覚醒しかけたところで、突然の強い刺激に脳天を殴られた様な衝撃を受け、思わず上体を起こしかけながら布団をがばりと捲り上げるとその足元の場所には……
「面影……っ!?」
「ん……………」
 自らの股間に顔を埋め、捲った衽の奥の雄の象徴を食んでいる面影の姿があった。
 無論、食むと言っても実際食べている訳ではなく、その口の中に熱棒を咥え込んで慰撫しているのであるが。
 それでも、寝起きにいきなりこの光景は流石の三日月にもなかなかの刺激であった様だ。
「おも、か……」
 何事かと声を掛けようとしたところで、その本人である面影と視線が合い、続けて彼の詳しい様相も徐々に認識出来る様になっていく。
(これは……………)
 面影は確かに自分の恋人であるし、これまで幾度も身体も重ねてきたのだが、普段積極的に誘いを掛けるのは専らこちらの方だ。
 勿論、完全にこちらからだけという訳ではなく偶に面影から誘ってきてくれる事もあるのだが、そういう時は大体が実に慎み深いというか遠慮がちな形で……
 例えば互いの部屋の寝所に向かう為に廊下で別れる際、ちょんとこちらの袖の端を摘んできて、恥ずかしそうに俯きながら引き留めてくる様な……
 ガツガツと来るのが悪いとは言わないが、相手のそういう恥じらいに満ちたおねだりがどれだけこちらを揺さぶってくる事か、面影本人は分かってはいないらしい。
 あれはいつだったか………
『お前……私が誘った時の方が……ずっと、激しい、というか……い、意地悪なんじゃないか…?』
 何がいけないんだ、とぐったりとした姿で褥で詰めてきた時があったが……はっきり言ってそういうところだ。
 そんな、普段は遠慮が服を着て歩いている様な若者が、今、こんなに大胆な行為で自分を……襲っている…!?
 改めてそんな面影の状態を確認してみると、三日月はすぐに普段の彼とは異なる点を見抜く事が出来た。
 上気した顔に潤んだ瞳でこちらを見上げてくる姿は、欲情した者の反応としては何らおかしい事はない、生理現象だ。
 しかし、その表情がいつものそれとは明らかに異なっている。
 欲情はしているのだろうが、それより寧ろ瞳の中に見え隠れするものは……苦痛?
 涙を溢さんばかりに潤んだ瞳には、救済を願う様な必死さが見え、こちらの欲情を咥えた口に代わって呼吸を担っているだろう鼻腔から、ふーっふーっと荒い呼吸音が微かに響いてくる。
 面影が今、猫という獣の影響を受けている事、そしてそんな彼のこの状態から導き出される答えは……恐らくあれで間違いないだろう。
(……発情期、か)
 それは理性ではなく本能に深く深く刻みつけられている生存本能だ。
 人である時にも抑制する事が困難なそれに、獣の影響を多分に受けている筈の今の面影には……成程、確かに抗うのは辛いかもしれない。
「ん、ん………っ」
 三日月の視線を受けても今の己の行為を止める事は能わず、相変わらず面影は口の中に三日月の分身を咥え、ぴちゃりと滑った舌で遠慮がちに舐め上げている。
 猫の本能が従順にそれに従おうとする中で、面影本人が持つ理性は三日月の眠りを妨げてしまった罪悪感に苛まれているのだろうか、その形の良い眉はずっと顰められたままだ。
「…そうかそうか、欲しくなったか?」
 そんな若者に優しく声を掛けながら見つめる三日月は、心中、相手が最初から自分の寝所に入り込んで来てくれていた事に感謝していた。
 恐らくは無いだろうとは思っているが、もしあの時面影が自らの寝所に篭り、そこで発情期を発現させてしまっていたら…その本能に従い部屋の外に出て、そこで万一他の男士に出会ってしまっていたら……?
 万が一でも億が一でもそんな事は許せない三日月は、今、面影が自分に縋ってきてくれている事に機嫌を損ねるどころか安堵し、歓喜していた。
 ゆっくりと半分起こし掛けていた上体を完全に起こし、そっと手を差し伸べて面影の頬を手甲で撫でる。
「……っ」
 微かに肌に触れられるだけでも今の面影には大きな刺激になってしまうのだろう。
 びくんと微かに戦慄き、瞳を固く閉じて何かに必死に耐えている彼に、三日月は優しく緊張と苦痛の糸を解す様に囁き掛ける。
「ああ、案ずるな………お前が気に病む事は何もない」
 そうだ、面影が罪悪感を抱く必要は何もない……彼が本能に逆らえないのであれば自らもそれを手放せば良いだけの話だ。
「……欲しいのだろう? ならばお前の可愛い口で、じじいを悦ばせてくれ…」
 こちらはもう眠るつもりはなく誘いに全面的に乗るつもりなのだという意志を示すと、面影は一瞬瞠目し、ほう、と力が抜けた様な表情をした。
 が、それは同じく理性の衡から逃れて本能に全ての舵取りを委ねるという事だった。
「んん……っ」
 じゅぷり、じゅぷり……っ!
 遠慮をする理由が全て消え失せたと言うかの様に、面影の動きが一気に大胆になる。
 それまでは茎の半ばまで肉棒を含んでいたところを、ぐっと喉奥まで押し込み、敏感な粘膜を滑った口腔で擦り上げつつ舌も絡ませ、より強い快感を与えて来る。
 遠慮というものが無くなればこの者はここまで大胆になれるものなのかと驚きつつ、三日月はその快感に耐えながらうっそりと微笑んだ。
「ん……っ………ふふ」
「んくっ…………んくっ………は、ふぅ…っ」
 苦しいだろうに、それでもより深く咥え込みたいのか、それとも喉への刺激が欲しいのか、こつこつと先端が当たる度にくぐもった声を漏らしながら面影はひたすら雄の味を貪っていた。
 限界近くまで口を開いている所為で、だらだらと大量の涎が溢れてきて三日月の男性を伝って流れ落ちる。
 瞳を閉じて口の周りを涎で濡らし、必死に雄にむしゃぶりつきながら舌でぺろぺろと粘膜を味わう面影の姿は、普段の物静かな彼とは異なる印象だった。
(………嗚呼、素敵だ………何と素晴らしい…)
 この印象の相違はきっと猫の所為なのだろう。
 発情の衝動に衝き動かされてここまで積極的に動いていると分かってはいるが、やはり普段と比較するのは止められず、否応なしにこの姿に昂ってしまう。
 ぺちゃ…っ…ぺちゃっ………
 そんな事を考えている間に、口の中で十分に大きくなった相手を目で確かめたくなったのか、面影はぬるりとその逞しい楔を口から離した。
 そして、恍惚とした表情でそれを見つめながら、今度は舌を出して飴を舐める様に幾度も繰り返し根元から先端に向かって味わい始めた。
「ん、む…うっ………あ、ふぅ…っ」
 舌が踊る度に唾液の雫が辺りに散り、濡れた音が二人の耳を侵す。
「……良い眺めだ………これは、昂るなという方が無理なもの…」
 猫に変じた影響は舌の構造にも及ぶものなのか、人間のそれと異なり、ざらついた感触が強い気がするが、それもまた新鮮な刺激となって三日月を悦ばせる結果となった。
(言葉が不自由なのももしやしたらこれが一因になっているのかもしれぬな………)
 直接的に感情を伝える言葉が不自由な状態なのは少々残念ではあるが、その分、行動が直情的だから相手の心理を読むのは比較的容易い。
 それは、今の面影の情熱的な行為を見ても明らかだった。
「ん……んん…っ…!」
 三日月の分身の先端から溢れて来る甘露……その雫の中にうっすらと雄の精の味を感じ取ったのだろう。
 一層、舌の動きが激しく忙しなくなり、その行為はより肉棒の先端に集中して行われる様になる。
 そして代わりとでも言う様に、面影の手が三日月の楔の茎を包み込み、内に溜めた情欲を絞り取る様に扱き上げてきた。
「はっ……はっ………!」
 興奮が伝播した様に、ぴくっぴくっと面影の猫の耳が小さく動き、急かす様に舌先が先端の窪みへと捻じ込まれる。
「っ…! 成程、先ずはそちらの口への馳走が希望か…」
 ゆらゆらと面影の尻尾が揺れている様を見つめながらも、彼が全くこちらの分身から口を離そうとしないところを見て、三日月はそのまま己の劣情を解放する事を決めた。
 夜はまだ長い……それに、獣の本能のまま荒ぶる若者の顔を、本能の証で穢すのもまた一興だろう。
「ん~……っ!」
 握っていた三日月の昂ぶりが一気に大きさと太さを増したのを掌で感じ取り、思わず口からその先端を離した直後、その瞬間は訪れた。
 びゅるるるっ!! びゅぷっ、びゅくんっ…!!
「ん、にゃぁあん……っ!♡♡」
 まるで本物の猫の様な鳴き声を上げながら、面影は下から噴き上げられた白の熱泉を顔に浴びた。
 一度では済まず、それは二度、三度と続きながら、その度に面影の美しい顔に打ち付けられ、雫を周囲に散らしていく。
「ふぁ………あ、む……っ」
 顔中に白濁を浴びた若者は、躊躇いもなくそれを自らの指で拭い取っては口へと運ぶ。
 ぺちゃ…ぴちゃ…と精を舐め取り続ける内に、面影の瞳の奥に悦楽の色が生まれ、その光を宿したまま彼は真っ直ぐに三日月を見据えてきた。
「…………み……か……づ、き……」
「!」
 吐精の快感と恋人を穢した余韻に浸っていたところで、久し振りに相手から名を呼ばれた三日月が吃驚したが、その驚きが冷めやらぬ内に再び面影が驚くべき行動を取り始めた。
「ん、あ………み、か、づ、き……」
 たどたどしく名を呼びながら面影がころんと自らの身体を三日月に向ける様に仰向けに転がすと、しゅるりと帯を解いてその前をあっさりと開き、そして躊躇いもなく両脚を大きく広げていく……
 普段の若者であればそんな行為を自らする事は無かっただろう。
 名を呼べる程度には人としての能力が戻ってきている一方で、その肉欲は依然、獣のそれに支配されているのだろうか……
(……これは、もしや……)
 面影の意識がようやく表に出ようとしているのではないだろうか…発語が出来つつあるのがその証…
 そして、彼の意識により身体から圧し出されそうになっている猫の御霊の名残が、生存本能を刺激され、子孫を残す為の発情期という状態を引き起こしているのでは……?
 目を見開き凝視する三日月の目の前で、面影は自らの下肢の中心に息づく雄を晒した。
 男のそれを舐めていた時からずっと興奮を蓄積していたのだろう、その昂りは完全ではなかったが、既に半ば勃起している。
 そんな雄の証に、しゅるんと面影の変化の象徴の一つであった尻尾が巻き付いた。
 尻尾を操っているのは…無論、面影本人だ。
「はぁ………あ、あ……♡」
 理性が無い…故に羞恥心とも無縁の場所にいるのだろう、面影は誘う意味もあってか、自らの楔に尻尾を巻き付けると、それを器用に上下に蠢かせて楔を扱き上げる様を三日月に見せつける。
「んあぁ………み、かづ…きぃ……♡……し、て……」
 名前の呼び方が少しずつ流暢になっていくのと共に、その語彙も少しずつ増えていく様で、面影は男に甘い声と新たな言葉で訴えた。
「お…ね、が…い………して……してぇ…♡」
 猫の霊気に当てられた若者を、三日月は無論まだ一度も抱いていない。
 しかしそれ以前に幾度も男に抱かれた記憶は残っていたのだろう、その記憶を辿る様に面影は尻尾だけではなく、自らの右手の指をそっと肉棒の下で密かに息づく肉蕾へと這わせていった。
 つぷり……つぷ……っ……
「ふあ……あ…♡………い、い………ここ………いい…っ♡」
「……いけない子猫だ」
 既に貪欲にも指の根元まで蕾に呑み込ませながら、紅く艶めかしく光る舌を突き出しながら、面影は快楽を追い求めている。
 その艶姿は到底子供のそれとは思えなかったが、無垢なるままに純粋に快楽を求める様を三日月はそう評したのかもしれない。
 面影のそんな誘いに乗る形で、ずいと相手の男は若者の方へと身を乗り出し、その股間に顔を埋める形で近づいていくと、至近距離で尻尾が楔を苛める様を眺め始めた。
「んっ、あっ……あぁ…お、く……いい…♡」
「そうかそうか……どれ、俺も手伝おう」
 じゅぷぷ…っ
「ひにゃ……っ!♡」
 巻き付いた尻尾は茎のみに絡み、その先端は寧ろ強調されるように飛び出している状態だったので、三日月はこれ幸いとその先端を口に含み、唾液を絡ませるように舌を這わせた。
 いつもと同じ形、いつもと同じ味……なのに、相手の様子が異なるとそれもまた新鮮なものに感じてしまい、つい熱が入ってしまう。
「ひ…ぁ、ああ……っ♡」
「ん………こっちも、か?」
 答えを待たず、既に面影の指を咥え込んでいる秘蕾に自らの指もずぷりと潜り込ませ、奥へ奥へと侵入させると、やがて触れる肉壁の向こうに異なる感触がある場所へと辿り着いた。
 これまでも幾度も幾度も責めた場所だ、もしかしたら身体の持ち主よりも自分の方が相手の弱点については熟知しているかもしれない………
「ここだ、ここが好いんだろう…?」
「ん、にゃ……っ! あああ…♡ み、かじゅき…ぃ♡」
 とんっとんっと繰り返し敏感な器官を肉壁越しに突いてやると、三日月の口の中の楔からとろとろと快楽の雫が溢れ出してきた。
「ん……ふ…」
 それらを飲み下すと、一旦口を離した男は揶揄う様に微笑みながら舌先を覗かせ、ちろっと先端の窪みを軽く抉る。
 瞬間、もう限界が近いのか、面影の腰が激しく跳ねる中で彼の甘い悲鳴が響き渡った。
「あーっ♡ あぁ~~っ♡♡! い、い…っ……先っぽ、も……おく、も……い、いっ♡ すぐ……すぐ…っ…びゅーびゅーするぅっ♡」
「っ……!」
 その嬌声に違わず、面影はあっさりと絶頂に達し、三日月の顔目掛けて精の奔流を放った。
 びゅるびゅると幾度も勢い良く放たれた濁液で美しい男の顔が濡れ、穢されていく……が、本人は全く気にする素振りもなく、寧ろ嬉しそうにその熱を受け止めている。
「あ……あ……みかづき…………き、れい…」
 そんな三日月に、気怠い身体を押して面影が縋り付くと、相手の顔に自らのそれを寄せ、ぴちゃぴちゃと肌に付着した己自身の精を舐め取り始めた。
「はぁ……はぁっ……♡ みかづき………♡」
「ふふ……綺麗にしてくれるのか…? 自分の精の味はどうだ?」
 縋られた所為で指は蕾から離れてしまったが、その手はそのまま面影を優しく抱き締める。
 面影はそれに対して嬉しそうに相手の頬に唇を寄せては舌を触れさせ続けた。
「ん……おい、し………でも、まだ……」
 より三日月に身体を寄せ、面影はその手で相手の肩を掴むと自重を掛けてとさりと押し倒してしまった。
 そして、しゅるんと再び尻尾を操り……
「む…?」
「みかづき………いっしょ……」
 互いの腰を密着させると、二人の楔を重ね合わせたところで尻尾を絡ませてきた。
「ふ……♡……ああ、いっしょ……いい…♡」
 はぁはぁと荒い息遣いの中でそううっとりと呟きながら、面影は尻尾を己の手足の如く操り、二人の楔を激しく擦り上げた。
 そして、自らの両手を相手の胸元に運び、それぞれの指でそこに息づく小さな蕾を摘まみ上げ、捏ね回し始める。
「っく……ふ、何処でこんないけない遊びを覚えるのだか……」
 自分は教えていない筈だがな…これも野生の本能か?と内心嘯きながらも、相手の仕掛けを楽しむ様に唇を歪めたまま、三日月は尻尾の動きに合わせる様に腰を蠢かせる。
 そして、相手の動きに倣う形で自らもその両手を相手の胸に伸ばし、こちらもこちらでその淡い色合いの蕾達を苛め始めた。
 その上、彼らの重なった腰の狭間からぐちゅぬちゅと粘った水音が響いてきて、その音を繰り返し聞く毎に面影は欲情の炎の中で身を焦がさんばかりに悶えた。
「ひぅ、は……っ……も、う……♡……もっと……」
 何度互いの楔が擦れ合い尻尾で嬲られたのか互いも分からなくなった頃……遂に先に根を上げたのは面影だった。
 ずるりと粘液に濡れた尻尾を楔たちから外した後、面影はのろのろと身体を動かして三日月から少しだけ離れた…が、その身体は依然、布団の上にある。
 離れながらもすぐ傍にいる三日月の目前で、面影は彼に背を向けながら四つん這いになり、くい、と臀部だけを持ち上げる姿勢をとった。
その姿勢により通常の四つん這いより臀部の奥に潜んでいた肉蕾が露わになり、その柔らかな淫肉が男の視線を受けながらひくひくと蠢いている様が分かった。
「お、く……おくぅ……♡ みか、づき……き、て…」
 待ちきれないのか、右手を後ろに回し同側の白い肉丘を掴んで外側へと引いてみせる。
 瞳は焦点が合わず、口元からは涎が零れ落ちる様は、完全に発情し切った獣そのものだった。
「全く……俺もよく、すけべじじいなどと責められはするが………」
 呟きながら、三日月は尻尾で十分に昂らされた己の雄を相手の蕾に押し当て、ぐぐっと内側へと圧し入った。
「にゃ……ああぁ~~~っ♡♡!」
 ずくく…と熱された肉棒が熟れた肉壁を押し広げながら侵入していくと、途端に淫肉に絡みつかれ更に奥へと引き込まれる。
「っく………ふふ……今のお前もなかなかの乱れっぷりだぞ…?」
 勢いをつけながら、ずっずっと侵入を果たして淫肉を擦り上げていく。
 その度に、短い面影の蕩ける悲鳴が上がる。
「好い声だ……さて、可愛い猫の好いところ、たっぷり擦って突いてやろう、な…」
 じゅぷっ! ずちゅっ! ぐちゅっ!……
「ひうっ! にゃっあ……!♡♡ ああぁ~~~っ♡!」
 熱く柔らかい肉壁が肉茎を蕩かす様に絡み付いてくるのを引き離す様に、三日月の腰が激しく前後に動いて淫壺の粘膜を擦り上げる。
 雁のぎりぎりまでをゆっくり引き抜いたかと思うと、摩擦で火傷する程の勢いで最奥までを突き込み、阻む壁を打ち崩す様に抉っていく。
「あっあっあっ……♡♡♡!! くぅ……っん♡」
 粘膜が擦れる音と共に、肌と肌がぶつかり合うそれも響き渡り、二人は二匹の獣の様に激しく交わった。
「んん……み、かぁ……」
 そんな激しい『交尾』の最中、ゆらゆらと快感に悶える様に揺れていた面影のしなやかな尻尾がするんと動き出し、先端部が三日月の背後に回っていく。
「?………っう!?」
 何の戯れかと思っていた三日月の身体が、突然びくっと戦慄き動きが止まる。
「は、ぁ……っ」
 その男の口から珍しくも艶やかな溜息が漏れ、それを耳にした面影は首をそちらへと巡らせて欲情した瞳のままに笑った。
「もっと………お、く……み、か…づき、も………いっしょ、ぉ…♡」
「……っ」
 息を詰めた様子の三日月が昏い笑みを浮かべてそんな相手を見つめる一方で、その猫の耳と尻尾を備えた若者は、三日月の背後に回した尻尾の先端を、ずぷぷ……と雄蕾の内へと侵入させていた。
 何という倒錯的且つ背徳的な光景だろう。
 獣に憑かれた若者が、美神の雄に秘奥を犯されながらも自らの尾を用い、その神の秘奥を犯している。
「ん……っ」
 通常の男性の雄と比較したら若者の尻尾はかなり細身であった上、これまでの戯れですっかり体液で濡れていたので、解していなかった男の秘蕾にも然程負担を強いる事はなかったのは幸いだった。
 尻尾はしなやかながらもしっかりとした芯を備えており、途中で萎える事も曲がる事もなくずぷぷぷ、と三日月の秘洞の奥へと侵入を果たすと、相手の敏感な器官が潜んだ場所を探り当てた。
 過去にも三日月を犯した時の記憶…そして尻尾にもしっかり走っている神経が、鋭敏に感触の違いを感じ取ったのだ。
 長さの制限がありそれ以上の侵入は困難だったが、面影の目的を果たすにはそれで十分だった。
「み、かづき…も………い、い…?♡ ここ………」
 ぐりゅぐりゅと尻尾の先端で壁越しに敏感な場所を弄ると、自らの内に埋められていた三日月の分身がより一層太さと熱を増したのを面影は確かに感じた。
 感じてくれている……悦んでくれている……と、言葉は無くとも面影の心の中に悦びの声が上がる。
「はぁ……っ……あ、もっと…お、きく……なった、ぁ…♡」
 心の中の悦びが漏れ出る様に面影の口から歓喜の言葉が発されると、それが三日月の奥に潜み燻っていた火種に油を放った。
「この……どすけべ猫め…!」
 誹りながらもその口元には嬉しそうな笑みすら浮かべつつ、三日月は奥を弄られた影響で相手の内で膨張する分身の震えを感じながらも、より一層の激しさと速さを以て、面影の秘洞を蹂躙し始めた。
 ずちゅずちゅと絶え間ない程の激しさで淫肉を抉られ、一気に快楽の坩堝へと叩き込まれた面影は、より甲高い嬌声を上げながらも尚、三日月の内に埋めた尻尾で更に強く彼の弱点を突いてきた。
「あ~~っ!♡♡ み、かづきっ!! ひ…っん!♡ あああ、お、くっ! いいっ♡ いっしょ…! いっしょが、いい~っ!!♡♡」
「ああ……お前は奥に射精されるのが大好きだものなぁ……こんなにいやらしい悪戯を仕掛ける程…!」
 汗ばんだ二人の肌が激しくぶつかり合う。
 互いの荒い息遣いの音が虚空で絡まり合っては消えて行く。
(はは………俺まで獣になってしまった様だ……)
 ぼんやりとそんな事を考えている間にも、三日月の分身は肉筒に包まれてきゅうきゅうと容赦なく締め上げられ、後蕾の奥では悪戯好きの尾がいやらしい動きで弱点を嬲り、確実に快楽の限界へと誘われていった。
 やられっぱなしという訳にはいかないが、面影の内側のうねりや、言葉こそ碌に発さないが声調や喘ぎ方から、自分と同様に絶頂が近いだろう事を察した三日月は、ふぅと小さく息を吐いた後でそれを詰め……
「っ!!」
 どちゅ…っ!!!
「っああぁ~~……っ!!♡♡♡」
 びゅるびゅるびゅるっ!!と、肉棒の内側を一気に走り抜け、精が噴き上がった感覚があまりにも強すぎて面影の悲鳴が上がったが、喉を反らし過ぎた所為なのかそれも途中から掠れてしまう。
 そしてそんな若者の意志から外れた肉体の反応により、三日月の肉棒が淫肉の壁に締め付けられた事で、彼もまた限界を迎え面影の奥に向かって粘った樹液を激しい勢いで打ち放った。
「くぅ……っ!!」
 自らの内も犯されていた影響か、いつもより大量の汗が流れ、興奮が露わな彼の肉棒から放たれた濁液は、目には見えなかったが普段より量も勢いも増したものであり、それを受け止めた面影はその事実に歓喜した。
「はあ、は……っ♡ いっぱ、い……なか……どくどく……♡」
 まだ絶頂の余韻が終わっていないのか、びくびくと痙攣する若者の背中を見下ろしながら三日月が腰を引いて楔を引き抜こうとすると……
「あ……やぁ…っ」
 そんな気配を察知した若者は、咄嗟に肉壺を強く収縮させ、三日月の楔を内側に引き留めた。
「うん…?」
「ま、だ……きもち、い……から………♡ でてっちゃ、やだ…♡ もっと……もっと…」
 今も達している最中だから、抜くなという事なのだろう。
 更に少しずつでも語彙が戻ってきている様子の若者は、そんな片言の言葉を紡ぎながら、再び淫らな悪戯を三日月に仕掛け始めた。
「っう…」
「はぁはぁ……あっ…みかづき……また、おっきく……びくん!♡って、なったぁ♡♡」
 三日月の弱点を再び突くことで、一度は萎えていた彼の分身を再び自らの内で成長させると、面影はそれを再びやわやわと蜜壺の中で締め付け始める。
「んっ……こ、のまま……おねが、い…♡」
 いつもならここまで貪欲に求める事は滅多になく、寧ろ三日月から求められても休憩を求める事の方が多かった。
 今こんなに積極的に求めてきているのは、憑いていた猫の本能に基づいた『発情期』に依るものか、それともそれは唯の切っ掛けで、これが若者の理性の裏に隠された欲望の姿なのだろうか……?
 しかし、それがどんな答えであるにしろ………
「…っ!……この淫乱め…っ!」
 そちらがその気なら、こちらも本気を出させてもらおう、とばかりに、三日月が二度目の交わりは最初から容赦なく面影を責め始めたが、対する相手は怯む事もなく嬉々としてその行為を受け入れていた。
 自らの身体を開いて相手の剛直を呑み込み、味わい始めた若者の姿は人の形こそ象っていたが、そこに玩具や餌を眼前に放られた様に興奮した猫のそれが重なる。
「……さてさて、どう躾けてやろうか…?」
 躾という言葉は出たものの、それからの二人は碌に言葉も交わさぬままひたすらに求め合い、交わり続けていた。
 貪欲に雄を求め続ける面影と、それに真っ向から向き合い、与え続ける三日月。
 やがて二度目の絶頂もほぼ同時に二人で迎えたのだが、そこからも面影のおねだりは治まる様子もなく、三度三日月に楔を抜く事を許さず、相手を責めて昂らせながら繋がり続けた。
 三度、四度、五度………
 体位こそ変えてはいたが、その最中でも三日月の肉棒はずっと面影の肉体の内に埋められたままでの行為だった。
 人であれば、流石に挿入したままでの交わりはかなりの疲労が伴うものだろうが、普段は己をじじいと呼ぶ男は全くその絶倫振りが衰える事もなく、若者の身体に淫らな鞭を振るい続け、快感を肉に刻み込んでいった。
 その行為そのものが、男の言う躾だったのだろう。
「お前……獣に憑かれたとは言え、やはり面影だな……」
 久しぶりにそんな言葉を投げ掛けながら、三日月は腰を変わらず動かし続けて面影の深奥を抉っていた。
 今の二人は、面影が下に組み敷かれながら両脚を大きく開いてその片方の足首を相手に捕まれ、更に限界近くまで開かれ、二人の接合部が露わに晒されている。
 すぐ傍らの面影の分身は、二人の身体の動作を受けて勃起しながらもゆらゆらと揺れて頭からは体液を零し、二人が繋がった部位からは、既に数度放たれている三日月の精の残渣が隙間からも溢れだし、肌がぶつかり合う度に泡立った様を見せていた。
「恥じらいながらも、隠したいところを見られて悦ぶ………本当に、正直だ……」
「はっ……♡……はぁ…っ♡…」
 聞こえているのかいないのか、聞こえていても最早反応する事すら困難なのか、面影は舌を突き出しながら喘ぎ、また訪れようとしている絶頂の影を必死に追い掛けていた。
 しかし、何度もそれを経験した今の身体はもう同じ快感では満足出来ない……
 もっと……気持ち良く、なりたい……もっと強い、刺激を…………!
 この身の持ち主の男は知っている……より強い快感をもたらしたものの記憶が、脳髄と身体に刻まれている………!
「んん……」
 ずるん……っ
「む……?」
 不意に、ずっとこの交わりの間留まり続けていた三日月の内から、尻尾が久し振りに抜け出てきた。
 すっかり男の体液を吸い、艶やかだった獣毛もぬらぬらと濡れそぼっている。
 その湿った姿のまま、尻尾はしなった鞭の様に宙を舞うと三日月の楔が挿入されている自らの蕾へと向かっていき……ぐい、と隙間を押し広げる様に割り入ってきた。
「っ!?」
「あ、はあぁぁ~~…っ!♡♡」
 『二本目』となる尻尾は男性の楔と比較すると細かったものの、より強く激しい快感を奥に届けるには十分な質量を誇っていた。
 瞠目してその光景を見つめる三日月の目前で、面影は視線にも構わず尻尾を器用に蠢かしながら奥へ奥へとそれを挿入していく。
「んく……っ……あ…しっぽ……お、〇ん…〇ん……なか…いいぃ…♡」
 奥まで挿入した後は、肉壁と三日月の楔の双方を擦り上げる様にずちゅずちゅと抽送を繰り返して自らも快感を貪り始めた。
「良い眺めだな………そろそろか?」
 幾度も幾度も繰り返し求められるままに与えていた三日月は、相手の内の反応の微妙な変化にも気付いていたらしく、より深く抉り込む様に腰を相手へと打ち付けた。
「あ~~っ!……もっ…く、る……すご、いの……くる…ぅ…っ!♡」
「ああ、だろうな……こんなにねだってきているのだから……」
 きつく締め付け、絞り上げる様に蠢く肉襞を振り切る様に肉棒を激しく出し入れしながら、三日月は薄く笑いながら面影を追い詰めていき、面影は相手の責めに素直に反応し、今日最も深く激しい快楽の頂であり底へと叩き込まれた。
「あっ~~~……っ!!♡♡♡」
 嬌声は最後までは続かず、途中からは掠れた音のみとなり、やがてはそれすらも虚空に消えていく………
「……っ」
 しなやかな身体から一気に力が失われ、まるで操り人形の糸が断ち切られた様にくたりと布団の上に倒れた若者の秘蕾から、ぬぷりと三日月の雄が暫らく振りに引き抜かれた。
 途端に、開かれた蕾の奥からそれまで注ぎ込まれていた三日月の生命の素がとぷりと溢れて流れ出した。
 まだ熱を持つそれらが自らの内股を垂れ流れていくのをぼんやりと感じながら、面影はすぅと瞳を閉じ、そのまま快楽を抱いたままに意識を手放してしまっていた………………


 この日から続く、昼と夜の話がある……
 その翌日……
「……本当に、綺麗さっぱり消えたもんだなぁ」
「ああ…言葉も問題なく話せるし、記憶に齟齬もない。長引かなかったのは幸いだったな」
 昼の本丸の庭先の方へと視線を向けながら、縁側で一服していた薬研と長谷部がそんな会話を交わしていた。
 彼らの視線の先に居るのは、木々の狭間で佇み、地面へと視線を向けている面影の後姿だった。
 ここから見える彼の頭部には、昨日まで認められていた猫の耳は完全に見当たらず、腰下から伸びていた尻尾も忽然と消え去っていた。
 緊急事態で運び込まれた時には長期化したらどうしようと心配していたが、結果的には審神者が予想していた通り、ほんの二、三日の短期間の騒動で済んだ訳だ。
「流石は主だ」
 ふんす、とまるで自分の手柄の様に誇らしげにする長谷部に、薬研は苦笑しながらも素直に頷く。
 相手が審神者を評価するのはいつもの事だが、確かに自分達の主は極めて優秀な存在なので茶々を入れるつもりはない。
 審神者について語る代わりに、薬研は改めて面影へと視線を戻して不思議そうに呟いた。
「? ところで面影は何をしてるんだ?」
 彼の周囲には低木の植木が複数あり、時々首を巡らせているのだが、何をしているのかここからではよく分からない。
 何かを落としてしまって探している様にも見えるが、その割には足を動かす様子はなく、どうにもこの予想とは当てはまらない気もする。
「樹木や草花の世話……いや、今日まではあいつは内番は特に指示されていなかったな。誰かを手伝っている様にも見えないが……」
 長谷部の言葉が終わるか否かというタイミングで、面影の周囲、木々に隠されていた空間から、ぱっと何かが複数、弾けた様な勢いで飛び出してきた。
「おっ?」
「あれは……猫、か?」
 先日、面影に憑りついたのも猫の御霊だったが……これは単なる偶然なのだろうか?
 一体何が起こっていたのか皆目見当がつかなかった二人の前で、猫達が去る様子を見送っていた面影がゆっくりと動き出し、本丸…こちらに向かって歩いて来る。
「…? 二人とも、休憩か?」
「ああ、面影は何をしていたんだ?」
「何やら猫が集まっていた様だが……もしやお前、まだ憑かれていた影響が…?」
 訝し気に尋ねてきた長谷部に面影は一瞬首を横に振った…ものの、それは途中でゆっくりと止められ、何かを悩む様に傾げていった。
「いや……そうではない………いや、そう、なのか…?」
「は?」
 より一層訳が分からないといった長谷部の表情に、面影もちょっと困った様に首を傾げつつ、人差し指で自身のこめかみを指し示して見せた。
「御霊からは開放されたんだが……あれから、その………猫の言葉が分かる様になったらしい…」
「…………」
「…………」
 突拍子もない発言に、話を聞いていた二人共がぽかんと口を開けて暫し放心するが、対する面影本人は至って真面目だった。
「言葉と言うか……声がイメージになって聞こえる様な……あと、御霊は消えたが、どうやら猫達に同類に近い存在だと思われる様になって……さっきも猫集会に参加させてもらってたんだ」
「何それ羨ましい」
 素直に感想を吐露した薬研と異なり、長谷部は依然、懐疑的な視線を向けている。
「…少々、理解に苦しむのだが」
 疑われていると知っても、若者は特に怒るでも落胆するでもなく、淡々と相手の気持ちにも同調を示す。
 自分がその立場でも、彼と似た様な反応を返してしまっていたかもしれないからだ。
「で、さっきの猫集会の議題は何だったんだい?」
「ああ……気になるのは……此処から結構離れた林の一角に、澱みの様なものがあったと」
「………澱み?」
 それは自分達の側の話ではないか?と考えた長谷部の心中を読んだのか、面影も頷いて答えとした。
「気になったから具体的な場所も聞いておいた。午後にも見回りに行く誰かについでに確認を頼もうと思っていたが…よく考えたら私の予定が空いているし、自分で行っても…」
「へぇ……そりゃ面白いな」
 にっと挑戦的な笑みを浮かべた薬研が、よっと小さな掛け声を出しながら立ち上がり、自らを立てた親指で指し示す。
「丁度いい、俺が行ってやるよ」
「え?」
「今日の午後の見回り係、俺」
「! そう、なのか?」
「ああ、別に疑う訳じゃあないが、かと言ってすんなり信じられる話でもない。場所まで指示出来るなら、そこを確認する事で面影が感じている猫との感応力が、本物なのか錯覚なのかはっきり出来るだろう」
 薬研の申し出には他の二人も異議を唱える事はなく、面影は問われるままに猫から教えられた林の中の場所を、目印となる周りの様子も含めて伝えた。
 そして薬研は念入りに二、三度確認を取った後、予定通り昼を過ぎた頃に他の男士達と馬に乗って出掛けて行ったのだったが、結果として、彼らは予定よりかなり早い時間に本丸に戻って来た。
『主に知らせたい事が』
 丁度その時、審神者の部屋には鶴丸が訪れていたが、審神者の許しを受けて彼も同席のまま話は進んでいく。
 報告を受けて審神者の部屋に通された薬研は、問題の場所で掘り出した呪詛の源である朽ちかけていた木簡を審神者に見せ、相手は直ぐにその顔色を変えた。
 かなりの強さの呪力を秘めた木簡らしく、更に聞くところによれば、これだけでは発動するものではないという。
 つまり、他の場所にも複数の木簡が隠されている可能性が高いという事だ。
 一瞬、あの時と同じ事になるのでは…?と懸念した鶴丸だったが、結論としてそうはならなかった。
 あの時、あの武家屋敷には審神者はいなかった、しかし、今はここに存在しているのだ。
 その能力は確かに本丸を支える要と呼ぶに相応しく、手にした木簡と見えない糸で繋がり合っていた他の呪物の位置を探し出し、男士達に破壊を命じ、その命は全て完遂された。
「………助けられたな……二度も」
 しかしこの既視感は…ただの偶然なのだろうか?
 あの武家屋敷での呪詛で仕掛けられた罠と、あまりにも似通っていないだろうか?(…意趣返しを企んだっていうのか? あいつら………?)
 本丸に張られた結界そのものを覆う様に呪で囲み、何かをやろうとしていた…?
「…大至急、対策を立てないとな」
 ひそりと鶴丸が呟き、ちらりと視線を外に向けると、そこには影の立役者とも言える面影の姿があった。
 どうやら本丸を救う切っ掛けになった猫達に、お礼として歌仙達から託された鰹節を与える為にその場に赴いているらしい。
 一度目は彼本人が猫に憑りつかれる事で、二度目は彼に宿った不可思議な力を発揮した事で………自分達はまだ折れずに此処にいる。
(こりゃあ………あいつの苦労がまた増えるか……)
 あの蒼の古き神がこよなく愛する刀剣男士は、この世に一振りだけ。
 それだけでも政府や他の本丸から数多の思念が入り交じった注目を浴びるというのに、今度は獣と意思疎通を図れるようになっただと…?
 それは、何という事のない能力に聞こえるかもしれないがとんでもない。
 猫…猫だぞ?
 犬と並んで、人の傍に長きに渡って生き続けて来た獣……そして魔に近いモノ……
 つまり、人の傍にいても誰の疑いも向けられる事無い生物、その全ての個体を味方に付けたも同然なのだ。
 これがどれだけ自分達の活動に有利に働く事になるか………直ぐにまた政府筋も動き出すだろう。
「けど……許す訳がねぇんだよなぁ…あいつが」
 偏愛…いや、狂愛とも呼べる感情を面影に惜しみなく注いでいるあの神が、他の誰かの手が彼に不躾に伸ばされるなど許す訳がない。
 自分の予想としては、これから……この本丸は何も変わらない。
 何もだ。
 これまで通り、三日月は縁側で茶を飲む日課を変えないし、面影が本丸から消える事もないだろう。
 裏で何があったとしても、表は変わらず平和な景色だけ……
 三日月が望み、審神者が許す……それだけでこれは決して侵される事のない理となる。
「……『知らぬが仏』って諺もあるしなぁ」
 下手に手出しをしたら奴に怒られそうだし、知らない振りをするのが賢明か……
 鶴丸は、あっさりとこの件については関知しない事を決めた。
 そして彼の見立て通り、その後も本丸は『何事も無かった』様に面影を含む全ての刀剣男士達が任務をこなし、平穏な日々を享受していったのである………




 そして夜の話………
「面影や」
「あ……」
 面影がそろそろ寝所に引き籠ろうかと自室の前まで赴いた時、彼の気配に気が付いたらしい三日月が、彼の部屋の障子を開いてひょこりと顔を覗かせながら声を掛けてきた。
「今日は随分と遅かったのだな。誰ぞに捕まったのか?」
「…いや、私の身体について主が検めて下さっただけだ。これで政府への報告も一応は終了となるそうだ」
「……そうか、それは何よりだ」
「……皆には、随分と迷惑と心配を掛けてしまった様だ。三日月にも……」
 変化してしまった所為で発語が覚束なくなり、皆との意志の疎通に支障が出てしまっていた事を、面影が各刀剣男士に詫びて回っていた事を三日月は既に知っている。
 皆が理解している事だが、それは面影の責任ではない、言わば貰い事故の様なものだ。
 寧ろ、そんな不自由な身体になってしまった代償に、彼は二度もこの本丸の危機を救ってくれたのだ。
 感謝されこそすれ、責められる理由などある訳がない。
 それでも、皆に不自由をさせてしまった事をなぁなぁに出来ない性分なのだろう。
 三日月は、相手のそういう真っ直ぐな性根が気に入っていた。
「気にするな。主にも言われたのだろう? お前はよくやってくれた」
「……そう、だろうか」
「そうとも、自信を持つがいい」
「…………」
「…………」
 暫しの沈黙が二人の間に流れる中、三日月はじっと俯いている面影を見つめながら昨夜の情事を思い返していた。
(…覚えているのかいないのか…問うのは野暮、か)
 昨夜までは確かに猫耳と尻尾を備えていたので、少なからず影響下にはあった。
 言葉が発せないのなら、と試しに筆を持たせてもみたが、意味ある文字などを書く素振りもなかった。
 と言う事は、やはり昼間は猫の意識が優位になっていたのかもしれない。
 情事の最中に徐々に言葉を発する様になったのは、そこで面影の意識が浮上してきていたのかもしれないと見立てていたものの、それを確認する前に意識を失ってしまったので叶わなかった。
 その後、三日月は優しく相手の身体を清めた後で浴衣を着せ、彼の寝室に運んだので、この情事が面影の記憶に残っているのかは不明。
 覚えていなければ本人の知らぬ間に獣に身体を好き勝手利用されたという事になるので、面影がそれに気づく事がない様に気遣い、寝室に運んだのである。
 覚えていたとしても、それで彼を寝室に運ぶ事に不利な点はお互いに何もない。
 誘いに乗ってしまった自分にも一抹の責はあるかもしれないが……あのまま発情期の獣を放置するのも非情と言えば非情だったという事で、見逃してほしい。
(……拙いな、昨日のを思い出してしまうと、また…)
 あれだけ激しく抱いたのに、また欲しくなってしまいそうだ……
 無理させない様に、今日は(珍しく)こちらからは誘わないつもりだったのだが、これ以上傍においてしまうと決意がぐらぐらと揺れてしまう。
「……では…」
 未練がましい己を断ち切ろうと、三日月が口を開いて就寝の挨拶をしようとしたところで……
「!……っあ、あの……っ」
 きゅ……っ
 徐に面影が伸ばした手が、三日月の仕立ての良い浴衣の袖の端をしっかと握ってきた。
「ん……?」
 つい声を出してしまった一方で、三日月の心中に密かな期待が湧き上がる。
 この流れは……もしや…?
 つい相手に見入りながら、浅ましくも彼が自分を誘ってくれるのでは…という期待が胸を過る……
「何だ…?」
「………その……ね……猫を……見に、来ないか?」
「?」
 誘いではあったが、意外な誘いだ。
 猫…と聞いて、昼の面影の活躍が思い出され、そこから連想した事を尋ねてみる。
「ああ、今回で仲良くなった猫か? 夜に部屋を訪れるとは、随分と懐いているのだな?」
「……いや………そう、じゃなくて…」
 暗がりの中でも、うっすらと面影の顔が赤くなっていくのが分かった。
 こちらに視線を合わせるのが恥ずかしいのか、庭側へと目を向けつつ、たどたどしく言葉を続ける。
「………猫耳もないし………尻尾も、もう、ない…けど……み、三日月には……『懐いてる』から……」
「…っ!」
 面影の暗に示した答えに、三日月は思わず相手の両肩を掴んでしまっていた。
 もしやこの男……昨日の事、覚えているのか……だから、こんな言い回しを…?
「面影………昨日のことは……」
 三日月の言葉に応える様に、面影は少し小さな声で話し始めたが、それでも静かなこの場所では十分によく聞こえる。
「…あんな態度だったけど、私は全く意識が無かった訳じゃない……ちゃんと見ていたし、聞こえてもいた……ただ、身体を自由に出来なかったんだ……身体の檻の中に閉じ込められていた様な…無理をしたら少しは言う事を聞かせられたんだが……それも大した事は出来なくて…」
 と、いう事は……やはり、昨日の二人の情事の様子はしっかりと記憶に残っているという事だ。
「…言葉が話せるようになったのは…?」
「あ、れは……少しずつ、私の意志の自由が利く様になって…いった…から…」
 予測は大当たりだったという事か。
 それは、言い換えたら、あのおねだりの言葉は紛れもなく面影の意志に依る心からの願いだったという訳だ。
 獣の影響が多少はあったのだろうが、それでも、面影本人が、あれだけ乱れて求めてくれていたと………
「…でも……途中から、なんだ」
「途中……?」
「…最初の方は、完全に、発情期の猫の本能に呑まれて記憶が曖昧で……覚えてない」
「……………」
「…だから……嫌、なんだ」
 微かに不満げな表情を浮かべながら面影が続ける。
「お前がしてくれたこと……あんな、す、すごかったお前を………猫に憑かれていた私は最初から見ていた筈なのに……覚えていない、なんて……」
「………ほう?」
 してくれた…と言うか、最初に仕掛けてきたのはお前の方なんだがな、と思いつつも、自らが期待していた以上の『お誘い』を受けた事で、三日月は明らかに上機嫌な様子で面影の耳元で囁いた。
「…成程…それで? 俺の可愛い『どすけべ猫』は、今宵も『すごい俺』をお望みという事か……」
 ぴちゃ……っ
「ん……っ」
 今度は三日月の方から誘う様に頬を優しく舐め上げられ、ひくっと面影の全身が硬直する。
「よきかな、よきかな………では、お前の部屋でしっかりと猫可愛がってやらねば、なぁ……?」
 これこそ、据え膳というものだろう……?
 部屋の持ち主の主導権を完全に奪う形で、三日月は面影の部屋の障子を開けると相手を中へと軽く押して入れると同時に自らの身も滑り込ませ、器用に後ろ手で障子を閉めてしまった。
 そしてそれから間もなく甘くも激しい嬌声が寝室内に響き渡り始めたのだが、それが外に漏れ出る事は無く、秘密のままに時は過ぎていった…………